職員室の机の上に、透明な下敷きが置かれた。
その下に、チャック袋――さらにその中に、復元された細い紙の帯。
「“触らずに見える形”にしてあります」
図書担当の先生が言う。
声は静かで、でも逃げない声だった。
先生の声が逃げないとき、場の空気が変わる。
周りの先生たちが、椅子を少しずつ寄せてくる。
誰も大きく動かない。
“証拠”があるとき、人は無意識に音を小さくする。
私は、机の端に立ったまま、息を吸った。
目の前の袋は、私の名前の一部だ。
でも、そこにあるのは“私がやった”証拠ではない。
“カード側が改ざんされた”証拠だ。
「私からも、補足します」
自分の声が、思っていたより落ち着いていた。
震えないのが怖い。
でも、震えたらまた「弱い」になる。
私は“正式な声”を選んだ。
「欠落していた一行は、貸出カードの“名前欄”でした。復元できた文字は――」
私は袋の位置を目で示す。
言葉で言うより、見せる方が強い。
「……『紬』です」
担任の先生が、息を呑んだのが分かった。
他の先生が、小さく「え」と漏らした。
学年主任が続ける。
「ここが重要です。控え台帳と照合したところ、該当日の借り手は別名でした。紬の名前は台帳にありません。つまり――」
主任は、言い切る。
「カード側だけが書き換えられている。改ざんは“カード側”で確定です」
“確定”。
その言葉が、職員室の空気を一段硬くする。
確定した瞬間、もう「噂」では済まない。
学校の中の“記録”が、人為的にいじられた。
図書担当の先生が、袋の横に別の袋を置いた。
そこには、白と黒が混ざった粉が、薄く残っている。
「返却ボックス底板の裏から回収した粉です。消しゴム粉と鉛筆粉が混ざったもの。カードの紙片と同じ場所から出ています」
誰かが、低く言う。
「……返却ボックスの裏?」
「はい。利用者から見えない場所です。当番でも掃除が届きにくい。捨てたつもりでも残ります」
私は、その説明に合わせて言葉を足した。
これは、私の“推理”じゃなく、現場の“構造”だと伝えるために。
「返却ボックスは、外から見えません。中で作業しても、誰にも見えにくい。粉と紙片がそこに溜まるのは、理由があります」
担任の先生が、私を見た。
昨日までの「認めれば軽く済む」の目じゃない。
“自分が間違えたかもしれない”目。
「……君は、これを、いつから」
「最初から違和感がありました。貸出カードの束の日付が整いすぎていた。剥がし跡も。粉も」
私は、言い切った。
「私はカードを削ってません。削ったなら、粉は“私の手元”に残る。けど残っていたのは、返却ボックスの裏でした」
図書担当の先生が、短く頷く。
学年主任が職員室全体に向けて言う。
「改ざんはカード側。台帳側は改ざんされていない。従って、処分の対象は“記録への不正な介入”であり、紬本人ではありません」
その瞬間、職員室の空気が、ほんの少しだけ動いた。
誰かが椅子を引き直す音。
書類を閉じる音。
小さな咳払い。
“方向が変わった”音だ。
私は、胸の奥で一つだけ確認する。
これで、私の「無実」は“感情”じゃなく“手続き”に移った。
言葉で守ってもらう段階は終わった。
証拠で守られる段階に入った。
学年主任が最後に言った。
「本件は正式に調査案件として扱う。関係者の事情聴取も行う。――ただし、現時点で生徒名を外に出さない」
私は、その言葉に、小さく救われる。
遼の名前が、まだ“犯人”として消費されない。
でも同時に、胸の奥が痛む。
改ざんが確定したなら、誰かが責任を負う。
そして、その誰かを私は知っている。
――遼。
指の消しゴム粉。
「先に消す」。
「巻き込まれなくていい」。
私は机の端から一歩だけ退いた。
ここで遼の名前を出したら、終わり方が“処分”になる。
遼が選んだ守り方を、私は裏切りたくない。
でも、遼を一人にもしたくない。
職員室の中で、担任が小さく言った。
「……紬。昨日は、すまなかった」
私は頷いた。
許すとか、まだ決めない。
でも、今言うべきことは一つだけだ。
「……ありがとうございます。私は、明日の説明で、きちんと話します。噂で揺れた人たちにも」
学年主任が頷いた。
「それでいい。――まずは、事実を戻す」
事実を戻す。
反転した世界を、戻す。
私は職員室の扉の方へ視線をやった。
雨の匂いが、廊下に薄く残っている。
その雨の向こうに、遼がいる気がした。
(カード側改ざん、確定。――次は、終わらせ方を選ぶ番だ)
