無能令嬢と祓い屋当主の契約結婚


そんなことがあっても、変わらず次の日は昇ってくる。
 皇都の(とう)(たん)に位置する甘露桜家の屋敷から、馬車で西へ五キロ行くと、大きな街がある。最近流行りの西洋風の建物が並び、食料品から衣料品まで、様々なものを売る店が並んでいる。
 翌日、灰音と紅葉の姿は街にあった。馬車を降りたふたりは、女の使用人をもうひとり引き連れ、三人で街を歩く。と言っても、灰音も使用人扱いの荷物持ちで呼ばれただけである。実質、紅葉の買い物に付いてきた使用人ふたり、という構図だった。
「ほらぁ! しっかり運んでよねぇ!」
「は、はい……」
 商品を詰めた箱を、すでに抱えている箱の上からどんと置かれる。両腕に大きな荷物を三箱も抱えることになり、その重さでよろめいた。
 使用人も荷物を持たされていたが、灰音に持たされている荷物の方が大きく、重たく見えた。
「ちょっと、ふらつかないでよぉ! 落としたら承知しないわよぉ……? 甘露桜家次期当主の、私の物なんだからねぇぇ……!」
「はい……」
 跡取りと正式に決定されたことで、紅葉はずいぶん浮かれて見えた。紅葉は主にドレスや装飾品の店を見ては、贅沢に購入していく。それだけではなく、
「私が当主になったら、こんなのもいいわよねぇ♪」
 と言って、大きな屏風まで買ってしまったのだ。……さすがに屏風は家に届けてもらえることになったが、それでも紅葉の買い物量は多かった。
 そんな時だった。
「きゃああああーっ!!」
 道の向こうから、つんざくような悲鳴が聞こえた。
(な、何……?)
 灰音は立ち止まり、声のした方を見る。
 どうも、この通りの先でなにか騒ぎが起きたらしい。人々は不安そうに顔を見合わせたり声のした方を見たりして、落ち着きをなくしている。
「いったい何事っ!? ちょっとあんた、あっち行って様子を見て来なさいっ!」
「はいぃっ」
 紅葉が使用人に命令し、彼女は荷物を地面に置くと慌てて駆けていった。
 灰音は、ざわめく人々の様子を見ながら、紅葉に話しかける。
「紅葉……馬車に戻りましょう。危ないかも……」
「そうね。せっかく買った商品が壊れたら困るしぃっ。じゃ、あんた、アレ持ちなさいよ」
「えっ……」
 先ほど使用人が地面に置いた荷物を指差される。
 一箱追加で抱えると、すっかり歩きにくくなってしまった。前も見えないが、箱の横から顔を出すにも、バランスを崩しかねない。
 灰音は、馬車に向かって小走りし始めた紅葉の後ろを必死に付いていく。
 喧噪が、先ほどよりも大きくなっている。騒ぎはどうやら、こちらへ近付いてきているようだ。灰音たちのそばを、逃げていく人々が走り抜ける。
「逃げろ! なんかいるらしい!」
「何がいるってんだ!」
「知らねぇよ! 見えねんだからよ!」
(見えない……?)
 灰音は歩きながら、耳を澄ませる。
「店のガラスがひとりでに割れて、ぐちゃぐちゃになっちまったんだ!」
「なんだそりゃ!? 地震か!?」
「バカ言え! 地面なんか揺れてねぇよ!」
一般人に見えないものが、被害を出す――灰音には心当たりがあった。そしてそれは、紅葉も同様らしかった。立ち止まった紅葉に追いつくと、彼女の顔色は悪く、脂汗を掻いている。彼女は急にガリガリと頭を掻くと、顔を歪めて言った。
「なんなのよぉっ! 今日、封印壺なんて持ってきてないわよぉお……っ!」
「……っ! そんな……! 式神もいないの……?」
「持ってくるわけないでしょぉっ! 楽しい買い物だってのに! 妖怪なんて、出来れば持ち歩きたくなんかないわよぉっ!!」
 紅葉はそう叫ぶと、地団駄を踏んだ。
「きゃああああっ!!」
「うわぁああああっ!!」
 人々の悲鳴が響く。街は、混乱に包まれていた。
 様子を見に行かせた使用人も戻ってこない。騒ぎに巻き込まれたのだろうか。
「急ぐわよっ!」
「は、はいっ」
 幸いにも、人々が逃げる方向と馬車を繋いである方向は同じである。灰音は小走りで駆け出そうとした。しかし、荷物が邪魔で、どうにも上手く走れない。
「きゃっ……」
 そうして、一箱落としてしまった。
 ガシャン――ものが割れる音がして、
(しまった――!)
 思った瞬間、パシンという音と共に、頬にするどい痛みがはしった。紅葉に平手打ちされたのだ。
 衝撃で座り込んでしまった灰音を、紅葉は怒鳴りつける。
「このっグズっ! グズグズグズっ!」
「ご、ごめんなさいっ。……でも今は……っ」
「なによぉっ!」
 今は、緊急事態で――そう言おうとして、灰音は目を丸くし、震えながら指を差した。
「も、紅葉、あれ……っ」
「なんなの!? って、きゃあああっ!?」
 いつの間にか、紅葉の背後には巨大な人骨がそびえ立っていた。五メートルを超える骸骨の妖怪――『がしゃどくろ』である。
 辺りの気温は急激に下がり、まるで氷の部屋にいれられたかのようだった。
 ガチ、ガチガチ――頭蓋骨の大きな顎が動かされ、歯を打ち鳴らす。その歯の間からは、生ぬるいヘドロのような腐臭が吹き出していた。
「フシューッ……」
(……どうしてこんな大きな妖怪が……)
 灰音はその巨体を見上げたまま、動くことが出来ずにいた。
 がしゃどくろが巨大な体を動かすたび、パキパキと骨が折れるような乾いた音が響く。骨だけで出来た腕が、ゆっくりとこちらに伸ばされた。
「なんなのよこいつ……! くっ! ――(しゆ)(とな)う。『かごめかごめ・捕縛』!」
 紅葉が手のひらほどの小箱を取り出して、蓋を開けてがしゃどくろに向ける。すぐにそこから赤い糸が勢いよく飛び出し、がしゃどくろに巻き付いた。ピンと張られた糸にぐるぐる巻きにされ、がしゃどくろは動きを止める。
「ざまぁないわね!」
 その間に紅葉が走り出し、ハッとした灰音は慌ててその後を追った。
 馬車までは、もう少しだ。
 
