クラスのド陰キャで「うさぎ係」の俺は、瀬ヶ崎くんからの告白フラグを折りまくっています。


 制服も衣替えの時期を迎え、教室内は一気に夏モードへと突入した。
 クラスの大半が眩しい半袖シャツに切り替わり、夏の太陽を擬人化したようなリア充集団が「半袖の袖口をわざと捲る」という、高度すぎて俺には理解不能なオシャレ文化を流行らせ始めている。学年の男女がこぞってそのスタイルに染まる中、俺だけは薄手のネイビーのカーディガンを頑なに脱げずにいた。

 正直、暑い。しかも、教室内を埋め尽くす白シャツの波の中で、ひとりだけ紺色を着込んでいる俺は、完全に「全詰みしたオセロの四隅に居座る黒石」状態だ。無駄に悪目立ちしている自覚はある。
 脱げない理由は、細すぎる生身の腕を晒すのが恥ずかしいのと、日に焼けると肌がヒリヒリ痛む「もやしっ子仕様」な自分の体質が恨めしいからなのだけれど。
 瀬ヶ崎くんといつも通り、うさぎ係の昼任務を完遂し、他愛もない会話をしながら教室に戻ってきた、その時だった。

「恭平、どこ行ってたん?」

 瀬ヶ崎くんを主星として回る、眩い銀河系グループのひとりがこちらを見つけて声をかけてくる。
 俺はと言えば、「お邪魔虫は速やかに退散!」とばかりに己の存在を希釈し、影のように自席へと滑り込もうとした。
 しかし、その背中に向かって、教室内を焼き尽くさんばかりの核弾頭レベルの質問が投げつけられた。

「なぁ、植草。お前と恭平って、もしかしてマジで付き合ってんの?」

 誰かが慌てて口を抑えて吹き出す音。それに続く「ちょっとやめてあげなよ~」という女子たちの、面白がっていることが透けて見える含み笑いが、棘のように耳に刺さった。なんなら、その一角以外の教室の端々から、こちらのやりとりを伺うような視線が突き刺さっている。
 一軍の王たる瀬ヶ崎くんが、俺のようなド陰キャマスクと並んで歩いているだけで、彼のブランド価値には深刻なデフレが発生している。その事実は、他ならぬ原因を作った俺自身が、一番残酷に理解していた。

「いっつも昼休みどっか行くじゃん。二人っきりで」
「最近、俺らが放課後の遊びに誘っても断るし。お前、恭平とどういう関係なん?」

 心臓の鼓動が早鐘を打つ。俺はてっきり、瀬ヶ崎くんが「付き合ってるわけねーだろ、勘弁してくれよ」と冗談めかして否定し、俺をいつもの安全な日陰に追い返してくれるのを期待していた。それが彼という光のブランドを守る唯一の回答であり、俺というカースト最下位の人間が生存していく戦略のはずだったからだ。
 けれど、俺のシミュレーションは、瀬ケ崎くんが放った剥き出しの敵意によって無惨に瓦解した。

「……だったら何だよ。それの何がそんなに面白いわけ?」

 瀬ヶ崎くんの、低く、地を這うような冷徹な声。
 一瞬にして、教室内を支配していた常夏の陽気なオーラが急転直下、マイナス四十度の絶対零度へと叩き落とされる。

「え、ガチ? ……あ、いや、ただのノリじゃん、恭平、怒んなって……」

「ノリだと思ってんなら、お前のその感性、今すぐ叩き直した方がいいと思うけど。言ってる側は楽しくても、言われた植草がどんな顔してるか見えてねーのな。 ――節穴かよ」

 瀬ヶ崎くんが椅子を蹴るような勢いで詰め寄る。その眼光は、仲間内への配慮など微塵も感じさせないほど鋭く、本気で怒っているのだと誰が見ても分かるほどに殺気立っていた。

「昼休みも放課後も、俺が植草と一緒にいたくて、委員会の仕事してんの。遊びの誘いを断ってんのも、俺の意志。……俺に直接言えないからって、植草を的にして茶化すな。次も同じこと言ったら、マジで許さねーからな」

 さっきまで調子に乗っていた男子たちが、文字通り蛇に睨まれた蛙のように凍りつく。その周りにいた女子達も、口をつくんだまま居心地が悪そうにお互いの顔を見合っている。

「恭平、ごめん……マジで、ちょっとやりすぎた」

 空気を取り繕うような乾いた謝罪が飛ぶものの、瀬ヶ崎くんは彼らを見向きもしない。無言で、謝る相手が違うということを示すかのように。
 そんな意図を汲んでか、彼らは俺の前に来ると、ちょっと気まずそうに手を合わせて謝罪のポーズをとり、ぺこぺこと俺に向かって頭を下げた。

