クラスのド陰キャで「うさぎ係」の俺は、瀬ヶ崎くんからの告白フラグを折りまくっています。





 高校二年の四月。新しいクラス、新しい座席。 ようやく教室の風景に目が慣れ始めた頃、ホームルームの賑やかな空気のなか、担任の先生がガラガラ声を張り上げた。

「今日は委員会の分担を決めるぞ。希望を考えとけよー」

 はーい、という気の抜けた返事が響く。体育祭実行委員に、文化祭実行委員。そんな陽の光が網膜を焼くようなキラキラした席は、クラスピラミッドの上層に君臨する選ばれし(たみ)の指定席だ。
 カースト中層から下、ましてやその最下位にいる俺――植草陽彩(うえくさひいろ)のような特級の陰キャには、選ぶ権利どころか目を向ける自由さえ許されていない……気がする。いや、たぶんそう。

 黒板の空欄が、次々と眩しい名前で埋まっていく。 ふと、先生のチョークを持つ手が止まった。黒板に書かれたのは「飼育委員」の文字。担任は頭を()きながら、心底面倒くさそうに付け足した。

「えーと、これはアレだ。『うさぎ係』って呼ばれてるヤツだな。一階の飼育室にいるウサギの世話係で、掃除はもちろん、校外活動で幼稚園児とふれあわせる仕事もある。責任持ってやれる奴、いるか?」

 その瞬間。シュン……と教室の温度が3度くらい下がった。
 全員がまるで魔法にかけられたみたいに視線を伏せ、急に机の木目(もくめ)を数え始める。無理もない。この委員会は、昼休みも放課後も高頻度で拘束(こうそく)されることで有名なのだ。「絶対に入りたくない委員会ランキング」があれば、ぶっちぎりで殿堂入りのブラック枠。それが飼育委員だ。
 沈黙が続き、誰かの舌打ちが聞こえた後、しびれを切らした一軍の男子が椅子をガタつかせて声を上げた。

「タイパ悪すぎ。やりてぇ奴、居ねーの?」

 教室全体に「誰か早く生け贄になれよ」という無言のプレッシャーが充満し、まるで酸素が刻一刻と奪われていく密室のような重苦しさが漂う。
 去年も同じような消去法の結果として飼育委員を拝命していた俺は、今年こそはより活動回数の少ない別の委員会に所属し、目立たぬ背景として平穏な一年を過ごしたいと願っていた。

 けれど、この窒息しそうな気まずさを前に、己の希望を貫けるほど俺のメンタルは強固ではない。結局、俺は場の均衡を保つための人柱になることを決意し、諦め半分、救済半分で、顎のあたりまでスッと手を挙げた。

 ――そして、その微かな挙動を見逃さないのが、一軍という名の「捕食者」たちが誇る驚異的な視力だった。

「あ、植草(うえくさ)が手ぇ上げてまーす!」

 (はや)し立てるような声。担任がハッとしたようにこちらを向く。

「ああ、ごめん気づかなかった。植草、そういえば去年も飼育委員だったな。助かるよ」

 先生の苦笑いに、俺はコクコクと赤べこのように頷く。
 けれど更なる問題は、黒板に書かれた「飼育委員会:植草陽彩(うえくさひいろ)」の隣に並ぶ、もう一つの空欄だった。

「残りの一枠、欠席してる奴でよくね?」

 無責任な軽口が飛ぶ。誰もこの泥舟(どろぶね)……「うさぎ丸」に乗るつもりはないらしい。 俺はおずおずと椅子から立ち上がって、震える声をなんとか喉から絞り出す。

「あの、先生……。俺、一人でも大丈夫です。そんなに大変じゃないし、絶対に二人じゃなきゃいけない決まりじゃないですよね?」

 担任が『まあ、そうだけど』と煮え切らない顔をした瞬間、クラスの空気が一変した。

「さーすが植草! 元・飼育神、説得力ハンパねぇじゃん!」

 茶化すような拍手が巻き起こり、教室の空気が一気に和やかムードに一変した。でも、分かる。これは「いいように使われてる」ってやつだ。
 俺は逃げるように腰を下ろし、机の下で汗ばんだ指をぎゅっと組み直した。


