台本にない恋、はじめました。

 恋サーの一日目の主な企画は、仮入部ミッションだ。

 これはどのシリーズにおいても恒例の流れで、参加者はくじ引きによって二チームに分かれ、簡単な出し物を考えることになっている。内容はチームごとに自由で、アイドルに見立てた歌のパフォーマンスをしたり、即興の朗読劇を披露したりと様々だ。
 芸能人、もしくは芸能人志望が集まるこの番組において、この企画は単なるレクリエーションではない。

 ここでどれだけ印象を残せるかが、今後の立ち位置を大きく左右する。加えて、初対面同然の状態で行われるグループ分けのため、一日目の第一印象は、ほぼこのイベントで決まると言っても過言ではなかった。

「みんな、くじ引き取った?」

 参加者のうち一人が、代表して声をかける。
その瞬間、心臓が早鐘を打ち始めた。
 第一印象なんて、まだ何も定まっていない。どのグループになろうが関係ない──そう思おうとしたのに、どうしても緊張が拭えない。

 理由は、わかりきっていた。

「じゃあ、いくよ。せーの」

 俺は自分のくじの色を見るより先に、三國の手元を見てしまった。

 青。

 次の瞬間、恐る恐る自分のくじを見る。──同じく、青。
 胸の奥が、じん、と熱を持つ。

「香坂くん、一緒のグループだねっ」

「──えっ、あぁ……うん」

 声をかけられて、はっと我に返る。

 その一瞬前、確かに三國と目が合った気がした。
 彼が俺を見る理由なんてない。そう頭ではわかっているのに、ほんの一瞬、柔らかく微笑まれたような錯覚が残っていた。そのせいで、女の子からの声が、少し遠くに聞こえてしまう。
 いけない、と気を引き締める。
俺は恋愛リアリティーショーに参加しているんだ。

「同じチームで嬉しいね」

 できるだけ自然に、そう返す。

「じゃあ、俺らの出し物は何にしようか」

 グループ分けが終わるや否や、三國が自然と場を仕切り始めた。

 青チームは三國と俺、それに女の子が二人。赤チームも同じ構成らしい。

「三國は、アイドルデビューする予定なんだよね? だったら、歌とダンスを組み合わせたパフォーマンスはどうかな?」

 俺は出来るだけ、動揺と緊張を顕にしないように語りかけた。


「えーっ! いいねっ。私、香坂くんとデュエットしたぁい」

 講義室に入ったときから、ずっと俺に積極的に話しかけてくれている彼女──姫川さん。
 
 お嬢様然としたふわふわのヘアスタイルに、甘い声。姫という名前の印象そのままの女の子だ。彼女はSNSの他にモデルとして活躍しており、有名なファッション誌の専属モデルらしい。

「え、うれしい。俺でいいの?」

「香坂くんがいいのっ!」

 気づけば、その場は完全に俺と姫川さんだけの空気になっていた。
 
 ふと視線を動かすと、三國が少しだけ拗ねたような、嫉妬しているような顔でこちらを見ている。
 ……もしかして、彼女のことが気になっているんだろうか。
 確かに、三國が好きそうなタイプだ。明るくて、可愛らしくて、俺とは正反対。
 クラスメイトに「この中で好みの女の子は?」と雑誌を開いて聞かれたとき、彼は決まって内に弱いところを秘めてそうな、守ってあげたくなるような子を選んだ。

