無能令嬢と祓い屋当主の契約結婚~契約で結ばれたわたしたちが、本当の夫婦になるまで~

 
家の前で馬車を降りた灰音は、ぼぅっとした顔で鳳凰寺家の門を見上げる。

(……今、斎さまにお会いしたら、わたし……)

 ――事実を突きつけられるのが、怖い。彼に会って話を聞く勇気が、持てない。

 灰音の足は自然と家から離れ、ふらりと歩き出す。
 夕日に照らされ、灰音の影が長く伸びる。地面を見ながら歩いていると、自分が薄っぺらい棒人間のように思えた。
 遠くに行く気力も、ない。
 近くに公園を見つけ、灰音はそこへ足を運んだ。周囲に人影はなく、ぽつんとあるベンチに腰掛ける。近くの川の水音だけが遠く響き、ぬるい風が髪を撫でた。

(斎さま、本当に……クイナさまと……)

 灰音は握力のない手を握る。
 考えたくなくて、考えるのをやめた。風に髪を揺らすのを任せ、足下の草が揺れるのを意味もなく眺める。
 そうしていると、声を掛けられた。

「……あれ? 灰音ちゃん?」
「え……? あ……瑛士さま」

 それは、麒麟堂瑛士だった。周囲を見ると、公園の入り口に車が停まっている。灰音を見かけて降りてきたのだと言ってから、瑛士は隣に座った。

「どうしたの? ひどい顔だね?」
「…………」

(同じ御三家の瑛士さまなら、おふたりの関係を知っているかも……)

 灰音は詰まりそうになるのを抑えながら、尋ねた。

「あの、瑛士さまは、……斎さまと鏡月院クイナさまのこと、ご存じですか……?」
「ああ――うーん。まぁ。えっと、それがどうかしたの?」

 濁すような言葉だ。

「クイナさまは……斎さまの婚約者って、本当ですか……?」
「まぁ、うーん。まぁね。でも、結婚したのは灰音ちゃんだし……」
「……クイナさまって、どんな方なんですか?」

 声が震えてしまい、不自然だったのか――瑛士が心配そうに顔をのぞき込んだ。

「クイナになにか言われたの?」
「…………。……クイナさまが、第二夫人になられると……」
「あー……。そうきたか。まぁ、そうだろうと思ってたけどさぁ……」

 俯いてしまった灰音を見て、瑛士は頭を掻いて、ベンチの背にもたれた。

「彼女の話は、まぁ、してもいいけど、聞いても面白くないと思うよ」
「お願いします」

 瑛士は眉を下げたが、話してくれた。

「あれは斎くんが十二歳の時だったかな。クイナが七歳で呪具を巧みに扱うという話があって、斎くんのお父上が気に入ったみたいでね。それで、こう、ぽぽんと婚約の話になったんだ」
「……有能だというのは、本当なんですね」
「クイナはすごかった。クイナにはお兄さんがいるんだけど、彼より能力が高かったんじゃないかな。あんまりいうと怒られるけどね」
「……御三家同士で、家の格も合うと……」
「まぁそういうことだけど、僕は灰音ちゃんも合っていると思うよ? あのカタブツの斎くんが、結婚まですぐ決めたんだから。よっぽど好きなんだね!」

 明るい声で、瑛士は言った。わざと明るく言ってくれたのだ。

「クイナはまぁアレだけど、やっぱり結婚は愛あってのものだから! 恋愛結婚した灰音ちゃんが、気にすることないと思うけどな!」
「……っ」

 曖昧に笑おうと思ったのに、詰まった息のようなものしか出なかった。

(違う。違うんです。わたし、恋愛結婚じゃあ、ないんです……。斎さまが欲しかったのは、わたしの能力であって、わたしじゃない……)

 それは、契約結婚を結んだ自分が一番よくわかっていた。

 灰音の目からは、涙の粒が落ちる。泣くつもりはなかったのに、ぽろぽろと溢れて、止まらない。
 泣き出した灰音に、瑛士はハンカチを差し出した。

「これ、使う?」
「すみません……。ありがとうございます……」

 灰音はハンカチを受け取った。
 しばらくの間、嗚咽が漏れる。瑛士は黙ってそばにいてくれた。


 少しの時間が経って、灰音は我に返った。

「あの、もう……大丈夫です」
「そう? お家に帰れそう?」
「はい……」
「そっか」

 瑛士は立ち上がると、伸びをした。

「実は僕、今日は斎くんに用があってね。それでここを通ったんだよ。家までいっしょに行こっか」







(――遅いな)

 斎は、自室から窓の外を見た。日が暮れて、辺りはすっかり暗くなっている。

(五十鈴川とまだ遊んでいるのか?)

