「……頼……彼女は……だから……」
「……っておる。……主さまは……」
途切れ途切れに、声が聞こえる。
(誰……?)
灰音は、ぼんやりした頭のまま薄目を開けた。
(なにがあったんだっけ……? 頭が痛くなって、体中が痛くなって、それから……?)
畳の部屋で、灰音は布団に寝かされていた。
体はまだ痛むが、動かそうとすれば動けそうだ。灰音はゆっくりと起き上がった。
そこは、初めて見る部屋だった。
広さは十八畳ほどあり、床の間には一体の日本人形がケースに入れて飾られている。その隣には手毬が置かれており、模様を作る糸は鮮やかで美しい。掛け軸は鳳凰――尾の長い赤い鳥の絵で、欄間にも鳳凰の姿が彫られていた。
(ここは……どこ……?)
知らない部屋だったが、鳳凰の装飾から見て、鳳凰寺家のどこかの部屋だろう。
先ほど誰かの声がしていた気がしたが、部屋を見回しても誰もいない。
(気のせいだったのかしら……?)
そう考えていると、不意に背後から声がかかった。
「ほーう? 起き上がれたのかや?」
「えっ……!? ――っ!?」
見ると、そこには不思議な少女が立っていた。背丈は低く、歳も十歳程度に見える。なにより、切りそろえられた白い髪と朱色の瞳が、異色な雰囲気を醸し出していた。
着物姿の少女は、興味ありげなニヤニヤとした顔で灰音を見る。
足音はしなかった。襖が開いた音もしなかった。彼女は、突然部屋の中へ現れたのだ。
「あ、あなたは……」
「妾は寿々。名医☆寿々さまなのじゃ!!」
「寿々、……ちゃん」
「これ! 妾は二百歳ぞ! ちゃん付けで呼ぶな!」
「え……っと……」
灰音は目をぱちくりさせた。子どもの冗談だろうか?
寿々と名乗った少女は帯に手をあて、堂々とした態度で言った。
「そなた、妾のおかげで助かったのじゃぞ! まぁ、まだ痛むじゃろうが……。あとは意識が戻ってから仕上げじゃと思うておったからの!」
「……え、えっと……?」
「そなたのことは主さまに頼まれておる! 早速診せてみよ!」
「きゃっ!?」
寿々の腕が伸びてきて、灰音は勢いよく着物の袖をめくられる。
「な、なにを……っ!?」
「ふむふむ。なるほどのぅ……。今はこのくらいか」
「ひっ……!?」
灰音の腕には、黒い痣がびっしりとついていた。
(なにこれ……。昨日までなかったのに……)
灰音ははっとして、もう片方の腕で着物の中を覗く。黒い痣は、全身に広がっていた。
「これ……。体全部……?」
その不気味さに、灰音はぞっとする。
しかし、寿々は明るい声で言った。
「大丈夫なのじゃ!」
「えっ、でも……」
「これしきのこと、なんてことはないのじゃ!」
言い切った寿々の顔を見る。彼女は笑顔から真剣な顔になると、灰音の腕を再びまじまじと見た。
寿々の手の平に、ぽわんと光の玉が現れる。それを持った寿々は、その玉を灰音の腕に近づけた。それから腕の上で、ボールのようにぽんぽんと跳ねさせ始めたのだ。
そして、寿々はこう唱えた。
「てんてんてんまり、命が弾む。屋根まで飛んで、お日様に当たれ。『手毬唄・昇天再生』ッ」
光の玉が一際大きく光り、灰音は思わず目をつぶった。
やがて光が収束し、薄目を開けると、
「……消えてる……」
驚いたことに、灰音の腕にあった黒い痣は消え去っていた。
思わず、寿々の顔を見る。
「寿々ちゃん……あなたは……」
「だから言ったじゃろう? 妾は名医なのじゃ! ほれ、脱いでみるのじゃ! 妾が全身治してやろう!」
そう言って寿々は、ニッと歯を見せて笑った。
灰音の全身の痣がすっかり消えてなくなった頃、襖の向こうから声が掛かった。
「寿々、様子はどうだ?」
「おーっ! 主さま! 遅いのじゃ! 今しがた終わったところじゃ。ほれ、そなた早う着物を整えるのじゃっ」
「しょ、少々お待ちを……!」
寿々に急かされ着物を着直すと、灰音は「大丈夫です」と返事をした。
そうして襖がゆっくりと開いて、斎が部屋へ入ってきた。
彼は灰音を見ると、顔を逸らして息をはいた。
「よかった。倒れていたから驚いた」
「ご心配おかけしました……」
「まったくだ」
言いながら斎はこちらに近づくと、空いていた座布団に座った。
「もうなんともないのか?」
「はい。……たぶん」
灰音は頷いた。体の痛みも、頭の痛みもない。
「妾が名医すぎるからのぅ! 黒い痣がでとったが、ちょちょいのちょいで治してやったのじゃ。後遺症は残らんじゃろう」
