百貨店に着いたふたりは、中に入っている店舗を見て回った。
煌びやかな照明に照らされた店内は明るく、香水や化粧品の香りがしている。
(斎さまは、どういったものを喜ばれるかしら……?)
そう思いながら見て回っていると、文房具屋が目に留まった。
先日、斎は文房具屋で術式に使う和紙や万年筆を見ていた。だが、なにも買っていなかったはずだ。
灰音は鈴蘭を呼び止めた。
「あの、そこのお店で万年筆を見てみます。斎さまは、陣を書くときに使われるから」
「そうなのね。入ってみましょうよ」
店内の棚には、万年筆がたくさん並んでいる。百貨店だけあって、どれも柄やペン軸にこだわりがありそうだった。材質が良かったり、絵が描いてあったり、ガラスで出来ていたり――。
(斎さまが持たれるなら……。あ、これなんかどうかしら――)
棚に向かって、灰音が手を伸ばした時だった。
横からスッと腕が伸びてきて、万年筆の隣の、インクの瓶を取る。
「斎さまは気に入った道具しか使いませんわ。だから贈り物は、ペンじゃなくて、インク。こんなこともわからないんですの? ――甘露桜灰音さん?」
「え……?」
振り返ると、そこには華やかな容姿の令嬢が立っていた。長いウェーブがかった髪を蓄え、切れ長の目に添えられた長い睫毛が印象的だ。後ろには従者を数人連れている。彼女は立ったまま、金色の扇子で扇いで言った。
「くすくす。もう旧姓ではお返事出来ないんですの? 偉くなったものね。ほんの少し前まで、下級位の家のお荷物だったのに。一体、どんな手を使ったんですの?」
扇子がバチンと閉じられる。
彼女の目は冷たく、背筋がぞくりとした。
「ずぅっと会いたいと思っておりましたのよ。こんなところでお目にかかれるなんてね」
「あ、あなたは……」
灰音の隣に来た鈴蘭が、ひそひそ声で言った。
「彼女は鏡月院クイナさまよ。――斎さまの元婚約者の」
(斎さまの婚約者……!)
灰音は息をのんだ。
どうして今まで気がつかなかったのだろう。鳳凰寺家の当主である彼に、婚約者がいないはずがなかった。鏡月院家は鳳凰寺家と並ぶ御三家だ。彼女が幼少期からの婚約者であることに、疑いようはなかった。
クイナは目を細めると、再び扇子を広げた。
「わたくし、斎さまの『元婚約者』ではありませんわ。あなたがいようといまいと、構いませんもの。斎さまは今だって、わたくしの婚約者ですわ」
「……どういうことでしょうか?」
「わたくしもね、結婚いたしますわ。第二夫人――いいえ。本妻として」
「え……」
灰音は、自分の父のことを思い出した。確かに妻はひとりだけじゃなくふたり持つことが出来る。だが、それには認められる理由が必要だった。灰音の父の場合は、灰音の実母・百合子が病弱で命の危険があったこと、跡取りが欲しかったことが挙げられる。
心臓が、ドクンドクンと大きな音を立てる。
(わたし、勝手に斎さまの妻は、わたしひとりだと思ってた……)
目の前の彼女は、美しい。それが、恐ろしい。その彼女の薄い唇が、弧を描く。
「あなた、〝甘露桜家の無能〟って呼ばれていたんでしょう? それくらいわたくしだって知っているわ。もちろん、斎さまだってご存じのはずよね。……斎さまと彼のお父さまは、あなたの血じゃ不服なのよ。――わかる?」
彼女がなにを言っているのか、わからない。
ただ、胸がざわざわして、うまく呼吸が出来なかった。
「わからないのね? うふふ。いいわ。教えて差し上げる」
クイナは灰音の額に扇子を突きつけると、高らかに言い放った。
「鳳凰寺家は、あなたに跡取りを産ませる気はないってこと! わたくしが、斎さまのお子を産むわ!」
「……っ」
喉の奥がヒュっとなって、首に綿を詰められたみたいだった。
(斎さまの、お子……?)
頭の中が、ぐるぐるする。
わたしは、斎さまと夜を過ごしたことがない。
それはただ彼の〝目〟として契約したからだと、そう思い込もうとしてきたけれど。
(斎さまは、わたしとお子を作るつもりが、端から、ない……)
わたしは、斎さまが好き。だけど、彼はわたしのことが好きじゃない。
彼はわたしの能力を買っただけ……。みんなに言ってる、恋愛結婚なんて真っ赤な嘘。わたしと斎さまは、恋愛なんてしていないのだ。
灰音の体は石になったかのように、少しも動かせない。
クイナはなおも続けた。
「わたくしは、鏡月院。そして有能な祓い屋ですわ。無能なあなたとは違いますの」
「…………」
「あなたがもういるってことが邪魔だけど、結局は血筋が勝つのよ。――斎さまは返してもらうわ」
優雅な笑みを浮かべて、クイナはその場から去って行く。
途中で立ち止まり、振り返って言った。
「――あ。そうそう。わたくしも五節の舞姫に選ばれていますの。仲良くしましょうね? 鳳凰寺灰音さん? ――あら、今度も返事をしてくださらないの? くすくす!」
頭が真っ白になって、灰音はそれ以上何も考えられなかった。
煌びやかな照明に照らされた店内は明るく、香水や化粧品の香りがしている。
(斎さまは、どういったものを喜ばれるかしら……?)
