『だって、おじいちゃん。おばあちゃんと、ちゃんと話したことある?』
まあ「昭和の男」どころか「大正の男」な祖父に、あまり期待は出来ないのだが。
『今さら何をちゃんと話せえ言うんや』
案の定、祖父は眉を顰めている。
『え、だってさ、小学校の先生やろ? 今みたいに大学で教員免許取るんと違って、女子高等師範学校とかいうところに行かんと取れへん資格やったって、先生目指してる友達が言うてたけど』
父も、大学における教員養成が科目として必須になったのは戦後の教育改革以後の話だとも言っていた。
田舎で兄弟姉妹の多い家庭に生まれた祖母は、実家の家計を助ける意味でも手に職をつけねばと考え、自分が憧れた小学校の先生を目指したらしいのだ。
当時の師範学校というところは、男女共に学費は無料、全寮制で衣食住に関わるほとんどが支給されていたらしい。だからある意味、菜穂子の「東京一人暮らし」に関しても、祖母自身は過保護な反対をしなかっただろうとも言っていた。
そうして程々の年齢になり、祖母の姉妹が皆嫁ぎ先を決めたところで、親が顔見知りだった縁で、祖父との婚約が成立したんだそうだ。
寿退職の準備をしなくては――となっていたところに赤紙招集があり、退職の話はいったん保留。終戦後に祖父が帰還してくるまで「先生」を続けていたのだとも。
『……そうや。家のために苦労して資格を取って、学費タダやから言うて実家に仕送りもして。朝から晩まで働き通しやったって志緒の親は言うてたわ。はよ嫁にしてもろて、実家のことはもう考えんでええように、幸せにしてやってくれって』
祖父の側から聞く初めての結婚にまつわる話に、菜穂子どころか八瀬さんもちょっと興味深げだった。
なるほど、と呟いている声が菜穂子の耳にも届いていた。
どちらにしても古い時代の男性らしく、かなり俺様要素が強い。ただ、強いとは思うが祖父は祖父なりの想いがあったということなんだろう。
『そやけど、俺が赤紙なんぞ受け取ってしもたさかいに、結婚が先送りになった。お国の為に頑張ってきて下さい言うて送り出されはしたけど、俺はその頃区役所に就職して間なしやったから、何とはなしに世間の報道程に日本が有利やない言うのは察せられとった。もしかしたら一緒になれへんかもしれん――俺もそうやったけど、深町の家も高辻の家も、口には出さんなりに思てたとは思う』
それでも国からの強制命令である以上はどうしようもない。いつかは帰る、必ず帰ると、信じて東南アジアの戦地を移動していたらしい。
『まあ、結果的に敗戦間近での出征やったんは、運が良かったんかもしれん。こんなこと言うたら、同じ戦地で命を落とした同胞には申し訳がたたんのやけど』
そうポツリと言葉を洩らした祖父の表情は、一瞬せつなげに歪んでいた。
『そやけど、俺は日本に戻れた。戻れたから、いの一番に志緒の所へ行った。それは、そうやろう。俺の婚約者や。俺が幸せにしてやるて高辻のご両親にも誓うたんや。戦地にいた分、倍以上に幸せにしてやらなと思たんや』
『おじいちゃん……』
『言うても、戦後は思てた以上に大変やった。本当は兄貴がおって、深町の家を継ぐはずやったのに、兄貴は出征から戻って来んかった。気楽な次男の嫁のはずが、いきなり深町本家の嫁にならなあかんようになったし、俺も深町の家を支えられるだけの稼ぎを得られるよう、仕事を増やさなあかんかった』
そう言えば、と菜穂子は祖父母宅の仏壇の上に飾られている遺影を思い起こした。
祖父のお兄さん、と祖母に教わった写真があったような気がする。
おじいちゃん、本当はこの家の跡取りやなかったんよ――とも確かに聞いた気がする。
曾祖父だけはギリギリ菜穂子の記憶にあるものの、それ以外の血縁関係者は既に故人としての認識で、あまりハッキリとは覚えていなかったのだが。
『しかも俺が死ぬ直前は、透析や。週に何度も病院に付き添わなあかんようになって、そのうち自分の足も悪くしてた。ロクに旅行にも連れて行ってやれんかった。菜穂子らが家族旅行や言うてどこなと出かけてるのは、俺は本当は心苦しかった』
ああ……と、菜穂子は胸がキリリと締め付けられた。
両親は確かに菜穂子を時々旅行に連れて行ってくれた。
おじいちゃんの透析がある、おばあちゃんの足のこともある――と、祖母は笑って「行ってらっしゃい」と都度言ってくれていたけれど。
また、どっか行くんか。仕方ない奴やなぁ――と、祖父も苦笑いで見送っていたけど。
