六道さんで逢いましょう

 そうして昨日と同様に、菜穂子の目の前に祖父母が呼ばれていた。

『おまえ……また来とんのか』
本当(ほんま)に身体に影響ないんか? 帰れへんとか言わんといてや?』

 部屋に入って来た祖父と祖母が、菜穂子を見て口々にそんなことを言う。

『うん、今のところは大丈夫――かな? 八瀬さんが責任もって何とかしてくれはると思うよ』

 その言葉に、祖母は安心したように頷いているのに、祖父は目つきを鋭くして八瀬さんを睨んでいる。
 どっちも「らしいな」と思って、思わず菜穂子は苦笑してしまった。

『そら、おじいちゃんとおばあちゃんがもめてるのを何とかしてくれんことには、私かて行ったり来たりになるよ』
『別にもめとらん。とっとと次の王に()うて、裁判に並んだらいいだけのことやさかいにな』
『そやけどなぁ……』

 きっぱりと言い切った祖父とは対照的に、祖母は困った表情を浮かべている。

(うん。それを「もめてる」って言うと思うよ、おじいちゃん)

 最初から場を拗らせるのは本意じゃないので、菜穂子もそこはグッと言葉を呑み込んでいたのだが。

『……せんせぇ! せんせぇ、どこぉ?』
「!?」

 その時、部屋の中で言葉が途切れた瞬間を狙っていたかのように、扉の向こうから子どもの声が響いてきた。

『こら! そっちはダメだ!』

 誰が言っているのかは分からないが、そんな声も洩れ聞こえてくる。

『……ちょっと扉が開いてましたか』

 扉を見やった八瀬さんの表情は、苦々しげだ。
 多分、すぐに誰かに捕まったのかも知れない。
 子どもがイヤイヤと首を振る姿が想像できるくらいに「いやー! せんせぇー!」と叫んでいる声も聞こえてくる。

『すみません、高辻先生。さすがにお孫さんと血縁関係のない子をこの場には呼べませんので、勘弁してもらえますか』

 高辻先生、のところで祖父のこめかみがピクリと痙攣(ひきつ)っていたけれど、ここは余計なツッコミを入れるところじゃないと思ったのかも知れない。明らかに半目にはなっているものの、発言権は祖母に譲っているようだった。

『……ああ、そう言われればそうやねぇ』

 祖母は多分「この部屋に入れてやってくれ」と言おうとしたのかもしれない。
 表情がそんな風に見えるのだけれど、八瀬さんにそう言われてしまえば、反論のしようがなかったのだろう。私を見ながら、それもそうかと自分に言い聞かせているようだった。

『……なんや、聞きしに勝る執着っぷりですね。なんなら、おじいちゃん以上かも知れへん』

 私はと言えば、必死になって祖母を探しているっぽい子どもの声を聞いて、いっそ感心してしまった。
 祖父が「おい」――などと、私にツッコミを入れているのは、あえて無視(スルー)だ。

『あほ言うな、俺をあんな子供(ガキンチョ)と一緒にすな』

 この場合の「アホ」は、馬鹿なことを言うな、程度の口語だ。関西圏で「あほ」にさほど他人を馬鹿にする意図が含まれてはいないことを知っている文化圏の者たちばかりだから、むしろ「ガキンチョ」の方に祖母が反応して「なんですの」と祖父を窘めていた。

『あんな小さい子どもつかまえて『ガキンチョ』って』
『いや、今そんな話はしとらんぞ』
『それも大事な話です。ガラの悪い。菜穂子にも悪影響やないですか』
『……っ』

 さすがは元小学校教師。
 完全に祖父が押し負けている空気を感じる。
 とは言え、それ以上折れているようにも見えない。なかなかに前途多難だ、と菜穂子はため息をつきたくなった。

『せんせぇー!』

 扉を閉めに行こうとする八瀬さんから、確かに一瞬、舌打ちが聞こえた。珍しい。少なくとも外面、もとり表面上は人当たりのいい八瀬さんが、こうも苛立ちを見せるとは。
 顔見知りになって数日とは言え、菜穂子でもそこはちょっと意外に思った。

