それから数日が経って、約束の日曜日がやってきた。
朝から灰音の部屋には大勢の使用人が出入りし、慌ただしい。出かける前の支度の最中だが、なかなか進まない。なぜなら、使用人が着物を羽織らせる度に、寿々が文句をつけていたからだ。
「もうちょっと明るい色はないかのぅ!」
「女は花じゃ花! なんでそんな地味な模様のものをもってくるのじゃ!」
「誰じゃこれを持ってきたのは! これではまるで結婚式じゃ! 目立ちすぎるのじゃ!」
寿々の目は厳しく、使用人たちは次々に新しい着物を持ってきた。
灰音は寿々の背に手を延ばすと、小さく声を掛ける。
「寿々ちゃん……。わたしは別に、どれでも……」
「よくないのじゃ! ふひひ。まぁ、妾に任せておけ!」
自分のために考えてくれているのはわかる。灰音は黙って、手を引っ込めた。
やがて、ようやく一着に決まる。それは橙色の着物に、白金の帯だった。
「こ、これは派手ではないでしょうか……」
「どうせ主さまは地味じゃ。このくらいが丁度よかろう!」
そう言って寿々はカラカラと笑った。
「そう、でしょうか……」
使用人たちも、着付けの出来映えにうんうんと頷いている。
(少し恥ずかしいけど、みんなが言うなら……)
髪飾りは、着物と同色のリボンにした。これも寿々の見立てだ。
さらに、いつもより念入りにお化粧を施されていく。
先日の仕事に同行した際には、ここまでではなかったはずだ。
(今日もお仕事に同行して、それからお店に行くだけなのに……)
疑問に思いながらも、灰音は部屋を出た。
「……来たか」
「おはようございます」
玄関で会った斎は、正絹の着物に羽織り姿だった。仕事の際にいつも着用している黒い詰め襟ではない。
(あれ……? あ、でも刀は下げてらっしゃるから……)
彼は、いつも通り腰に刀を帯刀していた。
「では、行くか」
「はい」
「待て待て待てーい! 主さま、もうちょっとないのかや!?」
大きな声に振り向くと、寿々が地団駄を踏んでいた。
「妾が灰音の身繕いをしてやったのじゃぞ! この天才お洒落レディーの妾が!」
「……えぇと……」
寿々になにか補足をいれたいが、「このお着物は寿々ちゃんが選んでくれたんですよ」と話すのも、なんだか見てもらいたいアピールに聞こえそうで、気が引ける。
どうしたものかと思っていると、斎がこちらを見て言った。
「ああ。よく似合っている」
「え……」
褒められるとは思わず、瞬きを繰り返して彼を見上げる。
斎は続けて言った。
「そういうのもいいな。赤や朱色は鳳凰の色で、俺も好きだ」
「……っ。そ、そうですか……。よかった、です……」
彼の好きな色だと言われ、心がふわっと浮くかのようだ。
「いや、橙色なんじゃが……」
寿々が呆れた目をしながら小さくつぶやく。
灰音と斎はそれには気づかず、車に乗って出発した。
車から降りると、そこは大きな街だった。
人が多く、騒然としている。和風の店と洋風の店が混ざり合って、ずらりと並んでいた。
「やっぱり、こんな街中でも妖怪は出るんですね」
灰音が遭ったがしゃどくろも、街中に出現した。それを思い出して言ったのだが、
「……いや。仕事はなくなった」
「え?」
「今日はお前の買い物だけだ」
「そ、そうなんですか……」
――なんとも意外だ。
仕事がなくなる、というのはまぁあるだろう。相手は生きている――と言ってもいいのかわからないが――動きがあるものが相手だ。
意外なのは、彼が仕事がないのに来たという点である。
「こっちだ」
斎が先に歩き、灰音はその半歩後ろを歩いて行く。
風が吹いて、彼の艶やかな黒髪がサラサラと揺れる。そのさまを眺めながら、灰音はついて行った。
「…………」
「斎さま? どうされましたか?」
十分ほど道を歩いたところで、斎の足が止まった。
灰音は何事かと彼を見上げる。彼はその場で、顎を撫でた。
「さて、どうするかな……」
道の左右には店が並んでいたが、飲食店や服屋だった。ふたりの目指しているのは、扇などを扱う店なのだから、少なくとも近くにはない。
「……あのぅ、もしかしてですが……」
「少し引き返そう。そのうち思い出すだろう」
「迷われたのですか……?」
「…………いや?」
「…………」
(斎さまって、もしかして……方向音痴なのでは……?)
