あなた ―レストラン「月隠」調査記録―


あなた ―レストラン「月隠」調査記録―
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第1章:発見されたレビュー
※以下の記録は、個人レビュアーK.Nのブログ「食記録帖」に2025年9月12日付で投稿された記事の全文である。
記事は現在削除されているが、アーカイブサイトに保存されていたキャッシュをもとに復元した。
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【記事タイトル】
「消えたレビュー:レストラン『月隠』について」
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「味には、私たちの記憶を呼び起こす力がある。」。
誰の言葉だったかは、もう思い出せない。けれど、その一文が、私がこの仕事を始めた理由のすべてだと今でも思っている。
私はK.N。
本名は伏せるが、都内でフリーの飲食レビュアーをしている。
もともとは出版社で編集をしていたが、五年前に母を亡くしたのを機に退職し、今のような生活を始めた。
母は、狭いカウンターだけの小さな食堂で、毎日心を込めて、私達のために愛情たっぷりの料理を作り続けていた。
カウンターだけの狭い店で、昼も夜も、油と出汁の匂いが染みついていた。
閉店後、客が誰もいなくなった店内で、母が残り物で作ってくれるまかないが、子どものころの私にとってのごちそうだった。
白味噌の味噌汁は、必ず最後に出てきた。
一度だけ、私はそれを「今日のは少ししょっぱい」と言ってしまったことがある。
母は「そう?」と笑っていたが、その夜、店の奥で洗い物をする背中はいつもより少しだけ丸く見えた。
あのときの湯気の温度、味噌の塩気、そして言葉を選び損ねた自分の舌の感触を、今でも鮮明に思い出すことができる。
たぶん私は、あの夜からずっと、あの一杯を探し続けているのだと思う。
どこかの店の一皿に、母の味の「残り」を見つけたくて、レビューを書くようになった。
……と、ここまで書いて、自分でも少し気恥ずかしくなってきた。
読者の多くは、こんな身の上話より、手っ取り早く「おすすめの店」を知りたいだけだろう。
だから、本題に入る。
先日、ある読者から一通のメールが届いた。
「K.Nさんの過去の記事で紹介されていた“月隠”というレストランについて、もう一度読みたいのですが、どこにありますか?」
最初にその文面を開いたとき、私は正直、「そんな店、書いただろうか?」と思った。
これまで数百軒の店を訪れ、レビューを書いてきた。
一度きりの訪問で終わった店も多く、すべてを覚えているわけではない。
けれど、「月隠」という店名には、妙な引っ掛かりがあった。
月に隠れる。月が何かを隠す。
どこかで何度も目にしてきた単語を、もう一度見せられているような、既視感に近い感覚だった。
自分のブログを遡り、「月隠」で検索したが、該当する記事は一つも見つからなかった。
記事一覧にも、タグ検索にも、履歴はない。
それでも、読者が送ってくれたスクリーンショットには、確かに私の名前とアイコンが表示されていた。
文体も、句読点の打ち方も、改行の癖も、どう見ても「私のもの」だった。
以下に、そのスクリーンショットの内容を文字起こしして掲載する。
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【スクリーンショット記録:2024年10月3日投稿】
★★★★★
予約制の隠れ家レストラン。場所は紹介者からしか教えてもらえません。
古民家を改装したような静かな空間で、まるで時間が止まったような感覚に。
料理はどれも絶品で、特に最後の一皿は、なぜか涙が出るほど懐かしい味でした。
接客も丁寧で、店主の所作にはどこか儀式的な美しさがありました。
また行きたいけど、次は誰を連れて行こうか迷っています。
【訪問日】2024年9月30日
【予算】¥12,000(コースのみ)
【ジャンル】和食・創作料理
【店名】月隠(つきがくれ)
【場所】非公開(紹介制)
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このレビューは、私のブログの「2024年秋のおすすめ10選」にも転載されていたらしい。
だが、その記事もまた、現在はどこにも存在しない。
記事管理画面を確認しても、「月隠」という文字列を含む記事の履歴は一切残っていなかった。
下書き、ゴミ箱、バックアップ。どこを見ても見当たらない。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
