そのカフェは、かつて一階の教室だった場所にあった。
学校の廊下だったであろうところに、入店を待つための椅子があるので、ちょっと叱られて外に出されているような懐かしい雰囲気を感じさせている。
「わ……」
その廊下には、ピンク色のダイヤル式の電話があるのはもちろん、深町家にあるのにも似た木製のオルガンが置かれていて、レトロな雰囲気に彩りを添えている。
そもそもロクに鳴らせない菜穂子としては、いつの時代のオルガンだろう、祖母も触っていたのだろうか……と思いながら眺めていることしか出来なかったのだが。
案外直ぐに順番は回ってきたので、木の引き戸を横目に、見た目にも「教室」であるそのカフェの中へと入った。
店内はちょっと面白いことになっていて、京都芸術センターとしてはアートが全体のテーマと言うことで、店内もあちこちが現代アート仕様になっていた。中央にコンクリート調の壁が鎮座しており、その中が調理場にもなっているということだった。
コンクリートの壁には、様々なオブジェが飾られていて、なかなかに賑やかな感じだ。
お昼の時間帯だったこともあるので、菜穂子はサラダとドリンクが付いた「ふわふわ玉子焼きサンドイッチ」セットを注文することにした。
東京の大学で一人暮らしを始めてから、関西と関東の食文化の違いを実感したことは何度もあるが、玉子サンドもその中の一つだった。
菜穂子が思い描いていた玉子サンドは、まさにこのメニューの通りの「玉子焼き」をサンドしたサンドイッチなのだ。それが東京に行くと、ゆで卵を細かく刻み、マヨネーズや塩などで味付けした「玉子サラダ」がサンドされたサンドイッチに何故か変貌している。
最近では京都市内でも「玉子サラダ」を挟んだサンドイッチや「スクランブルエッグ」的な玉子を挟んだサンドイッチを見かけるらしいが、東京にいる間はそもそも玉子サラダメインの玉子サンドしかほぼ見かけなかったため、メニューを見た瞬間、注文はこれ一択となったのである。
「うわぁ! 青い、青いよ、じーちゃん!」
注文していたサンドイッチが運ばれて来て、菜穂子が相好を崩したその時、どうやら隣の席でも注文したものが運ばれてきたらしく、テンションの上がった子どもの声が聞こえてきた。
失礼にならない程度に思わず視線を向けたところ、グラスの中身はレモン色、青色、一番上にスライスレモンと、アイスかシャーベットかが乗った、見た目にも鮮やかなドリンクがテーブルに置かれていた。
出された少年の目は、ランランと輝いている。
「そやな」
そう言って口元を綻ばせている年配男性の前には……バナナジュースだろうか。
どうやら祖父と孫らしい隣の席の二人連れは、見たところ食事はとらずに、ドリンク休憩をするように見えた。
中身までは見えないが、ちょっとした袋を横に置いていると言うことは、もしかしたら建物内であったワークショップの帰りなのかも知れない。セットでアイスコーヒーにしてしまったけど、あれはあれでアリだったかも知れないと思いながら、とりあえずサンドイッチにかぶりつくことにする。
「なーなー、じーちゃん」
一口飲んで「レモネードや!」と顔を輝かせたテンションそのままに、隣の席では少年が祖父と思しき男性に語りかけていた。
「じーちゃんも、この学校卒業したんやろ?」
「おお、そやで」
見たところ、その男性は菜穂子の父よりは上、祖父よりは下……といった感じだ。
じゃあ、直接は菜穂子の祖母のことは知らないだろうな……と、耳だけダンボな状態で、食事を続ける。
「ばーちゃんも?」
「いや、おまえのばーちゃんは違う学校や。そやけど、ばーちゃんの姉ちゃんはこの学校やったらしいな。じーちゃんよりだいぶ早うに入学してたみたいやけどな」
「え、ばーちゃんに姉ちゃん居はったん、オレ知らん!」
「ああ、そやな……ばーちゃんの姉ちゃんは、終戦後すぐの頃、小四か小五言うてたかな……食べるモン探しに出かけて、増水してた鴨川に足滑らせて落ちて、亡くなってるて聞いてるさかいに……そら知らんで当然やな」
どこか遠くを――もしかしたら鴨川の方角かも知れないが、そちらを見ながら発せられたその言葉に、当の少年よりも菜穂子の方がピクリと反応をしてしまった。
終戦後すぐの時代に小学生だった。
今、この喫茶店がある元小学校の出身。
(もしかして)
隣にいる男性は、時代が違うようなことを口にしている。 けれどその、亡くなったという女の子は。 祖母の事を知ってたりはしないのだろうか――?