その度に、祖父の胸には後悔とやるせなさが降り積もっていたのか。
『そやからな。三途の川を渡ったんなら、もうええやろうと思たんや。もう何もせんでええ。極楽浄土とやらでのんびり過ごしたらええ。行く資格がない言うなら、俺が何を引き受けてでも作ってやる。もうこれ以上志緒を働かすな。おまえは、そう思わへんのか。おばあちゃんに、ゆっくりして欲しないんか』
『……それは……』
口惜しいことに、菜穂子はすぐに反論することが出来かった。
『ああ……残念ながら、今日は時間切れみたいです』
菜穂子と祖父、それぞれが続ける言葉に困っていたところに、八瀬さんのそんな言葉が間に割って入ってきた。
『『時間切れ?』』
反応した二人の声が揃ってしまったのも、無理からぬことだったかも知れない。
が、八瀬さんは表面上は淡々と『ええ』と頷いていた。
『そろそろ地上は夜が明けるようですから、今晩はここまでです』
『今晩は……って、おまえまだ、ウチの孫をここへ引っ張り込むつもりしとんのか』
おじいちゃんの声が、ちょっと低気圧だ。
引っ張り込むって、人聞き悪いな……と思ったことが伝わったのかどうか、八瀬さんが片手を慌てて左右に振っていた。
『いやいや、変な勘違いせんといて下さい⁉ 今の話、明日また仕切り直ししましょか言うてるだけなんで!』
『何回仕切り直しても、俺の答えは変わらん』
『そうは言うても、お孫さんやないですけど、ご家族でちゃんと話し合わはったことないでしょう? 閻魔王様からも、五山送り火までは強制執行のようなことはしたくないからって許可もろてるんですから、ちゃんと話し合いして下さいよ。一方的に「おまえは浄土行きや」とか、言うてるんやのうて。閻魔王様より偉そうとか、勘弁して下さい』
多分「アンタは閻魔王より偉いんか!」くらい言いたかったのを、だいぶオブラートに包んだような気がした。
そういえば、祖父に十王庁での働き口はないのかと聞いてもらう件はどうなったんだろう……と、菜穂子が八瀬さんを見やったところ、そこに関してはゆるゆると首を横に振られてしまった。
『言いたいことは分かりますけど、いくらなんでもそんなに早く話が各王のところまでは届きません。明日来てもらったら、何らかの進展はあると思います』
どうやら八瀬さんは、今この場で詳細を祖父の前で言うつもりはないらしい。どうせ何を言っても殻に閉じこもっている状態だろうから、まずは祖母も交えて三人で改めて話し合えということなのかも知れない。
『そやけど、明日言われても……』
どうしろというのか。
口には出さなかったけど、もちろんそこはちゃんと通じていて『大丈夫です』と八瀬さんは頷いた。
『今日と同じように、私がそのへんは誘導しますから』
『えっ、でも、おじいちゃんとおばあちゃんは……』
『確かにお盆の時期ではありますけど、実際のところご実家で陰膳が供えられるまでは死者の魂は身動き取れませんから。高辻先生は特に、それまで賽の河原の子どもと交流しててもらう方がよほど有難いです』
ピキリと祖父のこめかみに青筋が立った気がしたけれど、今、祖母がこの場にいないと言うことは、他の部屋どころか迷える子どもたちの様子を見に行った可能性は高い。
多分八瀬さんの性格なら、祖父と話し合っているようで、裏でしれっとそれくらいのことはしているような気がした。
『そのあたりの話も、明日仕切り直しましょう』
ではまた明日――そんな八瀬さんの声と共に、菜穂子の視界は暗転した。
◇◆◇◆◇
「…………え、マジで?」
ミンミンと煩い蝉の鳴き声。
じんわりと寝汗をかいている身体。
どうやら菜穂子は本当に、起床時間の頃合いに意識が引き戻されていたらしい。目を開ければ、見慣れた実家の天井が見えた。
それでも、つい今しがたまで祖父母と会話していた記憶がキッパリはっきり残っている。
夢のようで、夢じゃなかった。マジか、くらいは言いたくなるだろう。
「なんやの、あんた。眠そうな顔して」
パジャマ姿のまま、階下のダイニングに下りて行くと、パンとコーヒーをテーブルに置いていた母と視線が交錯した。
「どうせ、夜遅までスマホでもいじってたんやろ」
普段ならその通りだと思うかも知れないが、さすがに昨夜は母親のその言葉には素直に頷けなかった。
「……寝つきが悪かったかも知れん。おじいちゃんと、おばあちゃんに会うた夢見たわ」
黙り込むと母親がムッとしそうだったので、菜穂子は少し考えて、それだけを口にした。
「へえ。まあ、お盆の時期やしそんなこともあるかもしれへんな」
