無能令嬢と祓い屋当主の契約結婚~契約で結ばれたわたしたちが、本当の夫婦になるまで~


 事の始まりは、小さな違和感からだった。
 鎮妖大祓から、数日後。
 灰音が自室にいると、吉江がやってきて報告をしていた。

「新しい使用人、ですか?」
「はい。今日から三名入りました。先月、こちらでお仕えしていた使用人が三人辞めることになりまして、代わりに分家から使用人を呼ぶことになりました」
「そうですか……。わかりました」

 と、返事をする他ない。新しい使用人は、もう来ているのだ。

「後ほどお連れしてもよろしいでしょうか。挨拶をさせますので」
「はい……」

(でも、大丈夫……かしら?)

 灰音は横目で、畳に転がる寿々の姿を見る。
 彼女は妖怪で――鳳凰寺家の座敷童だ。長く勤める使用人には姿が見えるようになるらしいが、もしかしたら新しい使用人には、灰音のせいですぐに見えるのではないだろうか。
 吉江が部屋を出ると、寿々が言った。

「そんなの、『元々見る才能があった』とでも言っておけば良かろう」
「そう、かもしれませんけど……」
「どれ、やつらが来たら妾がテストしてやろう! 才能があるやつはおるかのぅ?」
「数ヶ月隠れててもらうとかはー……」
「なぜ妾が隠れねばならぬのじゃ」
「う、うーん……」

(そのせいで、斎さまの秘密が使用人たちにバレては……)

 元々祓い屋の屋敷で働いていた人たちだ。気にしすぎかもしれないが――。

「い、斎さまに相談しないと……」
「灰音さま。新しい使用人をお連れしました」
「えっ……!」

(もう……!?)

「は、はい、どうぞ……」

 襖が開いて、吉江とその後ろに若い女性の使用人たちが見えた。彼女らは部屋に入ると、灰音に挨拶をする。

「初めまして、灰音さま。本日よりお仕えいたします」
「鳳凰寺灰音です。よろしくお願いします。……っ!?」

 灰音の隣に、寿々がやってきた。

(ちょっと、寿々ちゃん……!)

「妾が天才座敷童☆寿々じゃ! 存分に敬うのじゃ!」
「……!」
「ほれ、挨拶はどうした。妾はこの屋敷の主の式神であるぞ」

 使用人たちは、何も言わない。それどころか、寿々を見ていない。

(触れていい存在なのかどうか、わからないのかも……)

 部屋に妖怪がいたら、そしてそれが話しかけてきたら――反応していいのかどうかわからないのも無理はない。灰音だって外で知らない妖怪に話しかけられても、怪しければ見えないふりをするだろう。

「あの、この子は寿々ちゃんと言って、斎さまの式神です。えっと、噛んだり人に危害を加えたりはしませんし、安全でかわいいですよ」
「動物の説明みたいじゃないかや?」
「そんなことは……」

 膨れる寿々をフォローしようとした時、新人の使用人のひとりが口を開いた。

「えぇと、そこになにか、おられるのですか?」
「え?」
「すみません。私たちは一般の家庭の出でして……。祓い屋ではないので、そういったものは見えなくて……」
「あ……えぇと……。今は、見えてない、と?」
「はい」

 使用人が頷いた。灰音と寿々は顔を見合わせる。

「よっぽど才能がないのじゃ」
「…………」

 そういう問題なのだろうか。
 他のふたりも同様だと言う。

 吉江が「長くお勤めしていればそのうち見えるようになりますよ」と説明した。
 確かに、今までの――灰音が嫁ぐまではそうだったが。





 その翌日。
 灰音が使用人を連れて買い物に出た時のことだ。
 街中のとある店の影に、ぼうっとした黒い人影のような妖怪が見えた。それはじっとしており、特に動きを見せない。

「…………」

 害のない妖怪のことは見ないようにしているが、少し気になって、灰音は使用人に尋ねた。

「あの、そこの赤い屋根のお店ですけれど……。建物の左の影になにか見えますか? その、人影とか」

 普段なら、使用人も頷くはずだ。灰音と同行する使用人には妖怪が見えるはずだからだ。――だが。

「えっと……? 鉢植えですか?」
「その上のあたりです」
「はぁ。……なにも見えませんが……」

 使用人の顔には、単純な疑問の表情が浮かんでいる。嘘をついている感じではない。

「どうされたんですか?」
「灰音さまが、そこの店の鉢植えの近くで人影を見たって」
「うーん……。なにも見えませんね。今もまだ見えますか?」
「私たちには、なんとも……」