先日はたまたまかと思ったが、もしかするともしかするかもしれない。
「まぁ、歩いていれば着くだろう。今までもそうやってきた」
斎があまりにも堂々と言うものだから、灰音は曖昧に笑った。
彼は、おそらく方向音痴の自覚がない。対策として付き人をつけるとか、地図を見るとか、そういったこともしていないようだ。
斎は踵を返すと、元来た道へと戻っていく。
「とにかく、こんな景色ではなかったはずだ」
「え、えぇと、その、なにか目印などあるのでしょうか? 曲がり角にあるお店とか。教えていただければ、わたしも注意して見ますので」
「そうだな……。道のどこかに、看板があるはずだ」
「看板、ですか」
「ああ。『千代見屋』と書いてある。そこで曲がる」
「曲がり角にあるんですか?」
「いや、曲がり角ではないが、そこで曲がる」
「……? えぇと、千代見屋さんの看板ですね。わかりました」
彼の説明はわかりにくいが、店の看板があるなら、それを探せばいい。
ふたりは道を歩いて行った。
五分ほど引き返したところで、その標章看板はあっさりと見つかった。
木で出来ており、真ん中に『千』の字と菊の絵の標章、その下に『千代見屋』の店名、標章の左右に『祓い屋』『ご用達』の文字があった。
「斎さま、ありましたよ」
「……どれだ?」
「え? ここですよ、ここ……」
灰音は看板に近づいて、指を差す。その指先が看板に触れた時、斎は目を見開いた。
「そうだ。これだ。……『千代見屋』以外の文字も書いてあったのか」
「では、これはもしかして……」
「そうだ。この看板は、一般人には見えない」
「やっぱり……。そうなんですね」
だから、斎には見つけづらかったのだろう。
「よし。ここを曲がるぞ」
「え? あの、曲がり角は見当たりませんが……」
通ってきた道は一本道だ。看板の後ろには石塀があるだけで、看板の向かいにももちろん何もない。
「大丈夫だ。少し歪む。はぐれるな」
斎が灰音の手をぱっと掴んだ。大きな骨っぽい手に包まれて、思わず心臓が跳ねる。
灰音が繋がれた手を見ていると、斎は石塀に向かって突き進んでいく。
「行くぞ」
「えっ、えっ……?」
(ぶつかりに行ってる……!?)
当たる、と思った時、灰音は思わず目を瞑った。しかし、衝撃は来なかった。代わりに足場がうねるような感覚があり、転びそうになる。
「もういいぞ」
浮遊感がなくなり、灰音は薄目を開けた。
いつの間にか、斎に抱きついてしまっていたらしい。灰音は両手をぱっと離すと、二、三歩後ろに下がった。
ふたりは、一軒の店の前にいた。先ほど見た標章看板を掲げた、木造の大きな二階建ての店だ。
「ここが千代見屋だ。うちが贔屓にしている店だ」
「こんな風に不思議な方法でお店に来たのは、初めてです……」
このような一般人には見えない店の存在自体、初めて知った。
斎に連れられて、店に入る。
初老の男性が「いらっしゃい」と言いながら振り向き、こちらを見ると目を丸くした。
「……おや。おやおやおや? これはこれは! 鳳凰寺家の斎さまじゃあないですか!」
「先日連絡したはずだが」
「はいはい。それは伺っておりますとも。たんと仕入れておりますとも。しかしですね、わたしゃ斎さまご本人がいらっしゃるとは思わず――。そちらの方は?」
「ああ。俺の妻になる。彼女に祓い舞用の舞扇を買いたい。灰音、彼はここの店主だ」
「甘露桜灰音と申します。よろしくお願いします……」
「なんと、まぁ……!」
店主は、ずれた眼鏡の位置を直して、斎と灰音を交互に見た。
すると、店の奥からした。
「ちょっとあんた、なにを騒いでいるんだい」
と言いながら、初老の女性が現れた。店主の妻だろうか。
「……って、まあ! 斎さまじゃありませんか。可愛らしいお嬢さんを連れて、珍しい!」
「いやね、このお嬢さん、なんと斎さまの婚約者さまなんだそうだよ」
「まあ! おめでたいですわ! ささ、舞扇はこちらにご用意しております」
店主の妻に案内されて、灰音は扇が並ぶ棚の前に向かった。
その様子を、斎はその場で後ろから眺める。
店主の爺さんは「ほほほ」と笑って言った。
「あの斎さまが、嬉しそうでなによりです」
「…………」
斎が黙っていると、店主は微笑んで、灰音らのいる方へと向かった。
それを見ながら、斎は柱にもたれる。
(面倒だな。来ない方がよかったか?)
……こんなに言われるとは、思っていなかった。
千代見屋夫婦の会話を聞いている間、斎はむず痒い思いだった。
灰音は扇の説明をされているようで、店主の妻の言葉に真剣に頷いている。
「…………」
(変なやつだ。契約結婚だというのに、嫌ではないのだろうか?)
