無能令嬢と祓い屋当主の契約結婚~契約で結ばれたわたしたちが、本当の夫婦になるまで~

 灰音が契約を交わすより少し前、妹の紅葉(もみじ)は甘露桜家の父の部屋にいた。
 悲壮感を演じながら、父に今日のことを話す。

「それでねぇっ! お父さまっ! 私、命からがら逃げてきたのよぉっ! 本っ当~に怖かったわぁ~! お姉さまがどんくさくて捕まってしまって、私は助けようとしたんだけど自分を守るのに精一杯で難しくって! あぁ、許してちょうだい!」
「ああ。紅葉、お前だけでも無事でよかった。灰音のことは……仕方ない。妖怪に襲われたんだ。祓う力のない無能でなければ、こんなことにはならなかったんだ」

 そう言って父は紅葉の頭を撫でた。
 買い物から戻った紅葉は、父の帰宅を待って、がしゃどくろとの遭遇がいかに大変だったか――姉を失っても仕方なかったか――を話していた。
 紅葉は泣き真似をしながら父に抱きつき、にやりと笑みを浮かべる。
 もちろん、自分の過失――式神や封印壺を持ち歩いていなかったことは、話していない。

(お父さまもちょろいわね~。これで私はお咎めなしってわけ! あぁ、お姉さまは貴い犠牲になったんだわ! でも甘露桜家の次期当主である私が生き残ったんだもの、そういう宿命だと思って成仏してちょうだい!)

 そこへ、部屋の外から使用人の声がした。

「旦那さま。鳳凰寺家からお電話です」
「なに? 鳳凰寺家だと? 入れ」

(鳳凰寺家?)

 紅葉は、御三家のことを思い出す。パーティーなどでいつも上座にいる、キラキラした人たちだ。付き人も多く、いつもぞろぞろと大人数で歩いている印象だ。

(御三家のお偉いさんが、ウチに何の用なわけ?)

 使用人が部屋に入ると、父は尋ねた。

「緊急の仕事の依頼か?」
「いえ。なんでも灰音さまが、あちらの邸宅におられるとのことで……」

(はぁ? お姉さまが?)

「灰音が? 生きているのか?」
「はい。報賽通りの妖怪は鳳凰寺家が祓ったそうで、灰音さまは助かったようです。今はあちらの邸宅でお医者さまに診ていただいているそうで……。今夜はお泊まりになるそうです」
「そうか。わかった。報告ご苦労」

 父が合図をすると、使用人は退室する。
 あとには、考え事をする父と眉をひそめる紅葉だけが残った。

「……お姉さま、生きてたのね。……良かったぁ」

 紅葉は乾いた声でそう口にした。

(なんて悪運の強い……。よりによって上級位の祓い屋に助けてもらえるなんて、運がいいわね。あんなの、上級位じゃなければ誰だって無理だったはず……)

 それから、紅葉は少し考えて、表情を明るくした。

(でも、じゃあ()()()()()ってことだわ! お姉さまが帰ってくるんだわ! あーよかった。お姉さまにはこれからも、私の実験台になってもらわなくちゃね!)
「うふふ。お姉さまが帰ってくるのが楽しみだわぁ……♪」

 紅葉は笑みを浮かべて、父の部屋を後にした。


         *     *     *                


 朝日が、障子越しに部屋に差し込んでいる。
 灰音は目を覚ますと、ゆっくりと体を起こした。ぼんやりした頭で布団を触ると、ふわふわして柔らかい。

(……布団ってもっと硬くなかったかしら? それに、なんだかいい匂い……)

 部屋には置き時計があり、時刻は朝の八時過ぎを指している。いつもよりずいぶん遅く起きてしまった。朝の仕事を思い出し、布団から急いで飛び出しかけたところで、動きを止める。ここは、甘露桜家ではないのだ。

(そっか。わたし、昨日鳳凰寺家に泊まって……)

 段々、思い出してきた。泊まるどころか、契約上の妻になったのだ。
 とにかく身支度をしようと思い、灰音は立ち上がった。
 衣桁に掛けてある着物に近づいて、眺める。鮮やかで美しい柄だ。隣の桐箪笥をあけると、肌襦袢や腰紐なども揃っていた。
 そこへ、廊下から小声で呼びかける声が聞こえた。

「おはようございます、灰音さま」
「吉江さん?」
「起きられましたか」

 襖が開いて、吉江が入ってきた。後で聞けば、朝からこうやって何度か様子を見に来てくれていたらしい。
 吉江は、灰音が自分ひとりで着替えようとしていることに驚いた様子だった。

「まあ! 私どもがお手伝いいたしますので……!」
「いえ、いつも自分でやってますので……」
「そういうわけにはまいりません! これからは奥さまなんですから……!」
「えっ……」

 吉江は「ふふ」と笑うと、

「当主さまが今朝申しておりました。昨夜で意気投合なさったとか。私たちも嬉しく思います」
「えぇと……はい……」

 灰音は笑みを作った。そういうことになっているのか。
 吉江が廊下に向かって声を掛けると、すぐに他の使用人たちがやってきた。
 彼女らは丁寧に灰音を着付け出す。三人がかりなので、あっという間に帯締めまでが終わった。
 灰音はいつもひとりで着ているため、このような扱いは初めてだ。

「ありがとうございます」
「とんでもございません」

 使用人たちはそう言うと、にこにこと微笑んだ。
 その間に別の使用人が、朝食を乗せたお盆を持って入ってきた。小鉢四つに茶碗蒸し、それからご飯に味噌汁と焼き魚という豪勢ぶりだ。

「こ、こんなに……! よろしいのですか?」
「当主さまが、ご自分のと同様のものをお客さまにも用意するように、と仰りまして」

(斎さまが……)

 灰音はこのような豪華な朝食――もとい食事を見たことがない。家では第二夫人と紅葉が優遇され、灰音とその母は粥のようなものばかりだった。母が亡くなってからは、言わずもがなである。使用人室で余りの食材をもらうだけだった日も多い。
 お櫃からよそわれたご飯からは、湯気が昇っている。このような温かな食事は、一体いつぶりだろう……。

(嬉しい……)

 茶碗を持った灰音は、その温かさを感じながら箸を運ぶ。お米から甘い味がして、ああ、温かいと味が違うのだなぁと噛みしめた。
 やがて朝食を食べ終わり、吉江にお茶を注いでもらっている時だった。

「灰音。入ってもいいか?」

 襖の向こうからするのは、斎の声だ。

「も、もちろんです……!」

 灰音が返事をすると、襖が開いて斎が顔を出した。昨日の日中と同様の黒い詰め襟に身を包んで、腰に刀を下げている。
 斎は襖に手を掛けたまま、話し出した。

「昨夜は問題なかったか?」
「はい。おかげさまで……。ありがとうございます」
「そうか。朝食は終わったか?」
「今いただいたところです。ありがとうございました」
「では、これからお前の家へ向かうぞ。結婚の許しをもらわなければな」
「あ……。そう、ですね」

(勝手に結婚を決めて、お父さまになにを言われるかしら……)

 父の顔が頭に浮かぶ。
 ――怒る? 怒らない? わからない……。

「どうした?」
「……いえ。少し……考え事をしていました。気にしないでください。どうかよろしくお願いします……」
「大丈夫だ。良いようにしよう。俺に任せておけ」
「はい……」

 彼の自信ありげな表情に励まされる気持ちで、灰音は立ち上がった。