台本にない恋、はじめました。

 ずっと、みんなの望む俺として生きてきた。華やかで、宝石のようにきらきらした、誰もが羨む顔に見合うように。

 いつも表情を和らげ、笑顔を絶やさず、何があっても感情の波を荒立てず、誰にでも親切に、優劣をつけずに同じように接する。
 みんなが望む自分でいることは、楽をしているように見える。けれどその実、敷かれたレールから少しでも外れることは許されなかった。
 だから、高校のときに、親友の男を好きになってしまったことは──ただの、間違いだった。……はずだ。
 みんなの王子様である限り、俺が男に恋をすることは、赦されないのだから。
 俺は、高校卒業と同時に芸能の仕事に本腰を入れることを言い訳に東京の大学へ進学し、逃げてしまった。
 彼から。彼の元から。

香坂(こうさか)くん、オーディションの話があるんだけど」

 上京してすぐ舞い込んだ仕事──恋愛リアリティーショーへの参加。
 それは、俺が理想の王子様であるために。そして、理想の王子様を演じきるための、最後の手綱だった。
 これを機に俺は、彼を好きな自分を捨てることで、心から“みんなの王子様”として生きる。この恋も全て忘れて。
 そのときは、無邪気にも、みんなの王子様としての姿を実現可能だと本気で信じていた……。

 だって、まさか、その"彼"が同じ恋愛リアリティーショーに参加しているとは、予想できないじゃないか──!

 ※※※

 約一週間かけて行われる、恋愛リアリティーショーの撮影当日。
 番組のプロデューサーに挨拶をするために楽屋に足を踏み入れた瞬間、俺は背筋を伸ばした。胸の奥で何かが軋む音がするのを、いつもの笑顔で覆い隠す。

「本日はよろしくお願いします……!」

 少しだけ声を張る。完璧な第一声。

 プロデューサーの男性は穏やかに笑った。

「はは、そんなにかしこまらなくて大丈夫だよ」

 安心させるような口調に小さく息を吐いた。気を取り直し、プロデューサーとの会話に集中する。

「まさか本当に俺が“恋サー”に参加できるなんて」

 『恋のサークル合宿』略して恋サー。
 今、芸能界やSNSなどで活躍する現役大学生の男女が集められ、サークル合宿と称して限られた時間の中での恋と青春を繰り広げる恋愛リアリティー番組だ。
 十代を中心に人気があり、配信サイト上での視聴回数は一シリーズ毎に全話を通して平均一千万回再生という爆発的な人気を集めている。
 将来芸能界での活躍を目指す若人たちにとって、このシリーズに参加できること自体、願ってもないことなのだ。

「いやいや、まさか番組としても今注目の若手、香坂花埜(こうさかかの)くんに参加してもらえるとは思ってなかったよ」

 その言葉に、胸の内側がひくりと揺れた。
 
 “香坂花埜”という名前に向けられた期待。SNSで拡散される「完璧な男」「王子様」「欠点のない存在」。
 やはり、番組側から期待されているのは、王子様としての俺らしい。

「老若男女問わず、みんなをお姫様にしてしまう香坂くんが、恋愛リアリティーショーでどんな王子様ぶりを発揮してくれるのか期待してるよ」
「そんな……俺はありのままを振る舞っているだけですよ」

 口に出した瞬間、自分でも苦笑しそうになった。
ありのまま──それは、いちばん遠い場所にある。
 王子様になるために、ここに来たはずなのに。
嘘を終わらせるために、恋を断ち切るために、来たはずなのに。

 胸の奥が、息苦しいほどに痛むのはなぜだろう。

「スタッフさんがこれから番組の撮影について説明してくれるから。案内があったら待機中の楽屋から出て、他の参加者とスタッフがいる講義室に荷物を持って入ってね」

 その説明にそっと頷く。
 俺の芸能人としてのキャリアはこの番組にかかっていると言っても過言ではない。
 俺は覚悟を決めてここに来たのだ。特別じゃない俺として生きる道を捨てることにさえ、もう心残りを抱く余地もなかった。
 ──さよなら、ずっと憧れていた俺。
 心の中で最後の別れを口にしてから、プロデューサーの楽屋を後にした。

 ※※※

「香坂花埜さん、お時間になりましたので、まっすぐ行って直ぐ右にある講義室にお入りください。その後、講義室に入ってからお好きな席につき、参加者に名前と年齢と大まかな自己紹介をお願いします」

 「了解しました」と、返事は完璧だったはず。
それでも、扉に手をかける指先が、わずかに震えてしまう。
 ──大丈夫だ。誰も、俺の本当なんて知らない。
 深呼吸して、扉を開く。

