お盆は毎年やって来る。
だけど四十九日法要を終えたすぐ後にやって来るお盆は、やや事情が異なる。
初盆、あるいは新盆。宗派によって呼び方が違うとは言え、意味は同じらしい。
そして時代と共に呼び方の区別が曖昧になり、宗派の別なく「初盆」と口にする人も多いんだそうだ。
『あんたも、今年はおばあちゃんの初盆やさかい、早めに京都帰っておいでな』
どうやら母も「初盆」派らしい。
通常のお盆でも、普段よりも種類の多いお供え物を仏壇の前に並べて、祖先の供養と言う形で手を合わせていた。
それが四十九日以降初めて迎えるお盆となると、故人が生前好きだったものをお供えしたり、親戚やお上人さんを招いて法要を行うなど、通常のお盆よりも規模が大きくなるのだ。
祖母の年齢を考えると、もう招く親戚はほぼいないにしても、お上人さんを招いての法要と仏壇の飾りつけに関しては必須だ。
去年や一昨年のように、バイトに明け暮れてお盆ギリギリに帰って来るなど、もってのほか――という母の言い分は、菜穂子にも理解が出来た。
「分かった。大した用もないし、バイト調整して早めに帰るわ」
『なんや、えらい素直やないの。彼氏はどないしたん』
「……っ」
さらっと頷いて済ますつもりが、情け容赦のない身内のツッコミが入った。
菜穂子は受話器に向かって危うく舌打ちをしそうになった。
「……人生出会いもあれば、別れもある」
『なんやの、一丁前に。要は別れたんやな』
母に向かってあれこれと話をした覚えはなかったが、祖母には話をしていた手前、内容は筒抜けだったようだ。
そう。
ついこの前、菜穂子はフリーになったのだ。
理由は相手の二股。まさかの後輩。別れの言葉は、腕に後輩を抱きつかせたまま「そういうことだから」と。ただ、それだけ。
後輩に劣るのか、と。女に嫌われる女を地で行くような後輩に、自分は劣るのかと。
その晩コンビニで缶チューハイを買い込んだ菜穂子は、一人暮らしの部屋で人生初めての「ヤケ酒」をあおった。おかげで自分が酔いつぶれる量と言うのが、よく分かった。それだけが今回身についたことかも知れない。
「京都帰ったら、安井の金毘羅さんで男運の悪さ立ち切ってもらいに行くわ。鳥居をくぐらんかったらいいんやろ?」
京都でも有名な縁切り神社は、実家からは自転車で行ける距離にある。この際、二度とあんな男に引っかからないようにと、お参りに行こうと菜穂子は思ったのだが、母は『そんな単純な話やない』と、菜穂子の呟きを一刀両断した。
『喪中の間は鳥居をくぐったらあかんって言うのは一種の比喩らしいえ? 神道においては「死ぬ」いう穢れが残っている喪中の間は、基本的には神社への参拝は控えましょうって言うのが正確な話らしいわ。鳥居は神社の象徴みたいなもんやさかいにな』
「えっ、そうなん⁉」
どうやら菜穂子は勘違いをして覚えていたらしい。
ただ、同じように覚えている人は多いと母は言った。
『そもそも、お母さんもそう思てたんやけどな。それである時うっかり神社を通ってしもたことがあって、お上人さんに「どないしましょ⁉」言うて、焦って電話したことがあるんやわ』
もう、くぐってしまったらどうしようもないと思うが、母も焦っていたんだろう。お上人さんは、電話の向こうで苦笑交じりにこう教えてくれたらしい。
『あくまで「控えましょう」と言うだけのことで、もともと神様の方が「八百万の神」言われてるくらいで、人間のすることに対しては寛大なんですわ』
罰が当たるとか、お祓いが必要とか、そこまでの心配はしなくていいとも、お上人さんは言ったそうだ。
「え、じゃあ金毘羅さんに行かへん方がいいんかな」
それはそれで、もやもやするな……と思ったのが電話越しにも伝わったのか、母の何とも言えない小さな笑い声が洩れ聞こえてきた。
『喪中の一年と言う考え方もあるし、四十九日と言う考え方もあるらしいわ。それこそ、お上人さんやないけど、神様は寛大、いうことらしいから……逆にすっぱり次に行け言うて縁切ってくれはるんと違うか』
神様は寛大。
それはそれで納得のいく話ではあるけれど、母なりの励ましも少し入っているんじゃなかろうかと、菜穂子は内心で思っていた。
