夜になり、空には満月が昇っている。
パーティー会場を出たふたりは、ホール前の庭園にいた。濃い緑の木々に囲まれた、洋風の庭園だ。人々は皆ホールの中にいるようで、周囲に人影はない。
庭園をしばらく歩いたところで、斎は手を離した。
「すまない。来るのが遅くなった。何もされていないか?」
「大丈夫、です……。斎さまが、来て下さったので……」
「そうか……」
斎は息を吐いた。
「甘露桜家が――お前の妹が来ることまで頭が回らなかった。俺の落ち度だ」
「い、いえ。そんな……斎さまはまったく気にする必要ないと言いますか……。わたしも、妹と会うと思っていませんでしたし……。それに、こういった服が似合っていないのも自覚していますし……」
「僻みだろう、真に受けることはない」
「……え?」
「綺麗だ。似合っている」
彼の顔は真顔で――大真面目に見える。
(……お世辞じゃ、ない? とか?)
「なんだその顔は? 事実を言っただけだ」
灰音の心臓が、再びトクンと音を立てる。
そういえば、彼は舞扇を買いに行った日も、灰音の服装を褒めてくれた。そのことを思い出すと、余計に鼓動が速くなっていく。
(斎さま、わたしのこと、どう思っていますか……?)
灰音は、自分の胸に手を当てた。
わたしは、契約上の妻かもしれない。だけど。
――「俺の妻は鳳凰寺家だ。彼女を侮辱する言葉を、俺は断じて許さない」
対外的な言葉かもしれない。だけど――嬉しかった。わたし、そう言ってもらえて、肩を抱いてもらえて、嬉しかったんです。だから――。
「わたし、本当のことが知りたい、です」
灰音は、斎の顔を見上げて言った。
「クイナさまを第二夫人にお迎えするというのは、本当ですか……?」
「お前、どこでそれを……」
「……っ」
彼が目を丸くして、ああ、本当のことだったんだ――と思った時、
「まぁ、断ったがな」
「え……?」
「父には第二夫人を迎えるように言われたし、鏡月院からはごねられたが――俺は断った。妻はひとりで充分だ」
「…………」
どういうことか、理解が追いつかない。
「で、でもわたし、クイナさまに直接言われて……」
「なに? アイツがお前に?」
斎は鋭い目つきをした。
「はい……。先月、お会いしまして……」
「くそっ……。勝手なことを……」
「その後、瑛士さまにクイナさまのことを聞きまして……」
「あの日がそうなのか……」
斎は額に手を当て、ため息をついた。
「……クイナとは確かに婚約を結んでいた。だが、家同士が決めたことで、俺はどうでもよかった。アイツだって別に俺のことが好きなわけじゃなかった。俺の家名が欲しいだけだろう」
「では、『今でもまだ婚約者だ』というのは……」
「アイツの嘘だ。俺はお前と契約した翌日、鏡月院に行って婚約を破棄している」
「そ、そうだったんですか……」
まったく知らなかった。彼が、御三家との婚約を即日破棄するほどだとは、思ってもみなかった。
灰音は、クイナに言われたことをもうひとつ思い出した。
「で、でも。その、クイナさまはすごい異能をお持ちで、それが子どもの遺伝のためには……」
「なんだ、そんなことか」
「……え?」
斎は、自信ありげな表情を浮かべて言った。
「俺の血がそんなに弱いとでも? 俺の子というだけで鳳凰寺家を継ぐに値する。それに、むしろ、完璧な子が産まれるかもしれないぞ。ちゃんと妖怪がはっきり見える子だ」
「は、……い」
そのあまりの堂々とした言葉に、思わずそうなのかと納得させられてしまう。
「……わたしは、祓う能力は相変わらずなくて――一般的にはやっぱり無能で。だから、遺伝の話にも自信がありませんでした……」
「……お前、子が欲しかったのか?」
「えっ!? い、いえ……! そういうわけでは……!」
カア、と顔が熱くなる。
もちろん欲しくないと言えば嘘になるが――いや――ううん――なんと言おうか慌てていると、斎が大真面目な顔で言った。
「だが、鎮妖大祓も近い。今懐妊するのは問題があるだろう」
「ち、違います……! そういうことではなく……!」
「なにが違うんだ」
「で、ですから! ただ、わたしはその、てっきり跡継ぎは別の――第二夫人などを迎えられるのかと思って……! わたしは、お仕事に同行するためだけの、契約ですし……!」
斎は、少し考えるような仕草をした後、口を開いた。
「仕事だけじゃ、ない」
「……え?」
風が吹いて、彼の艶やかな黒髪が揺れる。透き通った黄金色の瞳が、灰音の瞳をまっすぐ射貫く。
「契約が続く限り、俺の妻はお前ひとりだけだ。望むなら、子も灰音と設ける。だから、これからも俺のそばにいろ」
まるで夢みたいだ。こんな言葉を、はっきりと彼の口から言ってもらえるなんて。
「……はい。わかりました。……嬉しいです」
「嬉しいのか?」
「はい……」
灰音は微笑んで返事をした。笑みを浮かべたはずなのに、なぜだろう、目には涙が浮かんでいた。
「そうか」
涙で、視界が歪んでいるせいかもしれない。
斎の表情が柔らかくなって、蜂蜜色の瞳が優しく溶けて見えた。
「ところで、今日はお仕事だったのでは? 大丈夫なんですか?」
「仕事は……気にしなくていい」
「え?」
「あの日、お前が……いや。……すまなかった」
「……?」
満月の光が、庭園をほのかに照らす。
ふたりは並んで、自宅へと帰った。
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