 高級品も扱うような商店街には、華族が来やすいようにと馬車預かり所がある。これは、街のはずれにある小さな牧場のような形で、(うまや)と小さな柵に囲まれた草地、それから馬車を停めるスペースがあった。
 馬車預かり所の周辺の野原には枯れた草が広がっていて、道を歩いている余裕などない灰音たちはそれを突っ切って進んだ。
 前方にはもう、馬車預かり所の建物が見えている。
「早くっ! 早く早く早くっ!」
「は、はい……っ」
 紅葉は灰音より早く辿り着くと、預かり所の主人に出発の準備を急がせた。自分の馬車を出してもらい、休んでいた御者をたたき起こし、馬を繋がせる。
 そうしている間に、灰音もようやく馬車預かり所へと辿り着いた。
「はぁっ……はぁっ……!」
 荷物を抱え、立ったまま、灰音は荒い息を整える。
(これで逃げられる……! 家に帰ったら、紅葉は封印壺を取ってくることが出来るし、何よりお父さまもいるわ……!)
 希望が見え、灰音は何度もそれを頭の中で復唱した。
 自分たちは助かるのだ――そう思った、その時。
 フッと、灰音の視界が暗くなった。上から、影が落ちてきたのだ。
(――え?)
 灰音は黒くなった地面を見て、ヒュッと息を止める。
 パキ、パキパキ――。背後から、骨が割れるような音が聞こえる。
(ま、さか……)
 恐る恐る振り返って見上げると、そこには――再びがしゃどくろの姿があった。紅葉のかけた捕縛の糸は引きちぎられ、自由になった姿でそこに立っている……。
「ぁ……あぁっ……!」
 喉が詰まって、悲鳴とも叫びともつかない声が漏れる。
 灰音に妖怪祓いの能力はない。紅葉に封印壺はない。
 繋がれた馬たちが怯えて、(いなな)いている。それが一層、灰音の思考を不安にさせた。
「出発の準備が出来ました!」
 御者が叫びながら、キャビンの扉の鍵をあける。
 扉が開くと、紅葉はすぐに乗り込んで叫んだ。
「荷物を乗せて! 早くっ!」
「……! ……っ」
 声にならない返事をして、灰音は車内に荷物をおろす。そして座席に座ろうとした、その時――。
 ガシャン! ガタガタガタ、――ブォン!
 馬車が持ち上げられたかと思うと、左右に大きく振られた。がしゃどくろが馬車を上から掴んで、振ったのだ。
「きゃあっ!」
 まだ開いたままだった扉から、灰音と紅葉は転がり出てしまう。
 馬車から放り出された灰音はよろりと立ち上がると、紅葉のそばに向かった。
「この……っ! (しゆ)(とな)うっ! 『かごめかごめ・捕縛』っ!」
 もう一度紅葉が小箱を使い、赤い糸でがしゃどくろを縛るが、今度はすぐに引きちぎられてしまう。
「こいつ……っ!」
「紅葉……っ」

