ノートをとじたら、キミに会える夢を見て。

あれから無事電気が返って来た。
実咲が親戚の人に連絡して、なんとか再開してもらったらしい。これ以上は実咲も言わないから私も聞かないことにした。無理に聞く必要もないしね。

「やっぱエアコンは快適だな」
「あたりまえだよ、よく電気のないとこで生活しようとしてたよ」
「最悪なくてもイケるかと思ってた」
「イケないよ、令和だったら死んでたよ」
「令和?」

エアコンだけじゃない、電気が使えないってことは冷蔵庫も使えないしお風呂も入れないし洗濯も出来ないし何も出来ない。
そんな状況で最悪なんてないからね。でも、エアコンは快適だなんて言ってる実咲を見て少しでも生活する気になったんだなって思ったらそれはそれで…うん、よかったなって。

「やべ、眠い…」

生活感は相変わらずないけど。何も置いてない部屋でぼぉーっと天井見ながら寝転がってるだけだから、しかもフローリングに直で。
冬だったら寒くてそんなことしてられないと思う、けど特にすることもないから隣に同じようにごろっとしてみた。
あ、案外気持ちいい。背中がひやっとして心地いいかも。

「…なんかさ」
「……。」
「これは眠くなるね」
「だろ?」

たぶん真っ白の天井が少し黄ばんでそれがあまりに無機質で、脳を全く刺激して来ないからふわーっとあくびがしたくなる。
すっかり気慣れてしまった実咲の服で、目を閉じたらこのまますーっと夢の中に引き込まれ…

「!」

そっと実咲の手が私の手に触れた。包み込むみたいに握って、ぎゅっと握りしめるから。
やめてよ、一気に眠気が覚めちゃったじゃん。ドキドキしてそれどころじゃなくなっちゃうじゃん。
チラッと隣を横目で見ても実咲は表情を変えないから、でもそんな横顔も今は胸がぽかってなるみたいで。

このまま本当に未来で実咲に会えないのかなー…?

「ねぇ実咲!」
「ん?」
「なんかする?それかどっか行くとか?」
「金ねぇぞ」
「…私もない」

これはまた川に行くことになってしまう、別にいいけど案外楽しかったし川も。

「この部屋何もないしね」
「悪かったな、何もなくて」

ただ天井をぼぉーっと見つめるだけになっちゃうか、まぁこれもこれで。ただ時間がゆっくりと流れていくのも意外と…
何もしないで、実咲と手を繋いでるのも…ね?

「ねぇ実咲は何かしたいことある?」
「だから何もする金ねぇよ」
「そうじゃなくって!そうじゃなくて…」

きゅっと実咲の手を握る、少しだけ力を込めて。

「これからやりたいこと、高校卒業して大人になって何かしたいこと…ある?」

上を見ていた、真っ直ぐ天井を。わざと隣を見ないようにして。

「別に、ないかな」
「…そっか」
「あぁ、別に…」

何かを期待してたわけじゃないけど、実咲はどんな未来を見てるのか気になった。未来を見てるのかどうかも、どう映ってるのかも。

「あ、あった」
「え、何?」
「ガリガリ君のあたり交換しに行く」
「それ今からでも出来るよね!?てゆーかまだ置いてあったの!?」
「ずっと冷蔵庫ん中」

まだあったんだ、あれ。今度こっそり交換しに行ってやろうかな。

「いつも忘れんだよ」
「冷蔵庫の中になんか入れとくからだよ」
「どっかに書いとくかな」
「そこまでしなくてもそれくらい覚えておきなよ」

繋いでいた手を離して寝転がったまま手を伸ばした実咲がリュックの中からノートと筆箱を取り出した。たぶん学校に持ってってるやつ、ペラッと開いたノートには数式が書かれてたから。
でもそんなのお構いなしに次のページをめくって“ガリガリ君交換”って書き出した。