母はちょっとだけ目を丸くしたものの、ある意味菜穂子の予想した通りの返しを口にした。
「どんな夢やったんや。昔の話とかか?」
そう聞いてきたのは、父の方だ。
夢なら夢で、家族で食卓を囲んで共通の話題を口にするのにちょうどいいと思ったのかも知れない。
菜穂子は、夢だと前置きしているから何でもありだろうと、ほぼぶっちゃけて話をすることにした。
もしかしたら、何か役立つ話が聞けるかも知れないと思いながら。
「ううん。閻魔さまの部下に、賽の河原で石積みしてる子どもたちの先生して欲しい言われて前向きになってるおばあちゃんと、早よ天国に行こう言うて迎えに来てたっぽいおじいちゃんとの、三途の川でのバチバチのバトル」
バトルと言うと、大いに語弊があるだろう。
ただ、何が引っかかっているのかと言えば、要はそういうことだと思うのだ。
端的に昨夜の話をまとめた菜穂子に、両親はちょっとポカンとした表情になっていたものの、やがてすぐに父親の方が「はははっ!」と、愉快そうに笑い声をあげた。
「面白い夢見てんなぁ、菜穂子は! 無茶苦茶やわ」
「そやから夢やて、菜穂子も言うてますやん」
母の方は菜穂子に何か言うよりも先に、父親の方にツッコミたくなったようだった。
とはいえ二人共が荒唐無稽だと思ったのは間違いない。菜穂子とて今でも半信半疑なのだから、当然の反応と言えるだろう。
「まあ、おまえのおばあちゃんは小学校の先生やったって、前から言うてたからな。本当にありそうな話ではあるわな」
「おばあちゃんが先生してた学校って、もう廃校になったんやったっけ?」
以前に聞いた記憶を引っ張りだせば、父はパンを片手に頷いた。
「そやな。ここ何年もの間で、お父さんも分からんくらいに学校の統廃合が進んださかいにな。菜穂子かて、もう小学校はどこやったかに統合されてるやろ」
「確かに」
「言うても、建物自体はまだ残ってるわ。今、確か芸術センターか何かになってて、前田珈琲か何処かが建物の一角に入ってるはずや」
「へえ……」
京都を離れて何年かたてば、帰省する都度どこかの店が入れ替わっている。気分はまるで浦島太郎だ。かつて祖母が教壇に立っていた小学校が、そんな風に再利用されていることも、菜穂子は今まで知らなかった。
「ちょっと見に行って見ようかな。どうせ、お盆の間ヒマやし」
行ったからと言って、祖父の説得材料がそう都合よく転がっているはずもないとは思ったものの、このまま夜まで何もしないというのもいただけない。
なるべく不自然に見えないようにと思いながら両親の様子をチラと見ると、父はあっさりと「ええんと違うか」と言って、手にしていたパンを全て口に放り込んだ。
「志津屋でも進々堂でもかまへんし、ついでに明日の朝のパン買ってきてくれたら一石二鳥や」
一方の母はと言えば、父の言葉に眦を吊り上げていた。
「何が「一石二鳥」ですの。行くなとは言わへんけど、玄関とか仏壇とか、掃除くらいはしていってもらわな困りますわ。働かざる者食うべからず、ですやろ」
「「……おっしゃる通りです……」」
そして冷ややかに発せられた一言に、菜穂子と父はぐうの音も出なかった。
すぐに出かけると言える空気でもなく、菜穂子はお盆の間使用する陰膳用の道具の乾拭きを、とりあえずは手伝うことにしたのだった。
仏壇を拭いたりしている父から聞いていると、どうやらお盆にまつわる言い伝えにも地方によって様々あるらしく、かつての父の職場の部下なんかからも色々聞いたことはあるらしい。
ただそれでも「送り火」であの世に戻って貰うと言う考え方は、どれでも同じだったようなのだ。
京都のように五山の送り火ではないにせよ、玄関先などで思い思いに火を焚くだけでも充分に儀式としては成立すると考えられているからだそうだ。
そうやって聞けば、あの八瀬さんが「五山の送り火までが全てのタイムリミット」と言った言い方をしていたのも何となく頷けてしまう。
「そやけど菜穂子、夢見たにせよ、なんでまたおまえのおばあちゃんが先生してた小学校見たなったんや。全然気にしたことなかったやろ」
「……えーっと」
当然と言えば当然の疑問に、菜穂子は思わず言葉に詰まってしまう。
「そ、そろそろ卒論のテーマ考えようかなと思って」
「卒論? おまえまだ四年生やないやろ」
「いや、それはそうなんやけど、ざっくりやること決めて、資料の目星くらいはつけておかんと」
父の疑問は間違ってない。正直言えば、卒論をどうするかなんて、まだこれっぽっちも決まっていない。