「植草、ゴメン。俺らは、その、珍しい組み合わせなのが……気になって、ちょっと聞きたかっただけで」

「あ……いえ、大丈夫です。あの、すみませんでした、委員会の仕事で、瀬ケ崎くんを拘束してしまって……」

 俺を守るために、彼は積み上げてきた「一軍の平穏」を自ら粉砕してみせたのだ。そのあまりの熱量に、俺はただ呼吸を忘れて、彼の背中を見つめることしかできなかった。

「お前ら、何してんだー。席につけ、もう本鈴鳴ってるぞ」

 授業が始まって号令がかかる直前、瀬ケ崎くんをもう一度見やる。けれど、彼はツンと窓の外を見据え、頑なにそっぽを向いたまま。
 怒りに満ちたその横顔は、周囲を拒絶しているようでいて、その実、触れれば壊れてしまいそうなほど、深く傷ついているようにも見えた。





 ――さて、どうしたものか。

 瀬ヶ崎くんが帰りのホームルームまでご機嫌斜めなのは、クラス中の誰がどう見ても明白だった。

 彼から発せられる絶対零度のオーラを避けるように、クラスメイトたちが『じゃあなー!』と引きつった笑顔で次々と教室を脱出していく。
 静まり返った教室で、二人きり。俺はリュックを背負い、瀬ヶ崎くんの机の前まで進み出ると、脳内会議で可決された「今一番ベストだと思われる提案」を口にした。

「あの……瀬ヶ崎くん。これからは、それぞれのタイミングで委員会の仕事をしませんか?」

「……は? え、なに。陽彩、さっきの気にしてんの?」

 気にして凍りついていたのは、どちらかというと、俺より瀬ヶ崎くんの方だと思う。
 けれど、それを指摘するのは火に油を注ぐというか、彼のプライドを傷つけてしまう気がして、俺は必死に頷いた。

「ほら、あの……別にバラバラに飼育室に行っても、作業内容に支障はないですし! シフトを組んで、完全分業制にするとか……」

「……なんで? 陽彩は俺と一緒に仕事したくないってこと?」

「そういう訳じゃないんです! ただ俺は、瀬ヶ崎くんがこれ以上、嫌な思いをするのを避けたいだけで!」

「嫌な思いをしてんのは、俺じゃなくて陽彩なんじゃねぇの?」

 なんとか納得してもらえそうな、平和的な解決策を探して言葉を紡ぐ。

「いや……そもそも、一緒にいるのが変なのかなって。だって、俺と瀬ヶ崎くんって、同じ教室にいても棲む世界が違うっていうか。生態系的に、並んで歩くのが不自然だから、きっと彼らもあんな風に――」

 そこまで言いかけた時だった。
 ガタッ、と椅子が悲鳴を上げるような激しい音を立て、瀬ヶ崎くんが勢いよく立ち上がった。一歩、逃げ場を奪うように距離を詰められ、俺は喉を鳴らして息を呑む。

「確かにお前みたいな、兎に一人で話しかけるような奴、俺の周りには一人もいねぇよ。……でもさ。なんで、そうやっていつも壁ばっか作んの?」

 瀬ヶ崎くんの瞳が、至近距離で俺の心臓の奥まで掴んで離さない。
 にじり寄る体の圧に押され、背中が冷たい壁に当たった瞬間――。

「陽彩」

 鼓膜を震わせる強い音とともに、顔のすぐ横に大きな手が叩きつけられた。逃げ道は完全に遮断され、視界は彼の広い肩と、射抜くような鋭い眼光で埋め尽くされる。

「俺の居場所は、俺が決める。……外野に決められるのも、お前に勝手に線を引かれるのも、死ぬほど嫌だから」

 静かな、けれど触れれば火傷しそうなほど熱を帯びた、拒絶を許さない声だった。
 俺のような臆病な草食動物が、肉食動物の闊歩するジャングルで生き残るための絶対的な防衛本能。それこそが、安全な距離を保つ『棲み分け』だった。

 うさぎのように常に周囲を警戒し、物音がすれば瞬時に巣穴へ逃げ込む。それが俺の唯一の生存戦略だったはずなのに。
 今、目の前の瀬ケ崎くんは、俺が必死に隠れていた巣穴を素手でこじ開け、あろうことか中に上がり込もうとしている。

 これでは、自分を守るために磨き続けてきた「逃げ足」が、もう使い物にならなくなってしまう。
 俺の地味で安全な人生設計が、瀬ヶ崎くんの一言で修復不可能なほどに……そして、怖いくらい幸せな方向へ狂わされていっている。

