図書準備室の扉は、いつもより重く感じた。
取っ手に触れた瞬間、雨の冷たさじゃない別の冷えが掌に残る。
中には、図書担当の先生と学年主任、それから佐伯先輩と沙良がいた。机の上には白い手袋、透明のチャック袋、そして「貸出管理台帳(控え)」のファイル。
“正式に”という言葉が、道具になって並んでいる。
「紬、昨日言ってた場所、確認する」
先生が短く言う。私は頷くしかなかった。自分の声で確かめると、震えが出る気がした。
返却ボックスは準備室の隅に移されていた。濡れた床を避けるように新聞紙が敷かれている。
先生が白手袋をはめ、佐伯先輩が無言でチャック袋を開く。沙良は、息をするのを忘れたみたいな顔で見ていた。
「底板、外すよ」
先生がボックスを横に倒し、底の固定具を外す。
ギィ、と木が軋む小さな音。
その音に、私は踊り場の白い粉を思い出す。遼の指先。あの“残る”白。
底板が少し浮いた。
その瞬間、ふわ、と埃の匂いが立つ。紙と消しゴムと、鉛筆の芯が混じった匂い。
先生が底板をゆっくり引き抜く。
裏側――見えなかった面に、薄いテープ跡と、紙の端がいくつも貼り付いていた。
細い紙片。毛羽立った切れ端。白と黒がまだらに混じった粉。
“捨てたつもり”の残り方が、そこにあった。
「……あった」
先生の声が、少しだけ低くなる。
佐伯先輩が手袋の指で紙片を一つずつ剥がし、チャック袋に入れていく。手つきが丁寧すぎて、逆に痛かった。
沙良が小さく息を呑む。私は、動けない。
机の上に、回収された紙片が並べられる。
その中に――私がハンカチに包んでいたのと同じ繊維、同じ裂け方の欠片があった。
欠片は、単体では意味を持たない。でも、数が揃うと“線”になる。
学年主任が、台帳ファイルを開いた。
ページをめくる音が、図書室より重い。
日付の欄が現れて、先生の指が止まる。
「2/13、2/14、2/15……ここだな」
先生は個人名の部分を指で押さえたまま、佐伯先輩に目配せする。
佐伯先輩は無言で、台帳の該当ページのコピー用紙――台帳の“台紙”になる厚めの下敷き(控えのための挟み板)を取り出し、別の袋に入れた。
“記録”と“物”を同じ扱いで回収する。これが、規則の中の正しいやり方。
「この紙片、底板の裏に貼り付いていた。粉も含めて、証拠として保全する」
図書担当の先生が言う。
“証拠”という言葉が、今度は私を裁く刃じゃなく、私を支える柱みたいに聞こえた。
私は、唇の裏側を噛んで、やっと言葉を出した。
「……それ、欠落の一行……ですか」
先生は頷きかけて、首を止める。
「まだ断言はしない。ただ——」
先生は紙片の一つを光に透かした。凹みの残像が、うっすら浮く。
「“削ったあとに残るもの”が、ここに残ってる。君が言った通りだ」
その瞬間、胸の奥が熱くなった。
嫌われたと思った時間が、少しずつ“守られた形”に戻っていく。
そして同時に、遼の顔が浮かぶ。指に付いた白。あの苦い「よかった」。
(遼、これが“最後”に近い?)