寿々は、斎の周りをちょろちょろとせわしなく動いている。その動きに、つい目がいってしまう。
斎は、まとわりつく寿々を制して言った。
「これは俺の式神の座敷童だ。名を寿々という」
「座敷童……ですか」
灰音は再び寿々を見た。風貌は現実離れしているが、行動や仕草はまるで本当の人間の子どものようだ。それに、会話も出来るのだ。父や紅葉の使役する式神とはまったく違う。
「このような式神は、初めて見ました……」
もちろん、「かわいい」という意味で言ったのだが、
「そうじゃろうそうじゃろう! 妾は優秀な名医じゃからのぅ!」
寿々は満足げに頷いた。
斎が補足をする。
「こいつは妖怪相手の怪我や呪いの対処を知っている。……それ以外は専門外だ」
「それ以外は絆創膏を貼ってやるのじゃ!」
本気なのか冗談なのか、わからない。
「あの、治療していただきありがとうございました、寿々ちゃん」
「だから寿々さまと……まぁいいかのぅ。しかし、少し気になるのぅ」
寿々は動きを止めると、こちらを向いた。
「あれは呪いじゃ。妖怪の力を呪具でまぜこぜにしてあった。……命に別状はなかったじゃろうが、妾がいなければそなたは三日三晩は苦しんだであろうな。術者に心当たりはないのかや?」
「え……?」
「人為的な呪いだったかもしれない、ということだ」
「わ、わかりません……」
「ふん……」
寿々は鼻を鳴らした。
「これだから祓い屋の家は面倒じゃのぅ」
「寿々。ご苦労だった」
斎が声をかけると、
「妾は疲れたのじゃ~」
寿々は畳の上をごろごろと転がっていった。
(さっきまでの痛みが、人為的な呪い……? まさか……そんなことあるわけ……。…………。)
灰音は、自分の家族を思い出す。ないとは言い切れないのが、歯痒かった。
* * *
同じ頃、甘露桜家では紅葉が入浴しているところだった。
「ふんふふ~ん♪ ふ~ん♪ あーいい気持ちっ♪ 術式も上手くいったかしらねぇ。式神たちは相変わらずキモいけどっ! 私も上達してきて、いよいよ次期当主らしくなってきたわねぇ♪」
上機嫌で湯船に浸かりながら、足を伸ばす。
その時だった。
「ぎゃっ!? 痛ったぁ~っ!! なにっ!?」
紅葉は大声を出し、しぶきをあげながら立ち上がる。
突然、全身に激痛が走ったのだ。
真っ先に目に入ったのは、黒い痣の現れた腕だった。
「は……はぁっ!? なによ、これ……っ!!」
痣のでた場所は、捻れ切れるかのような痛みだ。しかも、みるみるうちに全身に広がっていく。
――呪い返しが起こったのだ。
寿々にその気はなかったが、灰音にかけられた呪いを吹き飛ばしたことで、本来は天に還って浄化されるはずが、術者――紅葉に返ってきたのだ。紅葉の術が完全ではなかったことも理由のひとつだ。
呪いが返ってきたのは初めてで、紅葉はこれが呪い返しだとは気がつかない。それどころか、自分が姉にどんな呪いを掛けたのかも把握していないのだ。だから、この痣が自分の術だとも気がつかない。
「い、意味わかんないッ! なんなのよこれ……ッ!! キモいッ! キモいキモいキモいッ!!」
なんとか風呂を脱した紅葉は父と第二夫人を呼んだが、彼らには痣は見えないという。父は医者を呼んだが、人間の医者にはなにも見えなかった。
「なんでよっ! みっ、みっ、見えるでしょぉぉおおぉおぉっ!?」
「ストレスではないかと……精神の落ち着くお薬を出しておきます」
「はっ、はぁあぁぁああぁああっ!?」
紅葉が暴れたことで、医者の言うことはよりもっともらしくなった。
術者であったから紅葉には多少耐性があったのか――灰音のように気絶することがなかったため、このあと紅葉は三日三晩、自業自得で苦しんだのだった。
布団の中で、紅葉は唇を噛む。
「あぁ、お姉さまがいれば、一日中全身マッサージさせるのに……! 体中が痺れて仕方ないわぁ……! こんな時にいないなんて、なんて役立たずなのぉ……?」
それは、完全に逆恨みで。
「許せないわぁ……。私がこんなに苦しいのに、今頃お姉さまは、あの斎さまと新婚生活を始めてるんだわぁ……。許せない、許せない、許せない……」
呪詛のように、ブツブツとつぶやく。
「幸せになるのは、私の方でなくちゃいけないのよぉ……!」
天井を見上げながら、紅葉は腹にたまる怒りを煮詰めていった。
* * *