「本当に書くんだ!?」

しかも数学のノートに、それ授業で使うやつでしょいいんだそこに書いて。

「これで忘れない」
「開かなかったら忘れるよね!?」
「……開いたら思い出すし、学校で」
「学校に冷蔵庫ないよ」

たぶんガリガリ君のあたり棒は今後も冷蔵庫の中だ、新しいガリガリ君に生まれ変わることなく一生を過ごすことになりそうだよ。

「天毬は?」
「え?」

頭を起こしてうつ伏せになった実咲が頬杖をついてこっちを向いた。

「ないの?やりたいこと」
「私は…」

私のやりたいこと…?
くるっと寝返りを打って頭を起こした。実咲の手からシャーペンを取ってノートに手を伸ばす、久しぶりに握ったシャーペンは意外にもスラスラと文字が書けた。

「“何でも出来る高校生になる!”」
「…は?」
「うん、書いといて私も“は?”って思った」

自分で書いといてイマイチしっくり来なくて、ちょっと書き方間違えたからかな。こんな言い方じゃなかったからかもしれない。

「私の副担の先生がね、言ってたの…高校生は何でも出来るお年頃なんだって」

それがなんだってイラッとした、実際は窮屈で何も出来ることなんかないのに。適当なことばっか言うんだってイライラしてた。

「その先生ね、いつも笑っててすっごい楽しそうなの!生徒立ち入り禁止の屋上で一緒にガリガリ君食べようって言うんだよ!?しかも炎天下の中!」
「へぇ…、うざいな」
「学校は楽しいとか思想押し付けて来るし、めんどくさくてむかつくし、何がおもしろいのか全然わかんないのにずーっと笑ってるし!」

思い出しても笑ってるところしかない。たぶんそんなとこしか見たことがない、学校にいる門倉先生はいつも笑ってた。

「嫌いなんだ?そいつのこと」
「…うん、嫌いだった」

私の気持ちなんか絶対わからないでしょって、いつもバカみたいに笑ってる門倉先生には私が何を思ってるかなんか想像できないって思ってた。
でも違ったんだ、わかってないのは私の方だった。

「だけど、今は好き」

私の方だったー…

「じゃあそれも書いとこう、天毬は先生が好きって」
「は?」
「忘れないように」
「なんで!?」

私からシャーペンを奪ってささっと書いた。
何その秘密の会話みたいな、黒板の隅っこに書くみたいなあれは。しかもひらがなで、たぶん漢字知らなかった。

「てゆーかそうゆう好きじゃないし!」
「じゃあどんな好きなわけ?」
「どんなって…あるでしょ、好きにもいろいろLikeかLoveかとかっ」
「オレは天毬が好きだよ」

瞳を見つめて、捕らえて。
頬杖をついた実咲がくすっとほほ笑みながら私を見てる。
話してる途中だったのに、あまりにナチュラルに言うから驚くのも忘れちゃった。

「それも書いとくか」
「なんで!?てゆーかちょっと待って!」
「書いといたら思い出せるし」
「ガリガリ君のあたりと同じ扱いなの!?」

実咲がくすくす笑いながらペンを走らせる、そんなさらっと言われて私は軽くパニックなのに。
それでも笑ってる実咲は少し見覚えがあった。面影を感じてたの。

ねぇ門倉先生、もしこのまま実咲といられたら門倉先生には会えないよね?それでもいいのかな?
門倉先生はどっちがいいですかー…?

目をつぶって、くちびるを重ねながらノートをとじた。


****


「家具も家電もないと思ってたけど服もないんだね…」 
「あるわ、3着!」
「それで毎日やってるのが信じられないよ!」
「学校の制服入れたら4着」
「……。」
「あ、夏服と冬服があるから5着だなジャージ入れたら6着ある」

まさかそんなに持ってないと思わないから今日は借りられなかった、昨日は雨で服が乾かなかったから。
服にも興味がないらしい実咲いわく、やぶれたら買うらしい。めっっっちゃ節約家ではあるね、それは。
だから今日は制服を着た、いい加減自分の制服も着とかないとって。

そんなわけで制服でスーパーへやって来た、コンビニよりちょっと距離はあったけど何か一緒に作ろうってことで。
最近の実咲は毎日3食食べることを覚えたらしく、食への興味が沸いてきたらしい。何それ今更過ぎるし、小食なのは変わらないし。
でもこうして一緒にスーパーに買い物へ行くのは、なんだかこそばゆくて。2人でカゴの乗せたカートを引いてるってなんか変な感じだよね。

