八月七日。
今年は一人で東大路通から松原通へと伸びる坂道を下っている。
家族で一緒にまとめて鐘をつかないといけないという決まりもないため、毎年それぞれが行ける時に行く。今は菜穂子が一人で行くというだけのことだ。
六道珍皇寺は、地元では「六道さん」と略して呼ばれることも多い。
ろくどうちんのうじ、ろくどうまいり――そう言われているから、当然「六道さん」となれば「ろくどうさん」と呼ぶのが普通で、実際にそう言っている人たちも多いのだが、何故か深町家では「ろくどさん」と、家族皆が言っている。
『菜穂子、ろくどさん行こか』
というのが夏の祖母の常套句だったのだから、誰も疑問にすら思っていなかったのだ。もしかしたら「何か違う」と思う人間が周囲にいたとしても、時期と名称を考えれば言いたいことは皆が理解出来るので、誰も修正しないままここまできたのかも知れない。
多分菜穂子も、深町家に関わりのない赤の他人がそこにいれば「六道まいりに行ってくる」とでも言ったのだろうが、実家から出て来ただけなので、告げた言葉は「そしたら、ろくどさん行って来る」だった。
言葉とは、こうした些細な積み重ねで変遷してくのだろうか……などと言えば聞こえはいいが、単に深町家が間違えているだけという可能性もある。
これも祖母との思い出と、二、三度頭を振って菜穂子は六道珍皇寺の境内に足を踏み入れることにした。
どうして複数ある「六道まいり」のお寺の中でも六道珍皇寺が殊更に有名なのかと問われれば、理由はいくつか考えられる。
境内の立て看板をざっと見たところによれば、六道とは死後の世界。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六つを指し、生前の善悪を閻魔王により裁かれ、六道のいずれかに赴く、あるいは生まれ変わると考えられていて、中でも六道珍皇寺がこの六道の分岐点と言われていた。
分岐点、いわゆるこの世とあの世の境、冥界への入り口が境内あたりにあると長年信じられているのだ。
そして平安時代、朝廷の役人だった小野篁が、境内にある井戸を使って現世と冥界を自在に行き来していたという伝説も、六道珍皇寺には存在していた。
本来は副遣唐使に任じられたり、百人一首の中の一首を詠んだ歌人・参議篁としての才を讃えられるべきところ、何故かそれ以上に冥府の官吏としての名前の方が有名になってしまったという、謎多き人物だ。
昼は朝廷の役人、夜は冥界の閻魔庁で冥官を務めていたと言われ、閻魔大王の信も厚かった……と、ここまでくればある意味ファンタジーかもしれないが、このお寺で主に新春に開かれる「寺宝特別展」では、小野篁や閻魔大王にゆかりのある仏教画を多く目にすることが出来るので、小野篁の伝説は室町時代以前から既に存在していたものと考えられていた。
山門の門前には、昨日今日の建立ではない「六道の辻」と刻み込まれた石碑もあり、六道珍皇寺が京のお盆行事の中心地であることすら伺わせている。
山門側からまず中へ入ると、目に入ってくるのは「高野槙」を売っているテントだ。
高野槙はその名の通り、高野山真言宗の花としての由来が最初であり、現在臨済宗である六道珍皇寺も、かつては真言宗に属していた時代があったための名残りで、今も売られているのではないかとの説が有力だ。
宗派でしか使用してはいけないと言う決まりもないらしい。ただ、深町家の菩提寺は日蓮宗、そちらは日頃は樒を使う。だから例年であれば「迎え鐘」をつくだけで、高野槙を買うことはしない。そこは作法ではないが、宗派への義理立てのようなものだと、以前に祖母が言っていたように思う。
