翌日のことだった。
灰音が自室で休んでいると、使用人がやってきた。
「失礼いたします。灰音さま。今よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
部屋に入った使用人は、そわそわした様子で言った。
「大旦那さまと奥さまがお呼びです。藤の間までご案内いたします」
「……斎さまのご両親、ですか?」
「その通りです」
「わかりました。案内してください」
ごくりと唾を飲み込む。斎の両親に会うのは初めてだ。
今までは遠方にいるとかで家に不在だったのだが、帰ってきたのだろうか。
(きっと結婚の話……よね……)
どう話したものかと考えを巡らせながら、灰音は使用人の後に続いた。
建物と建物を繋ぐ渡り廊下を通っていく。
途中見上げた空は鼠色に曇っており、灰音の気持ちを重くさせた。
自室があった建物から三つ先の建物へと移動し、そうして案内された部屋は、広い和室だった。二十四畳ほどあり、障子をがらりと開けると庭園を見ることが出来る。庭園には大きな藤棚があり、これが部屋の名の由来だろう。今がもし四月ならば、綺麗だったろうと思われた。
そして部屋の中央には、長机が二つと椅子が四脚並んでいた。机は長さがあり、本来なら椅子がもっと並べられそうだ。二つの机は向かい合う形で置かれており、それぞれ椅子が二脚ずつ並べられている。
その椅子には、斎がひとりで座っていた。
彼は灰音に気がつくと、体をこちらに向けた。
「父さんたちに呼び出されたようだな」
「斎さま……」
「実は、父さんたちが昨夜旅行から戻ってきたんだが、お前のことを話していなくてな。きっとそのことだろう。少々、面倒な話をされそうだが、俺が上手くやる」
「わたしはどうすれば……」
「俺の横に座っていればいい」
「あの、」
言いかけた時、廊下からぞろぞろと足音がして、灰音は部屋の入り口を振り返った。
見ると、そこには片目に眼帯を付けた荘厳な顔つきの壮年の男性と、柔和な顔立ちの女性が、たくさんの使用人を引き連れて立っていた。
(この方たちが、斎さまのご両親……)
斎の両親は、ゆっくりとした動作で灰音と斎を交互に見た。
その威圧感に、灰音の背には緊張が走る。
喉が乾いて、声が出ない。
なにか、早く挨拶などしなくては――。
思いはするが、焦るばかりで頭の中は真っ白だった。
その時、
「大丈夫だ」
耳元で斎の潜めた声がした。
「え……」
見上げると、彼はもう両親の方を見ていた。
「父さん、母さん。おはようございます。どうぞこちらへ」
「おはよう斎。いい天気ですね」
「…………」
斎の母が挨拶を返し、斎の父はじろりと灰音を睨むように見て、部屋に入った。
四人はテーブルにつく。灰音は斎の隣の席に座った。
全員が座って一呼吸置いた後、斎が口を開いた。
「紹介します。こちらは甘露桜灰音嬢。俺は彼女と結婚しようと思っています」
「……っ!」
灰音は目を見開いて、再び斎の顔を見た。こんなにはっきりと、両親に宣言するとは思わなかったのだ。
「――甘露桜家?」
斎の父が、聞き返した。
「まさかと思うが、例のあの娘ではないだろうな」
「……っ」
ドキッ――灰音の心臓が跳ねる。
『甘露桜家の無能』――その呼び名が思い起こされる。祓い屋では有名な話だ。斎の父が知っていてもおかしくない。斎の役には立てるかもしれない。だけど、一般的な祓い屋の能力がないこともまた、事実だった。
灰音が言葉に詰まっていると、斎の父は続けて言った。
「勝手なことをしてくれたな。これがどういうことになるか、わかっているのか?」
「もちろんです。しかし――説明しますよ。父さん」
斎が返事をし、そのまま口を閉じてじっと父を見た。
すると彼の父は頷いて、後ろに控えている使用人たちに向かって言った。
「冬治を残して、あとは下がれ。呼び戻すときは、冬治に呼びに行かせる。それまで藤の塔で待機していろ」
「「「かしこまりました」」」
使用人たちは頭を下げる。そして、一人の黒袴の青年を残して、あとの者は部屋を後にした。冬治と呼ばれた男はしばらく廊下を凝視していたが、やがて斎の父に近づいて言った。
「大旦那さま。皆、離れました」
「そうか」
斎の父が頷き、冬治は再び廊下へと下がった。
人払いが済んだことで、斎は再び話し出す。
「彼女は俺の秘密を知っています。そして、彼女はそれを補える存在なのです」
「……なんと」
「ですから俺は彼女と婚姻関係を結び、今後は現場に連れて行きます。結婚式は今月末に行うつもりです」
「あ、あの……っ」
ようやく声が出るようになって、灰音は頭を下げながら言う。
「甘露桜灰音と申します……っ。その、斎さまのお役に立てるよう、頑張りますので……っ!」
「ダメだ」
ぴしゃり。斎の父の言葉は、鞭のように鋭く響いた。その鋭さに、灰音は身を縮める。
斎の父は、彼の息子を睨むと言った。
「お前の秘密が明かせない以上、いわゆる無能の娘だ。皆にどう説明する? 無理だ! それに、お前の弱点は能力の増強でも解決出来たはずだ。そのためにあの娘を取り込んだというのに。それをお前は甘露桜などという無能の娘を迎えるなど、勝手なことをしおって……!」
「今は俺が当主です。結婚相手は俺が選びます」
「斎っ!」
ダン! ――斎の父は机を拳でたたいた。
斎の父はしばらく息子を睨んだ後、灰音の方を向いた。
「お前のことは無能と聞いているが、どのくらい無能なのだ? 祓い舞は? 護符作りは? 甘露桜家ならば、封印壺のための御札作りくらいは出来るのか?」
「す、すみません! 祓い舞は九歳までしか習っておりません。呪具の扱いも子どもの時に習いましたが、発動できませんでした」
「九歳だと……? 馬鹿にしているのか! 一体なになら出来るんだッ!!」
「……っ」
なにも言い返せない。そもそも、子どもの舞と大人の舞は違う。たとえ九歳の時に習った舞を成人済みの今舞ってみたって、なんの意味もないのだ。
そこへ、斎の母が口を挟んだ。
「……あなた。斎が好きで選んだ子なら……」
「このような無能の娘、私は認めんぞ」
(どうしよう……)
灰音は眉を下げて、斎を見た。
彼は両親をまっすぐ見たまま、落ち着いた様子で話した。
「誰がなんと言おうと、俺は彼女を迎えました。俺は許可を取りに来たんじゃありません。――これは事後報告です。もう、他家も情報をつかんでいる頃でしょう」
「…………」
斎の父の眼光が鋭くなる。彼の眉が、ピクピクとひきつっていた。
「では、失礼します。行くぞ、灰音」
「えっ、あのっ」
斎が灰音の手を取って立ち上がったので、灰音は椅子をガタゴトとさせながら立ってしまう。
(このままで、いいの……?)
部屋を出る前、灰音は震えた大きな声で言った。
「あ……あのっ、わたしっ、頑張りますっ! 本当に……っ! 本当にふつつか者ですが、よろしくお願いします……っ!」
――これでいいのかわけがわからなくて、どうしたらいいのかもわからなくて、でも、それでも挨拶はしたかった。
灰音はぐちゃぐちゃな顔を隠すように、深く長くお辞儀をしてから、斎に手を引かれて藤の間を後にしたのだった。



