クラスのド陰キャで「うさぎ係」の俺は、瀬ヶ崎くんからの告白フラグを折りまくっています。

 
 近隣の幼稚園での『ふれあい体験』当日。決戦の朝が来た。

 いつも通りの時間に登校した俺は、廊下側最後尾の自席に収まり、穴が開くほど配布プリントを読み込んでいた。正確には、それを顔面をガードする遮蔽物として使い、迫りくる本番への緊張と必死に戦っていたのだ。

(まずは自己紹介。続いてウサギの生態について三項目で説明。ふれあいは二列並列で進行、十一時三十分には完全撤収――)

 脳内のシミュレーターで全工程を反復し、失敗の芽を一つずつ摘み取っていく。
 幼少期から「負け」や「失態」を極端に嫌い、予期せぬイレギュラーへの耐性が皆無な俺にとって、不安とは際限なく増殖する最悪のバグだ。それを解消するには、もはや過剰とも言える徹底的な事前準備を構築する以外に道はない。

 するとその時、教室の前扉がガラリと威勢よく開いた。

「あ、瀬ヶ崎きたー!」

「おっそーい! 待ちくたびれたんだけど!」

 窓際に陣取る陽キャグループが、待ちわびた主役の登場に一斉に沸き立つ。
 瀬ヶ崎くんは『おう』と短く応えて軽く手を挙げたが、一軍の輪へと合流するより先に、あろうことか一直線に、迷いのない足取りで俺の元へと進軍してくるではないか。
 そして、トントンと優しく肩を叩いて言った。

「植草、おはよ。これ、内職の成果」

 そう言って、彼は俺の机にクリアファイルを置く。
 朝一番の太陽より眩しい笑顔を真正面から浴びてしまい、俺の喉からは「おはよう」と言いたかったはずの残骸が『おひゃ……』という頼りない鳴き声となって漏れ出した。

 受け取ったファイルの中を覗いて、俺は戦慄した。
 そこには、俺が生み出したクリーチャーうさぎの数千倍は可愛いつぶらな瞳を持つ、完璧なウサギたちが整列していた。
 何個かには、ハートマークや星が耳の付け根に書き加えられている。遊び心と女子力の高さ。

(さすが瀬ヶ崎くん、なんて恐ろしい男なんだ……!)

 彼のセンスには、もはや脱帽を通り越して五体投地(ごたいとうち)したい気分だ。

「えー、瀬ヶ崎、何それ? 折り紙ってどういうこと? お前そんなキャラだっけ?」

 窓際からケラケラと冷やかしの声が飛ぶ。
 けれど、瀬ヶ崎くんは『お前らには関係ねぇだろ』と、まるで宝物を自慢する子供のような明るさでそれをかわすと、颯爽と自分の席へ向かった。

 今日の午前中の授業が終われば、公欠扱いで俺は瀬ヶ崎くんと幼稚園に向かう。二人きりの、課外ミッション。

 朝のホームルームの先生の声も、どこか遠い国の呪文のようにしか聞こえない。
 俺はそわそわしながら、クリアファイルに透けて見える可愛いウサギと、自分の絶望的な美術センスで仕上げた邪神のようなウサギを見比べ、静かに遠い目をした。


 ◇


「うわぁ~! 本物だぁ!」

「かわいい~っ!!」

 教室のドアを開けた瞬間、鼓膜が震えるほどの歓声が上がった。
 俺の心臓は、さっきからキャリーの中で鼻をヒクつかせている黒丸に負けないくらいバクバクと暴れている。
 瀬ヶ崎くんと俺はお昼ご飯を軽めに済ませ、飼育委員の担当の先生の車に乗って、相棒の黒丸と共に幼稚園を訪れていた。

 入るなり、ちびっこたちによる『見せてみせて』という超音波のような声に揉まれる俺と黒丸。
 その横で、瀬ヶ崎くんは先生と一緒に、折り畳み式のソフトサークルをテキパキと組み立ててくれている。その無駄のない動きは、もはやプロの設営スタッフのようだ。

 まずは園児たちの、こちらが圧倒されるほど元気な朝の挨拶。俺と瀬ヶ崎くんはそれを正面から全身に浴びて、圧倒されつつも自己紹介を終えた。
 続いて、瀬ヶ崎くんが黒丸の紹介をしようと一歩前に出た、その時だった。

「かっこいー! 絵本に出てくる王子様みたい!」

「おにいさんは、どこの国の王子様ですかぁー?」

 男の子も女の子も、首が痛くなりそうなほどの鋭角で瀬ヶ崎くんを見上げ、その瞳には文字通りキラキラとした星が宿っている。
 わかる。わかるぞ、未来を担う子供たちよ。その認識は極めて正しい。彼はこの丸丘高校という名の王土に君臨する、正真正銘の第一王子なんだ。