「……分かったなら、さっさと飼育室行くぞ」

「あ……は、はいっ……!」

 ちょっとぶっきらぼうな言い方。ずんずんと前を歩いていく瀬ヶ崎くんの背中を追うのに、俺の短い足は必死だ。
 ポケットに両手を突っ込んで闊歩するその後ろ姿には、まだ「俺は絶賛、拗ねてますよ」というオーラが滲み出ていて、普段の完璧な王子様とは違う、どこか人間味のある空気を纏っている。

 俺たちは、どこかぎこちなさの残るやり取りを交わしながら、いつも通り無心で掃除をし、エサを補充した。

「……瀬ヶ崎くん。…………瀬ヶ崎くん」

 瀬ヶ崎くんが飼育日誌を書いてくれている。その横顔に向かって小声で呼びかけるのだけれど、まったく返事がない。無視、というよりかは、苛立ちのあまり、必死に自分の機嫌を取ろうと考え込んでいるように見える。

(このままでは、俺の存在が彼の認識から完全にデリートされ、放課後の背景の一部として固定化されてしまうのでは……?)

 何度目かの呼びかけを諦め、いっそこのまま透明人間としてこの時間を終えようかという絶望が脳裏をよぎった時。
 俺はふと、窮鼠(きゅうそ)が猫を噛むような心持ちで、禁断のドッキリ大作戦を実行してみることにした。

「……恭平(きょうへい)くん」

 その瞬間、瀬ヶ崎くんが「信じられないものを聞いた」という顔でこちらを振り向いた。

「え……っ、な、なに? 今、俺のこと呼び捨てに――」

 良かった。作戦は大勝利を収めた。瀬ヶ崎くんの耳が、俺のじいちゃんよりも遠くなってしまったのかと本気で心配したけれど。
 俺は『シー』と人差し指を手てて、自分の膝の上を誇らしげに指差し、小声で言った。

「黒丸が、寝ちゃいました。見てください、すっごく可愛くないですか……?」

 俺が制服のスラックスの上にブランケットを敷き、優しく撫でているうちに、黒丸はスピスピと幸せそうな寝息を立て始めたのだ。
 動けない。重い。けれど、この腿の上に乗る命の重みに思わず目を細めていると、瀬ヶ崎くんは日誌を閉じて、俺のすぐ隣に座り直した。

「……寝心地よさそうだな。羨ましいわ、俺もそこで寝たい」

 膝の上の黒丸を見つめる瀬ヶ崎くんの瞳が、少しだけ熱を帯びて細められる。俺はハッとして、彼のコンディションに関する重要事項を頭から呼び出した。

「あっ……そういえば、瀬ヶ崎くんは深刻な睡眠障害を抱えていましたもんね。最近の入眠状況はどうですか? 以前お送りした、睡眠導入の読み聞かせは……」

「いや、それお前が勝手に言い出した奴な。抱えてねーから。……陽彩が送ってくれた『読み聞かせ』は聞いたよ。まさかの対象年齢三歳以下の、ガチな幼児向け絵本だったけどな」

 そう。あの後、俺が生物学的・心理学的なリラックス効果を考慮し、厳選の末に選んだのは『いいこでねんね』という、俺の弟が百発百中で深い眠りへと落ちる魔力を持った伝説の読み聞かせ絵本だ。
 どうやらお気に召して頂けたようで、かつて『もっと聴いていたい』と言われた音声の提供者として、これ以上の喜びはない。

「もし、仮眠を取りたければどうぞ! 椅子でも、なんならこの床の上でも。俺が責任を持って、下校時刻までには覚醒させますので!」

「……いや、俺が寝たい場所は、椅子でも、硬い床でもねーんだけどさ……」

 瀬ヶ崎くんは、低く重い溜息を吐き出し、ポケットからスマホを取り出すと、小さなシャッター音を響かせた。
 俺がその音に驚いて顔を上げると、さらにもう一枚、カシャリと追加撮影される。

「えっ、もっと黒丸をアップで映した方が映えるんじゃないですか?」

「いや。これでいい」

 画面を確認する彼の表情が、さっきより少しだけ綻んで見えた。どうやら、ご機嫌ななめだった「王子」は、おねんねうさぎによって無事に帰還されたらしい。
 ほっと胸を撫で下ろしていたのも束の間。瀬ヶ崎くんはスマホを片手に持ったまま、俺との距離をさらに詰めて言った。

「なぁ。今度の日曜って、ヒマ?」

「えっ……瀬ヶ崎くん、ヒマに決まってるじゃないですか。万年帰宅部、ボッチ歴=年齢、趣味は『ミカンの維管束(いかんそく)と実の数を数えること』な俺ですよ? どこに予定が詰まる要素があるとお思いで……?」