先日も思ったが、妖怪祓いの仕事に同行するのも、普通は嫌がると思っていた。なのに、彼女が言うのはいつも同じセリフだ。
――「斎さまのお手伝いが出来て嬉しいです」
今日だって、斎の父がケチをつけなければやる必要のない祓い舞用に、扇を買いに来ている。
(俺はこいつをそばに置くために、結婚という手を選んだだけだが……)
あの時は、年頃の令嬢をもらい受けるには、これしか思いつかなかった。
(だが、まぁ……悪くはない)
今まで他の令嬢と話す機会はあったが、彼女らはもっとギラギラしていた。もし、斎が完璧ではないと知ったら、目に見えて落胆するだろう。
(だけど、こいつは……)
斎は再び、灰音を見た。
彼女は、斎を心配するそぶりを見せて、実際文句一つ言わず数週間を過ごしている。
それに、いっしょにいても窮屈ではない。
(どうしてだろうな……)
少し逡巡して、考えるのをやめた。
――窮屈でないなら、それに越したことはない。上手くやれるというだけだ。
斎は息をひとつはくと、灰音と店主夫妻のもとへと向かった。
「これなんかどうでしょう? 白妙屋が制作し、轟家が奉納演舞をしたもので、効能が期待できると人気ですよ」
「そ、そうなんですね……」
「この列からこの列まではすべて、中級位のうち過去に舞手が選出された家が奉納演舞をしておりまして――」
灰音は、壁にずらりと並べられた扇を眺める。
(せっかく説明してくださってるけど、違いがわからない……)
知らない家名を聞かされても、覚えきれない。それに、あまりに扇の数が多く、どうしたものか迷ってしまった。
そこへ、後ろから斎がやってきた。
「そんなに一度に浴びせるな」
「まあ、斎さま。これは大変失礼いたしました」
「……灰音。好きな物を選べ。奉納演舞だなんだは、あとからでもすればいい」
「え……っ?」
「別に、祈りなどあとからいくらでもつけられる。それより、柄は手書きなんだ。持ちたいものを選べ」
そんな風に言ってもらえるとは、思わなかった。
「好きな柄、ですか……」
と言っても、これも難しい。
灰音は並んでいる舞扇を再び眺める。
少しの時間の後、灰音はひとつの舞扇を指差した。
「では……。これでお願いします」
それは、朱色の扇だった。扇面の下側は白く、真ん中から上部にかけて赤い。金箔が粒のようにちりばめられた、シンプルながらに上品な舞扇だった。
金箔だなんて、少し、派手かもしれない。――でも。
「あの、わたしはもう、鳳凰寺になりますので……。お家の色が良いかと思いまして……。わたし、これを使ってみたいです」
彼の――斎の使う、炎の色だと思ったのだ。
「……そうか。では店主、これを」
「かしこまりました。いいお色ですねぇ。こちらのお品物は奉納演舞済みですので、格式としても高いですよ」
そう言いながら、店主は棚から扇をおろした。
斎はその扇を差して、
「あと、これと同じ物をもうひとつ作らせてくれ。予備として持っておきたい」
「はい。かしこまりました。そちらは後日お届けに参ります」
「ああ。頼んだ」
店主は頷くと扇をカウンターへと運び、梱包を始めた。そして、
「お値段はですね――」
高額を言った。
展示品に値札がなかったとは言え、灰音は金額のことがすっかり頭から抜け落ちていたことに気がつく。
「……! そ、そんなつもりじゃ……! すみません。他の物に変えます」
「いや、いい」
「で、でも」
「お前が選んだものにすれば、いい」
斎はそう言って、懐から金貨を出してカウンターに置いた。
「これで」
「はい。毎度ありがとうございます」
舞扇は細長い箱に包まれた。それを斎は手に取り、灰音に手渡す。
「ほら」
「……ありがとうございます」
灰音は、箱を両手でつかみ、それを見つめた。箱に温度はないはずなのに、じんわりと温かい。
自分の欲しいものを買ってもらうのは、初めてのことだった。
昼食時。ふたりは、洋食屋にいた。
目の前にはオムライスがあり、ほかほかと湯気を立てている。
ちなみに、ここは祓い屋専門の店ではなく一般の店だったが、念のため事前に目印を聞いておいたのが役に立った。灰音は意外にも看板を見つけるのが早く、斎は意外にも――いやもう驚かないが――別の方向へ行こうとしていた。まじないの掛かった道は彼には見えづらいため仕方ないが、やはりそれ以前の問題らしい。
しかし、灰音は怒ってもいないし、呆れてもいなかった。
(こんなことを思うのは変だと思うけれど……。ちょっとかわいらしい、かも……)
人間味があるというか、彼のことを知る度に、近づけた気がするのだ。
そんなことを考えながら笑みを浮かべていると、斎が不思議そうな顔をした。
「なんだ、そんなに旨いのか?」
「え? ……あ、はい。美味しいです」
「そうか。……では、家でも洋食をもっと出すように言おう」
――「お構いなく」と言うべきか、素直に「ありがとうございます」と言うべきか……。スプーンを運ぶ手が止まる。普段なら遠慮していただろう。だが。
(斎さまは、怖くない、から……)
「ありがとう、ございます……。その、楽しみです」
「……そうか」
彼は灰音を一度見て、また食器に目を戻して、食していく。
灰音はほっとして、小さく息をはいた。
(やっぱり、斎さまに意見を言うのは、怖くない)
要望を否定されないことが、それが予想通りであることが、こんなにもほっと出来るなんて、知らなかった。
食事が終わると、ふたりは店を出た。
(……よ、よし……!)