念のため、私は飲食店の予約履歴を確認することにした。
私が予約に主に利用しているのは「グルメナビ」というサイトだ。
ログインし、2024年9月の履歴を遡ると、「月隠」という店名が、そこには確かに記録されていた。
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【予約履歴:グルメナビ】
【予約日】2024年9月30日(月)
【店名】月隠(つきがくれ)
【人数】1名
【コース】おまかせコース ¥12,000
【予約方法】紹介コード経由
【ステータス】来店済み
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だが、店の詳細ページにアクセスしようとすると、「この店舗は現在掲載されていません」というエラーメッセージが表示されるだけだった。
紹介コードも無効化され、店舗の電話番号や住所欄も空欄になっている。
私はさらに、SNS上で「月隠」に関する投稿が残っていないか調べてみた。
X(旧Twitter)で「#月隠」「#つきがくれ」「#隠れ家レストラン」などのタグを検索すると、数は多くないが、いくつかの投稿がヒットした。
その中の一つに、気になる写真があった。
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【SNS投稿:@gourmet_mika(2024年10月1日)】
昨夜、ずっと行きたかった月隠へ。
料理も雰囲気も最高すぎて、言葉にならない…
#月隠 #紹介制 #隠れ家レストラン #また行きたい
[画像:木のトレイに盛られた前菜。背景に障子と行灯。]
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画像を拡大すると、写真の左端に、異様なものが写り込んでいるのが見えた。それは、まるで誰かの手のように見え、背筋が凍る思いがした。
料理の皿の奥、障子の隙間から、白い手のようなものが覗いている。
節の目立つ細い指が、障子紙を押し広げるようにして、こちら側に伸びているようにも見えた。
投稿者はそれに気づいていないのか、本文にもハッシュタグにも一切触れていなかった。
私はこの投稿者にDMを送る決意をしたが、心の中には不安が渦巻いていた。
だが、数時間後にアカウントごと削除されていた。
スクリーンショットとキャッシュを保存しておいたのは、もはや半ば、編集者時代から抜けない職業病のようなものだ。
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ここまでの記録をまとめると、「月隠」という店は、確かに「どこか」に存在していた。
予約サイトの履歴上では、私はそこを訪れ、レビューまで書いている。
けれど、現在その店はネット上からほぼ完全に姿を消しており、関係者と思われるアカウントも次々と削除されている。
私の書いたはずのレビューも、残っていない。
それでも、スクリーンショットに残された最後の一文だけが、粘つくように頭の中に貼りついて離れなかった。
「次は誰を連れて行こうか迷っています。」
その「誰か」の中で、一番行き先を持たないのは、私なのかもしれない。
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第2章:痕跡をたどる
※以下の記録は、K.Nが「月隠」に関する追加調査を行った際に収集・保存した情報をもとに再構成されたものである。
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「記憶に残る味」。
あの消えたレビューの中に、たしかにそう書かれていた。
その言葉は、まるで私が母の味を探していることを見透かしているかのようで、どこか息苦しさを感じさせた。
けれど同時に、その言葉には、私が母の味を探し続ける引力のようなものも感じていた。
私は、「月隠」の痕跡を追い求めることに決めた。
まず、「グルメナビ」以外のプラットフォームでの掲載状況を確認する。
「グルナビ」「レストランズJP」「食べログモバイル」など、主だった飲食店検索サイトを横断的に検索したが、「月隠」に該当する店舗情報は見つからなかった。
その一方で、ある匿名掲示板に興味深い書き込みが残っていた。
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【掲示板ログ:グルメ裏情報板(2024年10月5日)】
No.18452 名前:名無しの食通
月隠って店、グルナビに一瞬だけ載ってたよな?
すぐ消えたけど、あれ何だったんだ?