「ああっ、あのっ、ちょっとすいません!」
このご時世、不審者と思われるのは覚悟の上で、菜穂子は目の前の少年と彼の祖父らしき男性に、声をかけずにはいられなかった。
「すいません、突然! そのっ、今年亡くなったウチの祖母もここの小学校に所縁があると言ってたので、ついお話を伺いたくなって……!」
明らかに男性の方は眉を顰めていたが、菜穂子が話す隙を与えずにそう続けたことで、ほんの少しだけ警戒が和らいだみたいだった。
「なるほど、そういうことですか。お盆の時期ですし、お祖母様のルーツが気になって来てみたとか、そんな感じですか」
「そ、そうですね、そんな感じです」
どう考えても信じてもらえないだろう部分を省けば、確かにそんな感じに話は纏まるのかも知れない。
とりあえず、コクコクと菜穂子は頷いておいた。
「お祖母様は、いつ頃のご卒業やったかご存知ですか?」
「えーっと……卒業言うか、終戦直後までここの小学校で先生してたって聞いてて……」
「ほう!」
思いがけないことを聞いた、と言わんばかりに男性が目を瞠った。
「終戦直後言うことやったら、私は年代被ってないかも知れませんな。私は少し経ってから入学してますさかいに……ああ、そう言うことですか……」
どうやらその男性は、祖母が寿退職をしてからこの小学校に入学をしたようで、そこはちょっぴり残念に思ったものの、男性は菜穂子がどうして自分たちに話しかけてきたのかを、ようやくそこで理解したらしかった。
「お嬢さんも『ばーちゃんの姉ちゃん』の話が気にならはったんですな」
「…………すみません」
正直に頷いて頭を下げた菜穂子に「いやいや」と、男性は片手を振った。
「確かに、そう聞いてしもたら無理もない話ですわ。思てはるように、私の妻の姉は、ひょっとしたらお嬢さんのお祖母様が居らした時期に、学校に通てたかも知れません。ただ……」
そこでふと、男性の視線が再び外へと向いた。
遠い目になって。
「もう妻も亡くなってますさかいに、私はあんまり詳しい話を知りませんのや。なんや申し訳ないな……」
「ああっ、すいません、こちらこそ! もしかしたら……言う偶然に出逢えただけでも有難い話ですし!」
直接祖母を知らないにしても、早くに亡くなったというそのお姉さんの話を聞けないかと菜穂子は一瞬思ったのだが、それぞれの年齢を考えても、健在な祖母の教え子がそう多くないだろうこともまた確かだ。
前のめりになりかけていた姿勢を元に戻していると、それに合わせて男性の視線も外からこちらへと戻っていた。
「ああ、そや。関係あるかどうかは分かりませんけど、私でも知ってる当時の話が一つだけありますわ」
「本当ですか? よかったらぜひ聞かせて下さい」
興味半分、社交辞令半分でそう聞いた菜穂子に、思いもよらない「当時の話」が、そこで発せられることになった。
「主に兄やら姉やらいる女子生徒がその頃騒いでたんですけどな。何でも学童疎開先にまで押しかけて、婚約者の先生搔っ攫っていった兵隊さんがいたとか、どうとか」
「…………え」
「実際のところは、噂してた生徒誰も見てないと思いますわ。ただその先生が辞めはった時の理由と経緯が、用務員さんやったか誰やったからかいつの間にか広まってたと聞いてます。なんや、どっかの物語みたいな話で憧れる、羨ましい――みたいな感じでしたな、当時。今考えたら終戦直後の帰還兵が、白馬に乗って現れるはずもなし、だいぶ話が美化されてたやろうとは思いますけどな」
「ははは……」
「まあ、年頃の女の子が憧れそうな話ではありますわな」
そう言って男性は笑ったが、ちょっぴり頬を痙攣らせて笑った菜穂子に、愛想笑い以外の要素をどうやら感じ取ったらしい。
「……心当たりおありですか?」
「いやぁ……多分、思てはる通りやと思います……」
それ以上答えようがなかったのだが、それだけで充分に言いたいことは通じたみたいだった。
そうですか、と何とも微妙な表情を男性も浮かべている。
「そう聞いてしまうと、ますますお嬢さんと妻とが話出来たら良かったなぁと思いますわ。妻は学校が違いましたけど、その話やったら間違いなくお義姉さんから聞いてたと思いますし……」
