六道さんで逢いましょう

『どうも、こんばんは』

 目を閉じてしばらくたった頃。
 菜穂子の耳……と言うよりは脳裡に響くかのような声が聞こえてきて、ゆっくりと意識が浮上した。

『わー……本当(ほんま)に、また会えるとは』

 どうやら途中経過はいつの間にやら通過していたのか、すっ飛ばされたのか。
 気付けば昨日案内された部屋に既に到着していて、菜穂子の目の前では、今や立派な顔見知りとなった八瀬さんが、満面の笑みでひらひらと片手を振っていた。

『昨日、ちゃんと言いましたよ?』
『いや、それはまぁそうなんですけど』

 普通、夢だったと思う方が自然じゃなかろうか。

『まあ、六道珍皇寺(ろくどうさん)でちゃんと鐘をついてくれはったからこそ出来たこととでも思っておいて下さい』

 そう言われてしまえば菜穂子としても呑み込まざるを得ない。
 が、むしろ昨日から事態が進展しなかったからこそ呼ばれたのでは……とも、頭の片隅でちょっと思っていた。

『そういうところは、さすが先生のお孫さんという気がしますね』
『あれ、声に出てました⁉』
『声というか……まあ十王庁の官吏となると、そう言うのはすぐに察せられますしね』
『えーっと……悪口いっぱい言うても筒抜けになるとか、そういう……』

 菜穂子が思わず呟いた疑問に、八瀬さんは――微笑(わら)って誤魔化した。
 地獄コワイ。

『まだ三途の川を渡ってない生者(ひと)は誤解しがちですけど、地獄というところはあくまで六道の中の一つで、もっぱら罪を犯した者が行くところです。正確には、ここはまだ地獄じゃありません』
『……一丁目とかですか』

 またしても内心か表情かを読まれた菜穂子が、半ばヤケで聞いてみれば、八瀬さんは「いえいえ」と、菜穂子の反応を面白がるように口の端を上げた。

『ああ、前に死後裁判を受けた死者(ひと)から聞きましたけど、なんやそんな歌があるらしいですね。実際に地獄道行きが決まってはじめて、そこが地獄の一丁目や言うた方が正確な気がしますよ』

 歌のことは菜穂子はよくは知らない。何かのTV番組でそんな昔の歌があると見た覚えがあるだけだ。
 そして『そんな番地はありませんからね』と、八瀬さんは面白そうに笑ったままだった。
 どう考えても、見た目に反して人生経験の差がありすぎる。菜穂子は早々に、嫌味を言うことすら諦めて、ストレートに聞くことにした。

『あの、それで今、おじいちゃんとおばあちゃんは?』

 その瞬間、意外なことに八瀬さんに貼り付いていた笑顔にピシリとヒビが入ったように見えた。
 あれ?

『えーっと……何か拗れた感じですか?』
『拗れた……まあ、私が小細工を弄しすぎて事態が膠着したと言うべきなのか……』
『えぇ……』

 確かに昨日「初めまして」だった八瀬さんではあるが、なかなかイイ性格をしているだろうことは菜穂子にも察せられていた。
 恐らく祖母を賽の河原で子どもたちの先生としてそこに留めるために、何かしら手を回していただろうことも、だ。
 その八瀬さんが多分に困惑した表情を浮かべているので、菜穂子は黙ってそのまま続きを促してみることにした。

『実は貴女がお祖父様と話をされる間、ちょっとでも高辻先生のヤル気を上げてもらおうかと、見学と称して賽の河原の子どもたちの所に実際に行ってもらったわけなんですが……』
『それって、様子を見てしまえば「残って教える」ときっと言うだろうと……』
『ははは……』

 いや「ははは」って!

『ヒドイですね、八瀬さん。おばあちゃんの善意につけ込むなんて! さすが地獄の官吏』
『いや、僕は閻魔王様の筆頭補佐官で――』
『似たようなモンじゃないですか。っていうか、話逸らさんといて下さい』
『すいません』