その下に、チャック袋――さらにその中に、復元された細い紙の帯。
「“触らずに見える形”にしてあります」
図書担当の先生が言う。
声は静かで、でも逃げない声だった。
先生の声が逃げないとき、場の空気が変わる。
周りの先生たちが、椅子を少しずつ寄せてくる。
誰も大きく動かない。
“証拠”があるとき、人は無意識に音を小さくする。
私は、机の端に立ったまま、息を吸った。
目の前の袋は、私の名前の一部だ。
でも、そこにあるのは“私がやった”証拠ではない。
“カード側が改ざんされた”証拠だ。
「私からも、補足します」
自分の声が、思っていたより落ち着いていた。
震えないのが怖い。
でも、震えたらまた「弱い」になる。
私は“正式な声”を選んだ。
「欠落していた一行は、貸出カードの“名前欄”でした。復元できた文字は――」
私は袋の位置を目で示す。
言葉で言うより、見せる方が強い。
「……『紬』です」
担任の先生が、息を呑んだのが分かった。
他の先生が、小さく「え」と漏らした。
学年主任が続ける。
「ここが重要です。控え台帳と照合したところ、該当日の借り手は別名でした。紬の名前は台帳にありません。つまり――」
主任は、言い切る。
「カード側だけが書き換えられている。改ざんは“カード側”で確定です」
“確定”。
その言葉が、職員室の空気を一段硬くする。
確定した瞬間、もう「噂」では済まない。
学校の中の“記録”が、人為的にいじられた。
図書担当の先生が、袋の横に別の袋を置いた。
そこには、白と黒が混ざった粉が、薄く残っている。
「返却ボックス底板の裏から回収した粉です。消しゴム粉と鉛筆粉が混ざったもの。カードの紙片と同じ場所から出ています」
誰かが、低く言う。
「……返却ボックスの裏?」
「はい。利用者から見えない場所です。当番でも掃除が届きにくい。捨てたつもりでも残ります」
私は、その説明に合わせて言葉を足した。
これは、私の“推理”じゃなく、現場の“構造”だと伝えるために。
「返却ボックスは、外から見えません。中で作業しても、誰にも見えにくい。粉と紙片がそこに溜まるのは、理由があります」
担任の先生が、私を見た。
昨日までの「認めれば軽く済む」の目じゃない。
“自分が間違えたかもしれない”目。
「……君は、これを、いつから」
「最初から違和感がありました。貸出カードの束の日付が整いすぎていた。剥がし跡も。粉も」
私は、言い切った。
「私はカードを削ってません。削ったなら、粉は“私の手元”に残る。けど残っていたのは、返却ボックスの裏でした」
図書担当の先生が、短く頷く。
学年主任が職員室全体に向けて言う。
「改ざんはカード側。台帳側は改ざんされていない。従って、処分の対象は“記録への不正な介入”であり、紬本人ではありません」
その瞬間、職員室の空気が、ほんの少しだけ動いた。
誰かが椅子を引き直す音。
書類を閉じる音。
小さな咳払い。
“方向が変わった”音だ。
私は、胸の奥で一つだけ確認する。
これで、私の「無実」は“感情”じゃなく“手続き”に移った。
言葉で守ってもらう段階は終わった。
証拠で守られる段階に入った。
学年主任が最後に言った。
「本件は正式に調査案件として扱う。関係者の事情聴取も行う。――ただし、現時点で生徒名を外に出さない」
私は、その言葉に、小さく救われる。
遼の名前が、まだ“犯人”として消費されない。
でも同時に、胸の奥が痛む。
改ざんが確定したなら、誰かが責任を負う。
そして、その誰かを私は知っている。
――遼。
指の消しゴム粉。
「先に消す」。
「巻き込まれなくていい」。
私は机の端から一歩だけ退いた。
ここで遼の名前を出したら、終わり方が“処分”になる。
遼が選んだ守り方を、私は裏切りたくない。
でも、遼を一人にもしたくない。
職員室の中で、担任が小さく言った。
「……紬。昨日は、すまなかった」
私は頷いた。
許すとか、まだ決めない。
でも、今言うべきことは一つだけだ。
「……ありがとうございます。私は、明日の説明で、きちんと話します。噂で揺れた人たちにも」
学年主任が頷いた。
「それでいい。――まずは、事実を戻す」
事実を戻す。
反転した世界を、戻す。
私は職員室の扉の方へ視線をやった。
雨の匂いが、廊下に薄く残っている。
その雨の向こうに、遼がいる気がした。
(カード側改ざん、確定。――次は、終わらせ方を選ぶ番だ)


