八月某日。鎮妖大祓の当日になった。
時刻は夜で、黒い空に月が浮かんでいる。
新常宮――皇都にある皇居の一角に建てられた三つの神殿が、鎮妖大祓の会場だった。
前半と後半で儀式が分かれており、前半は十八時半から始まり、天皇が民の安寧と自然災害の予防、五穀豊穣の祈念を行う。
数時間空けて後半が始まり、それが祓い屋による儀式だった。御三家当主が三つの神殿でそれぞれ結界を張る動作をしてみせる。尤も、実際の結界は数年おきに国の各地を回って張るのだが、皇居にはこのときに毎年張り直していた。結界内で沸いて出てくる妖怪は絶えず、それが妖怪祓いの依頼になるのだが、この結界のおかげで他国の妖怪による侵入は起きていない。
神殿では、斎が炎を纏わせた刀を振っている。彼の衣裳は紅の袴姿で、側を舞う炎と相まって鮮やかだ。
(斎さま、かっこいい……)
神殿の外周にはござが敷かれており、灰音はそこから斎を見ていた。
斎の結界張りの後、麒麟堂家の当主、そして鏡月院家の当主がそれぞれひとりずつ結界を張っていく。最後に奉納演舞として、御三家が揃って舞台に立った。
鳳凰寺家が穢れを燃やし尽くす様子を、麒麟堂家がその炎を鎮火する様子を、鏡月院家が灰を鏡で天へと還す様子を、三者はともに行う。
それは国が誕生した頃の危機を祓った様子だと言われている。
灰音の視線は、真剣な顔で刀を扱う斎を追う。彼の動きは、ただただ、美しかった。
(わたしが祓い舞の練習をしている間に、斎さまはこのようなことを……)
近くに座っていた人の、噂話が耳に入る。
「いやぁ。斎さまは今年が初めてだが、見事なものだ」
「先代にも引けを取らないね」
「実際の結界も大層張るのがお上手らしい」
「先代の頃には引き受けなかった小さな依頼も受けているらしい。これでは中級位以下の商売はあがったりだ」
「ははっ。負けてられませんなぁ」
話している人々は、満足げに頷いている。
灰音はそれを横目に見て、胸を温かくさせた。
(斎さまが褒められると、嬉しい……)
彼は立派な人で、それが周りにも認められていることが、自分のことのように嬉しかった。
やがて御三家による奉納演舞が終わり、隣の神殿で別の神事――中級位が行うものだ――が始まった。
灰音は斎を見つけ、事前に用意しておいたタオルを持ってそばへと寄る。
「お疲れさまでした。素晴らしい奉納演舞でした」
「ああ。ありがとう」
斎の額からは汗が玉になっており、それすらも光る飾りのようだ。演舞の動きに加えて、彼の扱う炎の熱もあるのだ。相当汗をかいたのだろう。
斎はタオルを受け取ると、さっと自分で拭いてしまう。
「あれから、クイナはどうだ?」
「大丈夫です。ご心配おかけしました」
麒麟堂家のパーティーから少し経った頃、舞姫の顔合わせが行われた。その際、鏡月院からはクイナではなく、別の令嬢がきたのだ。クイナは舞姫を辞退し、あれから灰音に接触はない。
(斎さまが動いてくださったらしいけど……どのように言われたのかしら……?)
「もう少しでお前の出番だな。見ているから、行ってこい」
「そうですね……。はい、行ってきます」
衣裳を着るのにも時間が掛かる。灰音は早めに控え室に行くことにした。
五節の舞姫は、鳳凰寺家から灰音、五十鈴川家から鈴蘭、麒麟堂家から栞子、轟家の令嬢、そして鏡月院家からはクイナではなく、分家の令嬢がきていた。
灰音が控え室に向かうと、鈴蘭と栞子が寄ってきた。
「今日はいよいよ本番ね。頑張りましょうね!」
「着付師はもう来ているわ。そろそろ着替え初めても良い頃合いね」
「緊張します……。他の方の前で舞ったことがありませんので……」
「他のおじさんなんて気にしなくていいのよ。灰音さまは斎さまだけ意識していれば」
「そ、それはそれで、緊張します」
「ふふっ」
斎が自分の舞を見るというのは、嬉しいような恥ずかしいような――いやもちろん見てくれなかったら寂しいのだが――訳のわからない贅沢な悩みだった。
そうこうしているうちに着付の時間がやってきて、灰音らは着替えていく。
衣裳は女房装束で、袿の文様が向蝶丸文なのはお揃いで、色は各自で違っていた。頭にはお揃いの冠を被り、そこから垂らす日陰の蔓――髪飾りの紐の色だ――は各自で違う。灰音の衣裳は赤を基調としており、日陰の蔓もまた、赤色だった。最後に、舞扇を持つ。斎の買ってくれた、朱色の扇だ。
「普段のお着物で赤を着てるところはあまり見ないけれど、素敵ね」
先に着替え終わった鈴蘭が、話しかけてきた。
「鳳凰寺って感じよ。演目は違うけれど、さっきの斎さまとお揃いみたいね」
言われてみればそうなる。色違いとはいえ形は舞姫で統一されていたので、つい鈴蘭たちとお揃いの気持ちでいたが、確かに色で言えば斎と似た衣裳になる。
灰音は扇を見て、言った。
「……勇気が、もらえる色なんです」