本来の「六道まいり」の作法としては、高野槇を参道で買い、本堂前で水塔婆と呼ばれる塔婆に、迎える先祖の戒名や俗名を書いて貰う。それらを手に迎え鐘をつくための列に並び、鐘をついた後は手にしていた水塔婆を線香で浄めて、境内の地蔵尊宝前で、その場に用意されている高野槇で水塔婆に水をかけて供養をするのだ。
水回向と呼ばれるその供養を行って、最後は水塔婆を納めて、一連のお参りが終了する。
『今年は初盆やさかいな。七日に一番最初にお参りに行く、あんたが水塔婆を納めてきたらええわ』
そしてここにも、謎の深町家ルールがあり、身内の初盆の時に限って、参道で売られている高野槇は買わないまでも、水塔婆に戒名(戒名がまだな場合には俗名)を書いてもらっての水回向は行うのだ。鐘はめいめいにつくと言うのに、水回向は最初に参拝する一人だけがそれをする。それも初盆の時だけ。
そして水回向を行う場合、参道で売られているのとは別に備え付けの高野槙があるから、いずれにせよ深町家は参道で売られている高野槇を買わないのだ。
もちろん、祖母の供養、初盆なのだから菜穂子に否やがあるはずもないが、作法、しきたりとして、それでいいのかと思わなくもない。
ただ、供養したい気持ちあればどんなカタチでもよい――どこかの雑誌のインタビューで、そう語っていたお寺の関係者もいるそうだから、必要以上のこだわりは見せなくてもいいのかも知れない。
要は自分の心の中の「折り合い」なのだろうと、菜穂子はそう思うことにした。
それらを済ませたところで、いよいよ迎え鐘をつく列に並ぶ。
四方が壁に封印された鐘楼の一ヶ所から、綱引きの綱に似た紐が出ており、それを引くことで鐘楼内の鐘が鳴る。
地の底へ響くような音色と言われ、それによって多くの精霊、つまりは先祖が冥土から戻って来るのだと信じられているのだ。
鐘楼は東側の門の近くにあり、順番待ちの列が長くなれば、いったんお寺の敷地を出て、外の路地をぐるりと巡って順番待ちをすることもある。それでも鐘をつかないと言う選択肢はないので、そんな時でも根気よく並ぶしかない。
前後に並んでいる人たちも地元の人で、毎年先祖をお迎えするという人がほとんどだ。
一人で列に並びながら、祖母と来ていた頃のことを思い出す。
『あんた一人では、よう鐘鳴らさんやろうから、おばあちゃんの手ぇ持って一緒に引っ張ろなぁ?』
確かに小学生かそこらでは、あの綱引きの綱のような紐を引いても、鐘はウンともスンとも音を出さないだろう。
だからと言って祖母と一緒に引っ張っていても、想像したほどの大きな音は出ていなかったと思う。
『どうしよ、おばあちゃん⁉ あんな音でおじいちゃん帰って来てくれはるやろか⁉』
鐘の音が響いてこそ、祖父があの世から戻って来るのだと思っていた菜穂子は、思わず涙目になって祖母の服の袖を引っ張った覚えもあるくらいだ。
『大丈夫や。大事なのは気持ちや。ちゃんとあの世まで届いてる!』
祖母の皺だらけの手が、涙ぐむ菜穂子の頭をゆっくりと撫でて、それから二人で手を繋いで家に戻ったことも覚えている。
そうやって祖母とお参りをした年のことだけは、何年たっても菜穂子の頭の中に残っていた。
(今年は一人やわ、おばあちゃん。ちゃんとあの世まで鐘の音、届くかなぁ? っていうか、おばあちゃん、おじいちゃんに会えてる……?)