灰音は小さく握りこぶしをつくると、思い切って斎の隣に並んだ。今まで、あまり彼の真横を歩いたことはない。だが、歩いてみてもいいように思えたのだ。
目的地の場所がわからないことに不安にならなくてもいい。斎もあまりわかっていないのだ。彼の隣でいっしょに探せばいいだろう。
怖じ気づかなくてもいい。彼はまったく怖くないのだ。
灰音が隣を歩き出したことで、斎はいくらか驚いたようだった。
彼の歩幅が、少し狭くなる。
(え……? 斎さま、もしかして……歩くペースを落としてくださってる……?)
彼が灰音の前を歩くのは、歩くペースが速いというのも大きかった。
斎は無言で、なにも言わない。まっすぐ前を見て、ゆっくり歩いている。
だけど灰音は、逆に駆け出してしまいたいくらいだった。
斎は、こんなにもゆったりとした休日を過ごすのは、初めてだった。
洋食屋を出た後も、ふたりは街歩きを続けた。斎の行きつけの古本屋に寄ったり、文具屋に寄ったりした。それらは情報収集のためだったり陣を書くための和紙を見るためだったりしたが、別に今日どうしても見なければいけないものでもなかった。だが、灰音はなにも知らないため、いちいち新鮮な反応をし、斎もそれを説明するのが苦ではなくなっていた。
途中、ミモザの咲く公園で休憩をする。
明るい色の着物を着た彼女は、黄色のミモザの下でよく映えた。
(……こんなに長く、外にいるとはな)
本来は、仕事のついでに舞扇だけ購入しようと考えていたのだ。それが、すっかりデートになってしまった。しかし、悪い気はしない。
斎がベンチに座ると、灰音が隣に座った。
空は青く晴れ、雲も少ない。温かい春の日だった。
灰音が周囲に人がいないのを見てから、言った。
「あの、こんなことを聞いてもいいのかわからないのですが……。斎さまはお若いのに、どうしてもうご当主さまなんでしょうか?」
「ああ。……実は、父は妖怪が見えていたんだが、去年妖怪に目をやられてな。それからは見えたり見えなかったりするようで――。そこで俺が跡を継ぐことになったんだ」
「え……。斎さまはずっと見えないのに、ですか?」
「俺はぼんやりとだが見えてはいたし、今まで勘で焼き払ってこれたからな」
「そうだったんですか……。それで、そんなに若くして、ご当主を継がれたのですね……」
(確かに、他の御三家に比べると少し早いか。だが、正直仕事量はあまり変わっていないんだがな)
灰音は長い黒髪を耳にかけ、少しの間の後、言った。
「わたし、頑張ってお手伝いしますね」
「……どうしてそうなる」
「……え?」
灰音は、きょとんとした顔をした。彼女のくるっとした丸い目が、もっと丸くなっている。それから、もごもごとしばらく口ごもると、控えめな佇まいで言った。
「えっと……大変だなぁと、思ったので……その、……斎さまのおそばでお支えしようかと……」
「…………」
風が吹いて、ミモザの木がサワサワと揺れた。
彼女と――灰音といっしょにいても、まったく窮屈ではない。
契約結婚なのに、本当に心から俺を支えてくれるというのか?