なかなか上手いコトいきませんな、と男性はほろ苦く微笑った。
念のためにと、当時の祖母を知っているかも知れない女児の名前を聞いたところ「辰巳幸子」だったと思うと、教えてもらった。
孫の視線も受けた男性は、懸命に当時の記憶を辿ろうとして、妻の旧姓こそすぐ思い出したものの、その妻の姉となると、思い出すのに少しの時間差があった。
「……ああ、そやそや。確か妻が『さっちゃん』の童謡を口ずさんでたことがありましてな」
そう言ってようやく出て来たのが「幸子」の名前だった。
「さっちゃん?」
首を傾げる孫に、男性は公共の場であることもあってか、メロディは乗せずに歌詞の始めだけを孫に説明していた。
「さっちゃんはね、サチコっていうんだほんとはね……で始まる童謡があってな。おじいちゃんらの小さい頃はサチコって名前の子も多かったから、皆いっぺんは揶揄われてたと思うわ」
「ふーん……で、ばーちゃんの姉ちゃんも、さっちゃん」
「そや」
孫にそう頷いて見せてから、男性はふと笑みを消して菜穂子の方を見やった。
「なんで思い出したか言うたら、お嬢さんはこの歌詞ぜんぶ知ったはりますか?」
「あ……そう言われてみたら一番しか知らんかも……」
「まあ、たいていはそうですやろな。で、公式には三番まであるんですわ」
そう言いながら、二番は「さっちゃん」がバナナ好きなこと。好きだけどちっちゃいから半分しか食べられないと嘆いている歌詞だと教えてくれた。
更に三番は、多分友達だろう「ぼく」が、さっちゃんが遠くに行ってしまうことと、ちっちゃいから自分のことを覚えていてくれないだろうことを嘆いている歌詞なのだとも言った。
「思ったより寂しい歌なんですね」
一番だけ聞けば、さっちゃんはちっちゃい、さっちゃんはかわいい、で済みそうなものなのに、二番三番と進むにつれて段々と寂しさを感じさせるようになっているのは、子どもも口ずさむ童謡なのに、これいかに。
「妻が昔、そのお義姉さんが亡くなった言う鴨川の川べりで歌てたことがありましてな。遠くへ行く――の意味がただの引っ越しに聞こえんようになってしもて、いやでも覚えましたわ」
男性はあくまでさらりとそう言ったものの、菜穂子が言葉に詰まるのには充分だった。
「しかもこの歌には続きがありましてな。さすがに公式やのうて都市伝説や言われてますけどな」
そう言って教えてくれたのが「さっちゃん」は電車に轢かれて、足を失くして死んでしまい、その無念から歌の続きを歌った人の足を貰いに行くのだと言う、真夏の怪談もかくや――という歌詞だった。
(いや、コワイコワイコワイ!! さっちゃんは、死神か⁉)
まるで「耳なし芳一」の怪談の亜種のような話だ。
菜穂子が思わず身体を震わせたように、孫も目を真ん丸にして、固まってしまっていた。
「ああ、すんませんな。怖がらせてしもた。そやけど、妻は電車に轢かれた言うところを多少変えて、まるでお義姉さんのことを思てるみたいに歌ってたことがありましてな。この歌の四番以降は、三番の寂しげなところを受けて、百近い似たような替え歌がある言う話ですわ」
「えぇ……」
そんな話を聞いてしまえば、菜穂子とて「さっちゃん」の歌詞は二度と忘れまい。
そう言えば菜穂子自身は「さいた さいた」くらいしか、祖母が歌っていた記憶はないものの、ひょっとして小学校とかで「さっちゃん」を歌ったりしたことはあるんだろうか。そして三番の続きの都市伝説を知ってたりするんだろうか。
今夜聞こうか聞くまいか、ものすごい葛藤を抱えつつ、菜穂子は男性と孫とここで別れることになった。
(と、とりあえず学校歴史博物館行こう。そうしよう。うん)
◇◆◇◆◇
菜穂子は滲む汗をハンカチで押さえながら、京都市学校歴史博物館へと徒歩で移動した。
繁華街である四条通を逸れて歩いたところで、やがて時代劇の江戸屋敷にでも出てきそうな瓦屋根の門が見えてくる。
「おー……」
けれど門をくぐれば、そこにあるのは比較的現代寄りのいかにもな学校校舎だった。