もしまだ会えていないのだとしても、このお盆行事で鐘をつけば、どちらも深町家に一時的に戻ることになるわけだから、最悪、深町家で会えるのか……と、菜穂子は思い直す。
また祖父の方が祖母を探して「どちらさんです?」「俺や!」を繰り返したりするんだろうか。
思いがけずヤンデレだったらしい祖父のことを思い浮かべながら、菜穂子は思わずクスリと笑っていた。
◇◆◇◆◇
深町家では購入しない高野槙だが、元来「お精霊さんは槇の葉に乗ってあの世から戻って来る」あるいは「高野槙を依代にご先祖様は各々の自宅に帰る」と言った言い伝えもあるらしく、少なくない参拝客が高野槙を手にしている。
『そんなんせんでも、ちゃんと鐘をついた人について帰って来てくれはるやろ』
――というのが、両親以前から深町家では定着しているようだが。
確かに祖母と出かけていた間も、お寺では鐘をつくだけだったような気がする。
鐘さえついていれば……というのは極論にせよ「迎え鐘」が宗派を超えた伝統行事となっている以上、一から十まで事細かに作法を強要してはいないということなのかもしれない。
要はこの時期にご先祖様をお迎えする、という気持ちがあってお参りをしていればいいのだと、菜穂子もそんな認識でいた。
そうこうしている間に、ようやく次が菜穂子が鐘を鳴らす番と言うところまで来た。
「あ、間違うた」
今、鐘を鳴らしている目の前の人を見ながら、菜穂子はその人が手に水塔婆を持ちながら鐘を鳴らしていることに気が付いてしまった。
水塔婆に戒名あるいは生前の名前を書いて貰った後、鐘をついて、それから水回向をしてその水塔婆を納めるのが順序だったところを、うっかり先に水塔婆を納めてしまっていたのだ。
とはいえ、もう菜穂子の順番が来てしまった。
(わぁ……おばあちゃん、ごめん! おじいちゃんにも「あほか」って言われそうやなぁ……)
せめて頑張って鐘を鳴らそう!
ふと、綱の下にある賽銭箱を見れば、なかなかの達筆で何か書かれた紙が貼られている。
〝迎え鐘 心をこめて 一つ撞く〟
〝鐘は心で撞く。回数や音の大きさではありません〟
……何だか、幼少時代の菜穂子のためにあるような文言だ。
現実的なことを言えば、あれだけ人が並んでいるところに、一度に三回も四回も鐘をつかれては、列が減らないというのもあるかもしれない。それでも音が小さいと不安になるのもまた確かなので、この貼り紙は菜穂子の心を落ち着けるものでもあった。
(――鐘は心で撞く)
心の中で一度そう呟いて、菜穂子は思い切り綱を引いた。
『…………仕方のないやつだな』
昔よりは大きく響いた音と共に、菜穂子の耳にそんな祖父の口癖が聞こえた気がした。
置かれていた資料を見ていると、境内には小野篁があの世とこの世を行き来したと言う、行きの「冥土通いの井戸」と帰りの「黄泉がえりの井戸」があるらしい。とは言うものの、そちらは特別拝観や寺宝展の時にしか近寄って見られないらしく、菜穂子自身はまだ一度も実物を見たことがない。
それに「冥土通いの井戸」はともかく「黄泉がえりの井戸」は、ここ二十年ほどの間に発見された井戸らしい。
平安時代、鳥辺野とともに嵯峨野の奥、化野も葬送地だったので、帰路の出口はそちら方面だという説もあり、実際長い間そう信じられてきた。それらしき井戸は現代に残ってはいないものの、伝承だけが残っているようなのだ。
それが六道珍皇寺であり、帰路の井戸もそうして見つかったというのだから、その真偽も含めて気にならないと言えば嘘になる。
けれど毎年六道まいりの間は、帰路の井戸は開放されないため、昼だろうと夜だろうと見ることは出来ない。
そもそも、どうして行きと帰りと通り道が違うのかと言う話になるのだが、どうやらこればかりは明確な理由、根拠といったものは何も残されてはいないらしい。
いつか特別拝観の時にまたやって来て、行き帰り両方の井戸をこの目で見てみたい。純粋な好奇心だ。
小野篁はこれらの井戸を使っていたと言うが、果たして先祖の霊たちも同じ道を通って帰ってくるのか。
答えのない問いを抱えたまま、菜穂子は実家へと戻ることにしたのだった。
◇◆◇◆◇
「あ、帰る前に若宮さん寄っとこうかな」
六道珍皇寺で鐘をついて、さて家に帰ろうかと山門を出たところで、菜穂子はふと思い直して方向転換をした。
毎年陶器祭りが開かれる、五条坂の途中にあることと、陶祖神が祀られていることで若宮八幡宮は陶器神社とも言われ、この時期は特に賑わっているのだが、普段は「美貌の神」と呼ばれるほどの神が合祀されているために「美人神社」としての通りの方がいい側面も持っていた。
美の神社としては、嵯峨野にある河合神社の方がTVなどでもよく取り上げられて、知名度も全国区だ。ただ夏休み中の嵐山・嵯峨野となれば、お参り以前に人ごみに酔ってしまうことが想像出来る。
実際授与品に関しても、陶芸上達守はもちろんのこと、美の鏡御守りや永遠の美ハート御守と言った、美の神様の御力を授かろうとの願いがこもった御守が複数販売されていて、境内は陶芸家と思しき人たちと若い女性の観光客とが入り混じっている状態だった。
(美の鏡御守りってコンパクト鏡かぁ……学生にはちょっと値が張るけど……あ、美貌の肌守も捨てがたいな。でも、なんかガツガツしてるみたいやし、鳩付きストラップ御守の方がいい……?)