 ◇


 それから数日が経った、放課後。晴れて「うさぎ係」二年目に突入した俺は、校舎の一階にある、空き教室を利用して作られた飼育室にいた。 独特の乾草(ほしくさ)の匂いと、室内の目に見えない埃を透かすように差し込む午後の光。掃除を終えた俺は、ケージの中で鼻をヒクつかせている相棒をそっと撫でた。

黒丸(くろまる)、また一年間よろしくね」

 黒丸は、ぴんと立った耳がチャームポイントのミニレッキスという品種のウサギだ。黒い柔らかな毛並みと、わが校「丸丘(まるおか)高校」の名を取って命名された、いわば学校のアイドル(非公式)。 指先から伝わる柔らかい質感に、俺の(すさ)んだ心が浄化されていく。黒丸がうっとりと目を細めると、脳内では『おうよ、お前の奉仕を待ってたぜ』なんて返事が再生される。俺の妄想癖、わりと重傷かもしれない。

 本日の業務をすべて終え、俺は中身が詰まってずっしりと重くなったゴミ袋を抱え上げた。
 この飼育委員には、他にも日替わりで何人かの生徒が所属しているはずなのだけれど、どうやらゴミ捨てという不人気なタスクは、放置されるのが暗黙の了解となっているらしい。

(この重量と鼻を突く独特の臭気。誰もやりたがらないのは論理的に理解できるけれど、さすがに三日分は溜まりすぎでは……?)

 やり場のない溜息をひとつ吐き、俺は膝でゴミ袋の重みを支えながら、なんとか廊下へと踏み出した。静まり返った校舎に、俺の足音だけが響く。
 この重荷を捨てれば、ようやく俺の平穏な一日が終わる。そう確信し、角を曲がろうとした――まさに、その時だった。

「うわっ! ガチでビビったぁ……植草かよ」

 目の前に、クラスメイトの強め男子が二人。俺は慌てて直立不動になった。

「なぁ、それってウサギのうんこが入ってんだろ? よくそんなの平気で触れるよなー」

 心底信じられない、といった顔で彼らは鼻をつまんで見せる。

「ご、ごめん……!」

 反射的に猫背になり、視線を床に固定する。正確にはホウキとちりとりを使っているから直接触れてはいないのだけど、ここで衛生的な掃除方法を説明したところで、彼らにとっては汚い仕事をしている奴でしかない。俺は言葉を飲み込んで押し黙った。

「俺なら、マジで無理。……あ、逆にある意味、尊敬だわー」

 尊敬という言葉がこれほど安っぽく、かつ絶望的に、バカにしているように聞こえる瞬間があるだろうか。乾いた愛想笑いでその場をやり過ごそうとした、その時。

「自分でやったことも無いくせに、何言ってんの? お前ら」

 俺の背後から、鼓膜に心地よく響く、通る声がした。その声を聞いた瞬間、クラスメイト二人の顔色が面白いくらいサッと変わる。

「……瀬ケ崎(せがさき)じゃん。なんでお前、こんなトコにいんの?」

「自販機に飲み物、買いに来ただけ。つーか、植草が頑張ってくれてるお(かげ)で、ウサギが元気なんだろ。そういう絡み、聞いてて不愉快なんだけど」

 声の主は、瀬ケ崎恭平(せがさききょうへい)。 クラスのムードメーカーにして、明晰な頭脳、そして裏表のない性格。そのうえ高身長でさらりとした艶のある黒髪と、印象的な泣きぼくろ。少女漫画に出てくるイケメンの魅力をこれでもかと詰め合わせたような、文字通りの「持っている」男。
 ピラミッドの頂点に君臨しながら、その正義感は鋭いらしい。

「ごめんて。……じゃ、また明日な」

 逃げるように去っていく二人を見送り、俺がゴミ袋を持ち直したところで、瀬ケ崎くんがひょいっと顔を覗き込んできた。

「植草、大丈夫?」

「え?」

「いや、あんなこと言われて……傷ついたんじゃないかと思って」

 ぽかんと口を開けたままの俺の顔を、瀬ヶ崎くんは心底心配そうに覗き込んでいる。
 至近距離まで迫った彼の肌は、毛穴という概念が存在しないのではないかと疑うほどに美しく、俺は思わず圧倒されて息を呑んだ。陽の光を透かす睫毛も、一本一本が繊細で驚くほど長い。