所謂「ハイカラ建築」だったさっきまでとは、かなり趣が異なっている。むしろこちらの建物は、父や母、あるいは菜穂子よりやや上の世代くらいまでの学び舎っぽい気がする。
博物館と銘打たれているだけあって、こちらは多少の入館料が必要なようなので、菜穂子はそれを支払って中へと足を踏み入れた。
パンフレットを貰って見てみると、やはりここも統廃合されたかつての小学校で、門に関しては別の廃校になった学校から移築されたものということらしい。
展示室には、学校が所蔵していた美術工芸品、古文書、古い教科書なんかがあるようだ。
古いアルバムでもあればと思ったが、常設展示はされていないようだし、仮にあったとしてもこのご時世すんなりとは見せてもらえないだろう。古いオルガンや教科書の展示品を眺めつつ、当時に思いをはせるよりほかなさそうだった。
明治二年に日本で最初の学区制小学校である「番組小学校」が開校していて、祖母のいた学校はその中で「下京三番組小学校」と呼ばれていたようだ。
ただ太平洋戦争開戦前に国家総動員法が発令され、その後国民学校令が発令されて以降、各小学校は全て「国民学校」へと名称を強制変更されている。もしかしたら、祖母はこの前後に教鞭をとっていたのかもしれない。
興味深かったのは、昭和22年公布の「教育基本法」で男女共学について本格的に検討され始めるまでは、小学校二年までだけを共学として、それ以降は男女別学、男子と女子とでカリキュラムも教科書も全く別な物になっていたらしいことだ。
そうなると、少なくとも八瀬さんが祖母を知っているのは、小学校二年生まで教えてもらっていたからということになる。
当時の社会情勢を考えれば、三年生以降、男の子ばかりになった教室を女性教師である祖母が任されることはないはずだからだ。
それであそこまで祖母のことを「先生」として慕って、場所は場所ながらも再度教師として推薦してくれているのだから、よほど何かしらの印象に残る出来事があったのだろう。
年代から言って、八瀬さんは「辰巳幸子」さんを知っているんだろうか。それともちょうどキレイにかぶらなかったくらいだろか。さっちゃんの歌の話も含めて、今夜祖母と八瀬さんと、二人に聞いてみようと菜穂子は思った。
と、いうか。
(本当に今夜も会える……?)
とりあえず、帰る前に父に念押しされていたこともあるので、考えた末に菜穂子はデパートに立ち寄ることにした。
(聞いたことのないカタカナ名前のパン屋さんより、進々堂の方がお父さん安心しそうや……)
そう思った菜穂子は、デパ地下にいくつかあったベーカリー店の中の、進々堂へと足を踏み入れた。
「……まあ、ごちゃごちゃ考えるよりとりあえず買っとこ」
北山生まれの究極のメロンパン、と書かれたキャッチコピーに惹かれたのは確かだ。
後はカレーパンと、個人的に好みであるクリームチーズのくるみパンをトレーに乗せる。くるみ入りのフランスパン生地で包まれた、クリームチーズとはちみつのコンビが格別なパンだ。
このパン代はどうせ後から返して貰うので、究極のメロンパンが混ざっていようとも無問題。
菜穂子の今日のミッションはつつがなく終了した。
帰宅して北山生まれの究極のメロンパン、の謳い文句を知った母は「あんた、本当にそう言う謳い文句に弱いなぁ……そのうちなんか騙されんのと違うか」などと、呆れたように呟いたものの、食器棚からお皿を取り出しながら「まあ、そんな上等なパンなんやったら、しばらく仏壇にお供えしとこか」とも言ったので、パン代は請求されずに済んだ。
味とか匂いとか、祖父母に届くんだろうか。届いたらいいな。
そう思いながら夕食をとり、暑い中歩き回って疲れたと言いつつ、その日は普段よりも早めに寝ることにしたのだった。
学校の廊下だったであろうところに、入店を待つための椅子があるので、ちょっと叱られて外に出されているような懐かしい雰囲気を感じさせている。
「わ……」
その廊下には、ピンク色のダイヤル式の電話があるのはもちろん、深町家にあるのにも似た木製のオルガンが置かれていて、レトロな雰囲気に彩りを添えている。