→ No.18453
俺も見た。紹介制って書いてあった。
予約ボタン押したら「紹介者コードを入力してください」って出てきて、何もできなかった。
→ No.18454
料理の写真、やばかった。なんか、見てると気持ち悪くなる感じ。
→ No.18455
俺、予約できたけど、当日キャンセルした。
なんか、夢に出てきたんだよな。あの店の暖簾が。
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この掲示板は、飲食店の“裏情報”を共有する目的で運営されているもので、書き込みの信憑性には疑問が残る。
ただ、複数のユーザーが「月隠」という同じ店名を認識していたことは確かだ。
次に、Instagramで「#月隠」「#隠れ家レストラン」などのタグを再度検索した。
前章で触れた投稿以外にも、同じ時期の記録が数件見つかった。
その中でも、特に気になる投稿があった。
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【Instagram投稿:@foodie_kei(2024年10月2日)】
ずっと気になってた“月隠”に行ってきました。
写真は前菜。味も見た目も完璧。
店内は撮影NGだったけど、どうしてもこの一皿だけは残しておきたくて、こっそり撮影。
#月隠 #紹介制レストラン #前菜 #和食 #秘密の場所
[画像:白い陶器の皿に盛られた前菜。背景にぼんやりとした影。]
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画像を拡大して確認すると、皿の奥に落ちている“影”が、どうにも不自然だった。
輪郭の曖昧な人影のようにも見えるが、顔の位置が、通常より明らかに高い。
障子の桟よりも少し上、天井近くから覗き込むような角度で、黒い「顔の空白」がこちらを向いている。
投稿者自身はその影に気づいていないのか、本文にもコメント欄にもそのことへの言及はない。
「映り込みですね」「雰囲気いい」といったありきたりなコメントが並ぶだけだった。
さらに、別のユーザーが投稿したストーリー(24時間で消える動画投稿)を保存していたというフォロワーから、スクリーンショットと動画ファイルが提供された。
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【Instagramストーリー:@miyu_gourmet(2024年10月1日)】
「月隠」来た!
入口、めっちゃ雰囲気ある〜✨
(動画:石畳の小道を進み、白い暖簾が風に揺れている。暖簾には「月隠」と筆文字で書かれている。暖簾の奥に、誰かが立っているように見えるが、すぐに画面が切り替わる。)
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このストーリーは現在削除されているが、保存されていた動画ファイルを確認すると、暖簾の奥に立っていたのは白衣をまとった人物だった。
袖口から覗く腕は細く、料理人のような格好に見えるが、顔だけが不自然に影になっており、判別できない。
手元には何かを持っているようだが、フレームの境界で切れていて、何かはわからなかった。
動画の最後、画面が切り替わる直前に、かすかに「また来てくれますか」という声が入っていた。
それは、どこか懐かしい声だった。
……母の声に、似ていた。
母が店を閉めたあと、まかないの味噌汁をよそいながら、「また来てくれる?」と、冗談めかして私に尋ねた夜のことを思い出した。
あのときの白い湯気と、味噌の香りと、母の声の高さが、動画の最後の一言とぴたりと重なった。
私は動画の位置情報を確認しようとしたが、「取得できません」というエラー表示が出た。
投稿者に連絡を試みたが、アカウントはすでに非公開設定となっており、相互フォローでない私からはメッセージを送ることもできなかった。
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ここまでの調査で、「月隠」は少なくとも2024年9月末から10月初旬にかけて、複数のユーザーによって訪問されていたことがわかった。
だが、同時に、その痕跡は異常な速度で消えつつある。
レビューは削除され、アカウントは閉鎖され、写真や動画も次々と閲覧不能となる。
たった数日〜数週間前の記録が、「古い都市伝説の断片」のような扱いになっていく。
最後に、もう一つだけ、気になる掲示板の書き込みを紹介しておきたい。
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【匿名掲示板:グルメ裏情報板(2024年10月6日)】
No.18501 名前:名無しの食通
月隠って、行った人がレビュー書かなくなるよな。
→ No.18502
書いても、すぐ消える。
→ No.18503
書いた本人がいなくなるって話もある。
→ No.18504
俺の友達、行ったあとから別人みたいになった。
「また行きたい」しか言わなくなって、連絡取れなくなった。
