無能令嬢と祓い屋当主の契約結婚~契約で結ばれたわたしたちが、本当の夫婦になるまで~



「灰音さんといっしょにいると、呪われるそうよ」
「気味が悪い」
「あぁ、嫌だ。呪いがうつるわ」

 そう女学院のクラスメイトたちが言った。

「え……?」

 突然のことに、灰音は辺りを見渡す。そこは、灰音が通っていた女学院中等科の校舎裏だった。
 日中のようだが、空は曇っており薄暗い。
 灰音は学生服の袴を着ており、クラスメイトたちも同様の格好をして、離れた位置からこちらをジロジロと見ている。

(……これは、……夢……)

 女学院はもう卒業しており、これは夢に違いなかった。――けれど、これは本当にあったこと――過去の記憶だった。
クラスメイトたちは、灰音から離れた位置のまま言った。

「学院で最近起こるおかしなことは、すべて彼女の呪いらしいのよ」
「まぁ! お祓いにいってくださらないかしら」
「あら! あなた、彼女のお宅は『祓い屋』ですのよ? くすくす」
「きっとあの子、呪われた子なのよ」
「…………」

 灰音は、言い返せない。こういったことを言われるのは、もうずっとなのだ。自覚もある。
 きっかけは、女学院の課外授業の最中に妖怪が現れたことだった。しかし、灰音に祓う力はない。この時の妖気に当てられたらしいクラスメイトたちが、その後立て続けに体調不良になったのだ。
 そして、灰音だけが無事だった。
 甘露桜家は祓い屋の名家だったが、こうなってしまっては他の商社などの華族令嬢にとっては、灰音の存在はただ気味が悪いだけだった。

 やがて、学校の外で灰音に会った生徒の中に、体調不良を訴える者が現れた。会話をせず、そばに寄っただけでも呪われると噂されるようになり、灰音が「妖怪を引き寄せている」とまで言われるようになっていった。しかも、女学院にいた他の祓い屋の令嬢や、なんといっても紅葉の周りでは事件は起こらなかったことで、灰音だけが『呪いの子』だと呼ばれるようになってしまったのだ。

(結局、わたしはこれをどうすることも出来なかった……)

 祓うことが出来なかったのは、事実だ。
 そして同じようなことが、学校生活の間に何度か起こった。

(わたしが無能なのが悪いんだわ。わたしが……無能じゃなければ……)

 ――そうすれば、ひとりで学校生活を過ごすこともなかっただろうに。

 灰音は俯いて、肩を落とした。
 足下の影が濃くなって、世界は次第に黒く飲み込まれていった。




「灰音さま。お医者さまがいらっしゃいました。お通ししてもよろしいでしょうか?」

 吉江の声で、灰音はうっすらと目を開けた。
 少しの間、寝てしまっていたみたいだ。頭がずぅんと重く、目覚めは悪いと言えた。
 あれは――そうだ、夢だ。灰音はぼんやりとした意識で、過去のことを思う。
 すべては、自分が無能だから起こったことだ。
 段々と意識がはっきりしてきて、ここが甘露桜家ではないことに気がつく。

(そうだわ、わたし今、鳳凰寺家に……)

 灰音は体を起こすと吉江にお礼を言い、入口側の部屋――机や座布団がある方の部屋に戻る。
 部屋の入り口の襖が開くと、白衣を着た初老の男性が立っていた。

「こんばんは。私は鳳凰寺家にご贔屓にしていただいております、医師の草壁と申します」
「来ていただき、ありがとうございます。甘露桜灰音です。よろしくお願いします」
「灰音さま。草壁先生は、昔から鳳凰寺家の往診をしてくださってるお医者さまですので、ご安心ください」
「そうなんですね。お願いいたします」

 草壁と名乗った初老の医者は、往診用の鞄から医療器具を取り出すと、手早く傷の手当を開始した。
 部屋には吉江と医者を案内してきた使用人がおり、彼女らに見守られる中、灰音は傷口を診せる。
 最後の傷に包帯を巻いて、医者は口を開いた。

「これで終わりです。妖怪に襲われたと聞いてきましたが、ひどい怪我はありませんでしたね」
「先生、ありがとうございました。その……今お金は持っていないのですが、甘露桜家に連絡していただければと……」
「いえ、診察代でしたら――鳳凰寺家からもういただいていますよ」
「えっ……?」

 体に巻かれた包帯を見ながら、灰音はどういうことかと考える。

(もうお父さまに請求がいった、ということかしら……? いえ、こんなに早く持ってこないかしら。じゃあ、鳳凰寺家がお代を立て替えてくださったのね)

 きっとそうだろう、とそう思った時、襖の向こうから斎の声がした。

「入っても構わないか?」
「……! は、はい。大丈夫です」

 治療のために緩めた浴衣を、灰音は急いで整える。
 部屋の襖がさっと開いて、着物姿の斎が部屋へ入ってきた。夕方までの凛々しい詰め襟とは違い、ラフな着物姿で、自分が見てしまってもいいものなのかとドキドキしてしまう。彼の艶やかな黒髪と、琥珀色の瞳は相変わらず美しく、見惚れてしまいそうだ。
 彼は真っ直ぐこちらに近づくと、空いていた座布団に座った。

「怪我の具合はどうだ?」
「は、はい。診ていただきまして、大丈夫そうです。お医者さまを呼んでいただき、ありがとうございます」
「そうか」

 斎が頷く。
 医者は医療器具を鞄に戻しながら言った。

「擦り傷が多かったですね。骨などに異常はありませんでした。お代をたくさんいただいたので、診る前はどんな大怪我かと心配いたしましたが……。ひどくなくて安心いたしました」
「なによりだ。すぐ来てくれて助かった」

 治療費の話が出たので、灰音は慌てて口を開いた。

「あ、あの……。お代の方、立て替えていただき、ありがとうございます。明日にでも甘露桜家から持って参りますので……」
「いや、構わない」
「え?」
「たいした額ではない。気にするな」
「そういうわけには……!」

灰音は驚いたが、斎は意に介さない様子でいる。
 彼は医者に向き直ると、

「足りなくはないんだろう?」
「もちろんです。多いくらいですよ」
「取っておけ。また頼む」
「かしこまりました。では、私はこれで」

 医者は斎に頭を下げると立ち上がった。使用人たちが見送りに向かうのを見て、灰音は慌てて医者に再度お礼を述べ、頭を下げた。
襖が閉まり、部屋には灰音と斎だけになった。

「ほ、本当によろしいのでしょうか……?」
「先ほども言ったが、別に構わない」
「でも……」
「それより、ついてきてくれ」
「え?」

 彼は襖を開けると、こちらを振り返って言った。

「確かめたいことがある」