そもそもロクに鳴らせない菜穂子としては、いつの時代のオルガンだろう、祖母も触っていたのだろうか……と思いながら眺めていることしか出来なかったのだが。
案外直ぐに順番は回ってきたので、木の引き戸を横目に、見た目にも「教室」であるそのカフェの中へと入った。
店内はちょっと面白いことになっていて、京都芸術センターとしてはアートが全体のテーマと言うことで、店内もあちこちが現代アート仕様になっていた。中央にコンクリート調の壁が鎮座しており、その中が調理場にもなっているということだった。
コンクリートの壁には、様々なオブジェが飾られていて、なかなかに賑やかな感じだ。
お昼の時間帯だったこともあるので、菜穂子はサラダとドリンクが付いた「ふわふわ玉子焼きサンドイッチ」セットを注文することにした。
東京の大学で一人暮らしを始めてから、関西と関東の食文化の違いを実感したことは何度もあるが、玉子サンドもその中の一つだった。
菜穂子が思い描いていた玉子サンドは、まさにこのメニューの通りの「玉子焼き」をサンドしたサンドイッチなのだ。それが東京に行くと、ゆで卵を細かく刻み、マヨネーズや塩などで味付けした「玉子サラダ」がサンドされたサンドイッチに何故か変貌している。
最近では京都市内でも「玉子サラダ」を挟んだサンドイッチや「スクランブルエッグ」的な玉子を挟んだサンドイッチを見かけるらしいが、東京にいる間はそもそも玉子サラダメインの玉子サンドしかほぼ見かけなかったため、メニューを見た瞬間、注文はこれ一択となったのである。
「うわぁ! 青い、青いよ、じーちゃん!」
注文していたサンドイッチが運ばれて来て、菜穂子が相好を崩したその時、どうやら隣の席でも注文したものが運ばれてきたらしく、テンションの上がった子どもの声が聞こえてきた。
失礼にならない程度に思わず視線を向けたところ、グラスの中身はレモン色、青色、一番上にスライスレモンと、アイスかシャーベットかが乗った、見た目にも鮮やかなドリンクがテーブルに置かれていた。
出された少年の目は、ランランと輝いている。
「そやな」
そう言って口元を綻ばせている年配男性の前には……バナナジュースだろうか。
どうやら祖父と孫らしい隣の席の二人連れは、見たところ食事はとらずに、ドリンク休憩をするように見えた。
中身までは見えないが、ちょっとした袋を横に置いていると言うことは、もしかしたら建物内であったワークショップの帰りなのかも知れない。セットでアイスコーヒーにしてしまったけど、あれはあれでアリだったかも知れないと思いながら、とりあえずサンドイッチにかぶりつくことにする。
「なーなー、じーちゃん」
一口飲んで「レモネードや!」と顔を輝かせたテンションそのままに、隣の席では少年が祖父と思しき男性に語りかけていた。
「じーちゃんも、この学校卒業したんやろ?」
「おお、そやで」
見たところ、その男性は菜穂子の父よりは上、祖父よりは下……といった感じだ。
じゃあ、直接は菜穂子の祖母のことは知らないだろうな……と、耳だけダンボな状態で、食事を続ける。
「ばーちゃんも?」
「いや、おまえのばーちゃんは違う学校や。そやけど、ばーちゃんの姉ちゃんはこの学校やったらしいな。じーちゃんよりだいぶ早うに入学してたみたいやけどな」
「え、ばーちゃんに姉ちゃん居はったん、オレ知らん!」
「ああ、そやな……ばーちゃんの姉ちゃんは、終戦後すぐの頃、小四か小五言うてたかな……食べるモン探しに出かけて、増水してた鴨川に足滑らせて落ちて、亡くなってるて聞いてるさかいに……そら知らんで当然やな」
どこか遠くを――もしかしたら鴨川の方角かも知れないが、そちらを見ながら発せられたその言葉に、当の少年よりも菜穂子の方がピクリと反応をしてしまった。
終戦後すぐの時代に小学生だった。
今、この喫茶店がある元小学校の出身。
(もしかして)
隣にいる男性は、時代が違うようなことを口にしている。 けれどその、亡くなったという女の子は。 祖母の事を知ってたりはしないのだろうか――?
