これは、灰の臭い。焼けた紙が散り散りになったような、その紙切れが喉に張り付くような、乾いた空気に煙が混ざったような、そんな臭い。
(ここは……)
灰音が目を覚ますと、そこは薄暗い地下室だった。見たことのない部屋だ。鼠色の石造りの壁に、ほの暗い明かりのランプがついている。目の前には、机があり、ペンが一本置いてあった。
冷たい感触の石造りの床から足を離そうとして、足を動かせないことと、靴を履いていないことに気がついた。灰音は椅子に座らされており、その椅子に手と足が縛られていたのだ。
部屋の中には誰もいない。ただ、奥の祭壇に、なにかを燃やした後の――燃え尽きた香炉があるのが気になった。
(わたしをここへ運んだのは、紅葉なの……?)
気を失う前、最後に見たのは、妹の姿だった。
――どうして、こんなことになったのだろう。
わたしは、紅葉を恨んでなんかいなかった。小さい頃から才能があってすごいと思っていた。……紅葉が当主でも構わないと思っていた。だから、ずっと我慢していた。無能と呼ばれても、事実だと受け入れていた。
なのに、どうして――……。
ギィ、と重い戸が開く音がして、入ってきたのは、ふたりの少女。
「あらぁ。起きてたのね。おはよう。お姉さまぁ」
「うふふ。お加減はいかがですの?」
それは、甘露桜紅葉と、鏡月院クイナの姿だった。
「紅葉……。それに、……クイナさま。これは一体……」
クイナは祭壇へ近づくと、満足げに頷いた。
「結界が完了したようですわ。これで安心」
「結界……?」
「ここは鏡月院家の地下室。ここにあなたがいることは、誰も知らない。もちろん、斎さまだって。鏡月院家の呪具を使えば、あなたを攫った位置に痕跡を残さない。なにも残さない。ここは地下で、誰もあなたの助けは聞こえない。――そういう結界ですの」
鏡月院家はたくさんの呪具を持ち、巧みに扱うと聞いていたが、まさかこれほどとは……。
灰音の額に、冷や汗が伝う。
「……お願いします。わたしを家へ帰してください」
「家、ですって? いいですわよ、事が終わったら帰して差し上げます。――甘露桜家へね」
「……どうして……」
クイナは扇子を広げながら、灰音にゆっくりと近づいた。
「あなたがね、悪いんですのよ? 灰音さん……。あなたのせいでわたくし、斎さまからおかしなことを言われてしまいましたの。――わたくしはすべてにおいて、あなたより優れてますのよ。異能も、美貌も、家柄も、なにもかも。そう言ったら、彼、なんとおっしゃったと思いますの?」
灰音が黙っていると、クイナは灰音の正面にやってきた。そして、扇子をパンと閉じると、
「わたくしが優れているのは、見当違いだ――と、おっしゃったのですわ。ああ、本当にあり得ない。以前の彼なら、絶対に仰いませんでしたわ」
クイナは閉じた扇子を、灰音の顎にクイと当てた。
「ですからね? なにか理由があるんじゃないかと思いましたの。――〝灰音が優れていると言える理由が〟」
「……どういうことでしょうか……?」
「しらばっくれるんですの?」
目を細めたクイナは、扇子を灰音から離すと、再び口元で広げた。
「――あなた、斎さまに妙な力で取り入ったって、本当かしら?」
「え……」
灰音は目を見開いて、クイナを見た。クイナは扇子をパタパタを扇ぎ、冷ややかな目でこちらを見ていた。
もしかして、わたしの『他人に妖怪を見せる能力』のことを、知っている……?