聞いても答えてくれるとは思えなかったが。
「そしたら今年の夏は早めに帰るわ」
だからそれだけを声に出して、その日は受話器を置いたのだった。
◇◆◇◆◇
このご時世、忙しいからとお上人さんがお経をあげに来られて、その後お墓参りに行くだけという家もあるらしい。けれど深町家には先祖由来の仏壇が、祖父母が暮らしていた家の方にまだしっかりと鎮座していたため、それなりの手順をもってお盆の準備は進められていた。
「よそさんでは迎え火・送り火言うて、お墓やら玄関先やらで規模の小さい火を焚いてご先祖様をお迎えしたりお送りしたり……いうのをやってはりますけど、京都は『迎え鐘』と『五山送り火』がありますさかいに、ちょっと独特ですやろな」
お上人さんの言う「よそさん」とは、つまりは京都以外の土地と言うことだろう。
もちろん、京都でもお墓や玄関で「迎え火」「送り火」をやる家だってあるのだろうが、何せ冥府まで鳴り響いて、ご先祖様をこちらに導くと言われる鐘と、全国的にも有名な送り火がある。
長らく地元に住んでいる人の多くは、この『迎え鐘』と『五山送り火』こそがお盆行事の一環であり、これに関しては宗派云々よりも、先祖を敬う気持ちの方を皆、優先しているのだと考えられていた。
「たまに『大文字焼き』やら言うて、なんや間違った覚え方をしてはるのを聞きますけどな。本来は、ご先祖様の霊に迷わず浄土へと戻って貰うための道標ですさかいに、送り火の由来を知ってたら、大文字焼きとはよう言えませんわ」
確かに菜緒子も東京にいた間は、何度か「大文字焼き」と耳にしたような気はする。先祖送りの行事と言うよりは、〇〇川花火大会のような、イベントの一種くらいに思われている面は否定出来ない。
迎え鐘に至っては、関東圏ではさっぱり認知度がない。バイトのシフトを入れない理由として、お盆のあれこれを説明した時に、まるで通じなかったからだ。
へえ、さすが京都――などと、よく分からない納得の仕方をされたりもした。
「深町さんとこも、六道さんの鐘をつきに行かはりますんやろ?」
お盆直前の祥月命日で、深町家にお経をあげに来たお上人さんは、むしろそちらが普通だとばかりに、そう尋ねてきたのだった。
◇◆◇◆◇
お盆の時期は祖先の霊たちがあの世から帰って来るとされていて、京都でなくとも様々な行事が執り行われている。
ただとりわけ京都には、お盆の前にお寺にお参りし、祖先の霊すなわちお精霊さんをお迎えする風習が残されているのだ。
――「六道まいり」として。
霊柩車のなかった時代、故人の遺体は葬儀が終わると、近親者や地域の人たちが棺を担ぎ、葬列を組んで埋葬地にまで送っていた。それを「野辺の送り」と言い、葬儀のうちの最も重要な儀礼の一つだったんだそうだ。平安時代から「鳥辺野(とりべの)」とも「鳥辺山(とりべの)」とも言われる、一大葬送地だったらしい。
その「野辺の送り」をした鳥辺野の入口が、六波羅地区から東側一帯に位置したことにより、あの世との境「六道の辻」がそこにあると位置づけられ、お盆には先祖の霊は必ず「六道の辻」を通って現世に里帰りしてくるとの伝承が併せて広がった。それが、今に続く「精霊迎えの行事」なのだ。
実際には、かつて鳥辺野と呼ばれていた地域にある複数のお寺で「六道まいり」は行われているそうなのだが、冥土までも響くとされる「迎え鐘」や、生者でありながら冥府の役人も務めていたとの伝承が残る小野篁の存在で知られる六道珍皇寺があまりに有名すぎた。
実際に菜穂子も、祖父の初盆の際にお上人さんからきちんとした話を聞くまでは「六道まいり」はイコール六道珍皇寺の行事だと思っていた。
小さい頃には、祖母が当たり前のように、曾祖父や祖先の霊を迎えに行くと六道珍皇寺に連れて行ってくれていたため、六道珍皇寺が日蓮宗のお寺ではないと言うことさえも知らなかったのだ。
もちろん「六道まいり」にわざわざ行かない家もあるらしいが、それはもう、言い始めたらキリがないそうで、お上人さんは「要は気持ちの問題ですわ。お精霊さんをお迎えする、言うね」と微笑って言っていた。