「天鞠何食いたい?」
「えー何だろ、迷う…」

私の料理スキルなんてほぼないに等しいからそんな凝ったものは出来ない、だから電子レンジだけで簡単に作れるものがいいなぁ。

「寿司?」
「え、名前バカにしてる?」

一生懸命メニュー考えてる時に何言うんだってむすっとした顔で隣を見たら、笑って返された。ふってやさしく息を漏らして私を見てた。

「ううん、可愛い名前だなって」

な、なんつー恥ずかしいこと普通に言ってのけるんだ…!
私が実咲の名前をかわいいって言うのとは全然違う…
実はそんなキャラだったの?
こないだから調子狂うっていうかなんていうか…でもこーゆうとこは門倉先生だ、変わりなく門倉先生で。
きっとね、本質はこうなんだろうなぁって。これが実咲なのかなって、思う。

「あ、チーズフォンデュある!」
「チーズフォンデュ?」
「これレンチンでいいんだよ、簡単だしおいしいの!」
「へぇ」

これ10年前からある商品なんだぁ、パケはちょっと違う気がするけどメーカーはこれだったと思うんだよね。味は確定してるからあとは食材を買えばいっか。

「パンとか野菜買ってさ、チーズフォンデュパーティーしよ!あとチョコレートとかカステラとかもいい!」
「チョコレートとかカステラ…?」
「チーズと相性いいんだよ、絶対おいしいから!」
「へぇ…」

野菜もレンチンでイケるし、じゃがいもとかブロッコリーとか適当に買ってチーズフォンデュパーティーだ。
そのお金は実咲の親戚の人からで、若干の申し訳なさはあるけど今までの実咲ならたぶんこんなことしようとは思わなかったと思うから。

だからね、嬉しかった。
何を買おうか迷ってる実咲を見てるのが。
楽しかったの、他愛もない会話をしながら2人で歩くのが。

楽しかったんだ、ここにいるのが。実咲といるのが。

楽しくて、楽しくて、もう他のことなんてどうでもよかった。何も考えたくなかった。
ここにいたら考える必要もなくて、もうずっとこのままでいいんじゃないかって思ってた。
いつまで私はこの世界にいるんだろうとか、どうしてここへ来たんだろうとか、そんなのどうでもいいかなって…思ってたの、この瞬間までは。

―どんっ

「わっ」

角を曲がった時、タタタッと駆けて来た女の子がぶつかって来た。小学生ぐらいの女の子で手には箱入りのクッキーを持って、勢いよく走って来たから止められなかったみたいで。

「天鞠、大丈夫か!?」
「あ、私は大丈夫…」

だったけど、女の子はその衝撃で転んでしまって尻もちをついた状態だった。しゃがみ込んで顔を覗き込んだ、俯く女の子の顔を見るようにして。

「ごめんね、大じょ…っ」

ふっと顔を上げた女の子を見て息を飲んだ、それ以上言葉が出て来なかった。
すぅっと吸い込んだ息を吐くのも忘れて、女の子と目を合わせた。きょとんとする女の子を見て、心臓がバクバクと大きく動き出すから。
一瞬でわかった、何も言わなくてもわかった。
見た瞬間、ハッとしたのー…

“私”がいたから。

ずっと考えることをやめていた現実が、突如現れた。

「どうした、天まっ」
「天鞠っ!」

実咲が私を呼ぶ声より大きな声が後ろから聞こえた。振り向かなくてもわかる、この声は知ってる。いつも聞いてた声だから。

「てま、大丈夫?」

スッと横をすり抜けて、小さな私の手を引いて体を起こした。それは…

「ママっ」

私のお母さん。
そっか、そうだった。
ここは10年前の世界、私のいた世界から10年前の世界。10年前の世界にも私はいるんだ。

「ごめんなさい、ご迷惑をおかけして。大丈夫でした?」

今目の前にいるのは10年前のお母さんだ。

「あ、はい…大丈夫です」

すぐに立ち上がって視線を落とした。気付くわけなんかないけど、10年先の私なんて知らないんだから。でも顔が見られなかった。

「気を付けてよ、こんなとこで走ったら危ないんだから」
「だってママいなかったんだもん」
「てまが1人で行っちゃうからでしょ、ママはずっといたよ」

目を合わせる2人が、私にはぼやけてしか見えなかった。嬉しそうに笑う小さな私の声だけが耳に届いて、ドクンッと胸を打って。

「じゃあ帰ろうか、てまちゃん」

小さな手を握ったお母さんが微笑みかけたの。
その表情にほっとして、懐かしく思って、胸が押しつぶされそうになる。息が上手く出来なくなる。あんなに嬉しそうに笑う私を見たら。