いや、そんなはずは……。しかし、これが知られたら、芋づる的に斎の能力の欠陥についても知られてしまう……。
灰音の顔は、一気に青ざめた。
「どうなんですの? ねぇ?」
「し、知りません……。わたしは、なにも……」
「うっふふふふふ!」
これまで黙っていた紅葉の笑い声が響いた。
「私、知ってるのよぉ?」
「紅葉……」
「あのね。お姉さまがいなくなってから、私、妖怪が見えなくなっちゃったのよ。仕事が出来なくてお父さまには怒られるわ、お母さまには嘆かれるわ、充には馬鹿にされるわでもう大変! あ、まずはこの分ね」
紅葉が手を振り上げて、パシン、パシン、パシン、と三回灰音の頬をぶった。
そのまま、何事もなかったかのように続きを話す。
「それで気づいたの。これには、お姉さまが関係しているんじゃないか、ってね」
「う……」
「お姉さまが家にいたときは、離れて依頼を受けに行っても大丈夫だったわ。同居だかなんだかが条件かはわからないけれど――ああ、一緒にいる時間かもね? 私たち、仲良くたくさん遊んでいたものね? くすくす!」
紅葉はにっこりと微笑んだ。
「だからね、斎さまも同じじゃないか――って思ったのよ。斎さまが、あんたみたいなグズでノロマで、妖怪を祓う能力もなければ貧相な体の女を娶るなんてね?」
「そうですわ。彼、女性に興味などありませんでしたもの。ですから、紅葉さんに結納時のお話を聞いて驚きましたわ。結婚の理由が、一目惚れ? 一夜の盛り上がり? たった一日の交際で結婚まで決めてしまうなど、あり得ませんわ。彼の婚約者だったわたくしが断言いたします」
「そう。だから――〝斎さまは妖怪の姿が見えない〟んじゃないかって、そう気づいたの」
喉が、ヒュッと締まるような感覚。
それだけは、その秘密だけは、わたしが守らないといけない。
灰音は、慌てて首を振った。
「ち、違います! 斎さまはそのようなことはありません! わたしはただの無能です……!」
「あの斎さまに、そんな弱点があったなんて。くすくす。鏡月院には能力増強の呪具がありますの。斎さまにそれを渡しておきますわ。さぞかし喜ばれることでしょう。あなたみたいな足手まといを戦場へ連れて行かなくて済むんですもの」
「お姉さまの代わりは、あるってこと! わかったぁ?」
「違います、違いますから……!」
ふたりの令嬢は、ニヤニヤと笑う。
灰音が必死に否定すればするほど、面白いようだ。
クイナが眉を下げて、しかし口角は上げて言った。
「さすがにわたくしたちがこの話を外部にすることはありませんわ。そんなことしたら、斎さまの――わたくしの嫁ぎ先である鳳凰寺家の評価が下がってしまうかも」
「甘露桜家の次期当主である私の評価もね」
「……!」
斎の秘密を外部に漏らすと脅しているわけではないらしい。だが、ここで安堵してはダメ。ほっとした表情を見せたら、この話を肯定していることになってしまう。
灰音は緊張を崩さず、ふたりを見た。
――しかし、では、一体どうしてこの話を……?
そう考えたのを見透かすように、ふたりは笑みを浮かべて口を開いた。
「あのね。私たちの要望はひとつだけ。お姉さまには斎さまと離縁して、甘露桜家に帰ってきて欲しいのよぉ」
「そうしたら、わたくしが斎さまと結婚して差し上げますわ」
「……!」
「ね? 皆が幸せになるのよ。無知で無能なお姉さまにもわかるかしらぁ?」
(そういう、こと……)
紅葉はまた仕事が出来るようになり、立派な甘露桜家の当主になるし、クイナは斎の妻になる。そういう提案だった。
彼女たちの言い分はわかった。しかし、だからといって……。…………。
「……っ」
灰音は、唇を噛んだ。
わたしは、そう――本当は彼女らの言うとおりの、条件だけの花嫁で。能力で役に立つために選ばれた契約結婚だった。
だけど、その能力を失ってしまって、斎さまには迷惑を掛けた。その上、その事実を追求されることを恐れて、逃げ出してしまったのだ。
契約は、破棄されるに違いない。
わたしは、本当に無能になってしまったのだ。
だけど。
「……嫌、です」
灰音は、震える声で言った。
紅葉とクイナは、眉を寄せる。
「はぁ?」
わたしは、彼の隣にいる資格がないかもしれない。
だけど、だけど。それでも。
「わたしは、斎さまのおそばにいたい、です……!」
「あんたの意見は聞いてないっての!」
カッとなった紅葉は、手を振り上げた。
バチン! 乾いた大きな音が響く。
「お姉さまがお嫁に行って以来っ! 私は悪いことばかりっ! お姉さまにすべて吸い取られたんだわっ! そもそもっ! あんたがどうして鳳凰寺家にっ! はじめから全然許せなかったのよっ!」
「うっ……あっ……」
頬を往復でぶたれ、灰音はうめき声をあげる。
「さっさと帰ってくればいいのよっ! そしたらまた元通りっ! 言うこと聞きなさいよっ!」
一際大きなビンタをされ、椅子ごと地面に倒される。椅子が石造りの床を打って、カァンと高い音が響いた。
その拍子に、灰音の懐から、レースのリボンが転がり落ちた。
手足は縛られているので、顔だけで追う。斎にもらった、幸せだった頃の象徴。鳳凰寺家の、赤の色。今は手が届かない。だけど。
(手離したくない……)
目の端に、涙が浮かぶ。
しかし、乱暴に襟をつかまれ起こされて、リボンは見えなくなった。
「おかしいですわね。従順になるよう香を焚いたのに、反抗的ですわ。はぁ。わたくしも、あなたさえ現れなければ、万事上手くいったはずですのよ」
灰音の手に、クイナは無理矢理ペンを握らせた。
「さ、離縁状を用意しておりますの。今ここでサインしてしまいましょう? 斎さまには、『身分不相応な事に気がついた』とでも言ってしまいなさい」