深町家とて、お盆の時期には六道珍皇寺に「六道まいり」に出かける。 お上人さんも、日蓮宗だからと言って、それを咎めだてするようなことはない。
冥土までも響くとされる境内の「迎え鐘」をついて、祖先の魂をこの世にお迎えする。それは五山送り火と共に、宗派を超えた京の伝統行事なのだ。
だから「六道さんの鐘をつきに行かはりますんやろ?」と問われれば、答えは「是」となる。
「朝から行くか、日が暮れてから行くか、どっちにしても暑い時間帯は避けたいところですけど、それはそれで混みますさかいに、悩ましいところですわな」
「そうですなぁ……今年はどないしましょ……」
お上人さんと母がそう言って会話を終えるのも、ある意味伝統行事の一環だと言えた。
(日が暮れてからにしようかなぁ……)
一応、菜穂子は五山送り火が終わるまでは京都にいる予定で、バイトのシフトも調整をしてきたし、そこまで時間に追われてはいない。
行列も炎天下も遠慮しておきたいが、あまり家でゴロゴロとしているばかりだと、母の眉間に皺が増える。
「……うん。とりあえず、安井の金毘羅さんに行ってこようかな」
正式には 安井金比羅宮。ただ、地元では「安井の金毘羅さん」の方が通りがいい。
ご祭神は崇徳天皇、源頼政公、大物主神。
歌人として名をはせたと言う源頼政公、道開きの神とされる大物主神もそこでは祀られているにも関わらず、偏に崇徳天皇の存在が、縁切り神社としての側面をクローズアップさせてしまっている感のある神社だ。
そう。崇徳天皇、ならまだいいのだ。
ただそれが崇徳「上皇」となった途端、一気に最強の怨霊と見做されて、漫画や小説の題材としての知名度を爆上げしてしまっている。
保元の乱に敗れ、隠岐配流となり、遂には怨霊となった、と。
戦によって寵妃と別れざるを得なかった我が身を顧みて、 幸せな男女の縁を妨げる全ての悪縁を絶つ祈願所となった――本来はそんな謂れがあるにも関わらず「呪い」と「縁切り」の面だけが前面に出てしまっているのだ。
かくいう菜穂子も、後輩と二股をかけた挙句によくもフッてくれた元カレへの、恨み半分新たな縁結び半分で行こうとしているのだから、あまり世間のことを言えた義理ではない。
「あんた本当に行くんかいな。喪中や、言うてんのに」
玄関で靴を履いていると、母から呆れたような声がかかった。
「お母さんかて、もう神社の鳥居くぐってるんやろ?」
そっけなく言い返すと、図星をさされた母は言葉に詰まっている。お上人さんに慌てて電話で対応方を確認したと、自分で言っていたのだから、言い返せるわけがない。
菜穂子は、サッと靴をはいて立ち上がった。
「八百万の神様は寛大なんやろ? それに、鐘ついてお祖母ちゃんが帰って来はった時に『彼氏とキッパリ分かれて、安井の金毘羅さんで縁も切ってきたわ』って報告出来る方がいいと思うんやけど」
「屁理屈やろ、それ」
ほとんど反射的に母は言い返していたが、どうやらそれ以上は、何も言えなかったようだ。
「……外は暑いさかいに、帽子か日傘か、ちゃんと持っていきよしや」
結局そう言って、ふいと背を向けただけで終わってしまった。
◇◆◇◆◇
近くに住んでいるからと行って、立ち寄ったことがあるとは限らないと言うのは、京都に住んでいる者にとっては、割に「あるある」な話だと思う。
安井金毘羅宮にしても、今まで「縁切り」を願うようなことがなかったこともあって、これまで足を踏み入れたことがなかったのだ。徒歩圏内、清水寺や八坂神社、六道珍皇寺には行ったことがあっても……である。
割に街中にあることもあってか、安井金毘羅宮の入口はそれほど大きくない。
鳥居をくぐらなければ喪中でも大丈夫というのは、都市伝説的なただの噂らしいと最近知ったものの、通らなくて済むならそれに越したことはない気もする。
ただ、東大路通りに面した神社の入口は、真横に灯篭があるなどしていて、どう見ても避けて進むことは難しそうな構造だった。
(うーん……神様、ごめんなさい。どうしても悪縁切りしてから、おばあちゃんに会いたいので勘弁して下さい)