――彼女は変な女性じゃなくて、優しい女性だったのだ。どうして、今まで気がつかなかったのだろう。
ああ、秘密を隠さずに話せる相手の、なんと清々しいことか。
思惑を疑うこともない。彼女のもつ後ろ盾も、陰謀もない。
そしてそれを、信じられる。
「そうか」
斎は思わず目を細め、微笑を浮かべた。
灰音が斎を見て、小さくしゃっくりのような音を立てた。それがなんだか可愛らしいように思えて、斎はこらえきれず、思わずくっくっと笑ってしまったのだった。
* * *
朝から灰音の部屋には大勢の使用人が出入りし、慌ただしい。出かける前の支度の最中だが、なかなか進まない。なぜなら、使用人が着物を羽織らせる度に、寿々が文句をつけていたからだ。
「もうちょっと明るい色はないかのぅ!」
「女は花じゃ花! なんでそんな地味な模様のものをもってくるのじゃ!」
「誰じゃこれを持ってきたのは! これではまるで結婚式じゃ! 目立ちすぎるのじゃ!」
寿々の目は厳しく、使用人たちは次々に新しい着物を持ってきた。
灰音は寿々の背に手を延ばすと、小さく声を掛ける。
「寿々ちゃん……。わたしは別に、どれでも……」
「よくないのじゃ! ふひひ。まぁ、妾に任せておけ!」
自分のために考えてくれているのはわかる。灰音は黙って、手を引っ込めた。
やがて、ようやく一着に決まる。それは橙色の着物に、白金の帯だった。
「こ、これは派手ではないでしょうか……」
「どうせ主さまは地味じゃ。このくらいが丁度よかろう!」
そう言って寿々はカラカラと笑った。
「そう、でしょうか……」
使用人たちも、着付けの出来映えにうんうんと頷いている。
(少し恥ずかしいけど、みんなが言うなら……)
髪飾りは、着物と同色のリボンにした。これも寿々の見立てだ。
さらに、いつもより念入りにお化粧を施されていく。
先日の仕事に同行した際には、ここまでではなかったはずだ。
(今日もお仕事に同行して、それからお店に行くだけなのに……)
疑問に思いながらも、灰音は部屋を出た。
「……来たか」
「おはようございます」
玄関で会った斎は、正絹の着物に羽織り姿だった。仕事の際にいつも着用している黒い詰め襟ではない。
(あれ……? あ、でも刀は下げてらっしゃるから……)
彼は、いつも通り腰に刀を帯刀していた。
「では、行くか」
「はい」
「待て待て待てーい! 主さま、もうちょっとないのかや!?」
大きな声に振り向くと、寿々が地団駄を踏んでいた。
「妾が灰音の身繕いをしてやったのじゃぞ! この天才お洒落レディーの妾が!」
「……えぇと……」
寿々になにか補足をいれたいが、「このお着物は寿々ちゃんが選んでくれたんですよ」と話すのも、なんだか見てもらいたいアピールに聞こえそうで、気が引ける。
どうしたものかと思っていると、斎がこちらを見て言った。
「ああ。よく似合っている」
「え……」
褒められるとは思わず、瞬きを繰り返して彼を見上げる。
斎は続けて言った。
「そういうのもいいな。赤や朱色は鳳凰の色で、俺も好きだ」
「……っ。そ、そうですか……。よかった、です……」
彼の好きな色だと言われ、心がふわっと浮くかのようだ。
「いや、橙色なんじゃが……」
寿々が呆れた目をしながら小さくつぶやく。
灰音と斎はそれには気づかず、車に乗って出発した。
車から降りると、そこは大きな街だった。
人が多く、騒然としている。和風の店と洋風の店が混ざり合って、ずらりと並んでいた。
「やっぱり、こんな街中でも妖怪は出るんですね」
灰音が遭ったがしゃどくろも、街中に出現した。それを思い出して言ったのだが、
「……いや。仕事はなくなった」
「え?」
「今日はお前の買い物だけだ」
「そ、そうなんですか……」
――なんとも意外だ。
仕事がなくなる、というのはまぁあるだろう。相手は生きている――と言ってもいいのかわからないが――動きがあるものが相手だ。
意外なのは、彼が仕事がないのに来たという点である。
「こっちだ」
斎が先に歩き、灰音はその半歩後ろを歩いて行く。
風が吹いて、彼の艶やかな黒髪がサラサラと揺れる。そのさまを眺めながら、灰音はついて行った。
「…………」
「斎さま? どうされましたか?」
十分ほど道を歩いたところで、斎の足が止まった。
灰音は何事かと彼を見上げる。彼はその場で、顎を撫でた。
「さて、どうするかな……」
道の左右には店が並んでいたが、飲食店や服屋だった。ふたりの目指しているのは、扇などを扱う店なのだから、少なくとも近くにはない。
「……あのぅ、もしかしてですが……」
「少し引き返そう。そのうち思い出すだろう」
「迷われたのですか……?」
「…………いや?」
「…………」
(斎さまって、もしかして……方向音痴なのでは……?)