 ピシャリと話を遮った菜穂子に、八瀬さんも素直に謝罪を口にしている。どうやら、自分でも思うところはあったようだ。

『で、おばあちゃんは?』

 まあ、結果的に八瀬さんに誘導されていそうだと思いつつ聞いてみたところ、意外にも困ったような微笑みがそこで返された。

『あー……いえね、先生の意思云々を聞く前に、そこで僕も想像していなかった出会いと言うか、再会がありまして』
『再会』

 オウム返しに聞くしかなかった菜穂子に、八瀬さんはそれでもややバツが悪そうに、片手で頭を掻いた。

『ええ、まあ……要約すれば、そこに僕の知らない先生の教え子がいたんですよね』

 菜穂子はパチクリと、目を見開いた。

『教え子』

 まあそれは、小学校だろうとどこだろうと、教師をしていれば教え子は毎年増える。賽の河原だろうとどこだろうと八瀬青年以外に遭遇したっておかしくはない。
 菜穂子は最初、だからどうしたくらいの感覚で話を聞いていたのだが、八瀬さんの表情は妙に冴えなかった。

『賽の河原に留まっているのは、子どもなんですよ』
『聞きました。だから、おばあちゃんに見て欲しいって』
『それはつまり先生の教え子の中で、()()()()()()死んで、なおかつ裁判を受けられない子がそこにいるってことなんですよ』
『……あ』

 八瀬さんの言葉が、じわじわと菜穂子の中にも染みていく。

『僕もたいがい若かったですよ。最初にここで会って、僕が二十代で病気で死んだって聞いた先生、涙ぐんでくれはったくらいですからね。その後、十王庁で官吏やってるって聞いてさらに「頑張ってるんやね」って泣いて――って、まあ僕の話はこれくらいでいいとして』

 軽く咳払いをしている八瀬さんを見ながら、涙ぐんでいる祖母の姿が目に見えるようだなと、菜穂子は内心で思っていた。

『その子は、先生の「最後の生徒」だった。だから、先生も覚えていた。先生の記憶にある、そのままの姿なんだから、それはそうだ』
『最後……』
『つまり貴女のお祖父様が戦地から戻ってきて、そのまま先生が退職したことによって途中で担任が代わることになった生徒――ということになりますね』

 菜穂子は思わず息を呑んでしまった。 三途の川にいる子どもというのは、確か親よりも先に死に、子どもの後悔や悔悟が親に届いていない状態で、地蔵菩薩によって救われるに値するかどうかの見極めをされている子どもたちじゃなかったか。

『あるいは子ども自身が罪を犯して、残された親が亡くなった子どもを一切省みていない場合も含みますけどね』

 菜穂子の表情を読んだように八瀬さんが言葉を足す。

『いえ、あの子は何も罪を犯していない。生者である貴女にこれ以上の詳細な情報は明かせませんが、まあ……終戦直後の混乱期に不本意に命を落としてしまい、小学校を卒業出来なかった自分に未練がありすぎて、どうしていいか分からないまま賽の河原(あそこ)にいたと……そういう感じですね』

 個人情報だと言いながらも、譲歩して情報を少し提供してくれたのは、ひとえに祖母の影響だろう。

『成仏しそびれた……?』
『かなり端折(はしょ)って言うなら、そんな感じです。それで何が言いたいかというとですね、賽の河原でその子と高辻先生が出会ってしまったわけなんですよ』

 懐かしの再会、あるいは感動の再会?
 そう思った菜穂子に、八瀬青年はハッキリと眉を(ひそ)めた。

『残念ながら、そうほのぼのとした話じゃなくてですね……それ、ざっくりとでも今から何年前の話だと思います?』
『えーっと……』

(終戦の年となると、一九四五年……ざっくり七十~八十年?)

 思わず天井を見上げて年数を考えていると、それが正解とばかりに八瀬さんは頷いた。険しい表情のままで。

『その間ず――っと、小学校を卒業したかった。高辻先生に「卒業おめでとう」って言うて欲しかったと、ぶつぶつ賽の河原で石を積みながら拗らせていくわけですよ』
『…………』

 思わず背筋に寒い何かが走ったのは気のせいじゃないはず。
 そんな菜穂子に『さて』と、八瀬さんが顔を寄せた。

『そんなところに、高辻先生本人が現われたらどうなる思います?』
『えーっと……テンション上がって抱きついた、とか……?』

 完全に当てずっぽう、聞かれて何も答えないわけにもいかないと、無意識のうちに答えた菜穂子だったが、八瀬さんは『当たらずとも遠からずですねぇ』と、意外そうに目を瞠った。

『先生の授業が聞きたい、歌が聞きたい、賽の河原(ここ)で卒業式がしたい……願望ダダもれで、先生にしがみついた状態で誰も剝がせなくなってしまったんですよ』
『……しがみついた』
『子泣きジジイならぬ、子泣きババァでしょうね。見た目はともかく、実際には八十歳前なんだから』
『えぇ……』