菜穂子は内心でそう呟いてから、鳥居に向かってぺこりと一礼して、境内へと足を踏み入れた。
市内の神社と言うこともあって、本殿にはあっと言う間に辿り着く。
視界の端に、真っ白い、蹲った雪男かとでも言うような物体が映っているものの、何にせよまずは本殿参拝。
しっかりと「切りたい縁・結びたい縁」を願えとあったので、それに倣っておく。先に来ていた参拝客の女性が、菜穂子が手を合わせた後もまだ何か祈っていて、一瞬背筋が寒くなった。
きっと菜穂子以上に切りたい縁があるに違いない。
そう思うと自分のケースがひどく軽いもののように思えてくるのだが、それはそれで、縁が切れた効果なのかもと知れないと、前向きに捉えるようにしておこうと思う。
本殿横に絵馬を掛けるところもあるが、チラッと見ただけでも、神社の願掛けとは思えない過激な内容が書かれているものもある。
(あぁ……あそこまでじゃなくてもいいかな、うん)
とは言え、手を合わせて帰るだけというのも今ひとつスッキリとはしないので、菜穂子自身は本殿側のテーブルにあった「形代」に、願いを書いて貼り付けておくことにした。
ただ形代を一枚手にして思ったのは、なるほど、これを参拝客のほとんどが糊で貼り付けていくから、境内の石が蹲った雪男の如く膨れ上がったのだろう。
石の傍には「縁切り縁結び碑」と書かれた立て札があり、石には人ひとりがようやく通れるほどの穴が開いている。
よく見れば参拝作法も書いてあり、菜穂子もそれに倣うことにした。
切りたい縁と結びたい縁を形代に書き、それを手にして、願い事を念じながらまずは表(手前)から裏へとくぐり、その後同じように形代を持ったまま、今度は裏から表へとくぐるらしい。
最後、その大石――「縁切り縁結び碑」に、糊で形代を貼り付けて参拝は終了のようだ。
(うん、二股男にバチがあたれとは言わないけど、アイツと後輩が悔しがるような彼氏をどうか紹介して下さい!)
一陣の風が吹き抜けていったのは、神様が願いを聞き届けてくれた……ということにしておこう。
だけど四十九日法要を終えたすぐ後にやって来るお盆は、やや事情が異なる。
初盆、あるいは新盆。宗派によって呼び方が違うとは言え、意味は同じらしい。
そして時代と共に呼び方の区別が曖昧になり、宗派の別なく「初盆」と口にする人も多いんだそうだ。
『あんたも、今年はおばあちゃんの初盆やさかい、早めに京都帰っておいでな』
どうやら母も「初盆」派らしい。
通常のお盆でも、普段よりも種類の多いお供え物を仏壇の前に並べて、祖先の供養と言う形で手を合わせていた。
それが四十九日以降初めて迎えるお盆となると、故人が生前好きだったものをお供えしたり、親戚やお上人さんを招いて法要を行うなど、通常のお盆よりも規模が大きくなるのだ。
祖母の年齢を考えると、もう招く親戚はほぼいないにしても、お上人さんを招いての法要と仏壇の飾りつけに関しては必須だ。
去年や一昨年のように、バイトに明け暮れてお盆ギリギリに帰って来るなど、もってのほか――という母の言い分は、菜穂子にも理解が出来た。
「分かった。大した用もないし、バイト調整して早めに帰るわ」
『なんや、えらい素直やないの。彼氏はどないしたん』
「……っ」
さらっと頷いて済ますつもりが、情け容赦のない身内のツッコミが入った。
菜穂子は受話器に向かって危うく舌打ちをしそうになった。
「……人生出会いもあれば、別れもある」
『なんやの、一丁前に。要は別れたんやな』
母に向かってあれこれと話をした覚えはなかったが、祖母には話をしていた手前、内容は筒抜けだったようだ。
そう。
ついこの前、菜穂子はフリーになったのだ。
理由は相手の二股。まさかの後輩。別れの言葉は、腕に後輩を抱きつかせたまま「そういうことだから」と。ただ、それだけ。
後輩に劣るのか、と。女に嫌われる女を地で行くような後輩に、自分は劣るのかと。
その晩コンビニで缶チューハイを買い込んだ菜穂子は、一人暮らしの部屋で人生初めての「ヤケ酒」をあおった。おかげで自分が酔いつぶれる量と言うのが、よく分かった。それだけが今回身についたことかも知れない。