 そんな、もはや芸術鑑賞に近い思考に逃避しかけていた俺は、パチパチと何度か瞬きを繰り返し、ようやくリブートに成功して、ハッと我に返った。

「全く、問題ありません。……あ、心は普通にチクッと痛みましたけど、その言葉で自分自身の価値が下がるわけじゃないので」

「……は?」

 瀬ケ崎くんは、俺が未知の呪文でも唱えたかのように、首を傾げて固まった。 えっ、変なこと言ったかな俺。慌てて言葉を継ぎ足す。

「いや……言われたことを気にする時間があるなら、さっさと手を動かしていたいっていうか。その方が、黒丸――ウサギのためにもなりますし」

 沈黙が続く。瀬ケ崎くんは数秒間、俺の顔をじっと凝視していたが、やがて噴き出すように笑った。

「お前、マジか。案外、メンタル強かったりすんの? 誤解してたわ。てっきり、もっとこう、か弱そうな感じかと……」

「つ、強い? 俺がですか?」

「強いよ。めちゃくちゃカッコいいじゃん」

 ……カッコいい? 俺の語彙辞典には、俺を修飾する言葉として存在しない単語だった。
 「うんこに触れる変な奴」と呼ばれた直後に「カッコいい」と評される。世の中の物差しって、どうやら俺の想像以上にゆるゆるにできているらしい。

「それ、俺も持つよ」

「えっ、いいですよゴミですし!」

「いいから」

 瀬ケ崎くんは当然のようにゴミ袋に手を伸ばし、中庭にあるゴミ集積所まで一緒に運んでくれた。そして戻ってから、興味深そうに飼育室の奥を覗き込む。

「へー、こいつが黒丸? 何気に初対面だわ、俺」

「本当ですか? あの……よかったら、()でてみます?」

 俺の提案に、瀬ヶ崎くんは『え、いいの?』と、パッと花が咲いたように声を弾ませた。
 その頬が期待と興奮で微かに熱を帯びるのを見て、俺は不覚にも可愛い、という感想を抱いてしまった。

 同じクラスになってからまだ数日だけれど、瀬ケ崎くんは、何事に対しても淡白でクールなのだと勝手に決めつけていた。けれど、俺より十センチ以上も高いその恵まれた体躯を少し丸め、どこか人懐っこい犬のような笑みを浮かべる彼を見ていると、構築していたイメージが書き換えられていく。

 一緒に石鹸で念入りに手を洗い、ケージの前に座り込む。すると、瀬ケ崎くんがぎこちない手つきで、空を掴むような動きを始めた。

「……瀬ケ崎くん? それは何のポーズですか?」

「いや、俺、動物とか抱いたことなくて。どうやって構えれば正解なんだ?」

 戸惑う彼に、俺は抱き方のコツをレクチャーした。俺の腕から、瀬ケ崎くんの大きな手へ。壊れ物を扱うように、彼が黒丸を受け止める。

「……うわ、何これ。めっちゃ、あったけー。ふわっふわ」

 ふはっ、と瀬ケ崎くんが破顔する。マリアナ海溝よりも深いカーストの溝があるはずなのに、今、俺たちの膝はくっつきそうなほど近い。
 ……これ、現実? 夢なら、そろそろ黒丸が喋りだす頃だけど。

「黒丸は、実はかなりのご長寿ウサギでして。人間でいうとかなりのご隠居(いんきょ)さんなんですよ」

「マジ? すげーじゃん、黒丸」

「食いしん坊なのが長生きの秘訣かもしれません」

 黒丸が好きな牧草の話、ブラッシングのコツ。自分でも驚くほど饒舌(じょうぜつ)になる俺に、瀬ケ崎くんは真っ直ぐな相槌を打つ。一通り喋り終えて「あ、喋りすぎたかも」と俯き、目を逸らす。そして、そんな俺を再び覗き込むようにして彼は唐突に問いかけてきた。

