栞が繋ぐ一行体験――3冊のページで、告白を完成させる

面談室は、職員室の奥にある小さな部屋だった。
扉のガラスには白い紙が貼られていて、中が見えない。外から見えない、ということは――中で何が起きても外に漏れないということだ。

椅子が三つ。
机の上に、学校のロゴ入りの紙コップ。使われていないペン。
壁の時計だけが、やけに正確に秒を刻んでいる。

私は一番端の椅子に座った。
背もたれが硬い。座ると姿勢が正されるようにできている。
正される姿勢は、逃げられない姿勢と似ている。

向かいに座ったのは、図書担当の先生と、学年主任。
二人とも、表情が“仕事”の顔だ。
感情を見せない顔。波風を立てない顔。
私はその顔を前にすると、自分の感情が“迷惑”になる気がして、小さくなる。

「紬、体調は大丈夫?」

学年主任が最初に言った。
優しい言葉なのに、順番が決まっているように聞こえる。
まず“心配”を置いてから、“確認”に入る。
大人の会話は、そういう構造をしている。

「……大丈夫です」

言った瞬間、先生たちが小さく頷いた。
“続けられる”という確認。

図書担当の先生が、机の上の紙を一枚、私の方へ滑らせた。
コピー用紙。告発文の内容をまとめたもの。
そして、その横に貸出カードの写真が数枚。スマホで撮った画像らしい。
空白の行が、拡大されている。

「これ、見て」

私は紙を見た。
空白が、昨日より大きく見える。
剥がし跡の毛羽立ちが、写真でも分かる。

「この空白について、心当たりは?」

「……ありません」

同じ答えを何度言っただろう。
言うたびに、言葉が薄くなる気がする。
薄くなった言葉は、相手に届かない。

学年主任が、机に両手を置いて身を乗り出した。

「紬。ここからは、君のために言う。――今、学校として一番困るのは、噂が広がることだ」

困る。
“学校が困る”。
私が困っているはずなのに、主語が学校になる。

「このままだと、君がつらい。クラスも落ち着かない。先生たちも動けない」

動けない、の意味が分かる。
“明確な結論”がないと終われない。
終われないものは、誰かに押し付けたくなる。

図書担当の先生が、声を落とす。
秘密を共有するふりをする声。

「もし、うっかり触ってしまったとか、軽い気持ちで消してしまったとか……そういうことなら、今のうちに言った方がいい」

うっかり。
軽い気持ち。
そんなふうに、私の“罪”の形を先に用意される。

「そういうのはね、認めれば軽く済む」

学年主任が言った。
軽く済む。
その言葉が、椅子の背もたれより硬く胸に当たる。

軽く済むのは、誰にとって?
学校にとって。先生たちにとって。クラスにとって。
そして――私にとっても、だと彼らは言いたいのだろう。
「認める」ことで、噂の種は一つに収束する。
収束すれば、終わる。終われば、戻れる。

でも戻れる場所は、本当にある?

「……私、やってません」

私は小さく言った。
言いながら、自分の声が紙みたいに薄いと思った。
告発文の紙の方が、よほど強い。

図書担当の先生が、ため息をついた。
責めるためじゃなく、現実の重さを示すためのため息。

「紬。君がやってないなら、誰がやった?」

その質問は、罠みたいだった。
誰かを名指しした瞬間、私は“犯人探しをする人”になる。
佐伯先輩が言った通りだ。規則違反になる。
それに――遼の名前が喉まで上がってくる。
でも出したくない。出したら、彼は終わるかもしれない。

「……分かりません」

「分からない、は困る」

学年主任の声が少しだけ硬くなる。
その硬さが、私の背中を押す。
押される方向は、ひとつしかない。

認めろ。

私は手のひらを握りしめた。
掌の中の爪が痛い。痛みが、まだ生きている証拠になる。
痛みがなかったら、私はこの場で「はい」と言ってしまう気がした。

図書担当の先生が、机の上の写真を指で叩いた。

「ここね。削ってる。消しゴムじゃなくて、紙を薄くしてる。わざわざ。これは“うっかり”ではない可能性が高い」

“うっかり”ではない。
つまり、意図。
意図があるなら、動機が必要になる。

「君に、誰かをかばう理由はある?」

学年主任が言った。
一瞬、息が止まった。
かばう。
遼の顔が浮かぶ。
“守ることは、黙ることに似ている”。
胸ポケットに栞は入れていないのに、数字の感触だけがそこにある。

「……ありません」

嘘ではない。
私はまだ“かばう理由”を言語化できない。
遼が何をしたか、確定していない。
確定していないのに、かばうという言葉で括られたくない。

学年主任は、少しだけ声を柔らかく戻した。
優しさに戻すタイミングまで、決まっている。

「紬、君がつらいのは分かる。でもね、学校は“処分”という形でしか動けないことがある」

処分。
告発文の単語が、そのまま先生の口から出た。
胸の奥が冷たくなる。

「処分を受けるのが嫌なら、今のうちに正直に言った方がいい。軽い処分で済むうちに」

軽い処分。
それは、罪を認める前提の言葉だ。
私は何もしていないのに、軽い罪を受け入れろと言われている。

私は机の端を見つめた。
木目が、波みたいに続いている。
その波の上で、自分の名前が揺れているみたいだった。

(ここで折れたら、終わる)

折れたら、終わる。
“終わる”のは噂じゃない。
私の中の、私が。
「私はやってない」と言える私が。

私は顔を上げた。
先生たちの目を見る。
怖い。でも目を逸らしたら、負ける。

「……私、やってません」

三度目。
同じ言葉のはずなのに、今度は少しだけ重みを込めた。
重みを込めるために、私は一つだけ条件を付け足した。

「……だから、調べさせてください」

二人の先生が、同時に瞬きをした。

「調べる?」

図書担当の先生が眉を寄せる。

「司書委員の規則では、私たちが勝手に犯人探しはできないのは分かってます。貸出カードも触れないように言われました。だから――」

私は息を吸い、言葉を選びながら続ける。

「本を読みます。栞のページを確認します。記録じゃなくて、記録が示す“本”を追います。私の名前が消された理由を、ページから探します」

言い終えたとき、部屋の空気が少し変わった。
先生たちの“仕事の顔”に、ほんのわずかだけ困惑が混ざる。
予想していない答えだったのだろう。

学年主任が、慎重に言う。

「それで……何が分かると?」

私は、言い切れなかった。
遼の名前を出せない。
でも出さずに通すには、言い方が必要だった。

「……少なくとも、私が改ざんしていないことは証明できます。私は、貸出カードを削ってない。削れる時間も場所も、私は持ってない。だから、残っているものから辿ります」

図書担当の先生が、しばらく黙った。
その沈黙が長い。秒針の音が大きい。

やがて先生は言った。

「……いい。勝手に記録には触るな。先生の許可なしに準備室に入るな。それだけ守れ」

私は頷いた。
規則の枠の中で、動ける隙間をもらえた。

でも、最後に学年主任が念を押すように言った。

「紬。繰り返すけど――認めれば軽く済む。君が苦しくなる前に、選びなさい」

選ぶ。
罪を認めて終わらせるか。
答えを掴んで終わらせるか。

私は椅子から立ち上がり、頭を下げた。
口の中は乾いたままだ。
でも、胸の奥の芯だけは、まだ折れていなかった。

――私は、軽く済ませない。
軽く済ませたら、遼のページも、空白の意味も、全部消える。
消されるべきじゃないものまで、消えてしまう。