多分、菜穂子と同じように考えて、悩んでいる女性の参拝客は多い筈だ。
あっさりと陶芸上達の御守を手にする参拝客とは明らかに一線を画す形で、並べられている御守をランランとした目で眺めている女性客の多いことと言ったら。
菜穂子の方がむしろ気圧されてしまって、あまり長時間悩むことはせず、最終的には美貌の肌守をこっそり忍ばせる方向でいくことにしたのだった。
「――あ、鏡」
近くにいた誰かの声に、ふと菜穂子も視線を動かした。
〝身も心も美しく〟
そんなことが掛かれた石の立て札の隣に、こちらも外枠が石で出来ている等身大の鏡が置かれていた。
「自分の姿を映したら、自分の本当の美しさを映しだすって言われてるらしいよー?」
「えぇー? ちょっと怖いなぁ……ホラー映画の怨霊みたいな姿が映し出されたら、どないしてくれるんよー」
二十代後半のOL二人、と言ったところだろうか。
互いの肘を突き合いながら、鏡の前に立つの立たないのと言いあっている。
「分からんよ? めっちゃ、美人さんに映るかも知れへんやん」
「えぇ……」
どうするんだろうと、菜穂子も何となく歩く速度を落として様子を窺っていると、顔を見合わせた二人組は、二人一緒に端からおずおずと鏡を覗き込んでいた。
「いやいやいや! じっくり覗き込むのは、やめとこ!」
「おかしな景色映ってなかった! うん、そういうことにしとこ!」
結局、映ったのか、映らなかったのか。
それともチラッと顔を覗かせただけで、すぐさま引っ込めてしまったのか。
こちらからは確認出来ないまま、二人は明るい笑い声をあげながら走り去ってしまった。
「…………」
気付けば菜穂子の方が、鏡のすぐ近くまで来ていた。
(ま、まあ、六道さん帰りやから言うて、おかしなモンは写らへんよね!)
普通なら気にしないだろうが、何せ今は迎え鐘をついてきたばかり。妙に背筋が寒くなってしまう。
(いや、必要以上に美人に写らんでいい! むしろそっちの方が怖い!)