「植草は、なんで飼育委員をやろうって思ったの?」

 涼しげな目元に射抜かれ、心臓がドキンと跳ねる。俺は指先でマスクのかかり具合を直し、静かに答えた。

「……俺、昔から『誰もやりたがらないこと』をやるのが、性分に合ってるんです。みんなが素通りしていく場所を、自分まで見て見ぬふりするのが……嫌で」

 それは、打算も何もない俺の本音だった。瀬ケ崎くんは息を呑み、ぽつりと呟く。

「何それ。お前、マジで(かな)わねーんだけど」

 その言葉には、これまで誰からも向けられたことのない、純粋な敬意が混じっているのを感じる。俺が呆然としていると、瀬ケ崎くんはとんでもないことを口にした。

「なぁ。飼育委員、俺が一緒にやってもいい?」

「……えっ」

 一瞬、自分の耳を疑った。けれど、瀬ケ崎くんの視線には、揺るぎない熱が宿っている。カースト頂点の人間が、わざわざ底辺の掃き溜めに降りてこようとする異常事態に、俺はしどろもどろになった。

「で、でも……瀬ケ崎くんって、体育祭実行委員でしたよね?」

「ああ、あっちも名前入ってるけど。先生に言えばどうにでもなるだろ。兼務(けんむ)にするか、向こうは名前貸しでも回るし」

 瀬ヶ崎くんは少しだけ悪戯っぽく口角を上げると、『行こう』と促すように、俺の目の前へ大きな手のひらを差し出した。

 何一つ迷いなく放たれた、真っ直ぐな誘い。予測不能でとんでもなく眩しい大型の台風が、猛烈な勢いで俺の日常へ吹き込んできたような気がした。


 ◇


 飼育室を出た後、瀬ケ崎くんは迷いのない足取りで俺の手首を掴み、職員室へと向かった。 デスクでコーヒーを飲んでいた担任は、瀬ケ崎くんの申し出を『全く問題ない!』と二つ返事で快諾。むしろ『クラスのリーダーがやってくれるなら安泰だ!』と露骨にホッとしている。先生、顔に出てますよ。

「瀬ケ崎がいるなら、幼稚園でのふれあい体験も任せて大丈夫だな」

 差し出されたプリントを二人で覗き込む。活動計画の内容はどれも難しそうな言葉が並んでいるけれど、要するに園児たちに命の大切さを理解させるというのが、最も大きな狙いとして示されている。そのプリントを預かり、職員室を後にする。 渡り廊下に出たところで、瀬ケ崎くんがポケットからスマホを取り出した。

「植草って、クラスのグループLINE入ってる? 探したんだけど見つけらんねーわ」

 ぎくり、と肩が震えた。 グループの存在すら知らなかった。俺という不純物がそこに入るなんて、意気揚々とクラスを仕切る陽キャたちへの冒涜(ぼうとく)に近いのでは。俺は首を振り、視線を足元に落とす。

「いや、あの……入ってない、です」

「あ、やっぱり? じゃあQR読ませて」

 家族と公式アカウントしか並んでいない俺の質素な画面に、彼の眩いアイコンが映り込む。 友人たちと笑う横顔、ホーム画面には黒いギター。勝ち組の色彩が強すぎて目がチカチカする。

「明日の朝も、早く来た方がいいよな? 植草と時間合わせたいんだけど」

 覗き込むように問う、瀬ケ崎くん。恐ろしい。クラスのリーダー格は、やっぱり根本的な資質が違う。かつて民を率いたラムセス二世か、あるいは兵士の胃袋まで把握していた英雄ナポレオンか。そんな歴史上の指導者を彷彿とさせる、強引で、けれど不快ではない引力がある。

「ええっと……明日は、八時に来る予定です」

「オッケー。じゃあ、また明日な」

 さらりと前髪をかき上げ、瀬ケ崎くんは颯爽と去っていった。 明日から一人ではないという想定外の事態に、俺は呆然と立ち尽くす。 すると、ポケットの中でスマホが短く震えた。

