封筒の紙は、体温が移る前に冷たかった。
――201。
鉛筆の数字だけが、遼の声の代わりに机の上に残っている。
私は周りの音を、いったん遠くへ押しやった。
昼休みの図書室は人がいる。ページをめくる音も、椅子を引く音も、誰かの笑い声もある。
でも今の私には、それらは「背景」になった。
主役は、紙一枚の数字だ。
ノートを開いて、栞たちを取り出す。
37、58、112、243、そして201。
数字が増えた瞬間、胸の奥に小さな熱が生まれる。
遼はまだ私を見捨てていない。
そう思ってしまう自分が、少し怖い。
希望にすがると、落ちたときが痛いから。
それでも私は、机の上の『規則と告発』を手に取った。
本棚から持ってきたのは昨日。
でも開く勇気がなくて、閉じたままノートの横に置いていた。
タイトルが、今の自分に刺さりすぎるから。
表紙の角を撫でて、私はページをめくった。
201は、後ろの方だ。
指先が紙を送るたび、胸がざわつく。
まるで、答えに近づくのが怖いみたいに。
――203、202、201。
私は息を止め、ページの真ん中に目を落とした。
そこにも、遼のものだと分かる薄い線が引かれていた。
短い。必要最低限。
“ここだ”とだけ言う線。
線の上にある一文を読んだ瞬間、胸の奥が、きゅっと締まった。
記録は真実ではない。
だが、真実は記録に残る。
そして――残り方は、選ばれる。
私は一度、視線を外した。
目を逸らすというより、息継ぎをするために。
ページの文字が、現実の喉を塞ぐ。
(残り方は、選ばれる)
告発文は、私の名前を“残した”。
でも貸出カードは、私の名前を“消した”。
同じ「記録」なのに、残り方が違う。
その違いを、誰かが選んだ。
遼は、ページで答える。
ならこの一文は、私に向けて選ばれた答えだ。
私はもう一度、ゆっくり読み直す。
読み直すほど、一文が私の心情に重なっていく。
記録は真実ではない。
――クラスの空気は、私を犯人にする記録を勝手に作った。
真実は記録に残る。
――返却ボックスの粉と紙片は、嘘をつけない。
残り方は、選ばれる。
――誰かが、私の名前を“残さず”、ページ番号だけを“残した”。
胸の奥が熱くなる。
怒りじゃない。悔しさでもない。
もっと厄介な、名前のない熱。
(遼は、何を選んだの)
私を守るために黙ったのか。
私を遠ざけるために黙ったのか。
どちらなのか分からないのに、私は“守られている”側の物語に寄りかけてしまう。
それが、恋の始まりに似ていると気づいて、私は自分に腹が立った。
こんな状況で。
こんな紙の上で。
こんな、誰かの悪意の中で。
それでも、遼のことを考えると胸が動く。
私は指で、薄い線をなぞった。
線は短いのに、そこに確かな意志がある。
遼の筆圧の形。
「言葉で言えない」代わりに、線で伝える癖。
(会話にならない会話)
さっきの昼休み、遼はほんの一瞬だけ現れて、封筒を置いて消えた。
私の質問は半分しか届かない。
遼の答えも半分しか届かない。
その代わりに、ページが残る。
ページは、逃げない。
ページは、私が開くまで黙っていてくれる。
ページは、私が泣いても怒っても、同じ文字で受け止める。
――それが、遼に似ている。
似ていると思った瞬間、胸の奥がふわっと柔らかくなった。
怖いのに、嬉しい。
苦しいのに、安心する。
そんな矛盾の感情が、ページの上でほどける。
私はページの端を軽く押さえ、視線を落としたまま、心の中で小さく言った。
(遼、あなたは私の名前を、どこに残したの)
告発文の紙に残したのは、悪意の“紬”。
貸出カードから消したのは、誰かの意図。
そして、栞の数字で残したのは――遼の意志。
“残り方は、選ばれる”。
なら、遼が選んだ残し方は、きっと私が思っているよりずっと切実だ。
切実であるほど、恋は進んでしまう。
分からないことが多いほど、心は先に進んでしまう。
私は本を閉じた。
閉じても、あの一文は胸の中で開いたままだ。
窓の外で、誰かが笑った。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
人が立ち上がり、椅子が鳴り、図書室の音が戻ってくる。
その中で私は、ノートに栞を挟み直した。
201の紙を、他の数字の隣へ。
そして、決める。
――今日の放課後、37から“ちゃんと”辿る。
遼の残した言葉が、私の心と同期するなら、
その同期の先にある“最後の一行”まで、私は行く。
