司書委員のミーティングは、図書準備室で行われる。
図書室の奥、普段は立ち入り禁止の小さな部屋。段ボールと台帳と、修理用のテープが積んである場所。
そこに「集まって」と言われると、私は毎回少しだけ背筋が伸びる。司書委員は、学校の中で珍しく“手続き”を任されているから。
その日、準備室の空気はいつもより硬かった。
蛍光灯の光が白くて、机の上のホコリまで目立つ。
「じゃあ、始めるよ」
委員長――三年の佐伯先輩が言った。
きっちり結んだ髪。腕章の位置。声のトーン。
“正しい”が服を着たみたいな人。
私は先輩の前に座るだけで、自然と背筋が揃う。
(……この人が、告発文の文体っぽい)
思ってしまって、慌てて頭を振る。
疑う癖は、もう嫌だ。
机の上には、司書委員の連絡ノート。貸出当番表。紛失・破損の報告用紙。
どれも“規則”の形をしている。
佐伯先輩が私を一度見て、すぐに視線をノートに戻した。
同情でも敵意でもない、淡々とした目。
それが逆に怖い。
「昨日の件、聞いてるね」
言い方が、もう決めている。
“昨日の件”と一括りにされると、私の気持ちの全部がそこに押し込められる。
「当番表に記録の不整合があるって、先生方が言ってた。貸出カードの扱いについて、全員で確認する」
佐伯先輩は淡々と続ける。
私は頷く。口が乾いている。
「まず前提。貸出カードと台帳は“図書室の記録”。勝手に持ち出さない、勝手に書き換えない、勝手に複写しない」
“勝手に”。
その言葉が、私の胸の奥を刺す。
私は勝手に何もしていないのに、勝手に疑われている。
隣の席の沙良が、私を見ないまま小さく息を吐いた。
「それから。調査って言っても、私たちが勝手に『誰がやった』って犯人探しをするのはダメ。これは先生がやること。私たちの仕事は――記録を正しく保つことだけ」
佐伯先輩の言葉は正しい。
正しいのに、私はその正しさが怖い。
“犯人探しをするな”。
でも、先生たちの「まだ」は続く。
“まだ”の間、私は傷つき続ける。
「質問」
佐伯先輩が顔を上げた。
全員が黙る。準備室の蛍光灯だけがジリジリ音を立てる。
「貸出カードを抜いて机に並べたのは、誰?」
私の喉が詰まる。
昨日、私は見た。触った。確認した。
先生にも見せた。
でも“抜いて並べた”のは、当番としてやることだ。破損チェックのために。規則の範囲だ。
「……私です」
声がかすれた。
沙良が小さく身じろぎする。
他の委員の視線が、机の上に落ちる。
佐伯先輩は頷いた。
頷きは、肯定じゃなく“記録”だった。
「当番として、確認のために抜いた。それは規則内。問題は、その後だ」
その後。
その後、私は返却ボックスの底で粉と紙片を見つけた。
その後、栞が増えた。
その後、遼は来なくなった。
でも、ここでそれを言うと、私は“勝手に調査した人”になる。
規則が、私の口を塞ぐ。
「次。返却ボックスの中身を、当番以外が触ることはある?」
佐伯先輩の問いに、委員の一人が首を振る。
「基本ないです。返却は利用者が入れるだけで、取り出すのは当番」
「そう。だから当番の責任は重い。――紬、今の状況で、勝手に動くと、余計に疑われる」
佐伯先輩が私を見た。
目が、ほんのわずか鋭い。
責めているというより、釘を刺している。
「先生たちは『証拠』って言うかもしれない。でも、私たちが持ち出したら、それ自体が規則違反になる。分かるね?」
分かる。
分かるけれど、それで私は救われない。
「だから、今後この件で触れるのは、先生の指示があるときだけ。私語で広げない。ノートに書かない。SNSに書かない。――いい?」
委員たちが小さく頷く。
私も頷く。
頷きながら、胸の奥で何かがキシ、と音を立てる。
ノートに書くな。
でも私は昨日、メモアプリに書いた。