 珍しく良い申し出だと思った。結婚式のあと、灰音は稽古の予定ばかりを詰め込み、羽を伸ばす様子を見せなかった。ようやく友人が出来たらしいと聞いたときは、ほっとしたものだ。よもや、結婚後の生活の方が窮屈だと思われては敵わない。

(やはり、付き人をつけるべきだったか? いや、寿々の手毬を持たせた。それに、五十鈴川家の護衛がいると聞いている……)

 あまり威圧的にしては、灰音が羽を伸ばせないだろうと思ったのだ。だが、その判断が正しかったのかどうか……。
 トントントントン。いつの間にか、書類にはペン先の跡が大量についている。

「……はぁ」

 ため息をつくと、斎は立ち上がった。

(……少し外の空気を吸うだけだ)

 斎は部屋を出ると、真っ直ぐ玄関に向かう。
 そして玄関の前の廊下につくと、腕組みをして扉をじっと見た。

(俺はなにをしているんだ……)

 もう少し待ったら、探しに出るか、とそう考えた時、屋外から足音が聞こえた。
 玄関の扉が開く。長い黒髪が最初に見えて、灰音が帰ってきたのだとわかった。

「やっほー。お邪魔しまーす」
「……!?」

 扉が完全に開いて、現れたのは、灰音と、その肩を抱く瑛士の姿だった。
灰音は暗い表情で俯いており、泣いた後に見える。男物のハンカチを握りしめ、斎と目を合わせようとしなかった。
 斎は眉根を寄せ、瑛士を睨み付けた。

「瑛士。お前、灰音に何をした?」
「いやだなぁ、斎くん。僕は何もしてないよー」
「そんなわけないだろ。なんで泣いてるんだ」
「それはー……ねぇ?」

 瑛士はへらっとした表情で、灰音に笑いかけた。その続きを瑛士はしゃべらない。
 灰音が小さな声で言った。

「あの、瑛士さまは何も悪くありません。わたしと、その……いっしょにいてくださっただけです」
「なんだ、それ……」

(瑛士を、庇っているのか?)

 灰音の目からぽろりと涙の粒がこぼれて、彼女はそれを男物のハンカチで拭いた。
 そのすべてに、心がざわめく。

「すみません。わたし、今日はもう休ませていただきます」
「おい、灰音……」

 彼女さっと家に上がると、家の奥へとそそくさと行ってしまった。
 後には、事態の飲み込めていない斎と、瑛士が残される。

「どうしたんだ……?」
「斎くん、愛情が足りてないんじゃなーい? もっと愛してあげないと」
「なにを……! 瑛士、灰音は俺の妻だぞ。もし手を出したのなら……」
「ストップストッープ! 冤罪えんざーい! 僕に限ってそんなことしないって!」

 斎が瑛士を睨む。瑛士は笑った。

「ははっ。怒んないでよ。僕はいつだって斎くんの味方だよ?」

 そう言って瑛士は懐から、封筒を二通取り出した。

「あのさ、今度麒麟堂(うち)で親睦会をやるんだ。久しぶりに、一門全戸を呼ぶ。君と灰音ちゃんも来てよ」
「…………」

 斎は、封筒を受け取ると、中を開いた。内容はこう書いてあった。


  鳳凰寺斎さま
 
 (きた)る吉日、麒麟堂家の一門親睦会を行います。
 よろしければぜひご参加を。
 なお、同行者一名のみご参加いただけます。(※祓い屋稼業の方に限ります。)

日時:七月二十一日 十七時より
 場所:麒麟堂文化芸術ホール


もう一通も同じ内容で、宛名が灰音になっているものだった。
 読み終わった斎は、招待状を閉じる。

「俺は行かない」
「えー? 来てよー」
「なんで俺が、麒麟堂家一門のパーティーに参加するんだ。おかしいだろ」
「灰音ちゃんのペアとして、だよ」
「……なに?」

 瑛士は、斎の肩をぽんと叩いた。

「言ったでしょ? 甘露桜家はうちの一門だって。だから、灰音ちゃんのことは甘露桜家枠として招待しまーす。で、夫婦だから、君も♪」
「俺はおまけで、本音はアイツを呼びたいってわけか」

 斎は再度、瑛士を睨み付けた。しかし、瑛士は気にした様子はない。

「そんなに卑屈にならなくてもいいのに」
「……俺は仕事がある」
「はー。御三家の当主サマはお忙しいことで!」

 瑛士は、わざとらしく肩をすくめてみせた。

「まぁいいよ。灰音ちゃんだけでも。そういえば最近灰音ちゃんって五十鈴川家の鈴蘭ちゃんと仲良いんだっけ? 女の子同士のペアでも大歓迎! って言っといてね」
「用はそれだけか?」
「郵便に任せず直接手渡しする、僕の甲斐甲斐しさを評価して欲しいね」

 斎は返事をしなかった。
 瑛士はその後二、三言話すと、手をひらりと振って帰って行った。

 玄関の扉が閉まってからも、斎の顔は険しいままだ。

(なんでこんなにイライラするんだ……)

 麒麟堂家のパーティーに行く気が微塵も起きない。

 仕事は、ある。だが、パーティーの日が仕事かというと――仕事をすることも出来る日、だった。

「……くそ。なんだっていうんだ」

 斎は、髪をかき上げて、灰音が去って行った廊下の奥を見つめていた。