有り体に言えば、今この場を凌ぐために思い立ったことだ。
「き、京都の学校教育の歴史とか……? あるいはその頃の歴史的建造物の歴史とか? ちょっと興味あるなぁ……って」
「なんで疑問形やねん。まあ、何かしら思てることあるんやったら、お父さんがとやかく言うもんでもないけどな。やると決めたら梃子でも動かんのは、むしろおじいちゃんあたりに似たんと違うか」
「がーん……!」
父は半分は冗談のつもりだったのかも知れない。
けれど昨夜アレコレと体験してきた今の菜穂子には、なかなかにその一言は胸に刺さった。
思わず胸を押さえた菜穂子を見ながら、面白そうに父は笑っている。
「ああ、そんで学校の歴史言うんやったら、建物そのものは確かに芸術センター行ったらええけど、中身の話やったら京都市学校歴史博物館言う所が別にあるさかいに、両方行くか、そっちに行った方がええかもしれんで」
「え、そうなん? そんな所あるの初めて聞いたわ」
「おまえのおばあちゃんが、同じようなこと言うてたからな。足がもうちょっと良うなったら、今どうなってるのか見に行ってみたい――言うてな」
「え」
「そうは言うても、お父さんもお母さんも行ったことないさかいに、菜穂子が気になるんやったら行ってみたらええわ」
――パン買って帰るの忘れんようにな。
父はそう念押しするのを忘れなかった。
◇◆◇◆◇
珈琲に使う金額とグラム数に関して、京都はしょっちゅうトップ争いをするほどらしい。実はかなりのカフェ文化なのだ。
海外チェーン店やサードウェーブ系の店舗も立ち並ぶ中、京都には有名な三大珈琲店がある。
イノダコーヒー、小川珈琲、前田珈琲。
ただの五十音順だが、要はこの三社が複数の店舗を展開する、京の有名どころだ。最近では、一部が東京方面での百貨店催事なんかにも進出しているほどだ。
そんな三大珈琲店の一角、前田珈琲の店舗が、かつて祖母が教壇に立っていた小学校の一角に開業していた。
時期が時期だけに待っている人がいるようだ。けれどせっかくだし、あとで珈琲休憩しよう――と思いつつ、菜穂子はまずは芸術センターのある建物の方へと足を向けることにした。
途中かろうじて見かけた年表によれば、統廃合が決まる直前までは「明倫小学校」の名前で地元には知られていたそうだが、祖母の時代には「旧下京三番組小学校」や戦時中に改称された「明倫国民学校」としてその名は知られていたようだ。
今で言うところの綾部市方面に学童疎開していた時期もあるらしい。
終戦の年の三月末から十月半ばまで疎開していたということは、祖父が迎えに行ったのは今のこの建物ではなく、疎開先の仮校舎ということになる。
なるほど綾部であれば、舞鶴港あたりから戻って来たとして、着のみ着のままで立ち寄るのも道理なのかもしれない。
思わぬ情報に、菜穂子はそれだけでも、来てみて正解だったと思った。
明治の開校当時の名残りは門跡くらいしかないものの、現校舎の完成が昭和六年とのことなので、間違いなく祖母が教壇に立っていた頃の校舎ということになる。
当時では最先端の鉄骨建築、赤みを帯びたクリーム色の外壁と、スぺイン風屋根瓦のオレンジ色、雨樋の緑青色など「ハイカラ」と言っていいデザインが採用されたらしい。
一部の窓ガラスは、現代でまだ再現しきれていない波打ちガラスになっているというから恐れ入る。今やこれらの旧校舎は国の登録有形文化財に指定されているほどだ。
建物の中には図書室や情報コーナーといった場所があるので、他に何かしら当時の足跡を辿れるかと思いはしたものの、見ていると京都の伝統工芸に関するものや美術全集など、アート関連の書物ばかりだった。
卒業生の寄贈品といった、当時の小学校の思い出に繋がるような品々は、やはり父の言っていた京都市学校歴史博物館の方にまとめられているのだろう。
「スマホで撮影……言うても、おばあちゃんには見せてあげられへんのかぁ……」
ふと思い立って鞄の中からスマホを取り出してはみたものの、昨夜のあの状態ならスマホなんて持っていけない。
「あ……地上に出れたら、連れて来てあげられる? いや、八瀬さんに聞いてみないとどうにも分からんなぁ……」
色々と驚きすぎて大半の記憶が吹き飛んでいたので、もう一回聞いてみた方が無難な気もした。
今やこの建物は芸術家育成のための場所ということで、市民に開放されているらしい。
菜穂子は景色のみを十二分に目に焼き付けて、敷地内のカフェの方へと移動をすることにした。