「京都帰ったら、安井の金毘羅さんで男運の悪さ立ち切ってもらいに行くわ。鳥居をくぐらんかったらいいんやろ?」
京都でも有名な縁切り神社は、実家からは自転車で行ける距離にある。この際、二度とあんな男に引っかからないようにと、お参りに行こうと菜穂子は思ったのだが、母は『そんな単純な話やない』と、菜穂子の呟きを一刀両断した。
『喪中の間は鳥居をくぐったらあかんって言うのは一種の比喩らしいえ? 神道においては「死ぬ」いう穢れが残っている喪中の間は、基本的には神社への参拝は控えましょうって言うのが正確な話らしいわ。鳥居は神社の象徴みたいなもんやさかいにな』
「えっ、そうなん⁉」
どうやら菜穂子は勘違いをして覚えていたらしい。
ただ、同じように覚えている人は多いと母は言った。
『そもそも、お母さんもそう思てたんやけどな。それである時うっかり神社を通ってしもたことがあって、お上人さんに「どないしましょ⁉」言うて、焦って電話したことがあるんやわ』
もう、くぐってしまったらどうしようもないと思うが、母も焦っていたんだろう。お上人さんは、電話の向こうで苦笑交じりにこう教えてくれたらしい。
『あくまで「控えましょう」と言うだけのことで、もともと神様の方が「八百万の神」言われてるくらいで、人間のすることに対しては寛大なんですわ』
罰が当たるとか、お祓いが必要とか、そこまでの心配はしなくていいとも、お上人さんは言ったそうだ。
「え、じゃあ金毘羅さんに行かへん方がいいんかな」
それはそれで、もやもやするな……と思ったのが電話越しにも伝わったのか、母の何とも言えない小さな笑い声が洩れ聞こえてきた。
『喪中の一年と言う考え方もあるし、四十九日と言う考え方もあるらしいわ。それこそ、お上人さんやないけど、神様は寛大、いうことらしいから……逆にすっぱり次に行け言うて縁切ってくれはるんと違うか』
神様は寛大。
それはそれで納得のいく話ではあるけれど、母なりの励ましも少し入っているんじゃなかろうかと、菜穂子は内心で思っていた。
聞いても答えてくれるとは思えなかったが。
「そしたら今年の夏は早めに帰るわ」
だからそれだけを声に出して、その日は受話器を置いたのだった。
◇◆◇◆◇
このご時世、忙しいからとお上人さんがお経をあげに来られて、その後お墓参りに行くだけという家もあるらしい。けれど深町家には先祖由来の仏壇が、祖父母が暮らしていた家の方にまだしっかりと鎮座していたため、それなりの手順をもってお盆の準備は進められていた。
「よそさんでは迎え火・送り火言うて、お墓やら玄関先やらで規模の小さい火を焚いてご先祖様をお迎えしたりお送りしたり……いうのをやってはりますけど、京都は『迎え鐘』と『五山送り火』がありますさかいに、ちょっと独特ですやろな」
お上人さんの言う「よそさん」とは、つまりは京都以外の土地と言うことだろう。
もちろん、京都でもお墓や玄関で「迎え火」「送り火」をやる家だってあるのだろうが、何せ冥府まで鳴り響いて、ご先祖様をこちらに導くと言われる鐘と、全国的にも有名な送り火がある。
長らく地元に住んでいる人の多くは、この『迎え鐘』と『五山送り火』こそがお盆行事の一環であり、これに関しては宗派云々よりも、先祖を敬う気持ちの方を皆、優先しているのだと考えられていた。
「たまに『大文字焼き』やら言うて、なんや間違った覚え方をしてはるのを聞きますけどな。本来は、ご先祖様の霊に迷わず浄土へと戻って貰うための道標ですさかいに、送り火の由来を知ってたら、大文字焼きとはよう言えませんわ」
確かに菜緒子も東京にいた間は、何度か「大文字焼き」と耳にしたような気はする。先祖送りの行事と言うよりは、〇〇川花火大会のような、イベントの一種くらいに思われている面は否定出来ない。
迎え鐘に至っては、関東圏ではさっぱり認知度がない。バイトのシフトを入れない理由として、お盆のあれこれを説明した時に、まるで通じなかったからだ。
へえ、さすが京都――などと、よく分からない納得の仕方をされたりもした。