 引率の先生と俺が、あまりにストレートな質問に思わず吹き出していると、瀬ヶ崎くんは「参ったな」というように困った顔で照れ笑いを見せた。

「それは、内緒だよ」

 そう言って、唇に人差し指を立てる。
 ……出た。全人類を等しく無力化する、シークレット・ポーズだ。

 さすが瀬ヶ崎くん。デキる男。安易に「違うよ」なんて現実を突きつけて、子供たちの美しい夢を粉砕したりはしないらしい。
 女の子たちはもれなく、プリンセスのアニメに登場するヒロインのような惚れ惚れとした表情を浮かべている。……いや。よく見ればもれなく、幼稚園の先生までもが、聖母の微笑みを超えて、一人の乙女のような眼差しを彼に向けていた。

「それでは、ふれあい体験を始めます。さくら組のみなさん、手はお膝に置いて、お兄さんたちに注目しましょう」

 教室がすっかり和んだところで、いよいよ本日のメインイベントだ。
 けれど、興奮を制御できない年少組の皆さんは、椅子の上でピョンピョンと跳ね、今にも黒丸へダイブせんばかりの勢いだ。幼稚園の先生が「静かにしましょうね」と必死に声を掛けても、一度着火した好奇心の導火線はもう止まらない。

「早く触りたい! ナデナデしたい!」
「ねーぇー、静かにしないとダメなんだよ! ちゃんと座ってよぉ!」

 もぐら叩きのように、あちこちで立っては座りを繰り返す子供たち。
 このままでは、臆病な黒丸がパニックを起こしてしまう。俺は意を決して彼らの前に立ち、優しく、けれど真っ直ぐに語りかけた。

「今から、ウサギさんの『魔法の触り方』を教えます。お口はチャックして、目で見て、耳で聞いて……そして、『心』でもお話を聞いてください」

 魔法の呪文でも聞いたかのように、子供たちは一瞬ぽかんとした後、吸い寄せられるように背筋をピンと伸ばし、小さなおててを膝に置いた。
 先ほどまでの大騒ぎが嘘のような静かさが教室を包み込む。

 俺は、黒丸が実はかなりのおじいちゃんであること。大きな音を聞くと心臓がびっくりしてしまうこと。そして、ウサギは声が出せない代わりに、耳の動きや鼻のヒクヒクで一生懸命お話をしているのだということを、噛みしめるように伝えた。
 歳の離れた弟を宥めてきた経験値は伊達じゃない。こういう時の「対・幼児」の対応だけは、そこらの男子高校生よりは遥かに手慣れているという、ささやかな自負が俺の背中を支えていた。

「じゃあ、背の順に並んで触ってみようか」
 
 ふれあい体験が始まると、子供たちは慎重で優しい手つきで、黒丸に触れ始めた。

「わぁ……。ふあふあで、きもちいい……」

 俺の膝の上で、黒丸は安心したように身を委ね、細めた瞳で子供たちを見守っている。代わる代わる、小さな指先が、柔らかな黒い毛並みをそっと撫でていく。
 黒丸の小さな身体から絶えず伝わってくる、トクトクという速く力強い鼓動。それに触れた瞬間、子供たちの顔は、命の温もりに直接触れた驚きと純粋な喜びでパッと綻んでいった。

「ウサギさん、可愛い。すごくあったかいんだね」
「お鼻、ヒクヒクしてる。お目めはあんまりパチパチしないんだねぇ」

 子供たちの素直な感嘆の声を聞きながら、ふと顔を上げると、見守る瀬ヶ崎くんの眼差しも、いつになく穏やかな光を湛えていた。
 その視線が俺のそれと重なった瞬間、胸の奥が再びほわほわと、日だまりのような熱を帯びるのを感じる。

「それでは、次は絵本を読みたいと思います」

 一通り全員が黒丸との対話を終えると、次は瀬ヶ崎くんの出番だ。
 彼がウサギをモチーフにした絵本を広げ、落ち着いた低音で読み聞かせを始めると、子供たちは身を乗り出すような体勢で物語の世界へ食い入った。
 
 読み終えた瞬間に沸き起こった、弾けるような拍手の音。
 それは、俺たちが黒丸と一緒にこの場所へやってきたことが、かけがえのない時間であることを教えてくれているようだった。

「最後に、お兄さんたちから皆にプレゼントがあります。……お家に帰ってから、パパやママに見せて、うさぎのお話をしてあげてね」

 二人で夜な夜な内職した折り紙を、一人ずつ順番にプレゼントする。
 子供たちはさっそく「うさぎさん!」「こっちはハートつき!」と宝物のように掲げて、教室中を駆け回った。