「そうなのね。頑張りましょうね」
こうして、灰音らは神殿の舞台へと向かった。
祓い舞の演舞は、つつがなく終わった。
「いやぁ良かったなぁ。鏡月院はクイナさまじゃなかったけど」
「今年も栞子さまが美しかったなぁ」
「それよりも五十鈴川家の……」
舞台袖にはけていく際、観客たちの声が耳に入る。
新参の自分のことより、長年有名な令嬢の方に話題がいっているようだ。灰音は、ほっと息を吐いた。
(少し動きが怪しかったところもあるけど……きっと大丈夫な範囲……)
と、思いたい。誰にも指摘はされていないが、灰音はひとりで苦笑いをした。
控え室に戻る途中で、目の端に鮮やかな赤が見えて、灰音は振り返った。
「斎さま……」
「よくやったな。見てたぞ」
「あ……ありがとうございます。無事に終わって、ほっとしました……」
「これで父も文句ないだろう」
「……え?」
斎の後ろから、彼の両親が見えた。父は灰音を見て、ふんと鼻を鳴らしそっぽを向いた。
「第二夫人の件だが、父に言われた際、灰音が祓い舞を習うことを話したんだ。鎮妖大祓で五節の舞姫をやり遂げたら、本妻と認めると約束してくれた」
「ふん。始めて半年にしては……やるじゃないか」
「あなたったら、もう諦めたらいいのに」
「そうだったんですか……。今までそんなお話をされていなかったので、知りませんでした」
「話して、お前に負担をかけたくなかった」
斎は灰音の手を取った。彼の金の瞳が、優しげに光る。
「これでもう、お前のストレスはないか?」
「は、……はい」
「そうか」
灰音が頷くと、斎は満足げに微笑した。
「着替えて来い。この後まだ他の家による楽器演奏などがある。俺といろ」
「はい、わかりました」
口元を綻ばせて、灰音は控え室へと向かった。
名実ともに彼の妻になれたようで、嬉しかった。
時刻は夜で、黒い空に月が浮かんでいる。
新常宮――皇都にある皇居の一角に建てられた三つの神殿が、鎮妖大祓の会場だった。
前半と後半で儀式が分かれており、前半は十八時半から始まり、天皇が民の安寧と自然災害の予防、五穀豊穣の祈念を行う。
数時間空けて後半が始まり、それが祓い屋による儀式だった。御三家当主が三つの神殿でそれぞれ結界を張る動作をしてみせる。尤も、実際の結界は数年おきに国の各地を回って張るのだが、皇居にはこのときに毎年張り直していた。結界内で沸いて出てくる妖怪は絶えず、それが妖怪祓いの依頼になるのだが、この結界のおかげで他国の妖怪による侵入は起きていない。
神殿では、斎が炎を纏わせた刀を振っている。彼の衣裳は紅の袴姿で、側を舞う炎と相まって鮮やかだ。
(斎さま、かっこいい……)
神殿の外周にはござが敷かれており、灰音はそこから斎を見ていた。
斎の結界張りの後、麒麟堂家の当主、そして鏡月院家の当主がそれぞれひとりずつ結界を張っていく。最後に奉納演舞として、御三家が揃って舞台に立った。
鳳凰寺家が穢れを燃やし尽くす様子を、麒麟堂家がその炎を鎮火する様子を、鏡月院家が灰を鏡で天へと還す様子を、三者はともに行う。
それは国が誕生した頃の危機を祓った様子だと言われている。
灰音の視線は、真剣な顔で刀を扱う斎を追う。彼の動きは、ただただ、美しかった。
(わたしが祓い舞の練習をしている間に、斎さまはこのようなことを……)
近くに座っていた人の、噂話が耳に入る。
「いやぁ。斎さまは今年が初めてだが、見事なものだ」
「先代にも引けを取らないね」
「実際の結界も大層張るのがお上手らしい」
「先代の頃には引き受けなかった小さな依頼も受けているらしい。これでは中級位以下の商売はあがったりだ」
「ははっ。負けてられませんなぁ」
話している人々は、満足げに頷いている。
灰音はそれを横目に見て、胸を温かくさせた。
(斎さまが褒められると、嬉しい……)
彼は立派な人で、それが周りにも認められていることが、自分のことのように嬉しかった。
やがて御三家による奉納演舞が終わり、隣の神殿で別の神事――中級位が行うものだ――が始まった。
灰音は斎を見つけ、事前に用意しておいたタオルを持ってそばへと寄る。
「お疲れさまでした。素晴らしい奉納演舞でした」
「ああ。ありがとう」
斎の額からは汗が玉になっており、それすらも光る飾りのようだ。演舞の動きに加えて、彼の扱う炎の熱もあるのだ。相当汗をかいたのだろう。
斎はタオルを受け取ると、さっと自分で拭いてしまう。
「あれから、クイナはどうだ?」
「大丈夫です。ご心配おかけしました」
麒麟堂家のパーティーから少し経った頃、舞姫の顔合わせが行われた。その際、鏡月院からはクイナではなく、別の令嬢がきたのだ。クイナは舞姫を辞退し、あれから灰音に接触はない。
(斎さまが動いてくださったらしいけど……どのように言われたのかしら……?)