「いや、です……っ」
「これは交渉じゃありませんの。命令ですのよ! いいから書きなさい!」
クイナはペンに手を添え、動かそうと力を入れた。無理矢理にでも書かせる気だ。
しかし、灰音はペンを捨てて、声を振り絞った。
「嫌です! わたしは、斎さまと離縁したくありません……!」
言った側から、涙がこぼれる。
無能になったわたしは、離縁されるだろうけれど、でも、でもね斎さま。
わたし、離縁して欲しくないんです。
あなたの温かい手が、まっすぐな瞳が、もうおそばで見られないなんて、嫌なんです。
初めてわたしに優しくしてくれて、初めてわたしに役目をくれて、そんなあなたを失うのが、こんなにも嫌だなんて、わたし知りませんでした。
あなたに能力を失ったことを言い出せなくて、ごめんなさい。こんなに好きだから、離縁を考えるのがつらくて、今日まで逃げてしまってごめんなさい。
本当は、第二夫人とか使用人とかでもいいからおそばにと、そう願うのが相応なのかもしれません。
だけど、わたしは、
「わたしは、斎さまの妻です。誰にも譲りたくありません!」
「あなたねぇっ! ずうずうしいのよっ! もっと立場をわきまえてくださる!? あなたさえいなければっ! 斎さまはわたくしのものでしたのよっ!」
ずうずうしいなんて、自分が一番わかってる。わかってる! だけど、
「わたしは――わたしが、斎さまのお側にいたいんです……!」
「こ、こいつ――」
紅葉が灰音を取り押さえ、クイナが手を振り上げた――その時。
ドォォンという轟音。そして、地下室の戸が付近の石ごと壊れ、煙を出す。
白い煙の中、メラメラ、パチパチと、炎が燃える音がする。
(この、炎は――)
「な、なんですの!?」
「誰!? ここには誰も入れないんじゃなかったの!?」
煙の中に、人影が浮かび上がる。
そして、現れたのは、
「俺の妻を返してもらおう」
「い、斎さま……」
それは、会いたかった斎の姿だった。
灰音の目から、ぽろりと涙がこぼれる。
(これは、夢……? どうして、来て下さったの……?)
ああ、ああ。来てくれるわけないって思ってた。
あんな姿を見られて、使えないところを見られて、逃げ出したわたしを、斎さまが探すわけないって。だけど――。
「灰音!」
斎はこちらに駆け寄ると、すぐに縄を切って、灰音の体を抱き起こす。
「遅くなってすまない」
「どうしてここに……」
「探していたんだ。もう、大丈夫だ」
彼の匂いが、体温が、嬉しい。
こんなにも、会いたかった。
斎の胸に抱き寄せられて、灰音はその胸に頭を沈めた。
「わたし、すみません。あの……」
「大丈夫だ。大丈夫だから」
言いながら、斎の手が灰音の頭を撫でる。
クイナと紅葉はそれを見て、
「は? ……え? どうしてここが……」
「はぁ!? えっ、ちょっと!? 斎さまぁ??」
信じられないと言った目で斎を見た。
「結界を張りましたのに……どうして……」
「……クイナさま! ……ちっ!」
紅葉はクイナに助けを求めたが、クイナは斎を見て呆然としてしまい、紅葉は舌打ちをした。しかしすぐに笑み浮かべると、大きな声を出した。
「まぁいいわ! 斎さま! 私たち、あなたの秘密を知ってるんだから!」
「……なに?」
斎が灰音を抱いたまま、ギロリと紅葉を睨む。
その冷徹な視線を物ともせず、紅葉は言った。
「あなた、妖怪の姿が見えないんでしょう!? バラされたくなければ、おとなしく要求を呑むのよ! 今すぐお姉さまと離縁してちょうだい!」
「なにを馬鹿なことを。――まさか、そのために灰音をこんなところへ攫ったのか」
「ええ、そうよ。お姉さまには、離縁状を書いてもらう途中だったの」
「か、書いていません! わたし、斎さまと離れたくありません……!」
「なにを当たり前のことを。どうしてコイツに言われて俺たちが離縁しないといけないんだ」
斎が言って、灰音は目を丸くした。
「え……っ。でも、わたし、今朝の山で……」
「それがどうした。気にするな」
斎は灰音の頭をぽんと軽く叩く。
灰音が呆気にとられていると、斎は立ち上がり、再び刀を構えた。
「よくわかった。――俺の後ろにいろ」
「は、はい……」
紅葉の周りには、いつの間にか祓い壺がいくつも置かれている。そして、手には小箱。
「ふふん。お姉さまはここにいるから、能力がようやく使えるわぁ! それに、鏡月院の能力増強の呪具もあるんだからぁっ!」
紅葉は笑みを浮かべて、高らかに呪文を唱える。
「――呪を唱う! 『かごめかごめ・捕縛』! 式神よ、あの男を襲いなさい!」
「オォオオォォォォ……」
祓い壺から人面の豚のような式神がいくつも現れ、斎に向かって飛んで行く。
同時に、小箱から赤い糸が勢いよく飛び出し、ぐるぐると斎の右腕に巻き付いた。
それを見た斎は、淡々と呪文を唱える。
「謹んで奉る。天つ焔よ、我が刃に宿りて穢れを焼き祓い給え。――『炎薙ぎ』!」
彼の刀からは炎が出て、その火は紅葉の糸に燃え移ると、簡単にバラバラになった。
「なんだこれは。おもちゃか?」
紅葉の式神が斎に襲いかかる。
斎はそれを刀で受け、切る。
式神はなおも斎に向かっていき、斎はそれを次々に切り落としていった。
「紅葉さん! なにやってますの!?」
正気を取り戻したクイナが、紅葉に言った。
すると紅葉は青い顔で、
「……出てる?」
「え?」
「私の式神と、糸、出てる……?」
「な、何言ってますの!? 出てますわよ!」
クイナは言ってから、
「まさか、あなた、見えておりませんの……?」
「……っ! 『かごめかごめ・捕縛』!」
紅葉の小箱からもう一度赤い糸が伸びて――見当違いの所に当たった。
(わたしの能力が消えたから、紅葉も見えないんだわ……!)
