アルゴリズムの墓場 ―奪われた名前と、僕の誇り―

アルゴリズムの墓場

「俺のアルゴリズムが、また『社長の英断』になったのか」

薄暗い研究室の片隅で、新田はパソコン画面を見つめながら、乾いた笑いを漏らした。画面には、大手IT企業「ネクサス」が発表したばかりの、画期的な新サービス「ディープコネクト」のプレスリリースが踊っている。そのサービスの核となる**「行動予測モデル」**――それこそが、新田が夜を徹して開発し、幾度となくデバッグを繰り返したAIアルゴリズムそのものだった。

しかし、リリース文には、新田の名前はどこにもない。「ネクサス代表取締役CEO、藤堂秀樹の先見の明とリーダーシップにより、画期的なAIサービスが誕生」とあるだけだ。

新田はネクサスに入社して五年。入社当初は「世界を変えるAIを創る」という藤堂社長の言葉に熱狂し、寝食を忘れて研究に没頭した。彼の専門は、人間の行動パターンをわずかなデータから高精度で予測する**「少数データ学習モデル」**の開発だ。既存のAIが大量のデータに依存する中、新田のモデルは「個」の深層心理に迫る可能性を秘めていた。

「このモデルは、既存の概念を覆します。パーソナライズされたサービスだけでなく、社会課題の解決にも…」

かつて、藤堂社長にそう熱弁を振るった日を思い出す。藤堂は薄い笑みを浮かべ、新田の肩をポンと叩いた。「君の才能は素晴らしい。だが、それをどう社会実装するかは、私の仕事だ」

そして数ヶ月後、新田のアルゴリズムは「ディープコネクト」として華々しく発表された。しかし、研究室に残されたのは、賞賛でも昇進でもなく、次の「社長の英断」の種となる、新たな課題だけだった。同僚たちは「また藤堂社長の手柄か」「新田の技術はすごいのにな」と囁くが、誰も声を上げることはない。それが、この巨大な「ネクサス」の不文律だった。

新田は、もう新しいアイデアを提案することはやめた。言われたタスクをこなすだけのAIエンジニア。まるで自分の魂が、コードの中に吸い取られ、社長の顔となって世に出るような感覚だった。

「このままでいいのか…」

ある日、新田は古い知人である久保と会った。久保は数年前にネクサスを辞め、数人の仲間と小さなAIベンチャー「シンギュラテック」を立ち上げていた。

「新田、お前、まだネクサスにいるのか? お前のディープコネクト、すげえよ。でも、お前の名前がないのが、世の中の歪みだよな」

久保の言葉に、新田は乾いた笑みを返した。 「俺のアルゴリズムは、もう藤堂社長の顔になってしまったから」 久保は真剣な眼差しで新田を見つめた。「お前が本当にやりたかったのは、特定の誰かの手柄になることか? もっと『個』に寄り添うAI、社会課題を解決するAIだろ?」

新田は言葉に詰まった。シンギュラテックはまだ小さな会社だが、久保は常にチームメンバーのアイデアを尊重し、彼らの名前を最前線に出していた。久保自身はビジネスモデルの構築と資金調達に奔走し、クリエイティブな部分は若手に委ねていた。まるで、かつて憧れた「未来の組織」がそこにあった。

「…もし、俺の『少数データ学習モデル』を、本当に『個』のために使える場所があるなら…」新田は震える声で言った。

数週間後、新田はネクサスに辞表を提出した。藤堂社長は驚きもせず、ただ淡々と告げた。「君の代わりはいくらでもいる。それがネクサスだ」

その言葉に、新田は何も言い返さなかった。だが、彼の心には、もう何も吸い取られるものはないという確信があった。

シンギュラテックに移籍した新田は、久保から与えられたのは、小さな予算と、そして**「完全な裁量権」**だった。新田の情熱は再び燃え上がった。彼は、難病の早期発見を支援するAIモデルの開発に着手した。そこには、一人一人のわずかな生体データから、病気の兆候を予測するという、かつての「ディープコネクト」では実現できなかった真の「個」に寄り添う未来があった。

半年後、シンギュラテックが発表した医療AIモデルは、学会で絶賛された。プレスリリースには、堂々と新田の名前が開発責任者として記されていた。そして、久保は記者会見で語った。「これは、新田が長年温めてきた、真に革新的なアルゴリズムです。私は彼がその才能を最大限に発揮できる場を提供したに過ぎません」

そのニュースを、ネクサスの藤堂社長も見ていた。かつて自分が「社長の英断」として発表した「ディープコネクト」は、すでに古くなりつつあった。そして、彼の元には、もう新しいアイデアを提案する若手の声は聞こえなくなっていた。

新田は、もう「アルゴリズムの墓場」で働くことはない。彼のコードは、もう誰かの顔となることはない。それは彼自身の名前を冠し、真に「世界を変える」ために動き始めていた。

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