「心があたたまる、素敵なプレゼントまで用意していただいて、本当にありがとうございました」

 園長先生の心からの言葉に、俺と瀬ヶ崎くんは顔を見合わせ、どちらからともなく深く頭を下げた。

 達成感が、弾けるように胸を高鳴らせている。
 俺と瀬ケ崎くんが内職した折り紙が、あんなにも園児たちのお気に入りになるなんて。

 誇らしいような、けれど自分の頑張りを真正面から称賛されることに慣れていない俺は、顔が熱くなるのを必死に堪えていた。

「瀬ヶ崎、植草。今日は本当にお疲れ様。ふたりの説明も分かりやすかったし、あの折り紙、大成功だったな。私も鼻が高いよ」

 担当の先生は、助手席に黒丸の入ったキャリーを丁寧にシートベルトで固定すると、満足げに目を細めた。

「本来なら授業中だから戻らないといけないんだが……特別に、このまま現地解散でいいぞ。大きな仕事を終えたんだ、今日はゆっくり休め。月曜に学校でな!」

 先生の車は午後の光を反射しながら、角の向こうへ消えていった。
 あとに残されたのは、遠くで聞こえる園児たちの賑やかな余韻と、静かな住宅街を吹き抜ける、少し湿り気を帯びた風の音だけ。

 嵐のような狂騒が去ったあとの、不意に訪れた二人きりの空間。俺は、急に意識しすぎてしまった。
 さっきまで「王子様とお供のモブ」として完璧に機能していたはずなのに、委員会の仕事という盾がなくなった瞬間、隣を歩く瀬ヶ崎くんの存在感が、暴力的なまでの密度で迫ってくる。

「……無事に終わって良かったですね」

「だな。お疲れ、大成功じゃん?」

 俺たちは、どちらからともなく駅の方へと歩き出した。
 アスファルトに長く伸びる二人の影。時折、歩調が合うたびに肩が触れそうになり、俺はその度に必死に数センチのパーソナルスペースを死守する。
 瀬ヶ崎くんとこうして肩を並べているなんて、去年までの「モブA」だった俺には、異世界のファンタジーよりも想像しがたい光景だ。

 ふと訪れた、わずかな沈黙。
 何か喋らなきゃ……と俺の脳が不審な動きを始めた矢先、沈黙を破ったのは瀬ヶ崎くんの方だった。

「植草、このあと時間ある?」

「えっ?」

「ちょっと、付き合ってほしいんだけど」

 瀬ヶ崎くんは制服のスラックスに手を突っ込んだまま、俺の反応を伺うように真っ直ぐ見つめてくる。
 いわゆる「ツラ貸せや」的な呼び出しだろうか。

「い、一体、何処にですか? 荷物持ちとか……あるいはサンドバッグ的な何かですか?」

「いや、何でそうなる。放課後デートしよって言ってんの。……意味、わかる?」

 そう言いながら、瀬ヶ崎くんは反対の手で少し照れくさそうに頬を掻き、視線をふいと逸らした。

(えっ……デ、 デ、デート!?)

 瀬ヶ崎くんとは真逆の、日陰の岩の裏でひっそり生きている「湿気た(コケ)」どころか、もはや胞子レベルの自分と、キラキラの権化(ごんげ)たる彼が、デートだなんて。ラブコメの神様が職務放棄している。あるいは、バグのせいで俺のログインしている世界線が狂ったかだ。

(……待てよ。もしかして、そんな俺を白日の下に連れ出すことで、内面のジメジメを根絶しようとする「強制日光浴セラピー」の一環なのかも)

 徳を積むことでユネスコ的な機関から「絶滅危惧種・日陰(ひかげ)陰キャ保護担当官」の称号を授与されようとしている、イケ散らかし男子による超高度なボランティア活動・社会復帰支援コース……?
 だとしたら瀬ヶ崎くん、君という人は……!

「せ、瀬ヶ崎くんの徳が……徳が高すぎて、背後に後光が見えます……っ! そんな手厚い福祉サービス、俺ごときが受給していいんでしょうか! 学生なので、納税もろくにしていませんが!」

「おーい、植草。お前の頭の中で今どんな壮大な会議が起きてるか知らないけど、さっさと行くぞー」

 瀬ヶ崎くんは呆れたように笑うと、俺の手首をひょいっと掴んで引き寄せた。

 繋がれた手首から伝わる体温が、俺の思考回路をさらに焼き切っていく。ボランティアにしては、彼の握る力が少しだけ強くて、熱すぎるような気がした。