あ、ダメだ。もうここにもいられない。
私の居場所はここにもない。どこにもないんだよ、私の居場所なんて。

苦しくて、苦しくて、もう何も見えないー…っ

「天鞠…っ!」

真っ暗な視界のまま走り出した。押さえきれない感情のまま、行き先もないのにただ足を動かしてた。
逃げ出したくて、ずっと逃げ出したくてやっとここにたどり着いたのにどこにいても私は私のままどうすることも出来なくて。
虚しくて、空しい。どこへ行けばいいのかもわからないのに。

お母さん笑ってた。楽しそうに笑ってた。私に向かって笑ってた。

ねぇどうして?10年後の未来にそんなお母さんはいないよ。
だけど、10年後の未来にそんな私もいない。
そんな私、どこにもいないの。

ただ無邪気に笑う、何も考えなくても楽しかったあの頃はもう何年前の話なんだろう?
いつからこうなっちゃったのかな、あの頃に戻って来れたのに私は戻れないよ。

あの頃みたいに笑えないよ、お母さん。

「天鞠…っ!!!」

追いかけて来た実咲にグイッと手を引っ張られた。止めたくなかった足を止められて苛立ってしょうがなかった。もっともっと遠くへ行きたかったのに。

「そんな急いでたら階段から落ちるぞ!」

目の前は階段だった、高台の階段の上から見える景色は無駄にキレイで。それがまた苛立って、どこでもいいから離れたいここから離れられたらどこでもいいんだから。

「天鞠どうした?大丈夫か!?」

だから手を離して、顔を見ないで、止まらなくなるから私ー…っ

「天鞠っ」

止まらなくなるからー…っ!

「私のお母さん…っ」

息を吐いた時にはもう遅くて、ワッと響くような声が宙を舞う。
なんでそんなにひょろひょろなのに、どうしてそんなに力があるわけ?そんな強く掴まないでよ、痛いじゃん、痛くて…涙がこぼれてくるから。

「再婚したの…っ、少し前に」

誰にも話したことがなかった。誰も聞いてくれる人がいなかった。
だってきっと間違ってるのは私の方だから。

「再婚相手の人は、…普通に優しい人で良い人で全然おかしなところなんかないんだけど…」

おかしくなったのはお母さんだった、そんなお母さんの様子には気付いてた。でも知りたくなかったの。

「わかってるの、わかってるんだよ…っ!再婚するのは悪いことじゃないってこと…」

いつからか私に向かって笑いかけるお母さんの顔はもうお母さんの顔じゃなかった。私を見てるようで見てないように思えて、それがどうしても許せなかった。

「その人の前だとね、お母さん変わるの…お母さんがお母さんじゃないみたいで、知らない人みたいなの」

でもいいんだよ、それは悪いことなんかじゃない。
そんな風に思っちゃう私が間違ってるの、お母さんが嬉しそうに笑ってるのにどうして私はこんなこと思っちゃうんだろうっておかしいのは私なんだ。
だからなるべく見て見ないフリそした。目を逸らせば見ることもないんじゃないかって…そしたら家に帰るのも、出来なくなった。

「お母さんにだってしあわせになってほしい、それは本当に思ってるの!」

私の居場所がわからなくなった。

「でも出来なくて…、上手く笑えないの」

お母さんの前でも、その人の前でも。どんな顔をしたらいいのかわからなくなった。

「私たぶんひどい奴だと思う」

そんな自分も嫌なの、嫌いなの。
だからいっそのこと消えてなくなりたい。そんなことを思ってる自分なんて消えてなくなったらいいのに。
そしたら考えなくていいし、こんなこと考えてる自分からも解放される。
あぁ、涙が止まらない。次から次へとこぼれてくる涙に溺れそうで。

ごめんね、お母さん。
しあわせになってねって言えなくてごめんね。

だけど私、お父さんがいなくてもよかったよ。
お母さんがいたからよかったよ。

お母さんは、ダメだったのかな?