まあ「昭和の男」どころか「大正の男」な祖父に、あまり期待は出来ないのだが。
『今さら何をちゃんと話せえ言うんや』
案の定、祖父は眉を顰めている。
『え、だってさ、小学校の先生やろ? 今みたいに大学で教員免許取るんと違って、女子高等師範学校とかいうところに行かんと取れへん資格やったって、先生目指してる友達が言うてたけど』
父も、大学における教員養成が科目として必須になったのは戦後の教育改革以後の話だとも言っていた。
田舎で兄弟姉妹の多い家庭に生まれた祖母は、実家の家計を助ける意味でも手に職をつけねばと考え、自分が憧れた小学校の先生を目指したらしいのだ。
当時の師範学校というところは、男女共に学費は無料、全寮制で衣食住に関わるほとんどが支給されていたらしい。だからある意味、菜穂子の「東京一人暮らし」に関しても、祖母自身は過保護な反対をしなかっただろうとも言っていた。
そうして程々の年齢になり、祖母の姉妹が皆嫁ぎ先を決めたところで、親が顔見知りだった縁で、祖父との婚約が成立したんだそうだ。
寿退職の準備をしなくては――となっていたところに赤紙招集があり、退職の話はいったん保留。終戦後に祖父が帰還してくるまで「先生」を続けていたのだとも。
『……そうや。家のために苦労して資格を取って、学費タダやから言うて実家に仕送りもして。朝から晩まで働き通しやったって志緒の親は言うてたわ。はよ嫁にしてもろて、実家のことはもう考えんでええように、幸せにしてやってくれって』
祖父の側から聞く初めての結婚にまつわる話に、菜穂子どころか八瀬さんもちょっと興味深げだった。
なるほど、と呟いている声が菜穂子の耳にも届いていた。
どちらにしても古い時代の男性らしく、かなり俺様要素が強い。ただ、強いとは思うが祖父は祖父なりの想いがあったということなんだろう。
『そやけど、俺が赤紙なんぞ受け取ってしもたさかいに、結婚が先送りになった。お国の為に頑張ってきて下さい言うて送り出されはしたけど、俺はその頃区役所に就職して間なしやったから、何とはなしに世間の報道程に日本が有利やない言うのは察せられとった。もしかしたら一緒になれへんかもしれん――俺もそうやったけど、深町の家も高辻の家も、口には出さんなりに思てたとは思う』
それでも国からの強制命令である以上はどうしようもない。いつかは帰る、必ず帰ると、信じて東南アジアの戦地を移動していたらしい。
『まあ、結果的に敗戦間近での出征やったんは、運が良かったんかもしれん。こんなこと言うたら、同じ戦地で命を落とした同胞には申し訳がたたんのやけど』
そうポツリと言葉を洩らした祖父の表情は、一瞬せつなげに歪んでいた。
『そやけど、俺は日本に戻れた。戻れたから、いの一番に志緒の所へ行った。それは、そうやろう。俺の婚約者や。俺が幸せにしてやるて高辻のご両親にも誓うたんや。戦地にいた分、倍以上に幸せにしてやらなと思たんや』
『おじいちゃん……』
『言うても、戦後は思てた以上に大変やった。本当は兄貴がおって、深町の家を継ぐはずやったのに、兄貴は出征から戻って来んかった。気楽な次男の嫁のはずが、いきなり深町本家の嫁にならなあかんようになったし、俺も深町の家を支えられるだけの稼ぎを得られるよう、仕事を増やさなあかんかった』
そう言えば、と菜穂子は祖父母宅の仏壇の上に飾られている遺影を思い起こした。
祖父のお兄さん、と祖母に教わった写真があったような気がする。
おじいちゃん、本当はこの家の跡取りやなかったんよ――とも確かに聞いた気がする。
曾祖父だけはギリギリ菜穂子の記憶にあるものの、それ以外の血縁関係者は既に故人としての認識で、あまりハッキリとは覚えていなかったのだが。
『しかも俺が死ぬ直前は、透析や。週に何度も病院に付き添わなあかんようになって、そのうち自分の足も悪くしてた。ロクに旅行にも連れて行ってやれんかった。菜穂子らが家族旅行や言うてどこなと出かけてるのは、俺は本当は心苦しかった』
ああ……と、菜穂子は胸がキリリと締め付けられた。
両親は確かに菜穂子を時々旅行に連れて行ってくれた。
おじいちゃんの透析がある、おばあちゃんの足のこともある――と、祖母は笑って「行ってらっしゃい」と都度言ってくれていたけれど。
また、どっか行くんか。仕方ない奴やなぁ――と、祖父も苦笑いで見送っていたけど。
その度に、祖父の胸には後悔とやるせなさが降り積もっていたのか。