 灰音には、紅葉だけが頼りだった。
 封印壺がなくても、妖怪祓いの能力はあるはずだ。捕縛以外の術も使えたはずだ。優秀な妹なら、この局面をひっくり返す力があるかもしれないと、そう思っていた。
 ――だから、とても驚いたのだ。
 なぜなら、次の瞬間。

 灰音は、ドン――と突き飛ばされたのだ。

「――え……?」

「悪いわねぇ、お姉さまぁっ! 捨て駒になってちょうだいっ!」
 そう言い放った紅葉の顔は、いつものようにニヤリとした笑顔だった。
 がしゃどくろの骨の手がぐんと伸びて、灰音の体をぐわしと掴む。冷たい。まるで、氷に掴まれたかのような冷たさだった。大きな手の関節からパキパキと骨の破片が飛び散って、それもまた氷の破片のようだった。
 がしゃどくろが腕を上げると、灰音の体も高く上げられた。
「い、嫌……っ。紅葉、助けて……」
「今よっ! 馬車を出して! 早くっ!」
 紅葉が叫ぶ。
 馬車は、すぐに発車した。御者の指示で馬たちは走り、すぐに遠くなる。
 後には、捕らえられた灰音だけが残された。
「そん、な……」
 空はどんよりと曇り、すべてを鼠色に変える。冷たい風が強く吹くたびに近くの枯れ枝が揺れ、それさえも骨のように見えた。
 いつの間にか、周囲に人はいなくなっていた。馬車預かり所の主人も含め、皆きっと逃げたのだ。
「フシューッ……」
 すぐそばで生ぬるい腐臭が発せられ、灰音は思わず息を止めた。
 と、そのタイミングで体への締め付けがきつくなった。がしゃどくろが握る力を強くしたのだ。
「……っ! ぁ……っ」
 胸を潰され、空気を吸えず、灰音は口をパクパクさせる。
 がしゃどくろの手の骨からはパキパキと音が鳴り、破片が地面に落ちていった。
「ぐ……っ! あぁっ……」
(どうしてこんなことに……)
 うめきながら、灰音は目を瞑った。
 自分には、どうすることもできない。このまま取り殺されてしまうだろうか。
(でも、わたしが死んだところで……誰も困らない……)
 
 ――家族には無能と虐げられ、わたしが無能なせいで母は自分を責めながら死んだ。縁談もなく、このまま惨めに暮らすだけならば……生きる意味なんてない……。

 締め付けが一旦緩み、灰音は片目を開けてハアハアと大きな息をした。
 馬車預かり所にはまだ他の馬車があり、残っている繋がれたままの馬たちが不安そうに嘶いている。
 がしゃどくろは、左手で灰音を持ったまま、右手でそれらをつまむ。そして――ポイと口に放り込んだのだ。
 食われた馬はバリボリという大きな咀嚼音とともに、飲まれていく。
 それは、灰音のすぐ隣で起こっているのだ。
「あっ……ぁ……っ」
 喉が詰まって、悲鳴が声にならない。
 灰音は眉間に皺を寄せ、ぽろぽろと涙をこぼした。
 
 わたしに、生きる意味なんてない。
 だけど、こんな終わりは怖くて、とても怖くて。
 なりたかった祓い(もの)屋にもなれず、妹にも見捨てられ、わたしがいなくなっても誰も困らない。
 わかっているのに、それでもやっぱり死ぬのは怖いなんて……。