あるがままに映って、性根が腐ってないとホッと出来れば、それでいい。
どのみち、同じように鏡の前に立ってみようとしている参拝客がいるのだから、そうそう悩んでもいられないし、そこまで怖がらなくてもいいんだろうと思う。
胸に手をあてて、深呼吸をしてから、菜穂子は鏡の前に立った。
「⁉」
鏡に写った自分は、今日家を出たそのままの姿だ。
顔の一部が無くなっているとか、TVで見たような、髪の長い怨霊が自分の代わりに写っているとか、そんなことはなかったので、とりあえず息をつこうとして――ふと、鏡の奥、自分の位置からすると背後の奥の方に、一人青年が立っている……ような気がして、目を見開いた。
「……っ」
慌てて背後を振り返ったけれど、その視線の先には、菜穂子が見たと思った青年の姿はもうなかった。
(え……一瞬通り過ぎた観光客とか……? あ、いや、うん、観光客やと思っておこうかな)
深く追求しないでおこう。
菜穂子はそう決意した。
「……うん、帰ろ」
今度こそ、実家に帰ろう。
菜穂子は帰ってからも鏡の話だけは家族にせず、頭から布団をかぶって休むことにしたのだった。
今年は一人で東大路通から松原通へと伸びる坂道を下っている。
家族で一緒にまとめて鐘をつかないといけないという決まりもないため、毎年それぞれが行ける時に行く。今は菜穂子が一人で行くというだけのことだ。
六道珍皇寺は、地元では「六道さん」と略して呼ばれることも多い。
ろくどうちんのうじ、ろくどうまいり――そう言われているから、当然「六道さん」となれば「ろくどうさん」と呼ぶのが普通で、実際にそう言っている人たちも多いのだが、何故か深町家では「ろくどさん」と、家族皆が言っている。
『菜穂子、ろくどさん行こか』
というのが夏の祖母の常套句だったのだから、誰も疑問にすら思っていなかったのだ。もしかしたら「何か違う」と思う人間が周囲にいたとしても、時期と名称を考えれば言いたいことは皆が理解出来るので、誰も修正しないままここまできたのかも知れない。
多分菜穂子も、深町家に関わりのない赤の他人がそこにいれば「六道まいりに行ってくる」とでも言ったのだろうが、実家から出て来ただけなので、告げた言葉は「そしたら、ろくどさん行って来る」だった。
言葉とは、こうした些細な積み重ねで変遷してくのだろうか……などと言えば聞こえはいいが、単に深町家が間違えているだけという可能性もある。
これも祖母との思い出と、二、三度頭を振って菜穂子は六道珍皇寺の境内に足を踏み入れることにした。
どうして複数ある「六道まいり」のお寺の中でも六道珍皇寺が殊更に有名なのかと問われれば、理由はいくつか考えられる。
境内の立て看板をざっと見たところによれば、六道とは死後の世界。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六つを指し、生前の善悪を閻魔王により裁かれ、六道のいずれかに赴く、あるいは生まれ変わると考えられていて、中でも六道珍皇寺がこの六道の分岐点と言われていた。
分岐点、いわゆるこの世とあの世の境、冥界への入り口が境内あたりにあると長年信じられているのだ。
そして平安時代、朝廷の役人だった小野篁が、境内にある井戸を使って現世と冥界を自在に行き来していたという伝説も、六道珍皇寺には存在していた。
本来は副遣唐使に任じられたり、百人一首の中の一首を詠んだ歌人・参議篁としての才を讃えられるべきところ、何故かそれ以上に冥府の官吏としての名前の方が有名になってしまったという、謎多き人物だ。
昼は朝廷の役人、夜は冥界の閻魔庁で冥官を務めていたと言われ、閻魔大王の信も厚かった……と、ここまでくればある意味ファンタジーかもしれないが、このお寺で主に新春に開かれる「寺宝特別展」では、小野篁や閻魔大王にゆかりのある仏教画を多く目にすることが出来るので、小野篁の伝説は室町時代以前から既に存在していたものと考えられていた。
山門の門前には、昨日今日の建立ではない「六道の辻」と刻み込まれた石碑もあり、六道珍皇寺が京のお盆行事の中心地であることすら伺わせている。