『せんせぇー! おうたー! さっちゃんのうた、うたってくれるってゆったー‼』
『…………さっちゃん』

 それ以上は、八瀬さんがピシャリと扉を閉めてしまったので、言葉ではなく音としてでしか子供の声が捉えられなくなった。

『すみません、騒がしくしてしまって。すぐにここの官吏に賽の河原に戻させますので』
『あ……でも、もうちょっと聞きたかった……かも?』

 ただ、条件反射のようにうっかりとそう口にしてしまい、祖父母と八瀬さんの視線が不思議そうにこちらを向いた。

『どないしたん、菜穂子』

 そう声をかけてきたのは、祖母だ。

『あの子のことは、菜穂子は気にせんでもええよ』

 もしかしたら、皆があの子に意識を向けているからと、拗ねているように見えたのかも知れない。気にしなくてもいいと言いながら、私の頭の上にふわりと手を乗せてくれる。
 やっぱり直接は触れないみたいだけど、それでも柔らかい何かが髪に触れたのは分かった。

『歌はあとでちゃんと歌ってくるさかいに』
『なんでやねん』

 ただ菜穂子が何か答えるよりも早く、秒で祖父が祖母に対してツッコミを入れていた。漫才でもないのに。
 どう見ても素の表情で、祖父はいかにも「気に入らない」と言った感じに、両腕を組んでそっぽを向いていた。

『放っといたらええやろう。そんなんやったら、ちょっとゴネたら志緒(おまえ)が言うこと聞いてくれるて、いらん知恵つけよるやないか』

 それは、一見すると祖母が子どもにばかりかまけていることへの嫉妬のようで、よくよく聞けば子育ての真理とも言える。
 そこは八瀬さんも『あぁ……』と、妙に納得の表情を浮かべていた。
 祖母だけが、ちょっと困ったかのように微笑んでいる。

『まあ……生きてたらそうかもしれへんけど、もう死んでしもてるさかいに……それが心残りや言うんやったら、出来る限りのことをしてあげたいのも本当(ほんま)やしねぇ……』
『……っ』

 激昂しての反論ではないだけに、祖父も、そして八瀬さんも強くは出れずにいるようだった。
 菜穂子としても、当の子供の気持ちを思うとピシャリとはねつけるのもどうかと思ってしまうので、ここはちょっとあの子の話を広げてみることにした。この際祖父を折れさせるには、何の話題でも喰いついてみようと思ったからだ。

『おばあちゃん。あの子「さっちゃん」の歌を(うと)てくれ言うてさっき叫んでたけど、やっぱり名前が「サチコ」やからとか、そんな理由?』

 ――そして、その後続けられた祖母の言葉に、菜穂子は驚愕することになる。

『そうや。あの頃は「サチコ」とか「カズコ」とか「ヨウコ」とかが、女の子で多い名前の代表格みたいなもんやったさかいにな。声がしてるあの子も確かに「サチコ」や。辰巳幸子(たつみさちこ)、いう名前やったかな』
『え……辰巳幸子⁉』

 既に部屋の扉は閉められていたので、声のほとんどは外には洩れなかっただろうけど、それでも相応の声はその部屋に響いたに違いなかった。

『そうや。そのまんま「さっちゃん」やろう?』
『…………わぁ』

 この時点では、他に言いようがなかったかもしれない。思わぬところで耳にしたその名前に、菜穂子はとっさに次の言葉が出なくなってしまっていた。

『なんや、おまえ。あの子ども(ガキンチョ)知っとんのか。いや、生きてるうちに()うてたらおかしいわな』

 ほな、子どもとか孫とかか……?
 などと祖父がぶつぶつ言ってるのが聞こえるが、菜穂子自身まだハッキリとはさっきの話を頭の中でまとめ切れていない。

『んー……』

 菜穂子は、何と説明したものかと指でこめかみをグリグリ揉み解す仕種をそこで見せた。

『……昨日な、辰巳幸子ちゃんの妹さんのダンナさんと孫や、いう人に()うてん』

 それしか言いようのなかった菜穂子に、案の定祖父が『あ?』と、眉を(ひそ)めている。

『ガキンチョの妹のダンナと孫? なんや、遠いんか近いんか、よう分からんな』

 祖父はどうやっても「ガキンチョ」呼びを変えるつもりはないらしい。
 隣で祖母の小さなため息が聞こえる。

(まあ、おじいちゃんやもんなぁ……)

 らしいというか今更というか。
 ため息をこぼすしかない祖母の心境も、菜穂子は分かる気がした。

『同姓同名の可能性は?』

 そして八瀬さんの疑問ももっともというべきで、菜穂子は『うーん……』と、会話を思い返すように天井を見上げた。

『昨日私、京都芸術センターいう(トコ)に行ったんです。そこ、単に統廃合されて名前変わっただけで、廃校前の名前は明倫小学校。おばあちゃんがいた頃は、下京三番組小学校……は、古すぎるんかな。明倫尋常小学校とか、戦時中は明倫国民学校とか、そんなん? とにかく、そこでその話聞いたんですよ。なので同姓同名の他人の可能性はちょっと――』