「ああっ、あのっ、ちょっとすいません!」
このご時世、不審者と思われるのは覚悟の上で、菜穂子は目の前の少年と彼の祖父らしき男性に、声をかけずにはいられなかった。
「すいません、突然! そのっ、今年亡くなったウチの祖母もここの小学校に所縁があると言ってたので、ついお話を伺いたくなって……!」
明らかに男性の方は眉を顰めていたが、菜穂子が話す隙を与えずにそう続けたことで、ほんの少しだけ警戒が和らいだみたいだった。
「なるほど、そういうことですか。お盆の時期ですし、お祖母様のルーツが気になって来てみたとか、そんな感じですか」
「そ、そうですね、そんな感じです」
どう考えても信じてもらえないだろう部分を省けば、確かにそんな感じに話は纏まるのかも知れない。
とりあえず、コクコクと菜穂子は頷いておいた。
「お祖母様は、いつ頃のご卒業やったかご存知ですか?」
「えーっと……卒業言うか、終戦直後までここの小学校で先生してたって聞いてて……」
「ほう!」
思いがけないことを聞いた、と言わんばかりに男性が目を瞠った。
「終戦直後言うことやったら、私は年代被ってないかも知れませんな。私は少し経ってから入学してますさかいに……ああ、そう言うことですか……」
どうやらその男性は、祖母が寿退職をしてからこの小学校に入学をしたようで、そこはちょっぴり残念に思ったものの、男性は菜穂子がどうして自分たちに話しかけてきたのかを、ようやくそこで理解したらしかった。
「お嬢さんも『ばーちゃんの姉ちゃん』の話が気にならはったんですな」
「…………すみません」
正直に頷いて頭を下げた菜穂子に「いやいや」と、男性は片手を振った。
「確かに、そう聞いてしもたら無理もない話ですわ。思てはるように、私の妻の姉は、ひょっとしたらお嬢さんのお祖母様が居らした時期に、学校に通てたかも知れません。ただ……」
そこでふと、男性の視線が再び外へと向いた。
遠い目になって。
「もう妻も亡くなってますさかいに、私はあんまり詳しい話を知りませんのや。なんや申し訳ないな……」
「ああっ、すいません、こちらこそ! もしかしたら……言う偶然に出逢えただけでも有難い話ですし!」
直接祖母を知らないにしても、早くに亡くなったというそのお姉さんの話を聞けないかと菜穂子は一瞬思ったのだが、それぞれの年齢を考えても、健在な祖母の教え子がそう多くないだろうこともまた確かだ。
前のめりになりかけていた姿勢を元に戻していると、それに合わせて男性の視線も外からこちらへと戻っていた。
「ああ、そや。関係あるかどうかは分かりませんけど、私でも知ってる当時の話が一つだけありますわ」
「本当ですか? よかったらぜひ聞かせて下さい」
興味半分、社交辞令半分でそう聞いた菜穂子に、思いもよらない「当時の話」が、そこで発せられることになった。
「主に兄やら姉やらいる女子生徒がその頃騒いでたんですけどな。何でも学童疎開先にまで押しかけて、婚約者の先生搔っ攫っていった兵隊さんがいたとか、どうとか」
「…………え」
「実際のところは、噂してた生徒誰も見てないと思いますわ。ただその先生が辞めはった時の理由と経緯が、用務員さんやったか誰やったからかいつの間にか広まってたと聞いてます。なんや、どっかの物語みたいな話で憧れる、羨ましい――みたいな感じでしたな、当時。今考えたら終戦直後の帰還兵が、白馬に乗って現れるはずもなし、だいぶ話が美化されてたやろうとは思いますけどな」
「ははは……」
「まあ、年頃の女の子が憧れそうな話ではありますわな」
そう言って男性は笑ったが、ちょっぴり頬を痙攣らせて笑った菜穂子に、愛想笑い以外の要素をどうやら感じ取ったらしい。
「……心当たりおありですか?」
「いやぁ……多分、思てはる通りやと思います……」
それ以上答えようがなかったのだが、それだけで充分に言いたいことは通じたみたいだった。
そうですか、と何とも微妙な表情を男性も浮かべている。