山門側からまず中へ入ると、目に入ってくるのは「高野槙」を売っているテントだ。
高野槙はその名の通り、高野山真言宗の花としての由来が最初であり、現在臨済宗である六道珍皇寺も、かつては真言宗に属していた時代があったための名残りで、今も売られているのではないかとの説が有力だ。
宗派でしか使用してはいけないと言う決まりもないらしい。ただ、深町家の菩提寺は日蓮宗、そちらは日頃は樒を使う。だから例年であれば「迎え鐘」をつくだけで、高野槙を買うことはしない。そこは作法ではないが、宗派への義理立てのようなものだと、以前に祖母が言っていたように思う。
本来の「六道まいり」の作法としては、高野槇を参道で買い、本堂前で水塔婆と呼ばれる塔婆に、迎える先祖の戒名や俗名を書いて貰う。それらを手に迎え鐘をつくための列に並び、鐘をついた後は手にしていた水塔婆を線香で浄めて、境内の地蔵尊宝前で、その場に用意されている高野槇で水塔婆に水をかけて供養をするのだ。
水回向と呼ばれるその供養を行って、最後は水塔婆を納めて、一連のお参りが終了する。
『今年は初盆やさかいな。七日に一番最初にお参りに行く、あんたが水塔婆を納めてきたらええわ』
そしてここにも、謎の深町家ルールがあり、身内の初盆の時に限って、参道で売られている高野槇は買わないまでも、水塔婆に戒名(戒名がまだな場合には俗名)を書いてもらっての水回向は行うのだ。鐘はめいめいにつくと言うのに、水回向は最初に参拝する一人だけがそれをする。それも初盆の時だけ。
そして水回向を行う場合、参道で売られているのとは別に備え付けの高野槙があるから、いずれにせよ深町家は参道で売られている高野槇を買わないのだ。
もちろん、祖母の供養、初盆なのだから菜穂子に否やがあるはずもないが、作法、しきたりとして、それでいいのかと思わなくもない。
ただ、供養したい気持ちあればどんなカタチでもよい――どこかの雑誌のインタビューで、そう語っていたお寺の関係者もいるそうだから、必要以上のこだわりは見せなくてもいいのかも知れない。
要は自分の心の中の「折り合い」なのだろうと、菜穂子はそう思うことにした。
それらを済ませたところで、いよいよ迎え鐘をつく列に並ぶ。
四方が壁に封印された鐘楼の一ヶ所から、綱引きの綱に似た紐が出ており、それを引くことで鐘楼内の鐘が鳴る。
地の底へ響くような音色と言われ、それによって多くの精霊、つまりは先祖が冥土から戻って来るのだと信じられているのだ。
鐘楼は東側の門の近くにあり、順番待ちの列が長くなれば、いったんお寺の敷地を出て、外の路地をぐるりと巡って順番待ちをすることもある。それでも鐘をつかないと言う選択肢はないので、そんな時でも根気よく並ぶしかない。
前後に並んでいる人たちも地元の人で、毎年先祖をお迎えするという人がほとんどだ。
一人で列に並びながら、祖母と来ていた頃のことを思い出す。
『あんた一人では、よう鐘鳴らさんやろうから、おばあちゃんの手ぇ持って一緒に引っ張ろなぁ?』
確かに小学生かそこらでは、あの綱引きの綱のような紐を引いても、鐘はウンともスンとも音を出さないだろう。
だからと言って祖母と一緒に引っ張っていても、想像したほどの大きな音は出ていなかったと思う。
『どうしよ、おばあちゃん⁉ あんな音でおじいちゃん帰って来てくれはるやろか⁉』
鐘の音が響いてこそ、祖父があの世から戻って来るのだと思っていた菜穂子は、思わず涙目になって祖母の服の袖を引っ張った覚えもあるくらいだ。
『大丈夫や。大事なのは気持ちや。ちゃんとあの世まで届いてる!』
祖母の皺だらけの手が、涙ぐむ菜穂子の頭をゆっくりと撫でて、それから二人で手を繋いで家に戻ったことも覚えている。
そうやって祖母とお参りをした年のことだけは、何年たっても菜穂子の頭の中に残っていた。
(今年は一人やわ、おばあちゃん。ちゃんとあの世まで鐘の音、届くかなぁ? っていうか、おばあちゃん、おじいちゃんに会えてる……?)