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この書き込みが真実かどうかは定かではないが、その書き込みは、私の心に不安の影を落とし、何か恐ろしい真実が隠されているのではないかという思いを抱かせた。
ただ、私の中で一つのイメージが芽生えつつあった。
この店は、ただの“隠れ家レストラン”ではない。
何かがそこにあり、人を引き寄せ、変質させ、そして――
“記録”ごと消してしまう。
消える前に、もう一度だけ、その店の味を確かめたい。
そう思ってしまった自分のことが、このとき一番怖かった。
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第3章:記録の矛盾
※以下の記録は、K.Nが「月隠」の営業実態を調査する過程で収集した資料をもとに再構成されたものである。
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「味には記憶がある」と信じてきた。
けれど、記憶が曖昧になるとき、その味はどこへ行くのだろう。まるで、思い出の中で色あせてしまったように
いつの間にか、母の味を探すことよりも、「月隠」という存在の形を確かめることに夢中になっていた。
「月隠」の営業実態を調べるため、私は飲食店向けの業務用食材を扱う複数の業者にメールで問い合わせを行った。
そのうち唯一返答をくれたのが、「株式会社ミドリ屋」だった。
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【メール:株式会社ミドリ屋 営業部より】
件名:月隠様との取引について
K.N様
お問い合わせいただきありがとうございます。
弊社では2024年9月〜10月初旬にかけて、「月隠」様より数回のご注文をいただいております。
以下に、該当期間の納品記録を抜粋してお送りします。
※個人情報保護の観点から、詳細な住所は伏せさせていただきます。
何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。
株式会社ミドリ屋 営業部
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【納品記録(抜粋)】
納品日品目数量備考
9/25鮮魚(鯛・鰆)各2尾3名分+1
9/25山菜セット(こごみ・ぜんまい)各300g3名分+1
9/25和牛ヒレ肉4枚3名分+1
9/30鮎(活〆)4尾3名分+1
9/30里芋・蓮根・銀杏各400g3名分+1
9/30白味噌・柚子適量3名分+1
10/2鴨肉(スライス)5枚4名分+1
10/2柿・栗・黒豆各300g4名分+1
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すべての納品が、「人数分+1」という形で記録されている。
飲食店が余剰を見越して少し多めに仕入れること自体は珍しくない。
だが、ここまで一貫して「+1」が付いているのは、偶然というには不自然だった。
しかも、「3名分」「4名分」という内訳は、業者側がそう解釈してメモしたもので、店側の注文書に人数が書かれていたわけではないという。
私はさらに、ネット上に残っていた「月隠」のメニュー表のPDFファイルを入手した。
これは、別の飲食レビュアーがブログに添付していたもので、現在はブログごと削除されているが、アーカイブサイトにコピーが残っていた。
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【月隠 おまかせコース(2024年秋)】
一、前菜五種盛り
一、椀物(季節の根菜と白味噌仕立て)
一、造り(本日入荷の鮮魚)
一、焼物(炭火焼 鴨または鮎)
一、強肴(和牛ヒレの炙り)
一、御飯(栗と黒豆の炊き込み)
一、甘味(柿の蜜煮)
本日の特別料理:お客様の記憶に残る一皿を
※仕入れ状況により内容が変更になる場合がございます。
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「本日の特別料理」という表記だけが、他の料理とは明らかに異なっていた。
具体的な料理名がなく、「お客様の記憶に残る一皿を」という抽象的な説明にとどまっている。
メニュー表としては、不自然なほど“意味だけ”が書かれている。
「記憶に残る」という言い回しが、私自身の動機と奇妙に重なって、胸の奥で鈍く響いた。
母の味噌汁も、今ではもう、味より先に「記憶」のかたちが思い浮かぶ。
あの夜、「しょっぱい」と言ってしまった一口目の温度が、舌ではなく、どこか別の場所で再生される。
さらに、過去に「月隠」を訪れたとされる人物のブログに掲載されていたレシートの画像も、スクリーンショットとして保管されていた。
解像度は低く、判読は困難だったが、拡大とコントラスト調整を繰り返し、かろうじて文字起こしを行った。
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【レシート文字起こし(2024年9月30日)】
