無能令嬢と祓い屋当主の契約結婚~契約で結ばれたわたしたちが、本当の夫婦になるまで~

 
 ふたりは、山を下りてふもとの道に出た。
 森から出て広い場所に出ることが出来て、灰音は深呼吸をした。やはり、町が見える方が安心だ。

「……思ったより時間を食ったな」

 斎が言って、灰音は返事をせず、曖昧に笑った。祓うのはとても早かったのだ。彼が道に迷わなければ、もっと早かっただろう。

「車は町の方の馬車預かり所に停めさせてある。そこまで歩くぞ」
「わかりました」

 斎が歩き出して、灰音は再び彼の後をついていく。
 馬車預かり所では、馬車以外にも車を停めることも出来る。最近は駐車場という車専用のところもできてきたが、まだふたつともが停められる馬車預かり所が主流だった。町中で車を降りて買い物などをする場合は、これを利用することになっている。
 今日はとても暖かな日だった。空は青く、草木の新芽の匂いと、花の香りが混ざり合う。町へ向かう途中の斜面には菜の花が咲き、黄色い花が風に揺れていた。
 ぼそっと、斎が小さな声で言った。

「嫌じゃないのか?」
「……えっ?」

灰音が見上げると、彼がこちらを見ていた。目が合うと、斎の方がふいと逸らす。

「毎回こんな感じになる。女性は嫌だろう」
「いえ。大丈夫です」

 灰音は首を振った。妖怪が出る前は足が震えたが、斎がすぐに祓ってくれたので、怖さを感じる間もなく、あっという間だった。

「わたしは本当に、大丈夫です。むしろ、斎さまのお手伝いが出来て嬉しいです」
「……そうか」

 斎はそう返事をした後、黙って歩いた。
 やがて野原を越え、舗装された道に入る。
 灰音が斎の少し後ろを歩いていると、彼は振り返って言った。

「足が痛むのか?」
「いえ……」
「では、なんでそんなに遅いんだ?」
「えぇっと……ですね……」

 理由は複数ある。
一つ目は、そもそもここの馬車預かり所の場所を灰音は知らないということ。
二つ目は、斎の隣を歩くのは少し緊張するということ。
三つ目は、そもそも斎が歩く速度が速いということだった。
これをどう言ったものだろうか。

「足は、本当に大丈夫です。その……わたしは歩くのが遅いんです。決して疲れているからとかではなく、わたしが元々、このくらいの速度でして……」
「そうか。……疲れてないならいい」
 そう言って斎は、また歩き出した。

(……うん。これでいいわ)

 いつもの癖で、自分のせいにしてしまった。
 実際、足に疲労感はあるが、もう少しで車なのだ。もう数メートル歩けば建物が増え、段々と人通りも増えてくるだろう。

(それにもし足が痛いなんて言ったら、また抱き上げられてしまうかも……)

 先日の、人が避難した後の道ではなく、ここは人通りの多い道になのだ。それは少し恥ずかしい。
 ――と、下を見ながら考えていたら、肩をどんと弾かれた。通行人にぶつかってしまったのだ。

「ご、ごめんなさ――」

 振り向きざまに謝った時、足を踏ん張ることが出来ず、灰音はバランスを崩してよろけてしまった。
 転ぶと思った瞬間――その背が、後ろからそっと支えられた。

「大丈夫? お嬢さん」

 若い男性の声だった。

「あ、ありがとうございます……」

 灰音が振り返ると、そこには金髪の青年が立っていた。歳は二十代前半ほどに見える。袴には大きく家紋が入っており、彼の後ろには同じような袴姿の付き人を四人連れていた。
 青年は斎の姿を認めると、親しげに声を掛けた。

「あれー? 斎くん? 久しぶりだね、一ヶ月ぶりくらい?」
「……お前か」
「ねぇねぇ、こんなところで何やってるの?」
「それはこっちのセリフだ。この辺にはお前が欲しいような妖怪はいないと思うが」
「違うよぉ。式神を捕まえに来たんじゃないって。ただのお買い物」

 金髪の青年は、柔らかな髪を揺らしながら続けた。

「斎くんこそ珍しいね、御三家以外の女の子といるの。そういう気分にようやくなったのかな? さて、初めましてお嬢さん。僕は()(りん)(どう)(えい)()。見たことあるかな? 麒麟のマークだよ~」

 そう言って青年――瑛士は袴の胸元にある家紋を広げて見せた。円の中に、一本角の麒麟の姿が簡略化されて描かれている。

「麒麟堂さま……って……」

 灰音は唾を飲み込んで、斎の顔を見上げた。
 斎は頷くと、

「そうだ。こいつは御三家のうちのひとつ、麒麟堂家の……まぁおそらく次期当主だ」
「おそらくじゃないよ!? 僕が長男なんだから!」

 瑛士はそうツッコんだ後、笑った。軽口を叩ける仲らしい。
 麒麟堂家――灰音でも知っている。祓い屋上級位は御三家の三つしかない。麒麟堂家は鳳凰寺家と並ぶ名家だ。

「で? このかわい子ちゃんは誰なの?」
「……俺の妻だ」
「えぇっ!?」

(……っ!)