妹のうろたえる様子を見て、灰音は思った。
紅葉も斎と同じように――ぼんやりと見えていた斎よりもさらに悪く、灰音がいないと妖怪の姿がまったく見えなかったのだろう。そして、灰音を取り戻せばまた見えると踏んだが――本来はそうだったはずだが、今灰音は能力を失っている。よって、紅葉は妖怪の姿が見えないままであった。
「あなた、ふざけているんですの!?」
「違っ……!」
うろたえる紅葉の足下に、チリッと炎が燃える。
「――もう終わりか?」
「え……?」
斎はすべての式神を切り終わり、冷えた目で紅葉を見た。
クイナは顔面蒼白になって、紅葉の肩を揺らす。
「あなたの式神はもう、すべて斎さまに切られましたわよ……! 斎さまが実は妖怪が見えなくて――だから灰音さんを娶ったというあなたの仮説は、どうなりますの!? 斎さまは妖怪が見える! あなたは見えない! どういうことですの!?」
「わ、わかんないわよっ! わかんないっ!」
「わかんないじゃ済まされないですわよ……!」
「じゃあっ、私はなんで見えないのよっ!? 無能はお姉さまだったはずっ! どうして私がっ!?」
騒ぐ紅葉の背後に、斎は刀を抜いたまま立った。
「俺の妻に暴行した上に、さらに暴言を吐くのか? 言ったはずだ、彼女を侮辱する言葉を、俺は断じて許さない――と」
「ひっ……!」
斎の鋭い眼光に射貫かれ、紅葉は今度こそ狼狽したようだった。
「俺は灰音を愛している。だから結婚をした。――そう甘露桜家でも言ったし、鏡月院家でも言ったと思うが?」
「……っ!」
クイナは、斎の袖にすがりついた。
「斎さま! せめてわたくしをっ、第二夫人にしてくださいまし! この度のことは謝りますから! 本妻にしてなど、もう言いませんわ!」
「離せ」
「嫌ですわ! だって、そう! お子! わたくしとならきっと優秀な跡継ぎが産めますわ! 灰音さんに特別な理由がないのなら、つまりは元の噂通り無能ってことでしょう!? でしたら、お子は当然望めませんわ!」
「離せと言っているだろ」
「ぎゃっ!」
斎が腕を振り払い、クイナは尻餅をついた。
「馬鹿なことを言うな。どうして俺がお前を妻に迎えねばならん。なにひとつ理由がない」
「り、理由ならありますわ! 先ほどから申しておりますとおり――」
「うるさい」
ピシャリ。斎はクイナの言葉を遮った。
「俺はお前を選ばない。絶対にだ」
「ぐ……!」
バタバタと複数人の足音がして、中級位の警務課がやってきた。
「斎さま! 遅くなって申し訳ありません!」
「甘露桜紅葉と、鏡月院クイナを牢へ入れろ」
「く、クイナさまをですか!?」
警務課の青年は、少し驚いたようだった。
「そ、そうよ! 斎さま! わたくしは鏡月院! 牢なんかあり得ませんわ!」
「大げさよ! 横暴よ!」
「話は取調室で聞け。この部屋で使われた呪具やこいつらの持ち物を見れば、お前たちでもすぐにわかるだろう」
「はっ!」
警務課は、暴れる紅葉とクイナを取り押さえようとする。
紅葉はキッと灰音を睨み付けた。
「なんなのよぉっ!! 無能はあんただったはずなのよぉぉおぉっ!!」
「!」
叫び声と共に、紅葉の腰に着いていた祓い壺から、式神が飛び出した。それは真っ直ぐ灰音に向かって飛んで――。
「いい加減にしろ」
斎の刀で、切り捨てられた。
「斎さま……!」
「大丈夫か」
斎はすぐに灰音のそばにしゃがみ込んだ。
「わたしは大丈夫です。ありがとうございます」
「なによ、なによ……。あり得ない、あり得ない、あり得ない……」
紅葉はブツブツとつぶやいている。
「現行犯だ。連れて行け」
「はっ!」
警務課は紅葉を再度しっかり縄で縛りあげ、クイナとともに連行していった。
ふたりが連れて行かれるのを見てから、灰音はリボンを拾い上げた。幸いにも、ちぎれたりはしていないようだ。
手首には縄の痕があり、皮膚が赤く擦れている。
(助かった……けど)
灰音は、警務課の人々と話している斎を見た。
紅葉とクイナから解放されて安堵するとともに、彼の気持ちが気になって、心臓がキュッとなる気持ちだった。
(ここは……)
灰音が目を覚ますと、そこは薄暗い地下室だった。見たことのない部屋だ。鼠色の石造りの壁に、ほの暗い明かりのランプがついている。目の前には、机があり、ペンが一本置いてあった。
冷たい感触の石造りの床から足を離そうとして、足を動かせないことと、靴を履いていないことに気がついた。灰音は椅子に座らされており、その椅子に手と足が縛られていたのだ。
部屋の中には誰もいない。ただ、奥の祭壇に、なにかを燃やした後の――燃え尽きた香炉があるのが気になった。
(わたしをここへ運んだのは、紅葉なの……?)