先日はたまたまかと思ったが、もしかするともしかするかもしれない。
「まぁ、歩いていれば着くだろう。今までもそうやってきた」
斎があまりにも堂々と言うものだから、灰音は曖昧に笑った。
彼は、おそらく方向音痴の自覚がない。対策として付き人をつけるとか、地図を見るとか、そういったこともしていないようだ。
斎は踵を返すと、元来た道へと戻っていく。
「とにかく、こんな景色ではなかったはずだ」
「え、えぇと、その、なにか目印などあるのでしょうか? 曲がり角にあるお店とか。教えていただければ、わたしも注意して見ますので」
「そうだな……。道のどこかに、看板があるはずだ」
「看板、ですか」
「ああ。『千代見屋』と書いてある。そこで曲がる」
「曲がり角にあるんですか?」
「いや、曲がり角ではないが、そこで曲がる」
「……? えぇと、千代見屋さんの看板ですね。わかりました」
彼の説明はわかりにくいが、店の看板があるなら、それを探せばいい。
ふたりは道を歩いて行った。
五分ほど引き返したところで、その標章看板はあっさりと見つかった。
木で出来ており、真ん中に『千』の字と菊の絵の標章、その下に『千代見屋』の店名、標章の左右に『祓い屋』『ご用達』の文字があった。
「斎さま、ありましたよ」
「……どれだ?」
「え? ここですよ、ここ……」
灰音は看板に近づいて、指を差す。その指先が看板に触れた時、斎は目を見開いた。
「そうだ。これだ。……『千代見屋』以外の文字も書いてあったのか」
「では、これはもしかして……」
「そうだ。この看板は、一般人には見えない」
「やっぱり……。そうなんですね」
だから、斎には見つけづらかったのだろう。
「よし。ここを曲がるぞ」
「え? あの、曲がり角は見当たりませんが……」
通ってきた道は一本道だ。看板の後ろには石塀があるだけで、看板の向かいにももちろん何もない。
「大丈夫だ。少し歪む。はぐれるな」
斎が灰音の手をぱっと掴んだ。大きな骨っぽい手に包まれて、思わず心臓が跳ねる。
灰音が繋がれた手を見ていると、斎は石塀に向かって突き進んでいく。
「行くぞ」
「えっ、えっ……?」
(ぶつかりに行ってる……!?)
当たる、と思った時、灰音は思わず目を瞑った。しかし、衝撃は来なかった。代わりに足場がうねるような感覚があり、転びそうになる。
「もういいぞ」
浮遊感がなくなり、灰音は薄目を開けた。
いつの間にか、斎に抱きついてしまっていたらしい。灰音は両手をぱっと離すと、二、三歩後ろに下がった。
ふたりは、一軒の店の前にいた。先ほど見た標章看板を掲げた、木造の大きな二階建ての店だ。
「ここが千代見屋だ。うちが贔屓にしている店だ」
「こんな風に不思議な方法でお店に来たのは、初めてです……」
このような一般人には見えない店の存在自体、初めて知った。
斎に連れられて、店に入る。
初老の男性が「いらっしゃい」と言いながら振り向き、こちらを見ると目を丸くした。
「……おや。おやおやおや? これはこれは! 鳳凰寺家の斎さまじゃあないですか!」
「先日連絡したはずだが」
「はいはい。それは伺っておりますとも。たんと仕入れておりますとも。しかしですね、わたしゃ斎さまご本人がいらっしゃるとは思わず――。そちらの方は?」
「ああ。俺の妻になる。彼女に祓い舞用の舞扇を買いたい。灰音、彼はここの店主だ」
「甘露桜灰音と申します。よろしくお願いします……」
「なんと、まぁ……!」
店主は、ずれた眼鏡の位置を直して、斎と灰音を交互に見た。
すると、店の奥からした。
「ちょっとあんた、なにを騒いでいるんだい」
と言いながら、初老の女性が現れた。店主の妻だろうか。
「……って、まあ! 斎さまじゃありませんか。可愛らしいお嬢さんを連れて、珍しい!」
「いやね、このお嬢さん、なんと斎さまの婚約者さまなんだそうだよ」
「まあ! おめでたいですわ! ささ、舞扇はこちらにご用意しております」
店主の妻に案内されて、灰音は扇が並ぶ棚の前に向かった。
その様子を、斎はその場で後ろから眺める。
店主の爺さんは「ほほほ」と笑って言った。
「あの斎さまが、嬉しそうでなによりです」
「…………」
斎が黙っていると、店主は微笑んで、灰音らのいる方へと向かった。
それを見ながら、斎は柱にもたれる。
(面倒だな。来ない方がよかったか?)
……こんなに言われるとは、思っていなかった。
千代見屋夫婦の会話を聞いている間、斎はむず痒い思いだった。
灰音は扇の説明をされているようで、店主の妻の言葉に真剣に頷いている。
「…………」
(変なやつだ。契約結婚だというのに、嫌ではないのだろうか?)