「もう少しでお前の出番だな。見ているから、行ってこい」
「そうですね……。はい、行ってきます」
衣裳を着るのにも時間が掛かる。灰音は早めに控え室に行くことにした。
五節の舞姫は、鳳凰寺家から灰音、五十鈴川家から鈴蘭、麒麟堂家から栞子、轟家の令嬢、そして鏡月院家からはクイナではなく、分家の令嬢がきていた。
灰音が控え室に向かうと、鈴蘭と栞子が寄ってきた。
「今日はいよいよ本番ね。頑張りましょうね!」
「着付師はもう来ているわ。そろそろ着替え初めても良い頃合いね」
「緊張します……。他の方の前で舞ったことがありませんので……」
「他のおじさんなんて気にしなくていいのよ。灰音さまは斎さまだけ意識していれば」
「そ、それはそれで、緊張します」
「ふふっ」
斎が自分の舞を見るというのは、嬉しいような恥ずかしいような――いやもちろん見てくれなかったら寂しいのだが――訳のわからない贅沢な悩みだった。
そうこうしているうちに着付の時間がやってきて、灰音らは着替えていく。
衣裳は女房装束で、袿の文様が向蝶丸文なのはお揃いで、色は各自で違っていた。頭にはお揃いの冠を被り、そこから垂らす日陰の蔓――髪飾りの紐の色だ――は各自で違う。灰音の衣裳は赤を基調としており、日陰の蔓もまた、赤色だった。最後に、舞扇を持つ。斎の買ってくれた、朱色の扇だ。
「普段のお着物で赤を着てるところはあまり見ないけれど、素敵ね」
先に着替え終わった鈴蘭が、話しかけてきた。
「鳳凰寺って感じよ。演目は違うけれど、さっきの斎さまとお揃いみたいね」
言われてみればそうなる。色違いとはいえ形は舞姫で統一されていたので、つい鈴蘭たちとお揃いの気持ちでいたが、確かに色で言えば斎と似た衣裳になる。
灰音は扇を見て、言った。
「……勇気が、もらえる色なんです」
「そうなのね。頑張りましょうね」
こうして、灰音らは神殿の舞台へと向かった。
祓い舞の演舞は、つつがなく終わった。
「いやぁ良かったなぁ。鏡月院はクイナさまじゃなかったけど」
「今年も栞子さまが美しかったなぁ」
「それよりも五十鈴川家の……」
舞台袖にはけていく際、観客たちの声が耳に入る。
新参の自分のことより、長年有名な令嬢の方に話題がいっているようだ。灰音は、ほっと息を吐いた。
(少し動きが怪しかったところもあるけど……きっと大丈夫な範囲……)
と、思いたい。誰にも指摘はされていないが、灰音はひとりで苦笑いをした。
控え室に戻る途中で、目の端に鮮やかな赤が見えて、灰音は振り返った。
「斎さま……」
「よくやったな。見てたぞ」
「あ……ありがとうございます。無事に終わって、ほっとしました……」
「これで父も文句ないだろう」
「……え?」
斎の後ろから、彼の両親が見えた。父は灰音を見て、ふんと鼻を鳴らしそっぽを向いた。
「第二夫人の件だが、父に言われた際、灰音が祓い舞を習うことを話したんだ。鎮妖大祓で五節の舞姫をやり遂げたら、本妻と認めると約束してくれた」
「ふん。始めて半年にしては……やるじゃないか」
「あなたったら、もう諦めたらいいのに」
「そうだったんですか……。今までそんなお話をされていなかったので、知りませんでした」
「話して、お前に負担をかけたくなかった」
斎は灰音の手を取った。彼の金の瞳が、優しげに光る。
「これでもう、お前のストレスはないか?」
「は、……はい」
「そうか」
灰音が頷くと、斎は満足げに微笑した。
「着替えて来い。この後まだ他の家による楽器演奏などがある。俺といろ」
「はい、わかりました」
口元を綻ばせて、灰音は控え室へと向かった。
名実ともに彼の妻になれたようで、嬉しかった。