「伊藤さんは、何かやってみたいことある?」

 気まずさに耐えかねたのか、三國がもう一人の女子に話を振る。

 そういうところだ。みんなが置いていかれないよう、自然に気を配れるところ。高校生の頃、俺が彼を好きだった理由を、否応なく思い出してしまう。

「えっと……実は私、漫才が好きで。できたら漫才とか、やってみたいです……」

「え!? 伊藤さん、漫才好きなの? 俺も!」

 三國が勢いあまり、身を乗り出して問いかけた。伊藤さんは少し照れながらも話し始める。

「お笑い好きで……芸人だと、去年N-1で優勝した上げ降り金星とか……備品さんのヨーチューブも見てます」

 その瞬間、冷や汗が頬を伝った。

 上げ降り金星──それは、高校時代から三國が一番好きだった芸人だ。
 彼らがまだ無名だった頃から追いかけていて、一緒に生の舞台を観に行ったこともある。

 そのとき隣にいたのは、いつも俺だったのに。
 三國の顔を見る。
今日一番と言っていいほど、きらきらと目を輝かせている。
 その表情が、苦しい。思わず唇を噛んだ。

「嘘、俺も芸人で一番好き。俺たち、気合うな」

 二人の会話は、誰が見ても盛り上がっていた。

 姫川さんが何度か話題を振ってくれていたのもわかっている。でも、申し訳ないことに、ほとんど頭に入ってこなかった。
 ──俺だって、知っていた。

 三國が上げ降り金星を好きなことも、こういう話で目を輝かせることも。
 それなのに。
 
 同じ恋愛の土俵にすら立てないくせに、嫉妬してしまう自分が、どうしようもなくみっともない。

「でもでも、漫才だとネタ考えるの大変ですよねっ? 香坂くんも、そう思わない?」

 姫川さんの言葉に、正直、助かったと思ってしまった。

「そうだね……今回は、別のパフォーマンスにしたほうが良さそうだね」

 二人には申し訳ないが、これ以上、目の前で二人だけの共通の話題で盛り上がられてしまったら、メンタルが保てない。


「そっか。じゃあ、最初に花埜が提案してた歌とダンスにするか」

 少し残念そうにしながらも、三國は同意する。


「曲は、流行りの『彦星とkitten』とか、どうでしょう……?」

 続けて、伊藤さんが提案した。
 『彦星とkitten』は今流行りの恋愛ソングで男女でのデュエット箇所もたくさんある。


「えぇ! いいねっ。男の子も女の子も歌えるし! ダンスはwikwokで流行ってる振り付けとかで!」

「賛成。すごくいいと思う」

 こうして、俺たちのグループは『彦星とkitten』を、wikwokの振り付け付きで四人で披露することに決まった。
 その後、歌割りを決めたけれど、もちろん俺と三國のデュエットはない。

 高校時代、二人でカラオケに行けば、冗談みたいにデュエットばかりしていたことを思い出す。
 恋愛リアリティーショーに参加するということは、三國への恋心を隠し通さなければならないだけじゃない。

 彼が、これから俺の目の前で女の子と恋をするのを、見届けなければならないということだ。
 この一週間は、なんて地獄のような日々なんだろう。
 胸の奥に沈殿する憂鬱を押し殺しながら、夕方の発表に向けて、俺は歌の練習を続けた。

 ※※※

 夕方。簡易ステージとして設えられた講義室の前方に、出演者全員が集められた。

 照明といっても、天井のライトを少し落とした程度なのは当然の如く、観客は俺たちだけで講義室の席が客席だ。
 それでも、いざ「本番」となると、空気は一変する。
 赤チームが先に披露を終え、拍手が湧く。彼らのパフォーマンスはアニメ映画のワンシーンを再現した簡易的なドラマだった。

 続いて、赤チームの一人が青チームの名前を呼ぶ。

「次はー、青チームのみなさんです〜! どうぞー!」

 喉がひくりと鳴る。
深呼吸をして、俺たちはステージ中央へと進んだ。
 音楽が流れ出す。イントロの数秒が、やけに長く感じられる。
 最初は全員でのパート。
練習通り、振り付けも、立ち位置も問題ない。みんなの視線が一斉にこちらに向けられているのがわかる。
 
 姫川さんの笑顔は完璧で、伊藤さんも少し緊張しながら、それでも楽しそうに声を出していた。
 そして──二番に入る。
 事前に決めた通り、ここからは三國と伊藤さんのデュエットパートだ。
 二人が向かい合う。マイクを手に、視線を合わせて、息をそろえる。
 その光景を見た瞬間、胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
 三國の声は、知っている。
高校時代、隣で何度も聞いた。夜遅くまでカラオケで歌い続けたことも、思い出せる。
 ──でも、今は違う。
 伊藤さんに向けて歌うその声は、どこか柔らかくて、優しくて。
冗談交じりでも、照れ隠しでもない、まっすぐな音だった。
 楽しそうだ。心から、楽しんでいる。……それが、どうしようもなく苦しい。
 視界が滲む。──だめだ、泣くな。
 ここはステージだ。
恋サーだ。

 俺は、恋愛対象として、ちゃんと“そこ”に立たなきゃいけない。
 奥歯を噛みしめて、涙を押し戻すが、胸の中で渦巻く感情が、呼吸を乱した。
 次は、俺のソロパート──わかっている。歌詞も、メロディも、何十回も練習した。
 なのに。
 あれ? 一行だけ、頭から抜け落ちた。心臓が跳ねる。

 次のフレーズが、出てこない。視線が泳ぎ、口が空回りしそうになる──まずい。
 その瞬間。
 三國の声が、俺の耳に届いた。
 本来は自分のパートじゃないはずの歌詞を、自然に、当たり前みたいに歌ってくれる。俺のすぐ隣で。
 視線を向けると、三國がこちらを見ていた。ほんの一瞬、目が合う。
 大丈夫、というように、彼は小さく笑った。
 ……ずるい。
 その一言で、胸の奥が、さらに熱くなる。
 俺も、続けて声を出した。三國の歌声に導かれるように、音程と歌詞を取り戻す。
 二人の声が、重なる。
 それは、かつて何度も繰り返した光景だった。

 ステージじゃなく、カラオケボックスの薄暗い部屋で。恋愛なんて言葉すら、意識していなかった頃の。
 ──ああ。やっぱり、俺は。俺は、三國が好きなんだ。
 どんなに隠そうとしても。どんなに、見ないふりをしても。
 曲が終わり、最後のポーズを決めたとき、拍手が起こる。想像以上に大きな音だった。
 俺は、深く頭を下げながら、必死に表情を保った。
涙が落ちる前に、照明が落ちてくれてよかったと思う。
 席についたとき、隣にいた三國が小さな声で言った。

