栞が繋ぐ一行体験――3冊のページで、告白を完成させる

面談室を出たあと、私はまっすぐ帰れなかった。
「勝手に記録に触るな」と釘を刺された言葉が、背中に貼り付いている。
触らない。持ち出さない。準備室に入らない。――分かってる。分かってるのに、分からないままの“まだ”に耐えられない。

職員室の前を通りかかったとき、図書担当の先生に呼び止められた。

「紬。ちょうどいい。図書室の修理テープ、残りあったか確認して」

“確認”という言葉に、私は反射的に頷いた。
許可の形をした用事。
この一言で、私は準備室のドアの前に立てる。

図書準備室は、いつも通り狭くて、紙と糊の匂いが濃かった。
扉を開けると段ボールの影が伸び、机の上には、返却期限印のインクと、修理用の透明テープが並んでいる。
私は必要以上に周りを見ないようにしながら、棚の端に手を伸ばした。

――そのとき。

奥の机の上に、いつもより分厚いファイルが開かれているのが目に入った。
色あせた表紙。背に貼られたラベル。

【貸出管理台帳(控え)】

心臓が、ひゅっと小さく鳴った。
台帳。
カードとは別に残る、控え。

私は足を止めた。
触ってはいけない。
でも、見るだけなら。見える範囲なら。
自分に言い訳しながら、視線だけをそっと滑らせる。

台帳は、欄が罫線で区切られていて、日付と書名と学年・組、名前を書くようになっていた。
そして――名前の欄は鉛筆じゃない。
油性の黒。消えない線。訂正の仕方まで決められているみたいな書き方。

(……カードより、強い記録)

私は喉の奥が乾くのを感じた。
貸出カードは鉛筆だから消せる。削れば、剥がせる。
でも台帳は消せない。消したら、もっと目立つ。

つまり。

カードに空白があるのに、台帳に名前が残っていたら――
“誰かがカードだけを狙って消した”ことになる。

私は目を凝らした。
ページの端に、見覚えのある日付が並んでいる。

2/13。2/14。2/15。

空白になっていた日付。
その日付が、台帳では空白になっていない。
……なっていない“気がした”。
私はそこまでしか見えない距離にいる。確信は持てない。
でも、“控えが存在する”という事実だけで、世界の形が一段くっきりした。

(確度が上がる)

告発文は「記録は残る」と書いていた。
――残るのは、カードだけじゃない。台帳にも残る。
なら、カードの一行を剥がした人は、台帳の存在を知っているはずだ。
知っていて、あえてカードを狙ったのか。
それとも、台帳を見落としているのか。
どちらにせよ、行為は“うっかり”じゃない。

背後で足音がして、私は反射的に視線を落とした。
図書担当の先生が、準備室の入口に立っている。

「どう? テープあった?」

「……あります。残り、これくらい」

私は棚から取り出したテープを示した。
指先が震えないように、力を入れる。

先生は頷き、私の視線の先――開かれた台帳に一瞬だけ目を落とした。
その一瞬が、私の中の疑いを別の形に変える。

先生たちは、台帳を見ている。
台帳で突き合わせられる。
なのに、私には「まだ」が続く。

「それ、置いといて。――紬、念のため言うけど」

先生の声が、少しだけ低くなる。

「準備室のものに触らない。勝手に見ない。余計なことをすると、君が不利になる」

私は頷いた。
不利になる、という言葉が、優しさと同時に“脅し”でもあるのが分かる。
でも私は、目を逸らさなかった。

「……はい。触ってません。……見えてしまっただけです」

先生が一瞬だけ黙る。
そして、台帳を手で閉じた。
パタン、という音。
その音が、私の胸の奥で“道が閉じる音”に聞こえた。

「もういい。戻りなさい」

私は準備室を出た。
廊下の空気が少し冷たくて、肺が楽になる。
でも、胸の奥は逆に熱かった。

台帳(控え)がある。
カードが削られても、別のところに“消えない線”が残っている。

それは、私にとって希望でもあり、恐れでもある。
希望――突き合わせれば、嘘は剥がれる。
恐れ――剥がれるとき、誰かの行為が確定してしまう。

私は鞄の中のノートを思い出した。
挟んである栞。37、58、112、243。
“ページで答える”という導線。

(私は、台帳に触れない)

触れない。
でも、台帳が示す“残るはずの名前”に辿り着く方法はある。
ページを辿って、行為の理由を掴む。
理由が掴めれば、私の言葉は薄くならない。

廊下の窓に、夕方の光が差していた。
反転した世界の中で、私はようやくひとつだけ確信する。

――カードを削った人は、確実に“意図”を持っていた。
そして、その意図は、私の名前の周りにある。