「天鞠はひどい奴じゃねぇよ」

私の腕を掴む実咲の手に力が入る。でも少しだけ震えてた、実咲の手がふるふると小刻みに震えてた。

「オレは…ずっと死にたかった」

俯いた実咲の声がこもる、掴まれた手から伝わる温度が熱くて。

「1人だったから」

ひゅーっと風が吹いて髪の毛が揺れた。だけど寒さなんて感じない。

「親が事故で死んで…誰かもわからない親戚に預けられて終いには追い出されて、いらない存在だと思ってた」 

弱々しい声が私の耳を刺激する。どんどん、どんどん、重くなって鉛が落ちて来たみたいに胸が苦しい。
涙でもう実咲の顔が見えなくて。

「こんな世界、生きる意味もないと思ってた」

そんなこと言わないでって、言いたいのに言えない。だって私も同じだから、私だっていらないんじゃないかって思ってたよ。
きっと私がいなくなった方がいいんじゃないかってー…

「でもオレは天毬と会えたから」

実咲が顔を上げた。一粒の涙がぽろっとこぼれた瞬間クリアになった視界の先には実咲がいて。

「生きててよかった、天毬がいて、天毬といて…オレはよかった」

真っ直ぐ私見てた、実咲の瞳に私が映ってる。

「生きてていいことあった」

“生きてるからいいことだってあると思う”
そうなの、かな?じゃあ私がここへ来た意味もあったのかな?
どうして10年前の世界に来たのかわからない、でも実咲がそう言ってくれるならそれだけで。

「だから生きようって思った、天毬が死ぬなって言ったから」

そんなの、私だって…実咲に会えてよかったよ。

「そんな天鞠がひどい奴なわけないだろ」

涙がポタポタ落ちて、また前が見えなくなって。
腕を掴む実咲の手の温度だけ感じてた。もう実咲の手は震えてなかった、すぅーっと腕から滑らせた手は私の手のひらの方へ向かって。

「自分を諦めるなって言ったのは天毬だろ?」

包み込むみたいに手を握った。
涙ってどれぐらい流れたら終わりが来るんだろう?
限界なんてないのかな、拭いても拭いても流れてくるから疲れちゃったよ。

「天鞠、一緒に暮らそう」

毎日が楽しかった、そんな日々がまだあること思ってなかった。
ここにいれば何も考えなくてもいい、何も思い出さなくてもいい、実咲のことだけ想っていればいい。
ずっとそんな日が続けばいいのにって何度思ったかな。

「まだ高校生だし未成年だけどいつかは大人になる、どうにかなるよ…どうにかしてみせるから!」

もう何も見えない、涙で遮られた視界では何も映らなくて。

「だって何でも出来るんだろ?オレら何でも出来る高校生なんだから!」

まだいいのかな?願ってもいいのかな?
ねぇ門倉先生、これは諦めたんじゃないよ。何でも出来るって思ったから、もう一度前を見ようと思ったんだよ。

だからもう門倉先生に会えなくても…

「天毬、ずっと一緒にいて」

こぼれ落ちる涙を拭うことも忘れて飛び込もうと思った、実咲の胸の中に。ぎゅっと抱きしめられたかった。

10年先の未来を忘れて、ここで実咲といたいって思ったの。

「実咲…っ」

だけど…

「天鞠…っ!!!」

見えてなかった、ぐちゃぐちゃな瞳では見えなかったの。

“そんな急いでたら階段から落ちるぞ!”
一歩動けばそこは、階段がすぐそばにあったこと。教えてくれてたのに、忘れてた。

「天鞠…っ!!!」

実咲が手に力を入れてぐいっと引っ張る、だけど踏ん張る場所がない階段は真っ逆さまに落ちていくことしか出来なくて。
後ろに体が落ちていく、背中から後ろに落ちて…

あ、この感覚!
一緒だ、あの時と一緒…

屋上の階段から落ちた時とおんなじ感覚だ…!!!

「天鞠!!!!!」