「……さっき、危なかったな。でも、ちゃんと歌えてた」

 何でもないことみたいに。昔と同じ距離感で。

「……ありがとう」

 それだけ言うのが、精一杯だった。
 恋サー一日目は、まだ終わっていない。でも、俺の中では、もう一つの何かが、静かに決定的な音を立てて始まってしまった気がしていた。

 ※※※

 学食での夕食を終え、談笑もひと段落した頃、スタッフから次の説明が入った。

「これから、匿名レターの時間に入ります。一番気になる相手に、手紙を書いてください。名前は書かず、内容のみ。書き終えたら、一人ずつ廊下に設置されたポストに投函してください。投函の様子は撮影しません」

 その言葉に、胸が小さく跳ねた。
 紙とペンが配られる。白い紙を前にして、俺の手はしばらく動かなかった。
 一番気になる人は、考えるまでもない。浮かぶ顔は、最初から決まっている。
 三國。
 けれど、ペン先は紙に触れない。どんな言葉を書いても、嘘になる気がした。
本当の気持ちを書いてしまえば、それはもう“参加者としての香坂花埜”ではいられなくなる。
 何より彼に渡る可能性がある。
それだけで、怖かった。
 視線を上げると、少し離れた席で姫川さんが、迷いのない手つきでペンを走らせている。楽しそうで、期待に満ちた表情だった。
 ……そうだ。俺は、恋愛リアリティーショーに来たんだ。深呼吸をして、紙に向き直る。 

『もっと、君のことを知ってみたいです』

 短くても、嘘ではない言葉。
 書き終えた瞬間、胸の奥がちくりと痛んでも紙を折り、封筒に入れ、廊下に並んだポストの前に立つ。

 名前の書かれたボックスを見て、ほんの一瞬、三國の名に視線が止まる。
 ──違うだろ、と、脳に向けて繰り返し言うと、俺は姫川さんのポストに、そっと手紙を入れた。
 それだけのことなのに、逃げるみたいに、その場を離れてしまった。

 ※※※

 しばらくして、今度は手紙の回収時間になった。

「自分宛てのレターを取りに行ってください。中身は各自で確認してくださいね」

 廊下に出ると、あちこちで小さなどよめきが起きていた。誰かがくすりと笑い、誰かが驚いた声を上げる。
 俺も自分のポストの前に立つ。中を見ると、三通の封筒が入っていた。

「え……?」

 一瞬、言葉を失う。まさか、三通も……予想していなかった数だ。だって、女の子の参加者は四人なのだから。
 部屋に戻り、ベッドに腰掛けて、一通ずつ開く。
 一枚目。

『みんなの王子様へ。お姫様として、私だけの王子様になってほしいなっ』

 これは、間違いない。姫川さんだ。お姫様として、というのは姫川という名前=姫なのだろう。
 二枚目。

『明日は、あなたともっと話したいです』

 文字は少し控えめで、丁寧。今日あまり話せていないということなのだから、青チームではない。たぶん、赤チームの内の誰か。
 そして、最後の一枚。紙を開いた瞬間、呼吸が止まった。

『あなたに会うために、この恋サーに参加しました。あわよくば、二人で恋愛ができることを願っています』

 ……誰だ。背中に、ぞわりとしたものが走る。
 俺に会うために?
 そんな人物、思い当たらない。冗談でも、軽いノリでもないと思う。丁寧に綴られた文面は真剣で、真っ直ぐだった。
 胸の奥が、ざわつく。自分が思っている以上に、ここは“恋の場”なのだと、ようやく実感させられた。
 正体が、気になる。少しだけ、怖くて。
いや、確かに好奇心として心が動いている自分がいた。

 廊下の方を見ると、三國も自分のポストを開けているところだった。
 中身は、見えない。手紙の内容は、本人しか確認できない決まりだ。
 ただ、反応を見るに彼のポストにも、複数の封筒が入っていたようだった。

「……」

 その近くで、伊藤さんが、少し顔を赤くして俯いている。三國と目が合うと、照れたように小さく笑った。
 あーあ、と。胸が、すとんと沈む。
 もしかしたら──いや、きっと。三國と伊藤さんは、既に両思いなんじゃないか。
 そう思った途端、喉の奥が苦しくなる。
さっきまで気になっていた三通目の手紙の存在すら、遠のいていった。
 部屋に戻り、ベッドに横になる。電気が消え、部屋が静かになると、今日一日の出来事が、次々と蘇ってくる。
 歌ってくれた声に、手紙を書けなかった名前。
そして、彼のポストに入っていた、複数の封筒。
 ──一日目で、これだ。
 この先、俺は、何を見せつけられるんだろう。胸に残る痛みを抱えたまま、目を閉じる。
 恋サーの夜は、思っていたよりもずっと、長く感じられた。