佐伯先輩が袋の口を閉じ、私を一度だけ見た。
昨日までの鋭さじゃない。揺れの残る目で、小さく言う。
「……ごめん。今度は、勝手に貼らない。ちゃんと、ここで終わらせる」
私は、頷いた。許したわけじゃない。ただ、終わらせる場所が同じになった。
先生が最後に、台帳ファイルを閉じる。
パタン、という音は、今度は“道が閉じる音”じゃなかった。
“逃げ道が閉じる音”だった。
嘘の逃げ道が。
机の上には、台帳、紙片、底板(台紙)。
消せない線と、消しきれなかった残り方。
私は鞄の中の栞の束を、指先で確かめた。
37から、ちゃんと。
最後に、行く。
——終点は、もうページだけじゃない。ここにもある。
取っ手に触れた瞬間、雨の冷たさじゃない別の冷えが掌に残る。
中には、図書担当の先生と学年主任、それから佐伯先輩と沙良がいた。机の上には白い手袋、透明のチャック袋、そして「貸出管理台帳(控え)」のファイル。
“正式に”という言葉が、道具になって並んでいる。
「紬、昨日言ってた場所、確認する」
先生が短く言う。私は頷くしかなかった。自分の声で確かめると、震えが出る気がした。
返却ボックスは準備室の隅に移されていた。濡れた床を避けるように新聞紙が敷かれている。
先生が白手袋をはめ、佐伯先輩が無言でチャック袋を開く。沙良は、息をするのを忘れたみたいな顔で見ていた。
「底板、外すよ」
先生がボックスを横に倒し、底の固定具を外す。
ギィ、と木が軋む小さな音。
その音に、私は踊り場の白い粉を思い出す。遼の指先。あの“残る”白。
底板が少し浮いた。
その瞬間、ふわ、と埃の匂いが立つ。紙と消しゴムと、鉛筆の芯が混じった匂い。
先生が底板をゆっくり引き抜く。
裏側――見えなかった面に、薄いテープ跡と、紙の端がいくつも貼り付いていた。
細い紙片。毛羽立った切れ端。白と黒がまだらに混じった粉。
“捨てたつもり”の残り方が、そこにあった。
「……あった」
先生の声が、少しだけ低くなる。
佐伯先輩が手袋の指で紙片を一つずつ剥がし、チャック袋に入れていく。手つきが丁寧すぎて、逆に痛かった。
沙良が小さく息を呑む。私は、動けない。
机の上に、回収された紙片が並べられる。
その中に――私がハンカチに包んでいたのと同じ繊維、同じ裂け方の欠片があった。
欠片は、単体では意味を持たない。でも、数が揃うと“線”になる。
学年主任が、台帳ファイルを開いた。
ページをめくる音が、図書室より重い。
日付の欄が現れて、先生の指が止まる。
「2/13、2/14、2/15……ここだな」
先生は個人名の部分を指で押さえたまま、佐伯先輩に目配せする。
佐伯先輩は無言で、台帳の該当ページのコピー用紙――台帳の“台紙”になる厚めの下敷き(控えのための挟み板)を取り出し、別の袋に入れた。
“記録”と“物”を同じ扱いで回収する。これが、規則の中の正しいやり方。
「この紙片、底板の裏に貼り付いていた。粉も含めて、証拠として保全する」
図書担当の先生が言う。
“証拠”という言葉が、今度は私を裁く刃じゃなく、私を支える柱みたいに聞こえた。
私は、唇の裏側を噛んで、やっと言葉を出した。
「……それ、欠落の一行……ですか」
先生は頷きかけて、首を止める。
「まだ断言はしない。ただ——」
先生は紙片の一つを光に透かした。凹みの残像が、うっすら浮く。
「“削ったあとに残るもの”が、ここに残ってる。君が言った通りだ」
その瞬間、胸の奥が熱くなった。
嫌われたと思った時間が、少しずつ“守られた形”に戻っていく。
そして同時に、遼の顔が浮かぶ。指に付いた白。あの苦い「よかった」。
(遼、これが“最後”に近い?)
佐伯先輩が袋の口を閉じ、私を一度だけ見た。
昨日までの鋭さじゃない。揺れの残る目で、小さく言う。
「……ごめん。今度は、勝手に貼らない。ちゃんと、ここで終わらせる」
私は、頷いた。許したわけじゃない。ただ、終わらせる場所が同じになった。
先生が最後に、台帳ファイルを閉じる。
パタン、という音は、今度は“道が閉じる音”じゃなかった。
“逃げ道が閉じる音”だった。
嘘の逃げ道が。
机の上には、台帳、紙片、底板(台紙)。
消せない線と、消しきれなかった残り方。
私は鞄の中の栞の束を、指先で確かめた。
37から、ちゃんと。
最後に、行く。
——終点は、もうページだけじゃない。ここにもある。