もしまだ会えていないのだとしても、このお盆行事で鐘をつけば、どちらも深町家に一時的に戻ることになるわけだから、最悪、深町家で会えるのか……と、菜穂子は思い直す。
また祖父の方が祖母を探して「どちらさんです?」「俺や!」を繰り返したりするんだろうか。
思いがけずヤンデレだったらしい祖父のことを思い浮かべながら、菜穂子は思わずクスリと笑っていた。
◇◆◇◆◇
深町家では購入しない高野槙だが、元来「お精霊さんは槇の葉に乗ってあの世から戻って来る」あるいは「高野槙を依代にご先祖様は各々の自宅に帰る」と言った言い伝えもあるらしく、少なくない参拝客が高野槙を手にしている。
『そんなんせんでも、ちゃんと鐘をついた人について帰って来てくれはるやろ』
――というのが、両親以前から深町家では定着しているようだが。
確かに祖母と出かけていた間も、お寺では鐘をつくだけだったような気がする。
鐘さえついていれば……というのは極論にせよ「迎え鐘」が宗派を超えた伝統行事となっている以上、一から十まで事細かに作法を強要してはいないということなのかもしれない。
要はこの時期にご先祖様をお迎えする、という気持ちがあってお参りをしていればいいのだと、菜穂子もそんな認識でいた。
そうこうしている間に、ようやく次が菜穂子が鐘を鳴らす番と言うところまで来た。
「あ、間違うた」
今、鐘を鳴らしている目の前の人を見ながら、菜穂子はその人が手に水塔婆を持ちながら鐘を鳴らしていることに気が付いてしまった。
水塔婆に戒名あるいは生前の名前を書いて貰った後、鐘をついて、それから水回向をしてその水塔婆を納めるのが順序だったところを、うっかり先に水塔婆を納めてしまっていたのだ。
とはいえ、もう菜穂子の順番が来てしまった。
(わぁ……おばあちゃん、ごめん! おじいちゃんにも「あほか」って言われそうやなぁ……)
せめて頑張って鐘を鳴らそう!
ふと、綱の下にある賽銭箱を見れば、なかなかの達筆で何か書かれた紙が貼られている。
〝迎え鐘 心をこめて 一つ撞く〟
〝鐘は心で撞く。回数や音の大きさではありません〟
……何だか、幼少時代の菜穂子のためにあるような文言だ。
現実的なことを言えば、あれだけ人が並んでいるところに、一度に三回も四回も鐘をつかれては、列が減らないというのもあるかもしれない。それでも音が小さいと不安になるのもまた確かなので、この貼り紙は菜穂子の心を落ち着けるものでもあった。
(――鐘は心で撞く)
心の中で一度そう呟いて、菜穂子は思い切り綱を引いた。
『…………仕方のないやつだな』
昔よりは大きく響いた音と共に、菜穂子の耳にそんな祖父の口癖が聞こえた気がした。
置かれていた資料を見ていると、境内には小野篁があの世とこの世を行き来したと言う、行きの「冥土通いの井戸」と帰りの「黄泉がえりの井戸」があるらしい。とは言うものの、そちらは特別拝観や寺宝展の時にしか近寄って見られないらしく、菜穂子自身はまだ一度も実物を見たことがない。
それに「冥土通いの井戸」はともかく「黄泉がえりの井戸」は、ここ二十年ほどの間に発見された井戸らしい。
平安時代、鳥辺野とともに嵯峨野の奥、化野も葬送地だったので、帰路の出口はそちら方面だという説もあり、実際長い間そう信じられてきた。それらしき井戸は現代に残ってはいないものの、伝承だけが残っているようなのだ。
それが六道珍皇寺であり、帰路の井戸もそうして見つかったというのだから、その真偽も含めて気にならないと言えば嘘になる。
けれど毎年六道まいりの間は、帰路の井戸は開放されないため、昼だろうと夜だろうと見ることは出来ない。
そもそも、どうして行きと帰りと通り道が違うのかと言う話になるのだが、どうやらこればかりは明確な理由、根拠といったものは何も残されてはいないらしい。
いつか特別拝観の時にまたやって来て、行き帰り両方の井戸をこの目で見てみたい。純粋な好奇心だ。
小野篁はこれらの井戸を使っていたと言うが、果たして先祖の霊たちも同じ道を通って帰ってくるのか。
答えのない問いを抱えたまま、菜穂子は実家へと戻ることにしたのだった。
◇◆◇◆◇
「あ、帰る前に若宮さん寄っとこうかな」
六道珍皇寺で鐘をついて、さて家に帰ろうかと山門を出たところで、菜穂子はふと思い直して方向転換をした。
毎年陶器祭りが開かれる、五条坂の途中にあることと、陶祖神が祀られていることで若宮八幡宮は陶器神社とも言われ、この時期は特に賑わっているのだが、普段は「美貌の神」と呼ばれるほどの神が合祀されているために「美人神社」としての通りの方がいい側面も持っていた。
美の神社としては、嵯峨野にある河合神社の方がTVなどでもよく取り上げられて、知名度も全国区だ。ただ夏休み中の嵐山・嵯峨野となれば、お参り以前に人ごみに酔ってしまうことが想像出来る。
実際授与品に関しても、陶芸上達守はもちろんのこと、美の鏡御守りや永遠の美ハート御守と言った、美の神様の御力を授かろうとの願いがこもった御守が複数販売されていて、境内は陶芸家と思しき人たちと若い女性の観光客とが入り混じっている状態だった。
(美の鏡御守りってコンパクト鏡かぁ……学生にはちょっと値が張るけど……あ、美貌の肌守も捨てがたいな。でも、なんかガツガツしてるみたいやし、鳩付きストラップ御守の方がいい……?)