 しまったな、と話をしながら菜穂子は思った。まさかこんな流れになるとは思っていなかったから、あのおじいさんやお孫さんの名前までは聞かなかった。
 多分祖母の教え子じゃないかということで、何とか「辰巳幸子」の名前だけ聞くことが出来たのだ。
 個人情報保護がどうのと言うこの時代に、それ以上をツッコんで聞く理由がどこにも見当たらなかったからのだから、どうしようもない。

『ああ、個人情報保護法でしたっけ。ここ二十年くらいの間に出来た法律ですよね』

 そう言った菜穂子に、残念そうな表情を見せつつも、納得はいったと八瀬さんは頷いた。

『最近十王庁で裁判を受ける死者の中にも、やたらとそれを振りかざそうとする(やから)がいるんですよ。閻魔帳の存在そのものにケチをつけて、ゴネて裁判をうやむやにしようとする。あれは生者の世界の法律でしょうに。本当(ほんま)、困ったもんです』
『ははは……』

 どこにでも、下手に聞きかじった知識を中途半端にひけらかして、周りを困らせる人間というのは一定数存在する。学校やバイト先にさえいたくらいだ。
 特に「裁判所勤め」と言ってもいい八瀬さんなんかは、あれこれと苦労をしているのかもしれない。

『まあでも、確かにそれ以上根掘り葉掘り聞いたらタダの不審者でしょうから、仕方ない思いますよ』
『そやけど、それやったらそのおじいさんの方は、さっちゃんの義理の弟さんとそのお孫さんいうことになるんやねぇ?』

 話に信憑性があると納得したのか、祖母は目を丸くして菜穂子に問いかけてきた。
 菜穂子は『多分?』と首を傾げることしか出来なかったのだが。

『あ! でも、あのおじいさんもあの小学校の卒業生やて言うてはった! 肝心の妹さん――おじいさんの奥さんの方は違う小学校やて言うてはったけど』
『あら』
『ただ、終戦後に入学したいうような話やったから、どっちにしても、おじいさんのことは、おばあちゃんも八瀬さんも知らん気がする』
『そうなんやねぇ……』

 一瞬期待をしたのかも知れない。菜穂子の返事に、ちょっとだけ残念そうな表情が祖母からは垣間見えた。

『確かに終戦後の入学言われたら、僕も知らんでしょうね。そもそも僕は疎開前にもう卒業してますから』
『ああ、そういえばそうやったねぇ。八瀬君はあの頃から賢い子やったさかいに、将来が楽しみやったわ』

 当時を思い起こしたのか、祖母が微かに口元をほころばせた。
 褒められて嬉しそうな八瀬さんとは対照的に、祖父の方は「口がへの字」と言う表現がこれ以上もないくらいに当てはまっていた。

『そんなんやったら、別に無理に志緒(コレ)に相手ささんでもええやないか。あのガキンチョの妹いうのは、どないしとるんや。もう充分ええ年齢(とし)なんと違うんか。もし三途の川渡っとんのやったら、迎えに来させたらどうやねん』

 そんな中、祖父が思いもしなかった変化球を投げて寄越してきた。
 もしかすると、何の気なしに口をついて出た言葉なのかも知れない。けれどそれは、今まで誰の頭にもなかったんだろう。子どもの裁判は、大人と違うと聞いたばかりだ。多分八瀬さんにしても、勝手が違ったんだろう。意外な提案を聞いたとばかりに、目を見開いていた。

『……ちょっといいですか』

 口元に手をやりながら考える仕種を見せた八瀬さんが、おもむろに近くで待機していた門番風の男性を手招きした。

『閻魔王筆頭補佐官からの要請として、先刻連れ出した子の「事前鑑定」を急ぎ行うよう、秦広王筆頭補佐官に伝言を。結論はここへ、と』
『八瀬君?』

 いったい「さっちゃん」をどうしようと言うのか。
 祖母は不安になったのかも知れない。
 それに気付いたのか、八瀬さんは『いえ、大したことでは』と、微笑んでみせた。

『本来、大人に行うべき手続きをあの子にも適用してくれるよう依頼しただけですから』
『大人に行うべき手続き……』
『服なりなんなり提出さして、賽の河原のほとりにおった、じーさんかばーさんに生前の罪と先に川を渡った血縁者を探させる、いうことやろ。別にガキンチョ自身が痛い目に遭うわけやない』