月隠(つきがくれ)
おまかせコース      ¥12,000
ドリンク(冷酒)     ¥1,200
本日の特別料理:あなた
合計 ¥13,200(税込)
ご来店ありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております。
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「あなた」という文字列が、料理名の位置に印字されている。
単純なレジの誤作動や、店側の悪ふざけにも見えなくはない。
だが、「人数分+1」の仕入れ、「記憶に残る一皿」、そして「あなた」。
ばらばらな記録の断片が、一本の線で繋がりかけているような感覚を、私は拭えなかった。
最後に、ある匿名の情報提供者から、店内の座席配置を描いたスケッチが送られてきた。
この人物は自身を「月隠」の元客だと名乗り、「記憶が薄れてしまう前に」とのコメントを添えていた。
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【座席表スケッチ(提供者不明)】
┌─────────────┐
│ カウンター席(4席) │
├────┬───────┤
│ 個室A │ 個室B   │
└────┴───────┘
※備考:カウンター席の右端に、誰も座っていなかったが、箸とおしぼりが置かれていた。
店主はその席にも料理を運んでいた。
誰かがいたように振る舞っていたが、私には見えなかった。
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この証言が事実だとすれば、「+1」は単なる余剰ではない。
そこには常に、「見えない誰か」のための一人分が用意されていたことになる。
――いつも、必ず一人分だけ多く。
母の店でも、ごくたまに、そういう夜があった。
客は私と母だけのはずなのに、鍋からよそう味噌汁は、いつも三杯分あった。
誰も手をつけない湯気だけの椀が、カウンターの端で静かに冷めていく光景を、私は子どものころ、一度だけ見ている。
その「+1」が、客より先に決まっている席であるかのような感覚が、ふいに胸の奥を冷たく撫でていった。
まるで、自分の席だけが最初から確保されているような、嫌な予感だった。
私は、次の段階へ進む決心を固めた。
この店に関わった人々の“その後”を追う必要がある。
なぜなら、記録を読み返しているはずの私自身の記憶も、どこかで微妙に滑っているような、説明しがたい空白を孕み始めていたからだ。
――まるで、誰かに椀を一つ分けたぶんだけ、自分の中身が減っていくみたいに。
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第4章:消える人々
※以下の記録は、K.Nが「月隠」に関わった人物の行方を追う過程で収集した資料をもとに再構成されたものである。
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「+1」の意味について考えていた。
余剰ではない。
常に用意される、見えない“誰か”のための席。
それが誰なのかを知るには、この店に関わった人々の“その後”を追うしかなかった。
行方不明者に関する掲示板を検索していると、一つの投稿に目が留まった。
失踪した妹を探す兄からの書き込みだった。
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【掲示板投稿:行方不明者情報共有板(2024年10月10日)】
投稿者:佐伯悠人(さえき・ゆうと)
妹を探しています。
名前:佐伯美咲(さえき・みさき)
年齢:26歳
最後の連絡:2024年10月1日 18:42
内容:「今から“月隠”ってとこ行ってくる。紹介制らしいけど、楽しみ!」
その後、LINEも電話も既読にならず、現在まで連絡が取れません。
警察には捜索願を提出済みです。
どんな情報でも構いません。
彼女を見かけた方、または“月隠”という店をご存じの方がいれば、ご連絡ください。
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私は悠人氏に連絡を取り、やりとりの中で捜索願の写しを提供してもらった。
彼は、妹について「食べることが好きで、最近は“隠れ家レストラン巡り”にハマっていた」と語った。
「月隠」も、SNSで知り合った誰かから紹介された店だったらしい。
「最後に会ったとき、変なことを言ってたんです」と、彼は少し迷ったあとで続けた。
「“お兄ちゃんにも食べさせたい味がある”って。
子どものころに二人で行った食堂の味に、すごく似てるらしいって」
それは、私が母の味を追いかけている理由と、どこかで重なっていた。
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【捜索願受理通知(抜粋)】
東京都警察庁
受理番号:第2024-10-1123号
氏名:佐伯美咲