気を失う前、最後に見たのは、妹の姿だった。
――どうして、こんなことになったのだろう。
わたしは、紅葉を恨んでなんかいなかった。小さい頃から才能があってすごいと思っていた。……紅葉が当主でも構わないと思っていた。だから、ずっと我慢していた。無能と呼ばれても、事実だと受け入れていた。
なのに、どうして――……。
ギィ、と重い戸が開く音がして、入ってきたのは、ふたりの少女。
「あらぁ。起きてたのね。おはよう。お姉さまぁ」
「うふふ。お加減はいかがですの?」
それは、甘露桜紅葉と、鏡月院クイナの姿だった。
「紅葉……。それに、……クイナさま。これは一体……」
クイナは祭壇へ近づくと、満足げに頷いた。
「結界が完了したようですわ。これで安心」
「結界……?」
「ここは鏡月院家の地下室。ここにあなたがいることは、誰も知らない。もちろん、斎さまだって。鏡月院家の呪具を使えば、あなたを攫った位置に痕跡を残さない。なにも残さない。ここは地下で、誰もあなたの助けは聞こえない。――そういう結界ですの」
鏡月院家はたくさんの呪具を持ち、巧みに扱うと聞いていたが、まさかこれほどとは……。
灰音の額に、冷や汗が伝う。
「……お願いします。わたしを家へ帰してください」
「家、ですって? いいですわよ、事が終わったら帰して差し上げます。――甘露桜家へね」
「……どうして……」
クイナは扇子を広げながら、灰音にゆっくりと近づいた。
「あなたがね、悪いんですのよ? 灰音さん……。あなたのせいでわたくし、斎さまからおかしなことを言われてしまいましたの。――わたくしはすべてにおいて、あなたより優れてますのよ。異能も、美貌も、家柄も、なにもかも。そう言ったら、彼、なんとおっしゃったと思いますの?」
灰音が黙っていると、クイナは灰音の正面にやってきた。そして、扇子をパンと閉じると、
「わたくしが優れているのは、見当違いだ――と、おっしゃったのですわ。ああ、本当にあり得ない。以前の彼なら、絶対に仰いませんでしたわ」
クイナは閉じた扇子を、灰音の顎にクイと当てた。
「ですからね? なにか理由があるんじゃないかと思いましたの。――〝灰音が優れていると言える理由が〟」
「……どういうことでしょうか……?」
「しらばっくれるんですの?」
目を細めたクイナは、扇子を灰音から離すと、再び口元で広げた。
「――あなた、斎さまに妙な力で取り入ったって、本当かしら?」
「え……」
灰音は目を見開いて、クイナを見た。クイナは扇子をパタパタを扇ぎ、冷ややかな目でこちらを見ていた。
もしかして、わたしの『他人に妖怪を見せる能力』のことを、知っている……?
いや、そんなはずは……。しかし、これが知られたら、芋づる的に斎の能力の欠陥についても知られてしまう……。
灰音の顔は、一気に青ざめた。
「どうなんですの? ねぇ?」
「し、知りません……。わたしは、なにも……」
「うっふふふふふ!」
これまで黙っていた紅葉の笑い声が響いた。
「私、知ってるのよぉ?」
「紅葉……」
「あのね。お姉さまがいなくなってから、私、妖怪が見えなくなっちゃったのよ。仕事が出来なくてお父さまには怒られるわ、お母さまには嘆かれるわ、充には馬鹿にされるわでもう大変! あ、まずはこの分ね」
紅葉が手を振り上げて、パシン、パシン、パシン、と三回灰音の頬をぶった。
そのまま、何事もなかったかのように続きを話す。
「それで気づいたの。これには、お姉さまが関係しているんじゃないか、ってね」
「う……」
「お姉さまが家にいたときは、離れて依頼を受けに行っても大丈夫だったわ。同居だかなんだかが条件かはわからないけれど――ああ、一緒にいる時間かもね? 私たち、仲良くたくさん遊んでいたものね? くすくす!」
紅葉はにっこりと微笑んだ。
「だからね、斎さまも同じじゃないか――って思ったのよ。斎さまが、あんたみたいなグズでノロマで、妖怪を祓う能力もなければ貧相な体の女を娶るなんてね?」
「そうですわ。彼、女性に興味などありませんでしたもの。ですから、紅葉さんに結納時のお話を聞いて驚きましたわ。結婚の理由が、一目惚れ? 一夜の盛り上がり? たった一日の交際で結婚まで決めてしまうなど、あり得ませんわ。彼の婚約者だったわたくしが断言いたします」
「そう。だから――〝斎さまは妖怪の姿が見えない〟んじゃないかって、そう気づいたの」
喉が、ヒュッと締まるような感覚。
それだけは、その秘密だけは、わたしが守らないといけない。
灰音は、慌てて首を振った。
「ち、違います! 斎さまはそのようなことはありません! わたしはただの無能です……!」