先日も思ったが、妖怪祓いの仕事に同行するのも、普通は嫌がると思っていた。なのに、彼女が言うのはいつも同じセリフだ。
――「斎さまのお手伝いが出来て嬉しいです」
今日だって、斎の父がケチをつけなければやる必要のない祓い舞用に、扇を買いに来ている。
(俺はこいつをそばに置くために、結婚という手を選んだだけだが……)
あの時は、年頃の令嬢をもらい受けるには、これしか思いつかなかった。
(だが、まぁ……悪くはない)
今まで他の令嬢と話す機会はあったが、彼女らはもっとギラギラしていた。もし、斎が完璧ではないと知ったら、目に見えて落胆するだろう。
(だけど、こいつは……)
斎は再び、灰音を見た。
彼女は、斎を心配するそぶりを見せて、実際文句一つ言わず数週間を過ごしている。
それに、いっしょにいても窮屈ではない。
(どうしてだろうな……)
少し逡巡して、考えるのをやめた。
――窮屈でないなら、それに越したことはない。上手くやれるというだけだ。
斎は息をひとつはくと、灰音と店主夫妻のもとへと向かった。
「これなんかどうでしょう? 白妙屋が制作し、轟家が奉納演舞をしたもので、効能が期待できると人気ですよ」
「そ、そうなんですね……」
「この列からこの列まではすべて、中級位のうち過去に舞手が選出された家が奉納演舞をしておりまして――」
灰音は、壁にずらりと並べられた扇を眺める。
(せっかく説明してくださってるけど、違いがわからない……)
知らない家名を聞かされても、覚えきれない。それに、あまりに扇の数が多く、どうしたものか迷ってしまった。
そこへ、後ろから斎がやってきた。
「そんなに一度に浴びせるな」
「まあ、斎さま。これは大変失礼いたしました」
「……灰音。好きな物を選べ。奉納演舞だなんだは、あとからでもすればいい」
「え……っ?」
「別に、祈りなどあとからいくらでもつけられる。それより、柄は手書きなんだ。持ちたいものを選べ」
そんな風に言ってもらえるとは、思わなかった。
「好きな柄、ですか……」
と言っても、これも難しい。
灰音は並んでいる舞扇を再び眺める。
少しの時間の後、灰音はひとつの舞扇を指差した。
「では……。これでお願いします」
それは、朱色の扇だった。扇面の下側は白く、真ん中から上部にかけて赤い。金箔が粒のようにちりばめられた、シンプルながらに上品な舞扇だった。
金箔だなんて、少し、派手かもしれない。――でも。
「あの、わたしはもう、鳳凰寺になりますので……。お家の色が良いかと思いまして……。わたし、これを使ってみたいです」
彼の――斎の使う、炎の色だと思ったのだ。
「……そうか。では店主、これを」
「かしこまりました。いいお色ですねぇ。こちらのお品物は奉納演舞済みですので、格式としても高いですよ」
そう言いながら、店主は棚から扇をおろした。
斎はその扇を差して、
「あと、これと同じ物をもうひとつ作らせてくれ。予備として持っておきたい」
「はい。かしこまりました。そちらは後日お届けに参ります」
「ああ。頼んだ」
店主は頷くと扇をカウンターへと運び、梱包を始めた。そして、
「お値段はですね――」
高額を言った。
展示品に値札がなかったとは言え、灰音は金額のことがすっかり頭から抜け落ちていたことに気がつく。
「……! そ、そんなつもりじゃ……! すみません。他の物に変えます」
「いや、いい」
「で、でも」
「お前が選んだものにすれば、いい」
斎はそう言って、懐から金貨を出してカウンターに置いた。
「これで」
「はい。毎度ありがとうございます」
舞扇は細長い箱に包まれた。それを斎は手に取り、灰音に手渡す。
「ほら」
「……ありがとうございます」
灰音は、箱を両手でつかみ、それを見つめた。箱に温度はないはずなのに、じんわりと温かい。
自分の欲しいものを買ってもらうのは、初めてのことだった。
昼食時。ふたりは、洋食屋にいた。
目の前にはオムライスがあり、ほかほかと湯気を立てている。
ちなみに、ここは祓い屋専門の店ではなく一般の店だったが、念のため事前に目印を聞いておいたのが役に立った。灰音は意外にも看板を見つけるのが早く、斎は意外にも――いやもう驚かないが――別の方向へ行こうとしていた。まじないの掛かった道は彼には見えづらいため仕方ないが、やはりそれ以前の問題らしい。
しかし、灰音は怒ってもいないし、呆れてもいなかった。
(こんなことを思うのは変だと思うけれど……。ちょっとかわいらしい、かも……)
人間味があるというか、彼のことを知る度に、近づけた気がするのだ。
そんなことを考えながら笑みを浮かべていると、斎が不思議そうな顔をした。
「なんだ、そんなに旨いのか?」
「え? ……あ、はい。美味しいです」
「そうか。……では、家でも洋食をもっと出すように言おう」
――「お構いなく」と言うべきか、素直に「ありがとうございます」と言うべきか……。スプーンを運ぶ手が止まる。普段なら遠慮していただろう。だが。
(斎さまは、怖くない、から……)
「ありがとう、ございます……。その、楽しみです」
「……そうか」
彼は灰音を一度見て、また食器に目を戻して、食していく。
灰音はほっとして、小さく息をはいた。
(やっぱり、斎さまに意見を言うのは、怖くない)
要望を否定されないことが、それが予想通りであることが、こんなにもほっと出来るなんて、知らなかった。
食事が終わると、ふたりは店を出た。
(……よ、よし……!)
