栞が繋ぐ一行体験――3冊のページで、告白を完成させる

カウンターに戻ると、時計の秒針の音が少し大きく聞こえた。
さっき押した返却期限のスタンプが、指先にまだ残っている気がする。私は用紙の端を揃え直し、貸出カードを本の裏に戻した。丁寧に。いつも通りに。

窓際の席では、遼がもう本を開いていた。
ページをめくる速度が一定で、余計な動きがない。読む、というより「確かめている」みたいな読み方だ。私は視線を逸らし、返却本のバーコードをスキャンする作業に戻った。

ピッ、という電子音が規則正しく続く。
その規則に紛れ込ませるみたいに、遼が席を立つ気配がした。

足音が近づいて、カウンターの前で止まる。

「……これ」

遼が差し出したのは、細い紙片――栞だった。
市販のものじゃない。コピー用紙を細長く切っただけみたいな、素朴な紙。角が少しだけ丸くなっているのは、何度も触れたからだろう。

「忘れ物?」

「……挟んであった」

私は受け取って、表も裏も見る。
白い紙に、鉛筆で数字だけが書いてある。

――37。

「ページ番号?」

「……うん」

遼はそれ以上説明しない。
言わないのか、言えないのか。私は栞を指先で挟んだまま、少し迷ってから聞いた。

「そのページ、好きなの?」

遼は答えず、代わりに顎で本を示した。
さっき借りた『透明な余白』。表紙の角がまだ新しい。

「……読めば、わかる」

言い切ったあと、遼はほんの少しだけ視線を私に向けた。
まっすぐというより、確かめるみたいな目。私はなぜか、胸の奥が熱くなるのを感じた。

「……図書委員は、読まないとだめ?」

私は冗談めかして言ったつもりだった。
けれど遼は首を振りもしない。代わりに、栞を私の手に残したまま、指で自分のノートを軽く叩いた。

「……強制じゃない」

「じゃあ、どうして?」

問いが重くなりそうで、私はすぐに言い足す。

「えっと、その……ページで答えるの、面白いなって思って」

遼は一瞬、言葉を探すように唇を閉じた。
それから、ほんのわずか眉を動かして――諦めたみたいに短く息を吐く。

「……言うと、変だから」

「変って?」

「……恥ずかしい」

その一言が、意外すぎて。
私は思わず、栞を落としそうになった。

遼が恥ずかしい、と言った。
それだけで、図書室の温度が少し上がった気がする。

「……じゃあ、恥ずかしくない方法で、ってこと?」

遼は、ほんの少しだけ頷く。
その頷きが、私の中の何かを確定させる。
彼は、私に何かを渡そうとしている。言葉じゃない形で。

「わかった。読む」

言った瞬間、私は自分に驚いた。
読む、と約束するなんて、軽々しく言うことじゃないのに。
でも遼は、そういう軽さを嫌がるタイプだ。だからこそ、私はちゃんと守りたかった。

遼の視線が、栞の数字に落ちる。

「……37。そこだけでいい」

「そこだけ?」

「……そこから、始まる」

始まる。
何が。――問いかける前に、遼は身体を翻し、窓際の席へ戻ろうとした。

私は慌てて呼び止める。

「待って、栞……これ、どうする? 返す?」

遼は一瞬立ち止まって、振り向かないまま答えた。

「……持ってて」

「え?」

「……忘れないように」

振り向いた遼の横顔は、いつもより少しだけ柔らかい。
私は栞を握りしめ、頷いた。

「……うん。忘れない」

遼はそれだけ聞くと、もう何も言わず席へ戻った。
ページを開く音が、静かな図書室に小さく響く。

私はカウンターの内側に立ったまま、手の中の紙片を見つめる。
たった二文字の数字。たった一言の会話。
それなのに、胸の中に「始まる」という音が残って、消えない。

――37。
私はその数字を、まるで自分の名前みたいに大事に指でなぞった。