「あの斎さまに、そんな弱点があったなんて。くすくす。鏡月院には能力増強の呪具がありますの。斎さまにそれを渡しておきますわ。さぞかし喜ばれることでしょう。あなたみたいな足手まといを戦場へ連れて行かなくて済むんですもの」
「お姉さまの代わりは、あるってこと! わかったぁ?」
「違います、違いますから……!」
ふたりの令嬢は、ニヤニヤと笑う。
灰音が必死に否定すればするほど、面白いようだ。
クイナが眉を下げて、しかし口角は上げて言った。
「さすがにわたくしたちがこの話を外部にすることはありませんわ。そんなことしたら、斎さまの――わたくしの嫁ぎ先である鳳凰寺家の評価が下がってしまうかも」
「甘露桜家の次期当主である私の評価もね」
「……!」
斎の秘密を外部に漏らすと脅しているわけではないらしい。だが、ここで安堵してはダメ。ほっとした表情を見せたら、この話を肯定していることになってしまう。
灰音は緊張を崩さず、ふたりを見た。
――しかし、では、一体どうしてこの話を……?
そう考えたのを見透かすように、ふたりは笑みを浮かべて口を開いた。
「あのね。私たちの要望はひとつだけ。お姉さまには斎さまと離縁して、甘露桜家に帰ってきて欲しいのよぉ」
「そうしたら、わたくしが斎さまと結婚して差し上げますわ」
「……!」
「ね? 皆が幸せになるのよ。無知で無能なお姉さまにもわかるかしらぁ?」
(そういう、こと……)
紅葉はまた仕事が出来るようになり、立派な甘露桜家の当主になるし、クイナは斎の妻になる。そういう提案だった。
彼女たちの言い分はわかった。しかし、だからといって……。…………。
「……っ」
灰音は、唇を噛んだ。
わたしは、そう――本当は彼女らの言うとおりの、条件だけの花嫁で。能力で役に立つために選ばれた契約結婚だった。
だけど、その能力を失ってしまって、斎さまには迷惑を掛けた。その上、その事実を追求されることを恐れて、逃げ出してしまったのだ。
契約は、破棄されるに違いない。
わたしは、本当に無能になってしまったのだ。
だけど。
「……嫌、です」
灰音は、震える声で言った。
紅葉とクイナは、眉を寄せる。
「はぁ?」
わたしは、彼の隣にいる資格がないかもしれない。
だけど、だけど。それでも。
「わたしは、斎さまのおそばにいたい、です……!」
「あんたの意見は聞いてないっての!」
カッとなった紅葉は、手を振り上げた。
バチン! 乾いた大きな音が響く。
「お姉さまがお嫁に行って以来っ! 私は悪いことばかりっ! お姉さまにすべて吸い取られたんだわっ! そもそもっ! あんたがどうして鳳凰寺家にっ! はじめから全然許せなかったのよっ!」
「うっ……あっ……」
頬を往復でぶたれ、灰音はうめき声をあげる。
「さっさと帰ってくればいいのよっ! そしたらまた元通りっ! 言うこと聞きなさいよっ!」
一際大きなビンタをされ、椅子ごと地面に倒される。椅子が石造りの床を打って、カァンと高い音が響いた。
その拍子に、灰音の懐から、レースのリボンが転がり落ちた。
手足は縛られているので、顔だけで追う。斎にもらった、幸せだった頃の象徴。鳳凰寺家の、赤の色。今は手が届かない。だけど。
(手離したくない……)
目の端に、涙が浮かぶ。
しかし、乱暴に襟をつかまれ起こされて、リボンは見えなくなった。
「おかしいですわね。従順になるよう香を焚いたのに、反抗的ですわ。はぁ。わたくしも、あなたさえ現れなければ、万事上手くいったはずですのよ」
灰音の手に、クイナは無理矢理ペンを握らせた。
「さ、離縁状を用意しておりますの。今ここでサインしてしまいましょう? 斎さまには、『身分不相応な事に気がついた』とでも言ってしまいなさい」
「いや、です……っ」
「これは交渉じゃありませんの。命令ですのよ! いいから書きなさい!」
クイナはペンに手を添え、動かそうと力を入れた。無理矢理にでも書かせる気だ。
しかし、灰音はペンを捨てて、声を振り絞った。
「嫌です! わたしは、斎さまと離縁したくありません……!」
言った側から、涙がこぼれる。
無能になったわたしは、離縁されるだろうけれど、でも、でもね斎さま。
わたし、離縁して欲しくないんです。
あなたの温かい手が、まっすぐな瞳が、もうおそばで見られないなんて、嫌なんです。
初めてわたしに優しくしてくれて、初めてわたしに役目をくれて、そんなあなたを失うのが、こんなにも嫌だなんて、わたし知りませんでした。
あなたに能力を失ったことを言い出せなくて、ごめんなさい。こんなに好きだから、離縁を考えるのがつらくて、今日まで逃げてしまってごめんなさい。
本当は、第二夫人とか使用人とかでもいいからおそばにと、そう願うのが相応なのかもしれません。