灰音は小さく握りこぶしをつくると、思い切って斎の隣に並んだ。今まで、あまり彼の真横を歩いたことはない。だが、歩いてみてもいいように思えたのだ。
目的地の場所がわからないことに不安にならなくてもいい。斎もあまりわかっていないのだ。彼の隣でいっしょに探せばいいだろう。
怖じ気づかなくてもいい。彼はまったく怖くないのだ。
灰音が隣を歩き出したことで、斎はいくらか驚いたようだった。
彼の歩幅が、少し狭くなる。
(え……? 斎さま、もしかして……歩くペースを落としてくださってる……?)
彼が灰音の前を歩くのは、歩くペースが速いというのも大きかった。
斎は無言で、なにも言わない。まっすぐ前を見て、ゆっくり歩いている。
だけど灰音は、逆に駆け出してしまいたいくらいだった。
斎は、こんなにもゆったりとした休日を過ごすのは、初めてだった。
洋食屋を出た後も、ふたりは街歩きを続けた。斎の行きつけの古本屋に寄ったり、文具屋に寄ったりした。それらは情報収集のためだったり陣を書くための和紙を見るためだったりしたが、別に今日どうしても見なければいけないものでもなかった。だが、灰音はなにも知らないため、いちいち新鮮な反応をし、斎もそれを説明するのが苦ではなくなっていた。
途中、ミモザの咲く公園で休憩をする。
明るい色の着物を着た彼女は、黄色のミモザの下でよく映えた。
(……こんなに長く、外にいるとはな)
本来は、仕事のついでに舞扇だけ購入しようと考えていたのだ。それが、すっかりデートになってしまった。しかし、悪い気はしない。
斎がベンチに座ると、灰音が隣に座った。
空は青く晴れ、雲も少ない。温かい春の日だった。
灰音が周囲に人がいないのを見てから、言った。
「あの、こんなことを聞いてもいいのかわからないのですが……。斎さまはお若いのに、どうしてもうご当主さまなんでしょうか?」
「ああ。……実は、父は妖怪が見えていたんだが、去年妖怪に目をやられてな。それからは見えたり見えなかったりするようで――。そこで俺が跡を継ぐことになったんだ」
「え……。斎さまはずっと見えないのに、ですか?」
「俺はぼんやりとだが見えてはいたし、今まで勘で焼き払ってこれたからな」
「そうだったんですか……。それで、そんなに若くして、ご当主を継がれたのですね……」
(確かに、他の御三家に比べると少し早いか。だが、正直仕事量はあまり変わっていないんだがな)
灰音は長い黒髪を耳にかけ、少しの間の後、言った。
「わたし、頑張ってお手伝いしますね」
「……どうしてそうなる」
「……え?」
灰音は、きょとんとした顔をした。彼女のくるっとした丸い目が、もっと丸くなっている。それから、もごもごとしばらく口ごもると、控えめな佇まいで言った。
「えっと……大変だなぁと、思ったので……その、……斎さまのおそばでお支えしようかと……」
「…………」
風が吹いて、ミモザの木がサワサワと揺れた。
彼女と――灰音といっしょにいても、まったく窮屈ではない。
契約結婚なのに、本当に心から俺を支えてくれるというのか?
――彼女は変な女性じゃなくて、優しい女性だったのだ。どうして、今まで気がつかなかったのだろう。
ああ、秘密を隠さずに話せる相手の、なんと清々しいことか。
思惑を疑うこともない。彼女のもつ後ろ盾も、陰謀もない。
そしてそれを、信じられる。
「そうか」
斎は思わず目を細め、微笑を浮かべた。
灰音が斎を見て、小さくしゃっくりのような音を立てた。それがなんだか可愛らしいように思えて、斎はこらえきれず、思わずくっくっと笑ってしまったのだった。
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