 妙に不機嫌な八瀬青年に、菜穂子は何て声をかければいいのか、すっかり困り果ててしまった。
 確かに八十年近く、鬱屈とした思いを抱えて賽の河原にいたとなると「(こじ)らせている子ども」と言われても仕方がないのかもしれない。

 それにしても、祖母からすれば教え子は昔の姿のままだろうからすぐ分かるにしても、教え子の方は今の祖母を見てよく分かったものだ。そう思っていると、その種明かしは八瀬さんがしてくれた。

『目に見える姿がどうであれ、実際には肉体は既になく、魂が生前の幻影を纏っているようなものですから、知り合いであればすぐに分かります。今風に言えば〝気配(オーラ)〟とでも言いましょうか、そんな感じですね』
『オーラ……』
『だから僕は高辻先生がすぐに分かったし、先生も僕が名前を告げたところで、すぐに思い出して下さった。何故と聞かれると、ちょっと困るのですが。合理的な説明は出来ないので』

 なるほど、そう言っている八瀬さんの表情(かお)は、確かに「困り顔」だ。

『まあそれでも、どんな姿でいたいか……くらいは本人の希望を聞いてもいいんじゃないかということで、十王庁の審議が終了して、三つの善の道の方に行先が決まった死者(もの)の希望は聞いているといったところです。官吏になる場合は、ほどほど官吏に見える年齢とは言われてますが、基本的に生前よりも年上の姿にはなれないので、僕の場合はこれが限界です』

 もう少し威厳のある風貌でもよかったと言う八瀬青年の表情は、せつなげにも見える。

『えっと、じゃあその、おばあちゃんにしがみついている子どもって……』
『そもそも小学生までは、大人とは若干審議の方法が変わります。これはかつての元服年齢が十二歳前後だったことにも起因しているんですが、まずは秦広王様のところに来た後で、賽の河原で順番を待ちます。その間補佐官が地蔵菩薩様のいらっしゃるところと連絡をとりあい、慈悲をもってすくい上げるのかどうかを判断することになります』

 八瀬さんの言葉をそのまま取るなら、その子どもは菩薩の救済を受けないまま、未だ賽の河原で留まっているという話になる。

『どの子も十人の王には会わない?』
『まあ、会ったところで十人の王に審議されるほどの人生を積み重ねていませんから、判断材料がないと言うのが正確なところでしょうね』
『なるほど……じゃあ地蔵菩薩様にすくい上げられると、その後はどうなるんですか?』
『三途の川を渡るのは大人と同じ。ただし見た目は子どもの姿のまま。といって必ずしも全ての子どもに許しを与えるかと言えばそうではなく、天道経由で生まれ変わるか餓鬼道に落ちるかの二択になるのが一般的ですね』

 小学校を卒業出来なかった、祖母に最後まで教えて貰えなかった未練から、八十年近く賽の河原に留まっているからには、今のままではその子はまだ川を渡れないだろうと、八瀬さんは無慈悲に告げた。

『え、じゃあ川を渡れない子と、すくい上げられたのに餓鬼道に落とされる子の違いって何なんですか?』

 ある意味、せっかく地蔵菩薩にすくい上げられたのに餓鬼道、子どもにとっての地獄に落とされるのはかなり酷だし、子どもの守り神と言われる地蔵菩薩の存在意義にも反している。
 思わず首を傾げた菜穂子に、八瀬さんは『そうですね……』と、説明する言葉を探すように視線を上向けた。

『すくい上げるのは補佐官と秦広王様の判断。それが百パーセント正しいのかと言えば、間違った判断をすることもあるし、すくい上げられた後で豹変する子もいる。地蔵菩薩様ともなれば、そんな子はすぐに分かりますから、一度餓鬼道で反省してきた方がいいと、そういう判断になるようですよ』
『反省……』
『最終的には、地蔵菩薩様は餓鬼道に落ちた子でも見捨てることはなされない。ちょっと遠回りするだけということですよ』

 その「ちょっと」がどのくらいの年月になるかは分かりませんが、と八瀬さんは苦笑いを見せる。
 本当に分からないのか、これ以上聞いてくれるなということか、どちらだろう。あるいは両方かもしれない。
 菜穂子は深く聞くのはやめようと、ひとり心の中で頷いた。