 【瀬ケ崎恭平(せがさききょうへい)があなたを友達に追加しました】

 まだ、信じられないような気持ちでいっぱいだ。
 俺は、まだ温かい自分の手首を、もう片方の手でそっと握りしめる。

『よろしく』

 画面に表示されたのは、どこか人を食ったような、それでいて愛嬌のあるゆるキャラのスタンプ。
 一方、俺の指先は、まるで爆弾の起爆スイッチを前にした新米解体兵のように、小刻みに、かつ情けなく震えていた。

 (……返信しなきゃ。でも、なんて? 『うす』?
 いや、そんなの俺が言ったらキャラ崩壊だ。クラスの隅っこで『うす』は不遜(ふそん)すぎる。『あざっす』は軽すぎて、瀬ヶ崎くんの逆鱗に触れるかもしれない)

 格闘すること、三分。俺が血を吐く思いでひねり出したのは、およそ高校生のメッセージとは思えない、時代錯誤な上奏文だった。

『瀬ヶ崎くんの慈善の精神には、感銘の至りであります。不束者ではございますが、これから何卒宜しくお願い致します』

 送信ボタンをタップした直後、ものすごい勢いで後悔と焦りを感じた。

(……もっと簡潔に、スマートにすべきだったかも。そもそも初手から「感銘」なんて言葉を選ぶ奴がどこにいるんだよ。こういう時こそ、検索エンジンで『同級生 返事 定型文』をリサーチすべきだったのでは……?)

 押し寄せる後悔の波に呑まれ、慌てて送信取消へ指を伸ばしたけれど、時すでに遅し。
 画面には秒速で「既読」の二文字が刻まれ、その隙さえ与えてもらえない。
 あまりの早さに絶望しかけた瞬間、トーク画面が景気よく火花を散らすように弾けた。

『文章なげーし、硬すぎ(笑) 植草マジおもろいね』

 スマホ越しに瀬ヶ崎くんの屈託のない笑い声が聞こえてきそうな、あまりにも軽快なツッコミとアニメーション付きのスタンプ。加えて『おもろい』と言われている。俺の脳内会議は未曾有の紛糾を見せた。

(『おもろくないですよ』って返したら、謙遜(けんそん)を通り越して拒絶になる。でも『でしょ?』なんて返すのは距離感バグだし、調子に乗っていると思われるに違いない。ならば、スタンプか……? スタンプで中和するしかないのか……?)

 スタンプの画面を必死にスクロールする。そこには、初期装備の無表情で棒立ちしているクマや、口が笑っていないウサギが並んでいた。瀬ヶ崎くんの色彩豊かなゆるキャラに対し、俺の放つ血色の悪いクマ。シュールすぎる。いや、シュールを通り越して『お前の冗談は一ミリも面白くない』という、サイレントな宣戦布告と受け取られるリスクがある。

 かといって、無料スタンプの欄にあった、目がやたらとウルウルしたキャラクターを今さらダウンロードするのも「君と仲良くなろうと必死です!」感が出ていて痛々しい気がする。
 結局、俺は返信を打っては消しを繰り返し、数分が経過していた。 画面上部には「瀬ヶ崎恭平が入力中…」の文字が出ては消え、出ては消えしている。
 やばい。彼が俺のこの沈黙をどう解釈しているのか、想像するだけで胃がキュッと縮み上がりそうになる。もしかして怒らせた?
 それとも「こいつ返信遅くてキモいな」って思われた?

 そこへ、トドメの一撃が届いた。

『明日から、俺もなにとぞヨロシクおなしゃす!』

 恐ろしい。これが一軍の速度感、そして全人類を全肯定するかのような圧倒的な包容力……!

 俺が次の一手すら見出せず硬直している間に、彼は俺のガチガチな敬語を「おなしゃす」という軽やかな一撃で砕き、完璧な形でこのラリーを締めくくってくれたのだ。
 これが……これが「コミュ力」という名の、選ばれし者のみが扱える高位魔法か。

 通信を終えたあとも、手の中に残ったスマホが、彼の体温を写し取ったかのように微かな熱を帯びている。

(明日から、瀬ヶ崎くんと二人で仕事するのか……)

 ぼんやりと天井を見上げると、見慣れたはずの自室が、いつもより明るく感じられる。

 やはり、あのふざけたクマのスタンプを送るという暴挙に出なくて正解だった。俺は己の冷静な判断力を、心の底から称賛してやりたい気分だった。