 瑛士が大きい声を上げたのと、灰音の顔が赤面したのは同時だった。

(い、言ってしまって大丈夫なのかしら……!?)

 こんなにストレートに紹介されるとは思わず、灰音は小さくなった。

「斎くん……。君も冗談を言うんだね」
「本当のことだ。近いうちに結婚式を挙げる」
「わぁお。嘘じゃないみたいだね」

 瑛士は興味深そうに灰音をまじまじと見て、「はー……」と息を吐いた。

(斎さまのお友達には、わたしもご挨拶しないと)

 灰音は姿勢を正して、お辞儀をした。

「わたしは甘露桜灰音と申します。どうぞよろしくお願いします」
「えっ!? 甘露桜家なの!? ははっ!」

 瑛士は愉快そうに笑った。

「じゃあ、僕の系統だ!」
「え?」
「は?」

 灰音が首をかしげて、斎が怪訝な顔をした。
 明るい表情の瑛士が説明する。

「甘露桜家は祓い壺だろう? あれは麒麟堂家の系譜だよ。昔、麒麟堂家の分家から嫁いで以降、甘露桜家の子孫の能力は置き換わったのさ。つまり、僕と灰音ちゃんは(な・か)(・ま)♪」

 そう言って瑛士は、腰につけている小さな壺を見せた。確かに、父や紅葉が使用しているものに似ている。
 それに、実家でそんな話を聞いたことがある気もする。灰音は頷いた。

「そうですね、父からそう聞いたことがあります」
「これもなにかの運命だね! 僕とも仲良くしよう! こんなかわいい子とお友達になれて嬉しいな~♪」
「はい。よろしくお願いします」

 瑛士が手を差し出して、灰音は笑って握手に応じた。
 彼の声音はずっと明るくて、笑顔は優しそうで、手を握る力も優しい。
 そう思っていると、後ろからぐいっと肩を抱き寄せられた。人に当たる感触がして、斎の胸元に当たったのだと気がつく。

「もういいだろう」
「斎さま……?」
「えー。親友のお嫁さんに挨拶してるだけなのにー」
「灰音、行くぞ」
「えっ。あのっ」

 斎に手を引かれ、灰音は歩き出す。
 前方には、もう馬車預かり所が見えていた。

「どうされたのですか? わたし、なにか失礼なことをしてしまったでしょうか? 御三家の方に手を差し出されても、お返ししてはいけなかったとか……?」
「別に。そんなルールはない」

 ほっと、灰音は小さく息を吐いた。

「では、一体……」
「言った通りだ。もう挨拶はいいだろう。帰るぞ」
「あ……!」

 灰音はピンときた。

(斎さまは妖怪祓いのあとでお疲れだから……!)

 外れだった。

 ――だが、納得した灰音は、早く車に乗ろうと考えた。

「またねー!」

 後ろから瑛士の声が聞こえる。斎はそれには返事をせずに、スタスタと歩いて行く。
 灰音は歩きながら瑛士に小さく会釈をして、斎の隣に並んだ。





 ふたりが馬車預かり所に入って行ったのを見て、瑛士は顎を撫でた。

「甘露桜家だって。びっくりだよね」
「よくご存じでしたね。下級位の家じゃないですか?」

 瑛士の付き人が答えた。

「僕らは普段中級位までとしか交流ないけどね。まぁ、さっきも言ったけど。一応甘露桜家は、うちの系譜に連なる家柄だからね」
「力量の差は大きいですが」
「それはそうさ。そうでなくっちゃ。僕ら御三家が国のためにどれだけ結界を張っているやら」

 瑛士はわざとらしく、肩をすくめた。

「――彼女の手前、言わなかったけどさ。斎くん、〝婚約者〟のことはどうしたんだろう?」
「……それは当然、破棄になったのでは?」
「そうかなぁ? ()()が承諾するとは思えないけど……」

鳳凰寺家の車はもういない。
 瑛士は、空を見上げた。白っぽい空を、一羽の鳥が旋回している。

「怖いなぁ」

少し笑って、瑛士は口を閉じた。
 上空にいた鳥は山の向こうに飛んでいき、すぐに見えなくなった。