だけど、わたしは、
「わたしは、斎さまの妻です。誰にも譲りたくありません!」
「あなたねぇっ! ずうずうしいのよっ! もっと立場をわきまえてくださる!? あなたさえいなければっ! 斎さまはわたくしのものでしたのよっ!」
ずうずうしいなんて、自分が一番わかってる。わかってる! だけど、
「わたしは――わたしが、斎さまのお側にいたいんです……!」
「こ、こいつ――」
紅葉が灰音を取り押さえ、クイナが手を振り上げた――その時。
ドォォンという轟音。そして、地下室の戸が付近の石ごと壊れ、煙を出す。
白い煙の中、メラメラ、パチパチと、炎が燃える音がする。
(この、炎は――)
「な、なんですの!?」
「誰!? ここには誰も入れないんじゃなかったの!?」
煙の中に、人影が浮かび上がる。
そして、現れたのは、
「俺の妻を返してもらおう」
「い、斎さま……」
それは、会いたかった斎の姿だった。
灰音の目から、ぽろりと涙がこぼれる。
(これは、夢……? どうして、来て下さったの……?)
ああ、ああ。来てくれるわけないって思ってた。
あんな姿を見られて、使えないところを見られて、逃げ出したわたしを、斎さまが探すわけないって。だけど――。
「灰音!」
斎はこちらに駆け寄ると、すぐに縄を切って、灰音の体を抱き起こす。
「遅くなってすまない」
「どうしてここに……」
「探していたんだ。もう、大丈夫だ」
彼の匂いが、体温が、嬉しい。
こんなにも、会いたかった。
斎の胸に抱き寄せられて、灰音はその胸に頭を沈めた。
「わたし、すみません。あの……」
「大丈夫だ。大丈夫だから」
言いながら、斎の手が灰音の頭を撫でる。
クイナと紅葉はそれを見て、
「は? ……え? どうしてここが……」
「はぁ!? えっ、ちょっと!? 斎さまぁ??」
信じられないと言った目で斎を見た。
「結界を張りましたのに……どうして……」
「……クイナさま! ……ちっ!」
紅葉はクイナに助けを求めたが、クイナは斎を見て呆然としてしまい、紅葉は舌打ちをした。しかしすぐに笑み浮かべると、大きな声を出した。
「まぁいいわ! 斎さま! 私たち、あなたの秘密を知ってるんだから!」
「……なに?」
斎が灰音を抱いたまま、ギロリと紅葉を睨む。
その冷徹な視線を物ともせず、紅葉は言った。
「あなた、妖怪の姿が見えないんでしょう!? バラされたくなければ、おとなしく要求を呑むのよ! 今すぐお姉さまと離縁してちょうだい!」
「なにを馬鹿なことを。――まさか、そのために灰音をこんなところへ攫ったのか」
「ええ、そうよ。お姉さまには、離縁状を書いてもらう途中だったの」
「か、書いていません! わたし、斎さまと離れたくありません……!」
「なにを当たり前のことを。どうしてコイツに言われて俺たちが離縁しないといけないんだ」
斎が言って、灰音は目を丸くした。
「え……っ。でも、わたし、今朝の山で……」
「それがどうした。気にするな」
斎は灰音の頭をぽんと軽く叩く。
灰音が呆気にとられていると、斎は立ち上がり、再び刀を構えた。
「よくわかった。――俺の後ろにいろ」
「は、はい……」
紅葉の周りには、いつの間にか祓い壺がいくつも置かれている。そして、手には小箱。
「ふふん。お姉さまはここにいるから、能力がようやく使えるわぁ! それに、鏡月院の能力増強の呪具もあるんだからぁっ!」
紅葉は笑みを浮かべて、高らかに呪文を唱える。
「――呪を唱う! 『かごめかごめ・捕縛』! 式神よ、あの男を襲いなさい!」
「オォオオォォォォ……」
祓い壺から人面の豚のような式神がいくつも現れ、斎に向かって飛んで行く。
同時に、小箱から赤い糸が勢いよく飛び出し、ぐるぐると斎の右腕に巻き付いた。
それを見た斎は、淡々と呪文を唱える。
「謹んで奉る。天つ焔よ、我が刃に宿りて穢れを焼き祓い給え。――『炎薙ぎ』!」
彼の刀からは炎が出て、その火は紅葉の糸に燃え移ると、簡単にバラバラになった。
「なんだこれは。おもちゃか?」
紅葉の式神が斎に襲いかかる。
斎はそれを刀で受け、切る。
式神はなおも斎に向かっていき、斎はそれを次々に切り落としていった。
「紅葉さん! なにやってますの!?」
正気を取り戻したクイナが、紅葉に言った。
すると紅葉は青い顔で、
「……出てる?」
「え?」
「私の式神と、糸、出てる……?」
「な、何言ってますの!? 出てますわよ!」
クイナは言ってから、
「まさか、あなた、見えておりませんの……?」
「……っ! 『かごめかごめ・捕縛』!」
紅葉の小箱からもう一度赤い糸が伸びて――見当違いの所に当たった。
(わたしの能力が消えたから、紅葉も見えないんだわ……!)