『じゃあ、おばあちゃんにしがみついてるっていうその子の場合は……?』

 どういう基準で八十年近く三途の川を渡れずにいるのか。それはただ、小学校を卒業出来なかったからというだけの理由なのか。何より、その状況で祖父は今どうしているのか。
 菜穂子の疑問を感じ取ったかのように、八瀬さんは「そうですね……」と、口元に手をあてた。
 あくまで僕の予想ですが、と八瀬さんは前置きをしながらも答える。

『そこまで小学校に拘っているということは、死んでしまったことは本人も想定外。次の日か何日後はか分かりませんが、とても楽しみにしてた行事なり授業なりがあったということやないですかね……』

 普通は家族に会えれば満足するパターンが大半だとのことだから、よほど何か心残りがあるんだろう。

『だから、おばあちゃんにしがみついてる……?』
『そう考えるのが、一番しっくりくるいう話ですよ』
『確かに……』
『それで、貴女のお祖父さんですけど』
『あ、はい』

 どうやら、菜穂子が聞きたかったことを八瀬さんも忘れてはいなかったらしい。
 部屋の外に視線を向けながら、至極あっさりと口を開いた。

『おとなげなく、賽の河原でその子と言い合いしてますね』
『…………はい?』
『いや、先生の取り合い言うた方がいいんでしょうかね。僕はむしろあの子どもの根性を称賛したいところですけど』

 いやいやいや!

『言い合い? 取り合い? 「わがまま言うてんと早よ極楽浄土行け!」「いやや!先生に(うと)てもらう!」 ……みたいな感じですかね? すいません、まだ死んではらへんお孫さんを、今の段階で賽の河原にご案内するのは何かと差し障りも多いですから、僕の実況中継みたいな伝え方になって申し訳ないですけど』
『えぇ……』

 何してんのおじいちゃん、小学生(?)相手に!
 いや、八十年近くそこにいたと分かってたら、子供と思ってない……?
 それにしたって!

 今の状態で頭痛がするはずもないが、思わずこめかみを人差し指と中指をあてて揉み解そうとしたくらいには、菜穂子にも驚きと動揺があった。

『えっと……じ、じゃあ、おばあちゃんは?』
『どない言うてはると思います?』

 閻魔王筆頭補佐官と言う立場上からか、なるべく京都弁を押さえて敬語多めの話し方を心掛けているらしい八瀬さんが、敢えて京都弁全開の言い方をするのは、多分言葉とは裏腹に、お腹の中に何かしら抱えている時な気がする。
 そんなことが分かってどうする! 嬉しくないなー……と自分で自分にツッコミを入れながらも、菜穂子は何となく想像がついていた答えを敢えて口にしてみた。

『いずれは一緒に行こう思てますけど、この子にだけでもええですから、何か授業してあげたらあきませんか――とかじゃないですかね……?』

 八瀬さんは、即答しなかった。
 むしろ即答しなかったことが、答えとして極めて確率が高い話じゃないかと思った菜穂子に追い打ちをかけるかのごとく、八瀬さんはおもむろにパチパチと手を叩いた。ひどくゆっくりと。

『さすがは高辻先生のお孫さん。ここまでお招きしてる甲斐があるというものです』
『いや、単におばあちゃんやったら言いそうやなと思っただけなんで』

 何だろう、この、褒められてもちっとも嬉しくない感覚。
 とはいえきっとこの菜穂子の微妙な感覚も、八瀬さんには十二分に伝わっているんだろう。笑顔がまったく崩れなかったくらいなのだから。

『そしたら、今日は二人共に会えないんですか?』

 今、この場にいないくらいだから、その子どもを引き剝がさないことには話も出来ないのでは……?
 そう思った菜穂子の表情を読んでか『もうすぐ来ますよ』と、八瀬さんは言った。

『賽の河原にも番人はいますから、いざとなったら高辻先生から子どもを引き剝がすことくらいはワケないんですよ。ただ、肝心の先生が「子どもに手荒な真似しなさんな」と仰ってたんで、躊躇してただけみたいですから』

 適度なところで祖母が、学校でそう言うように「また明日」とでも言えば、子供は従うだろうとの話だった。

『とりあえずそんな状況なんで、今日は二人ともに同席してもらおう思てるんです。僕も高辻先生の仰ってた「その子どもをまずは教える」いうのは、ええ妥協点やと思うんですよね』