『そやからな。三途の川を渡ったんなら、もうええやろうと思たんや。もう何もせんでええ。極楽浄土とやらでのんびり過ごしたらええ。行く資格がない言うなら、俺が何を引き受けてでも作ってやる。もうこれ以上志緒を働かすな。おまえは、そう思わへんのか。おばあちゃんに、ゆっくりして欲しないんか』
『……それは……』
口惜しいことに、菜穂子はすぐに反論することが出来かった。
『ああ……残念ながら、今日は時間切れみたいです』
菜穂子と祖父、それぞれが続ける言葉に困っていたところに、八瀬さんのそんな言葉が間に割って入ってきた。
『『時間切れ?』』
反応した二人の声が揃ってしまったのも、無理からぬことだったかも知れない。
が、八瀬さんは表面上は淡々と『ええ』と頷いていた。
『そろそろ地上は夜が明けるようですから、今晩はここまでです』
『今晩は……って、おまえまだ、ウチの孫をここへ引っ張り込むつもりしとんのか』
おじいちゃんの声が、ちょっと低気圧だ。
引っ張り込むって、人聞き悪いな……と思ったことが伝わったのかどうか、八瀬さんが片手を慌てて左右に振っていた。
『いやいや、変な勘違いせんといて下さい⁉ 今の話、明日また仕切り直ししましょか言うてるだけなんで!』
『何回仕切り直しても、俺の答えは変わらん』
『そうは言うても、お孫さんやないですけど、ご家族でちゃんと話し合わはったことないでしょう? 閻魔王様からも、五山送り火までは強制執行のようなことはしたくないからって許可もろてるんですから、ちゃんと話し合いして下さいよ。一方的に「おまえは浄土行きや」とか、言うてるんやのうて。閻魔王様より偉そうとか、勘弁して下さい』
多分「アンタは閻魔王より偉いんか!」くらい言いたかったのを、だいぶオブラートに包んだような気がした。
そういえば、祖父に十王庁での働き口はないのかと聞いてもらう件はどうなったんだろう……と、菜穂子が八瀬さんを見やったところ、そこに関してはゆるゆると首を横に振られてしまった。
『言いたいことは分かりますけど、いくらなんでもそんなに早く話が各王のところまでは届きません。明日来てもらったら、何らかの進展はあると思います』
どうやら八瀬さんは、今この場で詳細を祖父の前で言うつもりはないらしい。どうせ何を言っても殻に閉じこもっている状態だろうから、まずは祖母も交えて三人で改めて話し合えということなのかも知れない。
『そやけど、明日言われても……』
どうしろというのか。
口には出さなかったけど、もちろんそこはちゃんと通じていて『大丈夫です』と八瀬さんは頷いた。
『今日と同じように、私がそのへんは誘導しますから』
『えっ、でも、おじいちゃんとおばあちゃんは……』
『確かにお盆の時期ではありますけど、実際のところご実家で陰膳が供えられるまでは死者の魂は身動き取れませんから。高辻先生は特に、それまで賽の河原の子どもと交流しててもらう方がよほど有難いです』
ピキリと祖父のこめかみに青筋が立った気がしたけれど、今、祖母がこの場にいないと言うことは、他の部屋どころか迷える子どもたちの様子を見に行った可能性は高い。
多分八瀬さんの性格なら、祖父と話し合っているようで、裏でしれっとそれくらいのことはしているような気がした。
『そのあたりの話も、明日仕切り直しましょう』
ではまた明日――そんな八瀬さんの声と共に、菜穂子の視界は暗転した。
◇◆◇◆◇
「…………え、マジで?」
ミンミンと煩い蝉の鳴き声。
じんわりと寝汗をかいている身体。
どうやら菜穂子は本当に、起床時間の頃合いに意識が引き戻されていたらしい。目を開ければ、見慣れた実家の天井が見えた。
それでも、つい今しがたまで祖父母と会話していた記憶がキッパリはっきり残っている。
夢のようで、夢じゃなかった。マジか、くらいは言いたくなるだろう。
「なんやの、あんた。眠そうな顔して」
パジャマ姿のまま、階下のダイニングに下りて行くと、パンとコーヒーをテーブルに置いていた母と視線が交錯した。
「どうせ、夜遅までスマホでもいじってたんやろ」
普段ならその通りだと思うかも知れないが、さすがに昨夜は母親のその言葉には素直に頷けなかった。
「……寝つきが悪かったかも知れん。おじいちゃんと、おばあちゃんに会うた夢見たわ」
黙り込むと母親がムッとしそうだったので、菜穂子は少し考えて、それだけを口にした。
「へえ。まあ、お盆の時期やしそんなこともあるかもしれへんな」