「そう聞いてしまうと、ますますお嬢さんと妻とが話出来たら良かったなぁと思いますわ。妻は学校が違いましたけど、その話やったら間違いなくお義姉さんから聞いてたと思いますし……」
なかなか上手いコトいきませんな、と男性はほろ苦く微笑った。
念のためにと、当時の祖母を知っているかも知れない女児の名前を聞いたところ「辰巳幸子」だったと思うと、教えてもらった。
孫の視線も受けた男性は、懸命に当時の記憶を辿ろうとして、妻の旧姓こそすぐ思い出したものの、その妻の姉となると、思い出すのに少しの時間差があった。
「……ああ、そやそや。確か妻が『さっちゃん』の童謡を口ずさんでたことがありましてな」
そう言ってようやく出て来たのが「幸子」の名前だった。
「さっちゃん?」
首を傾げる孫に、男性は公共の場であることもあってか、メロディは乗せずに歌詞の始めだけを孫に説明していた。
「さっちゃんはね、サチコっていうんだほんとはね……で始まる童謡があってな。おじいちゃんらの小さい頃はサチコって名前の子も多かったから、皆いっぺんは揶揄われてたと思うわ」
「ふーん……で、ばーちゃんの姉ちゃんも、さっちゃん」
「そや」
孫にそう頷いて見せてから、男性はふと笑みを消して菜穂子の方を見やった。
「なんで思い出したか言うたら、お嬢さんはこの歌詞ぜんぶ知ったはりますか?」
「あ……そう言われてみたら一番しか知らんかも……」
「まあ、たいていはそうですやろな。で、公式には三番まであるんですわ」
そう言いながら、二番は「さっちゃん」がバナナ好きなこと。好きだけどちっちゃいから半分しか食べられないと嘆いている歌詞だと教えてくれた。
更に三番は、多分友達だろう「ぼく」が、さっちゃんが遠くに行ってしまうことと、ちっちゃいから自分のことを覚えていてくれないだろうことを嘆いている歌詞なのだとも言った。
「思ったより寂しい歌なんですね」
一番だけ聞けば、さっちゃんはちっちゃい、さっちゃんはかわいい、で済みそうなものなのに、二番三番と進むにつれて段々と寂しさを感じさせるようになっているのは、子どもも口ずさむ童謡なのに、これいかに。
「妻が昔、そのお義姉さんが亡くなった言う鴨川の川べりで歌てたことがありましてな。遠くへ行く――の意味がただの引っ越しに聞こえんようになってしもて、いやでも覚えましたわ」
男性はあくまでさらりとそう言ったものの、菜穂子が言葉に詰まるのには充分だった。
「しかもこの歌には続きがありましてな。さすがに公式やのうて都市伝説や言われてますけどな」
そう言って教えてくれたのが「さっちゃん」は電車に轢かれて、足を失くして死んでしまい、その無念から歌の続きを歌った人の足を貰いに行くのだと言う、真夏の怪談もかくや――という歌詞だった。
(いや、コワイコワイコワイ!! さっちゃんは、死神か⁉)
まるで「耳なし芳一」の怪談の亜種のような話だ。
菜穂子が思わず身体を震わせたように、孫も目を真ん丸にして、固まってしまっていた。
「ああ、すんませんな。怖がらせてしもた。そやけど、妻は電車に轢かれた言うところを多少変えて、まるでお義姉さんのことを思てるみたいに歌ってたことがありましてな。この歌の四番以降は、三番の寂しげなところを受けて、百近い似たような替え歌がある言う話ですわ」
「えぇ……」
そんな話を聞いてしまえば、菜穂子とて「さっちゃん」の歌詞は二度と忘れまい。
そう言えば菜穂子自身は「さいた さいた」くらいしか、祖母が歌っていた記憶はないものの、ひょっとして小学校とかで「さっちゃん」を歌ったりしたことはあるんだろうか。そして三番の続きの都市伝説を知ってたりするんだろうか。
今夜聞こうか聞くまいか、ものすごい葛藤を抱えつつ、菜穂子は男性と孫とここで別れることになった。
(と、とりあえず学校歴史博物館行こう。そうしよう。うん)
◇◆◇◆◇
菜穂子は滲む汗をハンカチで押さえながら、京都市学校歴史博物館へと徒歩で移動した。