そう思いながら見て回っていると、文房具屋が目に留まった。
先日、斎は文房具屋で術式に使う和紙や万年筆を見ていた。だが、なにも買っていなかったはずだ。
灰音は鈴蘭を呼び止めた。
「あの、そこのお店で万年筆を見てみます。斎さまは、陣を書くときに使われるから」
「そうなのね。入ってみましょうよ」
店内の棚には、万年筆がたくさん並んでいる。百貨店だけあって、どれも柄やペン軸にこだわりがありそうだった。材質が良かったり、絵が描いてあったり、ガラスで出来ていたり――。
(斎さまが持たれるなら……。あ、これなんかどうかしら――)
棚に向かって、灰音が手を伸ばした時だった。
横からスッと腕が伸びてきて、万年筆の隣の、インクの瓶を取る。
「斎さまは気に入った道具しか使いませんわ。だから贈り物は、ペンじゃなくて、インク。こんなこともわからないんですの? ――甘露桜灰音さん?」
「え……?」
振り返ると、そこには華やかな容姿の令嬢が立っていた。長いウェーブがかった髪を蓄え、切れ長の目に添えられた長い睫毛が印象的だ。後ろには従者を数人連れている。彼女は立ったまま、金色の扇子で扇いで言った。
「くすくす。もう旧姓ではお返事出来ないんですの? 偉くなったものね。ほんの少し前まで、下級位の家のお荷物だったのに。一体、どんな手を使ったんですの?」
扇子がバチンと閉じられる。
彼女の目は冷たく、背筋がぞくりとした。
「ずぅっと会いたいと思っておりましたのよ。こんなところでお目にかかれるなんてね」
「あ、あなたは……」
灰音の隣に来た鈴蘭が、ひそひそ声で言った。
「彼女は鏡月院クイナさまよ。――斎さまの元婚約者の」
(斎さまの婚約者……!)
灰音は息をのんだ。
どうして今まで気がつかなかったのだろう。鳳凰寺家の当主である彼に、婚約者がいないはずがなかった。鏡月院家は鳳凰寺家と並ぶ御三家だ。彼女が幼少期からの婚約者であることに、疑いようはなかった。
クイナは目を細めると、再び扇子を広げた。
「わたくし、斎さまの『元婚約者』ではありませんわ。あなたがいようといまいと、構いませんもの。斎さまは今だって、わたくしの婚約者ですわ」
「……どういうことでしょうか?」
「わたくしもね、結婚いたしますわ。第二夫人――いいえ。本妻として」
「え……」
灰音は、自分の父のことを思い出した。確かに妻はひとりだけじゃなくふたり持つことが出来る。だが、それには認められる理由が必要だった。灰音の父の場合は、灰音の実母・百合子が病弱で命の危険があったこと、跡取りが欲しかったことが挙げられる。
心臓が、ドクンドクンと大きな音を立てる。
(わたし、勝手に斎さまの妻は、わたしひとりだと思ってた……)
目の前の彼女は、美しい。それが、恐ろしい。その彼女の薄い唇が、弧を描く。
「あなた、〝甘露桜家の無能〟って呼ばれていたんでしょう? それくらいわたくしだって知っているわ。もちろん、斎さまだってご存じのはずよね。……斎さまと彼のお父さまは、あなたの血じゃ不服なのよ。――わかる?」
彼女がなにを言っているのか、わからない。
ただ、胸がざわざわして、うまく呼吸が出来なかった。
「わからないのね? うふふ。いいわ。教えて差し上げる」
クイナは灰音の額に扇子を突きつけると、高らかに言い放った。
「鳳凰寺家は、あなたに跡取りを産ませる気はないってこと! わたくしが、斎さまのお子を産むわ!」
「……っ」
喉の奥がヒュっとなって、首に綿を詰められたみたいだった。
(斎さまの、お子……?)
頭の中が、ぐるぐるする。
わたしは、斎さまと夜を過ごしたことがない。
それはただ彼の〝目〟として契約したからだと、そう思い込もうとしてきたけれど。
(斎さまは、わたしとお子を作るつもりが、端から、ない……)
わたしは、斎さまが好き。だけど、彼はわたしのことが好きじゃない。
彼はわたしの能力を買っただけ……。みんなに言ってる、恋愛結婚なんて真っ赤な嘘。わたしと斎さまは、恋愛なんてしていないのだ。
灰音の体は石になったかのように、少しも動かせない。
クイナはなおも続けた。
「わたくしは、鏡月院。そして有能な祓い屋ですわ。無能なあなたとは違いますの」
「…………」
「あなたがもういるってことが邪魔だけど、結局は血筋が勝つのよ。――斎さまは返してもらうわ」
優雅な笑みを浮かべて、クイナはその場から去って行く。
途中で立ち止まり、振り返って言った。
「――あ。そうそう。わたくしも五節の舞姫に選ばれていますの。仲良くしましょうね? 鳳凰寺灰音さん? ――あら、今度も返事をしてくださらないの? くすくす!」
頭が真っ白になって、灰音はそれ以上何も考えられなかった。