 ――本当(ほんま)にその子だけで済むかどうかは別として。

 菜穂子にはそんな、八瀬さんの副音声が聞こえた気がした。
 そのままなし崩しの状況に持ち込む気だろうか……なんてことは、とてもじゃないがコワくて聞けなかった。

◇◆◇◆◇

 なんで急にそんな賽の河原の子どもの話が出てきたのかと思えば、要は『その子のために、地蔵菩薩様のお迎えが来るまでその子に「先生」をしてやってくれ』――という方向で祖父を説き伏せたいから、菜穂子にもその話に乗ってくれということらしかった。

 多分昨日の時点で、孫のひと言だけでは祖父は折れないだろうと思ったのかもしれない。
 ……否定は出来ない。

『ところでその子って、亡くなった時点で何年生やったんですか? 何年か授業して六年生相当になったから言うて、地蔵菩薩様が迎えに来はるって限りませんでしょ』

 素朴な疑問を口にした菜穂子に、八瀬さんは答えなかった。
 答えの代わりに――ただ「ふふふ」と、意味ありげな笑みを見せた。
 これは絶対に、なんだかんだと期限をうやむやにして、そのまま「先生」をさせるつもりだろう。
 多分、きっと、間違った予測はしていないはず。

『……八瀬さん、もしかしてあんまり性格()()()()()()とかですか?』
『仮にそう思てはっても、そこは表に出したらあきませんでしょう』

 多少の厭味を混ぜてみたところで、海千山千の閻魔王筆頭補佐官はまるで堪えていない。

『すみません、正直者なもので』

 菜穂子もそう言って、早々に白旗を上げるよりほかない。

『そうは言いますけど、僕は高辻先生にこのまま賽の河原(ここ)で先生をして欲しいですし、先生自身の感触も悪くない。あとは旦那さんの了解だけとなったらどうします? 外堀のひとつやふたつやみっつ、埋めたくなりませんか?』
『…………それは、まあ』

 ひとつやふたつやみっつ。
 それすなわち全部埋める気満々ということじゃなかろうか。

『これでも気は遣ってるんですよ。本当(ほんま)やったら、貴女のお祖父様は強制的に六道のいずれかに行ってもらうことだって出来るんですから。それを十王様方はじめ複数の官吏が、ここまで待ったお祖父様の意思をギリギリまで尊重しようとしてくれてはるんですよ』

 どうやら祖母だけではなく祖父も十王庁のどこかに残せないかという話は、八瀬さんも感触を探ってはくれているようだ。
 ただ、一人一人の願いを聞いていたらキリがないと言う王もいて、なかなか上手くはいかないらしい。

『ギリギリ……五山の送り火まで言う話でしたっけ』
『ええ。それにまだ全員の王に話を聞いていないので、期待を持たすようなことは言えません。それまでにあのお二人の間で妥協点を見つけてくれるのが一番いいんですよ』
『確かに……あ、そういえば八瀬さんはその子と学年まったく被ってないんですか?』

 同じ教え子ではあるのだから、そう離れてはいないはずと菜穂子は思ったが、八瀬さんは緩々と首を横に振った。

『途中で担任変わった、みたいなことをあの子は言ってましたからね。それが子どもにありがちな記憶違いとかでなければ高辻先生の最後の教え子の一人、逆算すれば僕が卒業した直後に入学してきてる子やと思いますよ』
『なるほどー……』
『なので残念ながら僕が説得してその子の方を退()かせる言うのも、あまり意味をなさないでしょうね。やれ先輩だ後輩だと体育会的発想が出てくるのなんて、せいぜい中学か高校からでしょうし』

 先回りするようにそんなことを言ってきたということは、一度は頭の中をよぎったか、あるいは祖父にそう言って詰め寄られでもしたのかも知れない。いや、多分祖父は詰め寄っていそうだ。

『一応、八瀬さんの方からも声をかけたりはしたんですか?』
『まあ、それぞれの割り当てもありますから、僕は一番最後に声をかけさせて貰いましたけどね。僕が先生と同じ小学校の出身や言うたら「卒業出来てずるい!」……でしたから、最初から撃沈したようなものでしたよ』
『……わぁ』

 なるほど聞きしに勝る拗れ具合かも知れない。
 果たして祖父を説き伏せることと両立させることなんで出来るのだろうか――不安の方がじわじわと大きくなりはじめたところで、部屋の扉が軽くノックされた。

『ああ、多分貴女のお祖父様とお祖母様ですよ』

 そう言った八瀬さんは、扉を開けるために席を立った。