 八瀬さんが何かを答えるよりも早く、祖父の方が祖母にそう答えていた。
 多分、自分が通った道のりを思い出したうえで、祖母あるいは菜穂子にも理解がきくよう、噛み砕いた言い方をしたんだろう。
 ぶっきらぼうなのは、もう仕方がないとしても。

『いや、まあ……奪衣婆(だつえば)懸衣翁(けんえおう)いう名前があるんですけどね、一応』

 なんでも二番目の王、初江王に会う前に衣領樹(えりょうじゅ)と言う木があり、着ていた服を奪衣婆が剥ぎ取り、その服を懸衣翁が衣領樹の枝に掛け、枝のしなり具合で、罪の重さが測られるらしい。
 剥ぎ取ると言うと聞こえが悪いが、死者全員が綺麗な服を着せられて埋葬されるとは限らないため、衣服以外のモノを渡す場合も時々ある――と、苦笑いしながら八瀬さんが補足をしてくれた。

『一般的には「罪の重さを測る」との話で知られてますが、同時に血縁関係や生前関わりのあった人、動物なんかの情報も読み取られて、初江王様の審議の場の参考にされます。あの子供に関わる情報を探るには、多分一番早いんですよ。閻魔帳言うても、それまでの王の審議を通して得た情報が書き加えられますし、何より他の王のところに行かずとも、すぐそこで情報得られますしね』

 本来、子供の人生は大人ほどには積み重ねられてはいない。
 賽の河原に居ることで充分に地蔵菩薩が判断出来るそうだが、それを特別にその「さっちゃん」に適用して「妹」の行方を確認しようということらしい。
 それだけ八瀬さんも、祖父の提案に魅力を感じたのかもしれない。

『八瀬君、あの子まだ小さいんやさかいに、あまり手荒なことは――』
『大丈夫ですよ、高辻先生。多分あの子は、ちょっとやそっとではめげません』
『…………』

 一見祖母を安心させようとしているようで、八瀬さんの笑顔は明らかに黒い。
 しかも珍しく祖父が、同意するかのように首を大きく縦に振っている。どうもあの二人はかなり「さっちゃん」に手を焼いていたようだ。
 ただ菜穂子には、祖母の困惑も手に取るように伝わってきた。

『おばあちゃん……多分やけどあの子、もしその妹さんが来はったとしても、一回くらいは授業するなり歌を(うと)てあげるなりせんと、納得せんような気がする』

 直接顔を見ているわけではないにせよ、あの叫び声とダダのこねようだ。
 この推測は間違ってないように思うし、思い切り顔をしかめた祖父や八瀬さんも、多分同じ感想を持っているんじゃないかと思った。

『志緒。もう、今のうちに一回ガキンチョに歌うたっとけ。そしたらあとは、その妹が来たら話終わるわ』
『いやいやいや! 何言うたはるんです⁉』

 ――ただ「さっちゃん」がいざ絡まなくなると、話は堂々巡りになってしまうようだ。

『妹さん、見つかりますかね?』

 何年前に亡くなっているのかも分からないうえに、六道のどこに行ったのかも分からない。それで見つかるものなんだろうかと思う菜穂子に、八瀬さんは「分かりますよ」と答えた。

『ただ、万一地獄道なんかにいた場合には、時間もかかりますし許可が下りるのかどうかも怪しくなります。生者の世界に照らし合わせるなら「犯罪者を刑務所から出して会わせろ」と言うようなものですからね』
『え……』

 菜穂子は勝手に「さっちゃん」やその妹さんは善人だと思い込んでいたけれど、そうとは限らないのか。

『その妹さんが何十年生きはったのかは知りませんけど、人の一生、何が起きるかは誰にも分かりません。可能性はゼロやないですよ。それは確かです』

 菜穂子は、何て答えればいいのか、分からなくなってしまった。

『お、おばあちゃん、そう言えば「賽の河原」って他にも子どもいるんやろ? ()うてきたん? どうやった?』

 場の空気にいたたまれなくなった菜穂子は、祖母に「さっちゃん」絡み以外の話題をとりあえず振ってみた。

『そうやねぇ……』

 さりげない八瀬さんの誘導で、祖母は既に子どもたちの様子を見学してきている。
 その過程で「さっちゃん」に偶然再会したわけで、祖父は何となく「気に入らない」という表情(かお)をしているが、この際無視(スルー)させてもらうことにした。