年齢:26歳
性別:女性
最終確認日時:2024年10月1日 18:42
最終確認場所:東京都千代田区〇〇町三番地付近(スマートフォン位置情報による)
特記事項:
・本人より「月隠」という飲食店に向かう旨のメッセージあり。
・当該店舗の所在確認不能。
・紹介制店舗の可能性あり。
担当:神田警察署 生活安全課
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この通知に記載された「最終確認場所」は、前章で触れたInstagramストーリーの位置情報(取得不能と表示されていた地点)と一致していた。
だが、地図上でその座標を確認すると、現在その場所には「空き地」とだけ表示されている。
私はGoogleストリートビューの履歴機能を使い、過去画像を遡った。
2024年9月時点の画像には、確かに“何か”が写っていた。
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【Googleストリートビュー:2024年9月撮影】
画像:細い路地の奥に、白い暖簾のようなものが風に揺れている。
暖簾には「月隠」と読める筆文字。
暖簾の奥は暗く、内部の様子は確認できない。
※2024年10月以降の画像では、同じ場所は更地となっており、暖簾も建物も存在しない。
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この画像は現在、地図サービス上では一般ユーザーが閲覧できない状態になっている。
だが、履歴を保存していたユーザーからキャッシュ画像の提供を受け、かろうじて確認できた。
私は悠人氏に頼み、妹のスマートフォンの位置情報履歴の開示を、通信キャリアに請求してもらった。
しばらくして、次のようなログが共有された。
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【位置情報ログ(抜粋)】
日時緯度経度備考
10/1 18:4235.6941139.7532メッセージ送信地点(千代田区内)
10/1 18:5735.6939139.7528路地裏(“月隠”とされる地点)
10/1 19:01以降位置情報取得不能-圏外または端末オフライン
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ログから、彼女が「月隠」とされる地点に到達したことはほぼ間違いない。
だが、その後の記録は一切残っていない。
私は、「月隠」に関する投稿を行っていた別のユーザーのアカウントも調べた。
その中に、すでに削除されていた@gourmet_mika の友人とされる人物の投稿が、かろうじて残っていた。
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【Twitter投稿:@yukari_foodie(2024年10月4日)】
みか、最近ずっと様子おかしかった。
「また行きたい」「また行きたい」って、そればっかり。
連絡も取れなくなったし、家にもいない。
なんか、あの店に行ってから変わった気がする。
#月隠 #行方不明 #誰か知りませんか
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この投稿も、数日後には削除された。
アカウント自体は残っているが、タイムライン上からは、過去の投稿がすべて消去されている。
私は、行方不明者関連のニュース記事も検索したが、「佐伯美咲」の名前は、小さな地方版の社会面記事に一度だけ登場しただけだった。
そこには、「知人の紹介による飲食店へ向かったのを最後に連絡が途絶」とだけ書かれ、店名は記されていなかった。
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ここまでの記録を通じて、「月隠」に関わった人物が、少しずつ輪郭を失っていく様子が浮かび上がる。
店を訪れたあとに連絡が取れなくなり、あるいは“変質”し、やがて記録からも消えていく。
そして、私自身もまた、ある種の“空白”を感じ始めていた。
記録を読み返すたびに、どこかで見たはずの情報が抜け落ちている。
保存していたはずのファイルが、いつの間にか消えている。
記憶と記録の境界が、曖昧になっていく。
私は、次の記録に進むことにした。
公的機関――保健所の調査記録が、何かを明らかにしてくれるかもしれない。
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第5章:保健所の調査
※以下の記録は、K.Nが情報公開請求を通じて入手した保健所の調査資料および関連記録をもとに再構成されたものである。
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「月隠」は、記録の中にだけ存在している。
それは、まるで夢の中に存在する、幻想的で神秘的な店のようだった。
だが、夢にしては、あまりにも多くの人が同じ場所を語っている。