母はちょっとだけ目を丸くしたものの、ある意味菜穂子の予想した通りの返しを口にした。
「どんな夢やったんや。昔の話とかか?」
そう聞いてきたのは、父の方だ。
夢なら夢で、家族で食卓を囲んで共通の話題を口にするのにちょうどいいと思ったのかも知れない。
菜穂子は、夢だと前置きしているから何でもありだろうと、ほぼぶっちゃけて話をすることにした。
もしかしたら、何か役立つ話が聞けるかも知れないと思いながら。
「ううん。閻魔さまの部下に、賽の河原で石積みしてる子どもたちの先生して欲しい言われて前向きになってるおばあちゃんと、早よ天国に行こう言うて迎えに来てたっぽいおじいちゃんとの、三途の川でのバチバチのバトル」
バトルと言うと、大いに語弊があるだろう。
ただ、何が引っかかっているのかと言えば、要はそういうことだと思うのだ。
端的に昨夜の話をまとめた菜穂子に、両親はちょっとポカンとした表情になっていたものの、やがてすぐに父親の方が「はははっ!」と、愉快そうに笑い声をあげた。
「面白い夢見てんなぁ、菜穂子は! 無茶苦茶やわ」
「そやから夢やて、菜穂子も言うてますやん」
母の方は菜穂子に何か言うよりも先に、父親の方にツッコミたくなったようだった。
とはいえ二人共が荒唐無稽だと思ったのは間違いない。菜穂子とて今でも半信半疑なのだから、当然の反応と言えるだろう。
「まあ、おまえのおばあちゃんは小学校の先生やったって、前から言うてたからな。本当にありそうな話ではあるわな」
「おばあちゃんが先生してた学校って、もう廃校になったんやったっけ?」
以前に聞いた記憶を引っ張りだせば、父はパンを片手に頷いた。
「そやな。ここ何年もの間で、お父さんも分からんくらいに学校の統廃合が進んださかいにな。菜穂子かて、もう小学校はどこやったかに統合されてるやろ」
「確かに」
「言うても、建物自体はまだ残ってるわ。今、確か芸術センターか何かになってて、前田珈琲か何処かが建物の一角に入ってるはずや」
「へえ……」
京都を離れて何年かたてば、帰省する都度どこかの店が入れ替わっている。気分はまるで浦島太郎だ。かつて祖母が教壇に立っていた小学校が、そんな風に再利用されていることも、菜穂子は今まで知らなかった。
「ちょっと見に行って見ようかな。どうせ、お盆の間ヒマやし」
行ったからと言って、祖父の説得材料がそう都合よく転がっているはずもないとは思ったものの、このまま夜まで何もしないというのもいただけない。
なるべく不自然に見えないようにと思いながら両親の様子をチラと見ると、父はあっさりと「ええんと違うか」と言って、手にしていたパンを全て口に放り込んだ。
「志津屋でも進々堂でもかまへんし、ついでに明日の朝のパン買ってきてくれたら一石二鳥や」
一方の母はと言えば、父の言葉に眦を吊り上げていた。
「何が「一石二鳥」ですの。行くなとは言わへんけど、玄関とか仏壇とか、掃除くらいはしていってもらわな困りますわ。働かざる者食うべからず、ですやろ」
「「……おっしゃる通りです……」」
そして冷ややかに発せられた一言に、菜穂子と父はぐうの音も出なかった。
すぐに出かけると言える空気でもなく、菜穂子はお盆の間使用する陰膳用の道具の乾拭きを、とりあえずは手伝うことにしたのだった。
仏壇を拭いたりしている父から聞いていると、どうやらお盆にまつわる言い伝えにも地方によって様々あるらしく、かつての父の職場の部下なんかからも色々聞いたことはあるらしい。
ただそれでも「送り火」であの世に戻って貰うと言う考え方は、どれでも同じだったようなのだ。
京都のように五山の送り火ではないにせよ、玄関先などで思い思いに火を焚くだけでも充分に儀式としては成立すると考えられているからだそうだ。
そうやって聞けば、あの八瀬さんが「五山の送り火までが全てのタイムリミット」と言った言い方をしていたのも何となく頷けてしまう。
「そやけど菜穂子、夢見たにせよ、なんでまたおまえのおばあちゃんが先生してた小学校見たなったんや。全然気にしたことなかったやろ」
「……えーっと」
当然と言えば当然の疑問に、菜穂子は思わず言葉に詰まってしまう。
「そ、そろそろ卒論のテーマ考えようかなと思って」
「卒論? おまえまだ四年生やないやろ」
「いや、それはそうなんやけど、ざっくりやること決めて、資料の目星くらいはつけておかんと」
父の疑問は間違ってない。正直言えば、卒論をどうするかなんて、まだこれっぽっちも決まっていない。