「深町さんとこも、六道さんの鐘をつきに行かはりますんやろ?」
お盆直前の祥月命日で、深町家にお経をあげに来たお上人さんは、むしろそちらが普通だとばかりに、そう尋ねてきたのだった。
◇◆◇◆◇
お盆の時期は祖先の霊たちがあの世から帰って来るとされていて、京都でなくとも様々な行事が執り行われている。
ただとりわけ京都には、お盆の前にお寺にお参りし、祖先の霊すなわちお精霊さんをお迎えする風習が残されているのだ。
――「六道まいり」として。
霊柩車のなかった時代、故人の遺体は葬儀が終わると、近親者や地域の人たちが棺を担ぎ、葬列を組んで埋葬地にまで送っていた。それを「野辺の送り」と言い、葬儀のうちの最も重要な儀礼の一つだったんだそうだ。平安時代から「鳥辺野(とりべの)」とも「鳥辺山(とりべの)」とも言われる、一大葬送地だったらしい。
その「野辺の送り」をした鳥辺野の入口が、六波羅地区から東側一帯に位置したことにより、あの世との境「六道の辻」がそこにあると位置づけられ、お盆には先祖の霊は必ず「六道の辻」を通って現世に里帰りしてくるとの伝承が併せて広がった。それが、今に続く「精霊迎えの行事」なのだ。
実際には、かつて鳥辺野と呼ばれていた地域にある複数のお寺で「六道まいり」は行われているそうなのだが、冥土までも響くとされる「迎え鐘」や、生者でありながら冥府の役人も務めていたとの伝承が残る小野篁の存在で知られる六道珍皇寺があまりに有名すぎた。
実際に菜穂子も、祖父の初盆の際にお上人さんからきちんとした話を聞くまでは「六道まいり」はイコール六道珍皇寺の行事だと思っていた。
小さい頃には、祖母が当たり前のように、曾祖父や祖先の霊を迎えに行くと六道珍皇寺に連れて行ってくれていたため、六道珍皇寺が日蓮宗のお寺ではないと言うことさえも知らなかったのだ。
もちろん「六道まいり」にわざわざ行かない家もあるらしいが、それはもう、言い始めたらキリがないそうで、お上人さんは「要は気持ちの問題ですわ。お精霊さんをお迎えする、言うね」と微笑って言っていた。
深町家とて、お盆の時期には六道珍皇寺に「六道まいり」に出かける。 お上人さんも、日蓮宗だからと言って、それを咎めだてするようなことはない。
冥土までも響くとされる境内の「迎え鐘」をついて、祖先の魂をこの世にお迎えする。それは五山送り火と共に、宗派を超えた京の伝統行事なのだ。
だから「六道さんの鐘をつきに行かはりますんやろ?」と問われれば、答えは「是」となる。
「朝から行くか、日が暮れてから行くか、どっちにしても暑い時間帯は避けたいところですけど、それはそれで混みますさかいに、悩ましいところですわな」
「そうですなぁ……今年はどないしましょ……」
お上人さんと母がそう言って会話を終えるのも、ある意味伝統行事の一環だと言えた。
(日が暮れてからにしようかなぁ……)
一応、菜穂子は五山送り火が終わるまでは京都にいる予定で、バイトのシフトも調整をしてきたし、そこまで時間に追われてはいない。
行列も炎天下も遠慮しておきたいが、あまり家でゴロゴロとしているばかりだと、母の眉間に皺が増える。
「……うん。とりあえず、安井の金毘羅さんに行ってこようかな」
正式には 安井金比羅宮。ただ、地元では「安井の金毘羅さん」の方が通りがいい。
ご祭神は崇徳天皇、源頼政公、大物主神。
歌人として名をはせたと言う源頼政公、道開きの神とされる大物主神もそこでは祀られているにも関わらず、偏に崇徳天皇の存在が、縁切り神社としての側面をクローズアップさせてしまっている感のある神社だ。
そう。崇徳天皇、ならまだいいのだ。
ただそれが崇徳「上皇」となった途端、一気に最強の怨霊と見做されて、漫画や小説の題材としての知名度を爆上げしてしまっている。
保元の乱に敗れ、隠岐配流となり、遂には怨霊となった、と。
戦によって寵妃と別れざるを得なかった我が身を顧みて、 幸せな男女の縁を妨げる全ての悪縁を絶つ祈願所となった――本来はそんな謂れがあるにも関わらず「呪い」と「縁切り」の面だけが前面に出てしまっているのだ。