ページ番号も、欠落日も。
書かなければ忘れる。忘れたら、私は“何も言えない人”になる。
でも書けば、規則違反になるかもしれない。
佐伯先輩は最後に、決定を言い渡すみたいに言った。
「今日からしばらく、紬の当番は外す。混乱を避けるため。これは責任の判断じゃない。状況の判断」
外す。
図書室から。
私の居場所から。
「……嫌です」
言葉が勝手に出た。
自分でも驚くほど、声が震えていた。
準備室が静まり返る。
沙良が、私をちらっと見る。
佐伯先輩は、表情を変えないまま、ゆっくり息を吐いた。
「気持ちは分かる。でも――」
「私、やってないのに」
私は噛みつくように言った。
口にした瞬間、涙が出そうになって、必死で飲み込む。
泣いたら、弱さになる。弱さは、疑いを濃くする。
佐伯先輩は、少しだけ声を柔らかくした。
「だからこそ、今は動かない方がいい。規則は、君を守るためにもある」
規則が、守るため。
遼のページの言葉が頭をよぎる。
守ることは、黙ることに似ている。
私は、頷けなかった。
守るために黙るなら、私はずっと黙らされる。
黙っている間に、私の名前は誰かに決められる。
準備室の空気は、正しさで固まっている。
私はその固さの中で、ひとりだけ息がしづらかった。
(規則の中で、できることは何)
勝手に動くな。
持ち出すな。
書き写すな。
なら、私は――“見る”しかない。
見る。覚える。ページを開く。
記録そのものじゃなく、記録が示す“本”を追う。
貸出カードに触れないなら、貸出カードが入っている本を追う。
栞で示されたページを追う。
規則の外に出ずに、答えへ近づく方法。
佐伯先輩の言葉が、まだ部屋に残っている。
「状況の判断」
状況が私を外すなら、私は状況を変えるしかない。
私は膝の上で拳を握りしめ、爪が掌に食い込む感覚で、静かに決めた。
――規則を破らずに、真相に触れる。
図書室の奥、普段は立ち入り禁止の小さな部屋。段ボールと台帳と、修理用のテープが積んである場所。
そこに「集まって」と言われると、私は毎回少しだけ背筋が伸びる。司書委員は、学校の中で珍しく“手続き”を任されているから。
その日、準備室の空気はいつもより硬かった。
蛍光灯の光が白くて、机の上のホコリまで目立つ。
「じゃあ、始めるよ」
委員長――三年の佐伯先輩が言った。
きっちり結んだ髪。腕章の位置。声のトーン。
“正しい”が服を着たみたいな人。
私は先輩の前に座るだけで、自然と背筋が揃う。
(……この人が、告発文の文体っぽい)
思ってしまって、慌てて頭を振る。
疑う癖は、もう嫌だ。
机の上には、司書委員の連絡ノート。貸出当番表。紛失・破損の報告用紙。
どれも“規則”の形をしている。
佐伯先輩が私を一度見て、すぐに視線をノートに戻した。
同情でも敵意でもない、淡々とした目。
それが逆に怖い。
「昨日の件、聞いてるね」
言い方が、もう決めている。
“昨日の件”と一括りにされると、私の気持ちの全部がそこに押し込められる。
「当番表に記録の不整合があるって、先生方が言ってた。貸出カードの扱いについて、全員で確認する」
佐伯先輩は淡々と続ける。
私は頷く。口が乾いている。
「まず前提。貸出カードと台帳は“図書室の記録”。勝手に持ち出さない、勝手に書き換えない、勝手に複写しない」
“勝手に”。
その言葉が、私の胸の奥を刺す。
私は勝手に何もしていないのに、勝手に疑われている。
隣の席の沙良が、私を見ないまま小さく息を吐いた。
「それから。調査って言っても、私たちが勝手に『誰がやった』って犯人探しをするのはダメ。これは先生がやること。私たちの仕事は――記録を正しく保つことだけ」
佐伯先輩の言葉は正しい。
正しいのに、私はその正しさが怖い。