「はじめまして」

 一斉に視線が集まる。部屋中の空気が一瞬にして変わるのを肌で感じた。

 期待、好奇心、そして恋心。

 そのどれにも慣れきった自分が、自然と笑みを浮かべる。

「大学二年生の香坂花埜(こうさかかの)です。今はモデル業を中心にタレントとしても活動しています。よろしくお願いします」

 意図的に参加者の女の子たち、ひとりひとりにしっかりと目を合わせながら話す。
 彼女たちはまたたく間に表情が緩み、自分なりの目一杯のかわいいを取り繕っている。
 きっと、年頃の男の子ならイチコロなのだろう。ここに集まるのは垢抜けた大学生の中でも上澄みの容姿を持つ男女なのだ。ただ俺にその術は効かない。
 そんな無防備な笑顔、俺なんかに見せちゃ駄目だよ。勿体無いからこれから出逢うであろう運命の人のために取っておいてほしいな、なんて思いながら、眉をひそめて笑った。

「あの。めっっちゃファンです!」
「え、そうなんだ? ありがとう」

 軽く首を傾げる。計算された角度。

 聞き慣れた言葉なのに、あたかも、初めて言われたかのように振る舞う。
 スタッフや女の子たちから歓声が上がるのを、遠くで聞いているような気分だ。

「香坂くんは、好きなタイプとかありますか?」

 来た、と内心で思う。
 ここからが“王子様”の仕事だから。

「そうだな。……好きになった人がタイプかな」

 嘘だ。
 本当は、背が高くて、明るくて、太陽みたいに笑って。俺を“王子様”としてではなく、ただの人間として扱ってくれる人にどうしようもなく惹かれてしまう。──彼、みたいに。

「じゃあ、私が香坂くんの好きなタイプになってみせますっ!」

 女の子の内の1人が、ここぞと自分のよさを積極的にアピールしていく。
 なんて健気で素敵な子なんだ。彼女はきっと今まで生きてきた中で、当たり前に"好き"を周りに受け入れられてきたのかもしれない。
 俺には縁遠い存在に感じて、胸がきゅっと締め付けられる。

「えぇ、変わろうとしなくていいよ。もし、俺が惹かれるとしたら、きっと今の君だから」
「きゃー! どういう意味ですか、それ!!」
「ふふっ、内緒」

 場の空気が一気に甘くなる。すでに現場は俺の独擅場だった。
けれど俺だけは、そこに留まる気がしなかった。

「ただ、まだ全員揃ってないよね? 俺なんかより、そっちの時間を大切にしよう。まだこれから、俺がみんなのことを知っていく時間はたくさんあるから」

 話を切り替えるように、提案すると、他の男子メンバーたちがほっとしたような顔を見せた。
 初っ端からあまりにも出しゃばりすぎてしまった。俺としてもカメラに映る機会が平等に行き渡らないことは望んでいない。
 「そうだな」と一人の男子メンバーが呟く。

 そのときだった。

「はじめまして! 俺は二年の稲垣三國(いながきみくに)って言います。今度、スターズ事務所のアイドルグループとしてデビューする予定です。まだまだ駆け出しだけど、よろしく」

 ──世界が、止まった。

「えっ……」

 聞き覚えのある声。忘れたはずの、忘れられなかった声が耳にこだまする。

「わ、男前〜」
「アイドルなんだぁ!」

 俺にうっとりとしていた女の子たちも即座に入ってきた彼に目を奪われる。
 凛々しく男らしい顔立ちに、スタイルがよい筋肉質な身体。俺とはまた違うタイプで、いかにも女子学生が好きそうな風貌だ。
 そうなるのもやむを得ない。

「香坂くん……? どうしたの?」

 ただ、そんなことではなく。俺が思わず、フリーズしてしまったのは全く別の理由だった。
 笑顔を忘れ、何も言わなくなった俺に隣りに居た女の子が不思議そうに問う。

「いや、その……」

 視線を上げた先。
そこに立っていたのは、高校時代と変わらない──いや、少しだけ大人びた三國だった。

「花埜とは高校一緒だったんだ、な?」

 何でもない風を装った口調。その目だけが、こちらを逃がさない。
 彼の言いたいことはわかっている。だって、俺は彼から黙って逃げてきたんだ。きっと今は俺のことを心底薄情なやつだと思っているだろう。

「あぁ、うん」
「え、偶然! そうなんですねっ!」

 偶然ならば、もっと何でもない出会いをしたかった。
 十年後くらいに町中でパッタリとあって、昔はよく遊んでたな、とほとんど切れた縁を何でもないように共に酒を飲む。そんな場で、実は昔お前が好きだったんだよ、今はなんとも思ってないけどな、とさり気なく思いを告げる。
 そんな理想的な再会の妄想を日々膨らませていた。

 胸の奥に、押し込めていた記憶が一気に溢れ出す。

 テスト前二人で必死になって勉強した図書館。並んで帰った道。伝えられなかった気持ち。
 高校時代に好きだった人が、同じ恋愛リアリティーショーに参加するなんて。
 しかも、ここは──“男同士の恋が、最初から存在しない”世界だ。
 俺は一体、どうしたらいいんだよ。
 いつかのカメラ奥の視聴者に悟られないよう、笑顔を崩さないまま、ぎゅっと奥歯を噛みしめた。

 恋を終わらせるために来た場所で、いちばん終わらせられなかった恋が、目の前に立っていた。