――201。
鉛筆の数字だけが、遼の声の代わりに机の上に残っている。
私は周りの音を、いったん遠くへ押しやった。
昼休みの図書室は人がいる。ページをめくる音も、椅子を引く音も、誰かの笑い声もある。
でも今の私には、それらは「背景」になった。
主役は、紙一枚の数字だ。
ノートを開いて、栞たちを取り出す。
37、58、112、243、そして201。
数字が増えた瞬間、胸の奥に小さな熱が生まれる。
遼はまだ私を見捨てていない。
そう思ってしまう自分が、少し怖い。
希望にすがると、落ちたときが痛いから。
それでも私は、机の上の『規則と告発』を手に取った。
本棚から持ってきたのは昨日。
でも開く勇気がなくて、閉じたままノートの横に置いていた。
タイトルが、今の自分に刺さりすぎるから。
表紙の角を撫でて、私はページをめくった。
201は、後ろの方だ。
指先が紙を送るたび、胸がざわつく。
まるで、答えに近づくのが怖いみたいに。
――203、202、201。
私は息を止め、ページの真ん中に目を落とした。
そこにも、遼のものだと分かる薄い線が引かれていた。
短い。必要最低限。
“ここだ”とだけ言う線。
線の上にある一文を読んだ瞬間、胸の奥が、きゅっと締まった。
記録は真実ではない。
だが、真実は記録に残る。
そして――残り方は、選ばれる。
私は一度、視線を外した。
目を逸らすというより、息継ぎをするために。
ページの文字が、現実の喉を塞ぐ。
(残り方は、選ばれる)
告発文は、私の名前を“残した”。
でも貸出カードは、私の名前を“消した”。
同じ「記録」なのに、残り方が違う。
その違いを、誰かが選んだ。
遼は、ページで答える。
ならこの一文は、私に向けて選ばれた答えだ。
私はもう一度、ゆっくり読み直す。
読み直すほど、一文が私の心情に重なっていく。
記録は真実ではない。
――クラスの空気は、私を犯人にする記録を勝手に作った。
真実は記録に残る。
――返却ボックスの粉と紙片は、嘘をつけない。
残り方は、選ばれる。
――誰かが、私の名前を“残さず”、ページ番号だけを“残した”。
胸の奥が熱くなる。
怒りじゃない。悔しさでもない。
もっと厄介な、名前のない熱。
(遼は、何を選んだの)
私を守るために黙ったのか。
私を遠ざけるために黙ったのか。
どちらなのか分からないのに、私は“守られている”側の物語に寄りかけてしまう。
それが、恋の始まりに似ていると気づいて、私は自分に腹が立った。
こんな状況で。
こんな紙の上で。
こんな、誰かの悪意の中で。
それでも、遼のことを考えると胸が動く。
私は指で、薄い線をなぞった。
線は短いのに、そこに確かな意志がある。
遼の筆圧の形。
「言葉で言えない」代わりに、線で伝える癖。
(会話にならない会話)
さっきの昼休み、遼はほんの一瞬だけ現れて、封筒を置いて消えた。
私の質問は半分しか届かない。
遼の答えも半分しか届かない。
その代わりに、ページが残る。
ページは、逃げない。
ページは、私が開くまで黙っていてくれる。
ページは、私が泣いても怒っても、同じ文字で受け止める。
――それが、遼に似ている。
似ていると思った瞬間、胸の奥がふわっと柔らかくなった。
怖いのに、嬉しい。
苦しいのに、安心する。
そんな矛盾の感情が、ページの上でほどける。
私はページの端を軽く押さえ、視線を落としたまま、心の中で小さく言った。
(遼、あなたは私の名前を、どこに残したの)
告発文の紙に残したのは、悪意の“紬”。
貸出カードから消したのは、誰かの意図。
そして、栞の数字で残したのは――遼の意志。
“残り方は、選ばれる”。
なら、遼が選んだ残し方は、きっと私が思っているよりずっと切実だ。
切実であるほど、恋は進んでしまう。
分からないことが多いほど、心は先に進んでしまう。
私は本を閉じた。
閉じても、あの一文は胸の中で開いたままだ。
窓の外で、誰かが笑った。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
人が立ち上がり、椅子が鳴り、図書室の音が戻ってくる。
その中で私は、ノートに栞を挟み直した。
201の紙を、他の数字の隣へ。
そして、決める。
――今日の放課後、37から“ちゃんと”辿る。
遼の残した言葉が、私の心と同期するなら、
その同期の先にある“最後の一行”まで、私は行く。