有り体に言えば、今この場を凌ぐために思い立ったことだ。
「き、京都の学校教育の歴史とか……? あるいはその頃の歴史的建造物の歴史とか? ちょっと興味あるなぁ……って」
「なんで疑問形やねん。まあ、何かしら思てることあるんやったら、お父さんがとやかく言うもんでもないけどな。やると決めたら梃子でも動かんのは、むしろおじいちゃんあたりに似たんと違うか」
「がーん……!」
父は半分は冗談のつもりだったのかも知れない。
けれど昨夜アレコレと体験してきた今の菜穂子には、なかなかにその一言は胸に刺さった。
思わず胸を押さえた菜穂子を見ながら、面白そうに父は笑っている。
「ああ、そんで学校の歴史言うんやったら、建物そのものは確かに芸術センター行ったらええけど、中身の話やったら京都市学校歴史博物館言う所が別にあるさかいに、両方行くか、そっちに行った方がええかもしれんで」
「え、そうなん? そんな所あるの初めて聞いたわ」
「おまえのおばあちゃんが、同じようなこと言うてたからな。足がもうちょっと良うなったら、今どうなってるのか見に行ってみたい――言うてな」
「え」
「そうは言うても、お父さんもお母さんも行ったことないさかいに、菜穂子が気になるんやったら行ってみたらええわ」
――パン買って帰るの忘れんようにな。
父はそう念押しするのを忘れなかった。
◇◆◇◆◇
珈琲に使う金額とグラム数に関して、京都はしょっちゅうトップ争いをするほどらしい。実はかなりのカフェ文化なのだ。
海外チェーン店やサードウェーブ系の店舗も立ち並ぶ中、京都には有名な三大珈琲店がある。
イノダコーヒー、小川珈琲、前田珈琲。
ただの五十音順だが、要はこの三社が複数の店舗を展開する、京の有名どころだ。最近では、一部が東京方面での百貨店催事なんかにも進出しているほどだ。
そんな三大珈琲店の一角、前田珈琲の店舗が、かつて祖母が教壇に立っていた小学校の一角に開業していた。
時期が時期だけに待っている人がいるようだ。けれどせっかくだし、あとで珈琲休憩しよう――と思いつつ、菜穂子はまずは芸術センターのある建物の方へと足を向けることにした。
途中かろうじて見かけた年表によれば、統廃合が決まる直前までは「明倫小学校」の名前で地元には知られていたそうだが、祖母の時代には「旧下京三番組小学校」や戦時中に改称された「明倫国民学校」としてその名は知られていたようだ。
今で言うところの綾部市方面に学童疎開していた時期もあるらしい。
終戦の年の三月末から十月半ばまで疎開していたということは、祖父が迎えに行ったのは今のこの建物ではなく、疎開先の仮校舎ということになる。
なるほど綾部であれば、舞鶴港あたりから戻って来たとして、着のみ着のままで立ち寄るのも道理なのかもしれない。
思わぬ情報に、菜穂子はそれだけでも、来てみて正解だったと思った。
明治の開校当時の名残りは門跡くらいしかないものの、現校舎の完成が昭和六年とのことなので、間違いなく祖母が教壇に立っていた頃の校舎ということになる。
当時では最先端の鉄骨建築、赤みを帯びたクリーム色の外壁と、スぺイン風屋根瓦のオレンジ色、雨樋の緑青色など「ハイカラ」と言っていいデザインが採用されたらしい。
一部の窓ガラスは、現代でまだ再現しきれていない波打ちガラスになっているというから恐れ入る。今やこれらの旧校舎は国の登録有形文化財に指定されているほどだ。
建物の中には図書室や情報コーナーといった場所があるので、他に何かしら当時の足跡を辿れるかと思いはしたものの、見ていると京都の伝統工芸に関するものや美術全集など、アート関連の書物ばかりだった。
卒業生の寄贈品といった、当時の小学校の思い出に繋がるような品々は、やはり父の言っていた京都市学校歴史博物館の方にまとめられているのだろう。
「スマホで撮影……言うても、おばあちゃんには見せてあげられへんのかぁ……」
ふと思い立って鞄の中からスマホを取り出してはみたものの、昨夜のあの状態ならスマホなんて持っていけない。
「あ……地上に出れたら、連れて来てあげられる? いや、八瀬さんに聞いてみないとどうにも分からんなぁ……」
色々と驚きすぎて大半の記憶が吹き飛んでいたので、もう一回聞いてみた方が無難な気もした。
今やこの建物は芸術家育成のための場所ということで、市民に開放されているらしい。
菜穂子は景色のみを十二分に目に焼き付けて、敷地内のカフェの方へと移動をすることにした。