繁華街である四条通を逸れて歩いたところで、やがて時代劇の江戸屋敷にでも出てきそうな瓦屋根の門が見えてくる。
「おー……」
けれど門をくぐれば、そこにあるのは比較的現代寄りのいかにもな学校校舎だった。
所謂「ハイカラ建築」だったさっきまでとは、かなり趣が異なっている。むしろこちらの建物は、父や母、あるいは菜穂子よりやや上の世代くらいまでの学び舎っぽい気がする。
博物館と銘打たれているだけあって、こちらは多少の入館料が必要なようなので、菜穂子はそれを支払って中へと足を踏み入れた。
パンフレットを貰って見てみると、やはりここも統廃合されたかつての小学校で、門に関しては別の廃校になった学校から移築されたものということらしい。
展示室には、学校が所蔵していた美術工芸品、古文書、古い教科書なんかがあるようだ。
古いアルバムでもあればと思ったが、常設展示はされていないようだし、仮にあったとしてもこのご時世すんなりとは見せてもらえないだろう。古いオルガンや教科書の展示品を眺めつつ、当時に思いをはせるよりほかなさそうだった。
明治二年に日本で最初の学区制小学校である「番組小学校」が開校していて、祖母のいた学校はその中で「下京三番組小学校」と呼ばれていたようだ。
ただ太平洋戦争開戦前に国家総動員法が発令され、その後国民学校令が発令されて以降、各小学校は全て「国民学校」へと名称を強制変更されている。もしかしたら、祖母はこの前後に教鞭をとっていたのかもしれない。
興味深かったのは、昭和22年公布の「教育基本法」で男女共学について本格的に検討され始めるまでは、小学校二年までだけを共学として、それ以降は男女別学、男子と女子とでカリキュラムも教科書も全く別な物になっていたらしいことだ。
そうなると、少なくとも八瀬さんが祖母を知っているのは、小学校二年生まで教えてもらっていたからということになる。
当時の社会情勢を考えれば、三年生以降、男の子ばかりになった教室を女性教師である祖母が任されることはないはずだからだ。
それであそこまで祖母のことを「先生」として慕って、場所は場所ながらも再度教師として推薦してくれているのだから、よほど何かしらの印象に残る出来事があったのだろう。
年代から言って、八瀬さんは「辰巳幸子」さんを知っているんだろうか。それともちょうどキレイにかぶらなかったくらいだろか。さっちゃんの歌の話も含めて、今夜祖母と八瀬さんと、二人に聞いてみようと菜穂子は思った。
と、いうか。
(本当に今夜も会える……?)
とりあえず、帰る前に父に念押しされていたこともあるので、考えた末に菜穂子はデパートに立ち寄ることにした。
(聞いたことのないカタカナ名前のパン屋さんより、進々堂の方がお父さん安心しそうや……)
そう思った菜穂子は、デパ地下にいくつかあったベーカリー店の中の、進々堂へと足を踏み入れた。
「……まあ、ごちゃごちゃ考えるよりとりあえず買っとこ」
北山生まれの究極のメロンパン、と書かれたキャッチコピーに惹かれたのは確かだ。
後はカレーパンと、個人的に好みであるクリームチーズのくるみパンをトレーに乗せる。くるみ入りのフランスパン生地で包まれた、クリームチーズとはちみつのコンビが格別なパンだ。
このパン代はどうせ後から返して貰うので、究極のメロンパンが混ざっていようとも無問題。
菜穂子の今日のミッションはつつがなく終了した。
帰宅して北山生まれの究極のメロンパン、の謳い文句を知った母は「あんた、本当にそう言う謳い文句に弱いなぁ……そのうちなんか騙されんのと違うか」などと、呆れたように呟いたものの、食器棚からお皿を取り出しながら「まあ、そんな上等なパンなんやったら、しばらく仏壇にお供えしとこか」とも言ったので、パン代は請求されずに済んだ。
味とか匂いとか、祖父母に届くんだろうか。届いたらいいな。
そう思いながら夕食をとり、暑い中歩き回って疲れたと言いつつ、その日は普段よりも早めに寝ることにしたのだった。