多分、菜穂子と同じように考えて、悩んでいる女性の参拝客は多い筈だ。
あっさりと陶芸上達の御守を手にする参拝客とは明らかに一線を画す形で、並べられている御守をランランとした目で眺めている女性客の多いことと言ったら。
菜穂子の方がむしろ気圧されてしまって、あまり長時間悩むことはせず、最終的には美貌の肌守をこっそり忍ばせる方向でいくことにしたのだった。
「――あ、鏡」
近くにいた誰かの声に、ふと菜穂子も視線を動かした。
〝身も心も美しく〟
そんなことが掛かれた石の立て札の隣に、こちらも外枠が石で出来ている等身大の鏡が置かれていた。
「自分の姿を映したら、自分の本当の美しさを映しだすって言われてるらしいよー?」
「えぇー? ちょっと怖いなぁ……ホラー映画の怨霊みたいな姿が映し出されたら、どないしてくれるんよー」
二十代後半のOL二人、と言ったところだろうか。
互いの肘を突き合いながら、鏡の前に立つの立たないのと言いあっている。
「分からんよ? めっちゃ、美人さんに映るかも知れへんやん」
「えぇ……」
どうするんだろうと、菜穂子も何となく歩く速度を落として様子を窺っていると、顔を見合わせた二人組は、二人一緒に端からおずおずと鏡を覗き込んでいた。
「いやいやいや! じっくり覗き込むのは、やめとこ!」
「おかしな景色映ってなかった! うん、そういうことにしとこ!」
結局、映ったのか、映らなかったのか。
それともチラッと顔を覗かせただけで、すぐさま引っ込めてしまったのか。
こちらからは確認出来ないまま、二人は明るい笑い声をあげながら走り去ってしまった。
「…………」
気付けば菜穂子の方が、鏡のすぐ近くまで来ていた。
(ま、まあ、六道さん帰りやから言うて、おかしなモンは写らへんよね!)
普通なら気にしないだろうが、何せ今は迎え鐘をついてきたばかり。妙に背筋が寒くなってしまう。
(いや、必要以上に美人に写らんでいい! むしろそっちの方が怖い!)
あるがままに映って、性根が腐ってないとホッと出来れば、それでいい。
どのみち、同じように鏡の前に立ってみようとしている参拝客がいるのだから、そうそう悩んでもいられないし、そこまで怖がらなくてもいいんだろうと思う。
胸に手をあてて、深呼吸をしてから、菜穂子は鏡の前に立った。
「⁉」
鏡に写った自分は、今日家を出たそのままの姿だ。
顔の一部が無くなっているとか、TVで見たような、髪の長い怨霊が自分の代わりに写っているとか、そんなことはなかったので、とりあえず息をつこうとして――ふと、鏡の奥、自分の位置からすると背後の奥の方に、一人青年が立っている……ような気がして、目を見開いた。
「……っ」
慌てて背後を振り返ったけれど、その視線の先には、菜穂子が見たと思った青年の姿はもうなかった。
(え……一瞬通り過ぎた観光客とか……? あ、いや、うん、観光客やと思っておこうかな)
深く追求しないでおこう。
菜穂子はそう決意した。
「……うん、帰ろ」
今度こそ、実家に帰ろう。
菜穂子は帰ってからも鏡の話だけは家族にせず、頭から布団をかぶって休むことにしたのだった。