『赤ん坊から十歳ちょっとの子まで、(おも)たより色んな子がいて驚いたわ』
『えっ、赤ん坊?』
『それは、そうやろう。流産になった子かているんやさかいに。ただまあ、その子らは河原で石を積むも何もないから、優先的に地蔵菩薩様が次の道へ連れて行くようなことを案内してくれたお人が言うてはったえ。大体、話せて歩けるようになったあたりから、なんやかんやとあるみたいやな』
『なんやかんや……』

 って、なんだ。
 そんな菜穂子の疑問を読み取ったのは、祖父母ではなく八瀬さんだった。

『意思を持って話せるようになれば、行動に善悪も出てきますし、それは審議の対象になりえますよ。生者の世界では未成年の犯罪は大人よりも緩い刑罰になるようですが、十王庁(こちら)ではそういうことはしません。まあある意味、賽の河原にいることは若干の優遇と言えなくもないですが、世間で思われているほど地蔵菩薩様も緩くはないですよ?――さすがに十歳未満で凶悪犯罪をやらかす子は滅多にいませんから、慈悲のお方と思われてはいるようですが』
『へえ……おばあちゃんは、その地蔵菩薩様にはもうお会いしたん?』

 好奇心から尋ねてみれば、祖母はぶんぶんと首を横に振った。

『今はまだ、ただの見学者やさかいに。そんなん会われへんよ。毎日来てはるわけでもないみたいやし』
『ふーん……』
『そんなもん、志緒(おまえ)は別に会わんでもええわ』

 賽の河原で「先生」になるという選択肢を未だ認めていない祖父は、ふいとそっぽを向いている。
 不敬(ばちあたり)だと言われないか、菜穂子の方がちょっと心配になったくらいだが、これにも八瀬さんが『大丈夫ですよ』と苦笑を浮かべた。

『貴女のお祖父様は、十王様方にも終始あんな感じだったようですから。ただお祖母のことをお願いする時だけは、土下座して頼み込んでいたようなので、どの王も強くは言えなかったようですね。うちの閻魔王様しかり、ですが』
『『……っ』』

 八瀬さんの方に揶揄いの意図はなく、ただ淡々と事実を示しただけという風にも見えたが、祖父母の方はそうではなかったようだ。
 互いに表情の選択に困ったかのように、あらぬ方向を向いていた。

『まあもともと、小学校でも色んな子がいたんやろうし「先生出来そう?」なんて聞くのは野暮やったかな』

 友達の、家庭教師のバイト話を聞いているだけでもなかなかに大変そうだったのだから、十人十色の生徒たちを前にしての授業ともなれば、その苦労はなかなかのものだろう。
 多分そのあたりは、菜穂子の「先生」と言う職業に対してのイメージは祖父寄りじゃないかと思う。
 ただ、当の祖母が「やりたい」と願うのであれば、果たしてそれを「苦労」と呼んでもいいものなのか。それは祖母の幸せにはならないのだろうか。それぞれが考える「幸せ」のギャップを、どう埋めるのか。

 夫婦の在り方という、十代の大学生が考えるには存外難しいことを、菜穂子は突きつけられている気がした。

『……とりあえず、続きは明日にしましょうか』
『え?』

 八瀬さんの思いがけない声に、菜穂子はふと顔を上げた。

『さすがに、そんなにすぐ秦広王筆頭補佐官から返事は来ないでしょう。僕とか貴女のお祖母様、お祖父様はいくらでも待てますが、貴女には一度戻ってもらわないと。朝になっても起きないとなれば親御さんが心配される』
『えっと……また、ここに来られるんですか?』
『ええ。ただ迎え火が終わったらさすがに来てもらうのに差し障りが出てきます。そう考えると……存外、余裕はないんですけどね』

 それでも、その「さっちゃん」の身内次第で祖父母の判断の後押しになるんじゃないか。
 八瀬さんはそう考えたようで、菜穂子も、それはそうかも知れないと思った。

『おまえまで、そんな頻繁に来んでもええわ』
『そうえ、菜穂子。二度と帰れへんとか、将来菜穂子がこっちに来るようなことになった時に何か影響あったりしたら、おばあちゃんらがいたたまれへんよ』

 祖父母は、祖父母なりの心配を見せてくれている。
 けれど、菜穂子はもう少し祖父母と話をしていたかったのだ。

『――ううん。また八瀬さんに明日呼んでもらうわ。だって、二人に会いたいもん』

 だから、そう言って笑ってみせた。