妹のうろたえる様子を見て、灰音は思った。
紅葉も斎と同じように――ぼんやりと見えていた斎よりもさらに悪く、灰音がいないと妖怪の姿がまったく見えなかったのだろう。そして、灰音を取り戻せばまた見えると踏んだが――本来はそうだったはずだが、今灰音は能力を失っている。よって、紅葉は妖怪の姿が見えないままであった。
「あなた、ふざけているんですの!?」
「違っ……!」
うろたえる紅葉の足下に、チリッと炎が燃える。
「――もう終わりか?」
「え……?」
斎はすべての式神を切り終わり、冷えた目で紅葉を見た。
クイナは顔面蒼白になって、紅葉の肩を揺らす。
「あなたの式神はもう、すべて斎さまに切られましたわよ……! 斎さまが実は妖怪が見えなくて――だから灰音さんを娶ったというあなたの仮説は、どうなりますの!? 斎さまは妖怪が見える! あなたは見えない! どういうことですの!?」
「わ、わかんないわよっ! わかんないっ!」
「わかんないじゃ済まされないですわよ……!」
「じゃあっ、私はなんで見えないのよっ!? 無能はお姉さまだったはずっ! どうして私がっ!?」
騒ぐ紅葉の背後に、斎は刀を抜いたまま立った。
「俺の妻に暴行した上に、さらに暴言を吐くのか? 言ったはずだ、彼女を侮辱する言葉を、俺は断じて許さない――と」
「ひっ……!」
斎の鋭い眼光に射貫かれ、紅葉は今度こそ狼狽したようだった。
「俺は灰音を愛している。だから結婚をした。――そう甘露桜家でも言ったし、鏡月院家でも言ったと思うが?」
「……っ!」
クイナは、斎の袖にすがりついた。
「斎さま! せめてわたくしをっ、第二夫人にしてくださいまし! この度のことは謝りますから! 本妻にしてなど、もう言いませんわ!」
「離せ」
「嫌ですわ! だって、そう! お子! わたくしとならきっと優秀な跡継ぎが産めますわ! 灰音さんに特別な理由がないのなら、つまりは元の噂通り無能ってことでしょう!? でしたら、お子は当然望めませんわ!」
「離せと言っているだろ」
「ぎゃっ!」
斎が腕を振り払い、クイナは尻餅をついた。
「馬鹿なことを言うな。どうして俺がお前を妻に迎えねばならん。なにひとつ理由がない」
「り、理由ならありますわ! 先ほどから申しておりますとおり――」
「うるさい」
ピシャリ。斎はクイナの言葉を遮った。
「俺はお前を選ばない。絶対にだ」
「ぐ……!」
バタバタと複数人の足音がして、中級位の警務課がやってきた。
「斎さま! 遅くなって申し訳ありません!」
「甘露桜紅葉と、鏡月院クイナを牢へ入れろ」
「く、クイナさまをですか!?」
警務課の青年は、少し驚いたようだった。
「そ、そうよ! 斎さま! わたくしは鏡月院! 牢なんかあり得ませんわ!」
「大げさよ! 横暴よ!」
「話は取調室で聞け。この部屋で使われた呪具やこいつらの持ち物を見れば、お前たちでもすぐにわかるだろう」
「はっ!」
警務課は、暴れる紅葉とクイナを取り押さえようとする。
紅葉はキッと灰音を睨み付けた。
「なんなのよぉっ!! 無能はあんただったはずなのよぉぉおぉっ!!」
「!」
叫び声と共に、紅葉の腰に着いていた祓い壺から、式神が飛び出した。それは真っ直ぐ灰音に向かって飛んで――。
「いい加減にしろ」
斎の刀で、切り捨てられた。
「斎さま……!」
「大丈夫か」
斎はすぐに灰音のそばにしゃがみ込んだ。
「わたしは大丈夫です。ありがとうございます」
「なによ、なによ……。あり得ない、あり得ない、あり得ない……」
紅葉はブツブツとつぶやいている。
「現行犯だ。連れて行け」
「はっ!」
警務課は紅葉を再度しっかり縄で縛りあげ、クイナとともに連行していった。
ふたりが連れて行かれるのを見てから、灰音はリボンを拾い上げた。幸いにも、ちぎれたりはしていないようだ。
手首には縄の痕があり、皮膚が赤く擦れている。
(助かった……けど)
灰音は、警務課の人々と話している斎を見た。
紅葉とクイナから解放されて安堵するとともに、彼の気持ちが気になって、心臓がキュッとなる気持ちだった。