私は、現実の制度――公的機関の記録に頼ることを決意した。
2024年10月7日、千代田区保健所に一本の通報が寄せられた。
内容は、「紹介制の飲食店『月隠』に関する衛生状態の確認を求める」というものだった。
通報者の氏名は記録されていないが、通報内容は以下のように記録されている。
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【通報記録:千代田区保健所 通報受付票】
通報日時:2024年10月7日 10:14
通報手段:電話(非通知)
通報内容:
「千代田区○○町3丁目の路地裏に、“月隠”という紹介制の店がある。
店内に異臭があり、調理場が不衛生に見えた。
店主の様子もおかしかった。
白い暖簾に“月隠”と書かれている。
一度調査してほしい。」
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この通報を受け、保健所は翌10月8日に現地調査を実施した。
調査担当となったのは、生活衛生課の田島誠一(仮名)職員を含む2名の職員である。
以下は、調査後に作成された報告書の抜粋である。
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【千代田区保健所 調査報告書(抜粋)】
調査日:2024年10月8日
調査対象:飲食店「月隠」
所在地:千代田区○○町3丁目 路地裏(通報情報に基づく)
【調査内容】
・現地確認の結果、該当する店舗は確認できず。
・通報にあった「暖簾に“月隠”と書かれている店舗」は存在しない。
・周辺住民への聞き取り調査を実施したが、「そのような店は見たことがない」との回答多数。
・一部住民より「以前、白い暖簾のようなものを見た気がする」との証言あり。
【補足事項】
・調査担当職員の田島誠一が、調査終了後に体調不良を訴え、早退。
・翌日以降、田島職員と連絡が取れず、現在も所在不明。
・警察により捜索中。
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この報告書は、情報公開請求により入手したものである。
公的文書としての体裁を備えており、改ざんの形跡は見られなかった。
だが、そこに記された内容は、あまりにも異常だった。
「存在しない店舗」
「誰も知らない店」
「調査員の失踪」
私は、田島職員の行動記録を追うことにした。
保健所の出勤簿とGPSログが、彼の足取りを示していた。
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【出勤簿:千代田区保健所(2024年10月8日)】
氏名出勤時刻外出時刻行先備考
田島誠一08:4510:30○○町3丁目 現地調査11:50 早退(体調不良)と記録
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【GPSログ:田島職員スマートフォン(抜粋)】
時刻緯度経度備考
10:4235.6939139.7528○○町3丁目 路地裏(“月隠”とされる地点)
10:47位置情報取得不能-圏外または端末オフライン
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このログは、佐伯美咲のスマートフォンが最後に記録された地点と一致していた。
そして、田島職員の端末もまた、同じ場所で記録を途絶えさせていた。
報告書には、田島職員が現地で「焦げたような匂いがした」と発言していたことも記されていた。
また、同行したもう一人の職員は「風の音が妙に響いていた」「誰かに見られているような気がした」と証言している。
私は、田島職員の家族に連絡を試みたが、連絡先は非公開であり、保健所側も「調査中のため回答できない」との返答だった。
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ここまでの記録を通じて、「月隠」は物理的な“場所”としての存在を否定されながらも、確かに人を引き寄せ、そして消している。
それは、記録の中にだけ残る“空白”として、確かに存在している。
私は、最後の手段として、自ら予約を試みることにした。
紹介制である以上、通常の方法では不可能だと思われたが、ある日、私のもとに一通のメールが届いた。
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【メール:差出人不明】
件名:ご紹介
K.N様
あなたの記録を拝見しました。
ご興味がおありのようですね。
よろしければ、こちらの紹介コードをご利用ください。
【紹介コード】:TSK-0930
ご予約は、10月12日 19:00にて承っております。
お待ちしております。
月隠
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私は、予約を受け入れることにした。
記録を追うだけでは、辿り着けないものがある。