かくいう菜穂子も、後輩と二股をかけた挙句によくもフッてくれた元カレへの、恨み半分新たな縁結び半分で行こうとしているのだから、あまり世間のことを言えた義理ではない。
「あんた本当に行くんかいな。喪中や、言うてんのに」
玄関で靴を履いていると、母から呆れたような声がかかった。
「お母さんかて、もう神社の鳥居くぐってるんやろ?」
そっけなく言い返すと、図星をさされた母は言葉に詰まっている。お上人さんに慌てて電話で対応方を確認したと、自分で言っていたのだから、言い返せるわけがない。
菜穂子は、サッと靴をはいて立ち上がった。
「八百万の神様は寛大なんやろ? それに、鐘ついてお祖母ちゃんが帰って来はった時に『彼氏とキッパリ分かれて、安井の金毘羅さんで縁も切ってきたわ』って報告出来る方がいいと思うんやけど」
「屁理屈やろ、それ」
ほとんど反射的に母は言い返していたが、どうやらそれ以上は、何も言えなかったようだ。
「……外は暑いさかいに、帽子か日傘か、ちゃんと持っていきよしや」
結局そう言って、ふいと背を向けただけで終わってしまった。
◇◆◇◆◇
近くに住んでいるからと行って、立ち寄ったことがあるとは限らないと言うのは、京都に住んでいる者にとっては、割に「あるある」な話だと思う。
安井金毘羅宮にしても、今まで「縁切り」を願うようなことがなかったこともあって、これまで足を踏み入れたことがなかったのだ。徒歩圏内、清水寺や八坂神社、六道珍皇寺には行ったことがあっても……である。
割に街中にあることもあってか、安井金毘羅宮の入口はそれほど大きくない。
鳥居をくぐらなければ喪中でも大丈夫というのは、都市伝説的なただの噂らしいと最近知ったものの、通らなくて済むならそれに越したことはない気もする。
ただ、東大路通りに面した神社の入口は、真横に灯篭があるなどしていて、どう見ても避けて進むことは難しそうな構造だった。
(うーん……神様、ごめんなさい。どうしても悪縁切りしてから、おばあちゃんに会いたいので勘弁して下さい)
菜穂子は内心でそう呟いてから、鳥居に向かってぺこりと一礼して、境内へと足を踏み入れた。
市内の神社と言うこともあって、本殿にはあっと言う間に辿り着く。
視界の端に、真っ白い、蹲った雪男かとでも言うような物体が映っているものの、何にせよまずは本殿参拝。
しっかりと「切りたい縁・結びたい縁」を願えとあったので、それに倣っておく。先に来ていた参拝客の女性が、菜穂子が手を合わせた後もまだ何か祈っていて、一瞬背筋が寒くなった。
きっと菜穂子以上に切りたい縁があるに違いない。
そう思うと自分のケースがひどく軽いもののように思えてくるのだが、それはそれで、縁が切れた効果なのかもと知れないと、前向きに捉えるようにしておこうと思う。
本殿横に絵馬を掛けるところもあるが、チラッと見ただけでも、神社の願掛けとは思えない過激な内容が書かれているものもある。
(あぁ……あそこまでじゃなくてもいいかな、うん)
とは言え、手を合わせて帰るだけというのも今ひとつスッキリとはしないので、菜穂子自身は本殿側のテーブルにあった「形代」に、願いを書いて貼り付けておくことにした。
ただ形代を一枚手にして思ったのは、なるほど、これを参拝客のほとんどが糊で貼り付けていくから、境内の石が蹲った雪男の如く膨れ上がったのだろう。
石の傍には「縁切り縁結び碑」と書かれた立て札があり、石には人ひとりがようやく通れるほどの穴が開いている。
よく見れば参拝作法も書いてあり、菜穂子もそれに倣うことにした。
切りたい縁と結びたい縁を形代に書き、それを手にして、願い事を念じながらまずは表(手前)から裏へとくぐり、その後同じように形代を持ったまま、今度は裏から表へとくぐるらしい。
最後、その大石――「縁切り縁結び碑」に、糊で形代を貼り付けて参拝は終了のようだ。
(うん、二股男にバチがあたれとは言わないけど、アイツと後輩が悔しがるような彼氏をどうか紹介して下さい!)
一陣の風が吹き抜けていったのは、神様が願いを聞き届けてくれた……ということにしておこう。