“犯人探しをするな”。
でも、先生たちの「まだ」は続く。
“まだ”の間、私は傷つき続ける。
「質問」
佐伯先輩が顔を上げた。
全員が黙る。準備室の蛍光灯だけがジリジリ音を立てる。
「貸出カードを抜いて机に並べたのは、誰?」
私の喉が詰まる。
昨日、私は見た。触った。確認した。
先生にも見せた。
でも“抜いて並べた”のは、当番としてやることだ。破損チェックのために。規則の範囲だ。
「……私です」
声がかすれた。
沙良が小さく身じろぎする。
他の委員の視線が、机の上に落ちる。
佐伯先輩は頷いた。
頷きは、肯定じゃなく“記録”だった。
「当番として、確認のために抜いた。それは規則内。問題は、その後だ」
その後。
その後、私は返却ボックスの底で粉と紙片を見つけた。
その後、栞が増えた。
その後、遼は来なくなった。
でも、ここでそれを言うと、私は“勝手に調査した人”になる。
規則が、私の口を塞ぐ。
「次。返却ボックスの中身を、当番以外が触ることはある?」
佐伯先輩の問いに、委員の一人が首を振る。
「基本ないです。返却は利用者が入れるだけで、取り出すのは当番」
「そう。だから当番の責任は重い。――紬、今の状況で、勝手に動くと、余計に疑われる」
佐伯先輩が私を見た。
目が、ほんのわずか鋭い。
責めているというより、釘を刺している。
「先生たちは『証拠』って言うかもしれない。でも、私たちが持ち出したら、それ自体が規則違反になる。分かるね?」
分かる。
分かるけれど、それで私は救われない。
「だから、今後この件で触れるのは、先生の指示があるときだけ。私語で広げない。ノートに書かない。SNSに書かない。――いい?」
委員たちが小さく頷く。
私も頷く。
頷きながら、胸の奥で何かがキシ、と音を立てる。
ノートに書くな。
でも私は昨日、メモアプリに書いた。
ページ番号も、欠落日も。
書かなければ忘れる。忘れたら、私は“何も言えない人”になる。
でも書けば、規則違反になるかもしれない。
佐伯先輩は最後に、決定を言い渡すみたいに言った。
「今日からしばらく、紬の当番は外す。混乱を避けるため。これは責任の判断じゃない。状況の判断」
外す。
図書室から。
私の居場所から。
「……嫌です」
言葉が勝手に出た。
自分でも驚くほど、声が震えていた。
準備室が静まり返る。
沙良が、私をちらっと見る。
佐伯先輩は、表情を変えないまま、ゆっくり息を吐いた。
「気持ちは分かる。でも――」
「私、やってないのに」
私は噛みつくように言った。
口にした瞬間、涙が出そうになって、必死で飲み込む。
泣いたら、弱さになる。弱さは、疑いを濃くする。
佐伯先輩は、少しだけ声を柔らかくした。
「だからこそ、今は動かない方がいい。規則は、君を守るためにもある」
規則が、守るため。
遼のページの言葉が頭をよぎる。
守ることは、黙ることに似ている。
私は、頷けなかった。
守るために黙るなら、私はずっと黙らされる。
黙っている間に、私の名前は誰かに決められる。
準備室の空気は、正しさで固まっている。
私はその固さの中で、ひとりだけ息がしづらかった。
(規則の中で、できることは何)
勝手に動くな。
持ち出すな。
書き写すな。
なら、私は――“見る”しかない。
見る。覚える。ページを開く。
記録そのものじゃなく、記録が示す“本”を追う。
貸出カードに触れないなら、貸出カードが入っている本を追う。
栞で示されたページを追う。
規則の外に出ずに、答えへ近づく方法。
佐伯先輩の言葉が、まだ部屋に残っている。
「状況の判断」
状況が私を外すなら、私は状況を変えるしかない。
私は膝の上で拳を握りしめ、爪が掌に食い込む感覚で、静かに決めた。
――規則を破らずに、真相に触れる。