そして、私自身の記憶も、どこかで“欠けている”気がしてならなかった。
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第6章:最後の記録
※以下の記録は、K.Nが2024年10月12日に「月隠」を再訪した際の音声記録およびその後の記録をもとに再構成されたものである。
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【音声記録:2024年10月12日 18:57〜】
(足音。砂利を踏む音。風の音。暖簾が揺れる音。)
K.N(小声):「……ここだ。」
(暖簾をくぐる音。引き戸が開く音。)
???:「いらっしゃいませ。」
(沈黙。足音。畳を踏む音。椅子を引く音。)
K.N:「……予約していたK.Nです。」
???:「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ。」
(椅子に座る音。湯の注がれる音。湯呑の置かれる音。)
K.N(独白):「懐かしい匂いがする。白味噌と……柚子。母の味噌汁の匂いに、よく似ている。」
(箸の音。器の蓋を開ける音。)
K.N:「……これは。」
(沈黙。遠くで風鈴の音。微かな心音のような低いノイズ。)
K.N(囁き):「知ってる……この味……」
(長い沈黙。呼吸音がゆっくりと、浅くなる。)
???:「また来てくれますか。」
K.N(小さく):「……はい。」
(録音終了)
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この音声ファイルは、私のスマートフォンに自動保存されていたものである。
録音アプリを起動した記憶はない。
だが、再生するたびに、あの夜の空気が、匂いが、舌の上に蘇る。
私は、あの店で何を食べたのか、正確には思い出せない。
けれど、確かに“知っている味”だった。
母の味噌汁のようでいて、少し違う。
もっと深く、もっと遠く、もっと古い何か。
あの夜、私は誰かと一緒にいた気がする。
カウンターの右端に、誰かが座っていた。
私は、その人と話をした。
けれど、何を話したのか、思い出せない。
ただ、最後に「いただきます」と言ったことだけは、はっきりと覚えている。
それは、私の声だったのか、それとも――
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エピローグ:レビューの復活
※以下の記録は、2024年10月13日付で「食記録帖」に再掲載されたレビュー記事の全文である。
投稿者名義はK.N。アイコンおよび文体は過去の投稿と一致しているが、本人による投稿かどうかは不明である。
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【記事タイトル】
「再訪:月隠」
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「味には、記憶がある」。
その言葉の意味が、ようやくわかった気がします。
昨夜、再び「月隠」を訪れました。
紹介制のため、場所は明かせません。
けれど、あの店は確かに存在しています。
静かな路地の奥、白い暖簾が風に揺れていました。
料理は、どれも懐かしい味でした。
初めて食べるのに、なぜか懐かしい。
まるで、忘れていた記憶が、舌の上でほどけていくような感覚。
特に、最後の一皿は、言葉にできないほどの温かさがありました。
店主の所作は変わらず美しく、
あの席にも、ちゃんと料理が運ばれていました。
また行きたい。
次は、誰を連れて行こうか迷っています。
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【訪問日】2024年10月12日
【予算】¥12,000(コースのみ)
【ジャンル】和食・創作料理
【店名】月隠(つきがくれ)
【場所】非公開(紹介制)
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このレビューは、投稿から数時間後に忽然と削除された。その瞬間、まるで私の存在が消え去るかのような恐怖が胸を締め付けた。
だが、削除前に取得されたスクリーンショットが、匿名掲示板に投稿されていた。
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【掲示板ログ:グルメ裏情報板(2024年10月13日)】
No.18577 名前:名無しの食通
K.Nのレビュー、また上がってたぞ。
→ No.18578
さっき見たけど、もう消えてる。
→ No.18579
スクショ撮った。
最後の一文、やっぱりあった。
→ No.18580
……このスレ読んでるやつの中に、「+1」の席、空いてるやつはいないよな?
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(終)
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