 他の使用人も目凝らしながら言った。
 妖怪は今も、先ほどと同じ場所に留まっている。

(もしかして……)

 じわりとした嫌な汗が体を伝って、着物が肌に張り付くようだった。

ドクン、ドクン。心臓の音が、体の内外から聞こえる。

 灰音はぎこちない笑顔で、使用人たちに「気のせいだった」と告げた。
 しかし、心の中ではあるひとつの懸念が浮かんでいる――。
 

 ――わたし、『他人に妖怪を見せることが出来る能力』を、失った……?


 たったひとつの、わたしの役目。契約結婚の内容。

 わたしは、斎さまのおそばにいる資格を、なくしてしまったかもしれない……。





「寿々ちゃん、どう思いますか?」
「うーむ。わからんのぅ……」

 帰宅した灰音は、誰も部屋にいないうちに寿々に診てもらった。
 寿々は驚いた顔をした後、真剣に診察してくれたが、首をひねるばかりだった。

「妖怪による傷や祓い屋による呪いの類いではなさそうなのじゃ。――人間は弱い生き物じゃ。強いストレスで異能が弱まることも、あるとは聞くが……」
「でも、これじゃ困ります……! わたし、斎さまのお仕事に同行できません……!」
「しかし、呪われているわけでもなく、病でもないとなると、妾にはどうすることも出来んのじゃ……」
「そんな……」

(どうしよう……)

 うなだれた灰音の背を、寿々がそっと撫でる。

 そこへ、

「灰音、今いいか?」

 斎の声がして、灰音はビクッとしながら顔を上げた。
 襖は、灰音の返事を待たずして開けられる。

「い、斎さま……」
「なんだ。寿々もいたのか。急で悪いが、明日妖怪祓いの仕事がはいった。出られるか?」
「…………す、少し体調が、悪くて……。明日は、その……」
「……寿々に診てもらっているのか? まさか、またお前の妹が……!」

 斎の目が険しくなる。
 灰音は慌てて首を振った。

「ち、違います! 妹は関係なくて……。呪いじゃありません」
「寿々。本当なのか?」
「うむ。呪いや病ではなさそうなのじゃ。……疲れかのぅ? ゆっくり休めば治るのではないか?」
「……そうか。悪かったな」

 斎はほっとしたように息をはくと、灰音の側に寄り、額に手を当てた。

「熱はなさそうだ」
「ひゃ……っ」
「なんだ、これくらいで」
「いえ、その、すみません……!」

 彼に会うのは気まずいと思っていたが、実際に会えると嬉しくて、彼の骨張った手が触れるだけで、体温が上がっていきそうだ。

「い、斎さまの手は、いつも温かいですね」
「そうか? ……炎を扱うからか?」
「……ふふっ」
「なんで笑う」
「いえ……」

 灰音は、眉を下げて小さく笑った。

 真面目な彼が好き。
 本人は真剣なのに、少しズレた会話してしまう彼が好き。

 だから。

「明日は……すみません。お休みさせていただけますか」

 わたしは、嘘をついた。
 
「ああ。もちろんだ。明日は俺ひとりで行く」
「はい。ありがとうございます……」

 斎は頷くと立ち上がり、部屋を出て行く。
 襖が完全に閉まって、足音が遠のいたのを聞いてから、灰音は息をついた。

「斎さまに、嘘を、ついてしまいました……」
「……どうするのじゃ? このまま隠し続けるのかや?」
「お仕事に同行しない時点で、契約違反、ですよね……」

 考えると、ぞっとした。

 麒麟堂家のパーティーの日の斎の言葉が思い出される。
 
 ――「契約が続く限り、俺の妻はお前ひとりだけだ」

 それはつまり、契約が続かなければ、この関係は終わりということ……。

 灰音は、机の引き出しにしまってあったレースのリボンを取り出した。
 以前、斎に贈られたそれは、キラキラと光って見える。
 灰音はそれを手で掬うと、胸に抱きしめた。

 このまま隠しても、契約違反で。
 異能を失ったとバレても、離縁されるだろう。
 
 わたしは、どうしたらいいの……?

 焦りと不安が、襲っていた。