 母の最後の言葉が思い出される。
 
 ――「……でもね、灰音。母はあなたが幸せに生きることを願っているわ……」
 
 お母さま……。わたし、幸せになんてなれませんでした。きっと生まれた時から、無理だったんです。

 がしゃどくろは、灰音を頭上につまみ上げる。
(ああ、次はわたしなんだ――)
 その時だった。
(つつし)んで(たてまつ)る。(あま)(ほむら)よ、我が(やいば)に宿りて(けが)れを焼き祓い(たま)え! ――『()(れん)(ほう)(おう)(ざん)』!!」
 力強い青年の声が響いた。
 それとともに、灰音の視界は真っ赤な炎に包まれる。ゴウゴウと燃える紅蓮の炎は、熱を放ちながら灰音の周囲を取り巻いた。
(なに!? 熱い……っ!)
 思ったのも束の間、灰音の体を掴んでいたがしゃどくろの手が、パァンと弾け散る。炎で骨が砕けたのだ。
 ふわりとした浮遊感の後、
「――え? きゃああっ!?」
 すぐに灰音の体は落下し始めた。
 炎の輪から抜け出たことで、視界が晴れる。がしゃどくろはまだ燃えており、火の粉と骨の欠片が共に落下していく。
 地面まではすぐだ。硬い地面に叩きつけられることを覚悟して、灰音は目を閉じた。
(もうダメ……!)
 しかし、いつまで経ってもその衝撃は来なかった。代わりに、温かな体温と逞しい腕の感触。――灰音は、がっしりとした腕に受け止められたのだ。
「――大丈夫か?」
「え……?」
 耳元で青年の声が聞こえて、灰音は恐る恐る目を開ける。
 そこにいたのは、端整な顔立ちの青年だった。歳は二十代前半だろうか。黒い髪は艶やかで、(からす)()()(いろ)をしている。形の良い眉やスッと通った鼻筋は、総じて凜々しい。そして何より灰音の心を奪ったのは、その(そう)(ぼう)だった。黒髪の間から覗く瞳は、まるで磨き上げられた()(がね)のように光っていた。
(こんなに綺麗な男の人、今まで見たことない――)
 灰音は恐怖も忘れて、ほぅ……と見惚れてしまう。
彼は黒い詰め襟の軍衣のような衣服を着ていた。肩から掛けた大きな外套もまた黒い。胸ボタンのそばには金の飾り紐が添えられており、衣服の所々に深い赤色の飾りが付いていた。腰には一振りの刀を差している。
 青年は灰音をお姫様抱っこしたまま数歩歩き、ゆっくりと地面に下ろした。
「どこか痛むか?」
「い、いえ……。ありがとうございます……」
「そうか」
 青年は言うと、灰音から視線を外した。
 その方向にはっとした灰音は、がしゃどくろのことを思い出すと、慌てて振り返った。
 そこには、ゴウゴウと燃え盛る骨の骸の姿があった。はじめ腕だけが燃えていたはずだが、今は全身が紅蓮の炎に包まれている。
 馬車預かり所の建物もいっしょに燃えており、それらの瓦礫や破片が降ってこない位置に運ばれたのだと、灰音は気が付いた。
「オオオ……オオ……」
 風の音のようなうなり声がしている。
 徐々に崩れ落ちていく骨の欠片が、火花や塵と共に舞っていた。
「すごい……」
 思わず感嘆の声が漏れる。
 あの巨大な妖怪を、彼は一撃で祓ってしまったのだ。
 灰音は、隣に立つ彼の顔を見上げた。眩しい(おう)(ごん)の瞳は、まだまっすぐがしゃどくろを睨んでいる。
 その姿が燃え尽きるまで、五分とかからなかった。徐々に小さくなっていった炎が、やがて消えた時、妖怪の姿はきれいさっぱり消えていた。
 青年はようやく安堵の息をつき、腰の刀にかけていた手を下ろした。
「無事に祓えたようだな」
「あの、本当に……ありがとうございました」
 そう言って灰音は深くお辞儀をする。危うく、命を落とすところだったのだ。彼には、感謝してもしきれない。
 灰音が顔を上げると、彼の金色の瞳と目が合った。
「礼には及ばない。――それより、お前……」
「はい。なんでしょうか?」
 彼は眉をひそめ、じっと灰音を見た。その威圧感に、後ずさってしまいそうだ。
「――俺の屋敷へ来い」
「え……? あの……?」
 突然のことに、灰音は面食らった。
(今、なんて……?)
 灰音と彼は初対面……のはずだ。
 彼は自分の外套を脱いで、灰音の体に掛けた。
「そのままでは、帰れないだろ」
「あ……」
 その時ようやく、灰音は自分の着物がボロボロであることに気がついた。
 破れた着物が恥ずかしいやら、彼の上着から良い香りがするやらで、灰音の頬は一気に紅潮した。
 それに加えて、
「なんだ? 歩けないのか?」
「えっ、あのっ、きゃあっ!?」
 彼は灰音を再び抱き上げ、歩き始める。
「あの……わたし……」
「事情は後で聞く。行くぞ」
 彼の顔を見上げると、再び目が合った。
「なんだ? 寒いのか?」
「……いえ……。…………」
 掛けられた上着は、彼の体温で温かい。灰音は上着の裾をつかんだ。
 まだ、彼の名前も知らない。だけど。
 ――わたしを心配するような金の瞳が、まるで陽だまりのように思えて。
 なんだかそのまま、身を委ねてもいいように思えてしまったのだった。