 全力で俺の空白のスケジュールをプレゼンした俺に、瀬ヶ崎くんはなぜか少し黙り込み、一度だけ唇をぎゅっと噛んでから、意を決したように言った。

「陽彩と……また、デートしたいんだけど。どうすか」

 どうすかもこうすかも、あるだろうか。
 瀬ヶ崎くんが、俺という人間に、あろうことか二度目のデートを申し込むなんて。
 信じられないという気持ちのまま沈黙してしまい、黒丸を撫でる俺の手はピタリと止まった。瀬ヶ崎くんも、それ以上は何も言わない。

 飼育室の外からは、放課後の吹奏楽部が奏でる不揃いなメロディと、運動部のランニングの掛け声が遠く響いてくる。世界はこんなに騒がしいのに、この狭い飼育室の中だけ、時が止まったみたいに静かだ。

「……今日、絶対誘うって決めてた。なのにお前に別々に仕事しようとか言われるしさ……」

 トクン、トクンと自分の胸の音が、膝の上で眠る黒丸にまで振動で伝わって、起こしてしまうんじゃないかと本気で心配になる。
 俺は、マスクの下で猛烈な熱を放っている顔を、さらに深く俯かせて隠すのに必死だった。

「……そ、それはつまり、絶滅危惧種の陰キャを救済するためのボランティアか何かですよね?」

「違う。確かに陽彩は『珍獣』だけど。その他に、現実逃避できそうな屁理屈があるなら、一応聞くから言ってみろ。全否定するぞ」

 瀬ヶ崎くんがわずかに眉をひそめる。けれど今の俺には、そうやって「これはあくまで慈善事業であって、決して浮かれたデートではない」という強力な言い訳を自分に言い聞かせないと、今にも口から飛び出しそうなこの心臓を抑えつけることができないのだ。

「分かりました」

 右手で自らの左胸を圧迫し、暴走する拍動をねじ伏せるようにして返事をした。
 嬉しい、という感情以上に――俺を誘う瀬ヶ崎くんの喉仏が、緊張をはらんで上下するのを視界の端に捉えてしまったから。

(……この人は、俺と同じように、あるいは俺以上に。この一歩を踏み出すのに、膨大な熱量を消費してくれたんだ)

 みるみるうちに、頬を淡く染める瀬ケ崎くん。そんな露骨に嬉しそうな顔をしないでほしい、俺はもう一杯いっぱいだというのに。

「……あ、あの、もし当日、俺がパニックで挙動不審の限界突破をしても、通報だけは……通報だけはしないでくださいね……! 俺、これでも必死に人間らしく振る舞うつもりですので……!」

 必死すぎる形相で、まるで戦場に赴く兵士のように宣言する。そんな俺を、瀬ヶ崎くんは呆れたように、でも少しだけ満足そうに、柔らかい溜息をついて見つめ返してきた。

「やった。日曜日、楽しみにしてる」

 そう言った彼の瞳が、黄金色の西日に透けて、宝物を見つめるように優しく細められたのを俺は見逃さなかった。

 家族以外の人間から、これほど体温を感じる視線を向けられるなんて、これまでの俺の人生には一度も存在しなかった現象だ。
 ぎぎぎ、と錆びついた機械のような音が出そうなほど不自然に目を逸らす。嘘をつくのも誤魔化すのも絶望的に下手な俺の挙動は、瀬ヶ崎くんの目にはさぞ滑稽に映っていることだろう。けれど、そう分かっていても、直視すれば心臓が内側から破裂してしまいそうだった。

 瀬ヶ崎くんは当たり前のように「デート」なんて呼ぶけれど、俺はそもそも、友達と休日に遊ぶことすら高校に入ってから初めての経験なのだ。

 二人で肩をくっつけ合うようにして、彼のスマホを一緒に覗き込みながら、「どこに行きたい?」という名の甘い尋問を受け続ける。彼の吐息が耳をかすめるたびに、俺の心拍数はマッハの壁を軽々と超え、制御不能な領域へと突入していく。
 時折、膝の上で喉を鳴らす黒丸を二人で撫でる。その瞬間、偶然触れ合った指先の熱が、まるでお互いの境界線を溶かすような錯覚に陥った。

「せっかく行くなら、陽彩が喜んでくれる場所に行きたい」
 
 俺たちは吹奏楽部の練習が終わって校舎が静寂に包まれるまで、隣に寄り添いながら行く先を話し合った。
 日曜日。カレンダーのその一マスだけが、まるで自ら発光しているかのように眩しい。

 瀬ヶ崎くんと過ごす時間は、俺がずっと抱えてきた「ドーナツの穴」に、名前も知らない色鮮やかな感情の光を注ぎ込んでくる。

 胸の奥が騒がしくて、少し苦しくて。
 でもたまらなく、温かかった。