ーーーーー
夢をみた。
過去の『絶望』と『希望』が折り重なる夢である。
大袈裟に巻かれてた包帯を視界に入れて情けなくて、みじめで、自分が心底嫌になった。
家や学校からは離れた場所にある大きな病院、中庭のベンチ。誰も俺のことなんて気にしていないと、溢れる涙をそのままに「うえっ」と子供が泣くような情けない声を出した。
3年間、バスケ部に入りほとんど試合に出ることはなく、最後の試合で捻挫して引退。バカみたいだ。
泣き腫らした目が、また涙で覆われて、擦れて、もう目がなくなるんじゃないかと。もういいやそれはそれで、嫌な現実を見なくて済むから。
そんな時、耳に入ってきたのは誰かが地面に倒れる音だった。
「え」
顔をあげると、膝から下をギプスで固定されている男が地面に倒れている。近くには松葉杖が一本転がっていた。
立ち上がって駆け寄った。大袈裟に包帯は巻かれているものの、足なんてほとんど痛くなかった。
「大丈夫、ですか?」
地面に手をつき、その力で立ちあがろうとする男を手伝おうと腕に手を伸ばしたが、反射的に弾かれた。
その勢いで男がまた地面に手をつく。
「触んな」
そう言った男。その表情は少し伸びた髪でよく見えない。
「触んな」と拒絶された。見ず知らずの人だったのに、気にしなくてもいいのに、また泣けてくる。
頬を伝う雫は何度何度も通った道を覚えているかのように流れるため、もう放っておかれている。
地面に落ちていた男の松葉杖を拾った。
「これ」
差し出したそれを男は荒々しく受け取ってゆっくりと立ち上がる。
その顔が俺に向けられたと同時に俺は視線を地面に落とした。
「え、泣いてんの」
困惑したような声が聞こえてきた。
慌ててそのままにしていた涙を拭って笑う。
「君のせいで泣いてるとかじゃない、足、怪我して、それで、痛くて…」
痛いのは、子供みたいにどうしようもない現実を受け止めきれない惨めな自分である。
目の前の男は返事をしないまま、松葉杖をつきながら近くにあるベンチに座った。
その姿を目で追う。男は少し身を横にずらして1人分の隙間を横にあける。
「…座れば」
小さく頷いた。
「…足、そんなに重傷に見えないけど」
座って早々、男は俺にそう言った。そりゃそうだ、今俺の横にいる男はどう考えても俺より重傷である。
分厚いギプスを視界に入れた後、自分の巻かれた包帯を見る。ああ、情けない。
気づけば、知らない人に話し始めていた。
誰かに話を聞いてほしかったから。
明らかに、その男も『絶望』を感じていたはずだった。
「それで部活、頑張ってきたんだけど、全然上達しないし、なぜか部員には嫌われるし、試合には出られない、それでもバスケが好きだったから、頑張ったんだ。何か得られるものがあるんだって信じて」
話しているうちにまた泣けてきて鼻を啜り上げながら、手の甲で涙を拭う。しゃくりあげながら「でも、何もなかった、結局最後の試合で怪我。試合はボロ負け」と。
「俺の必死に頑張ってきた3年間ってなんだったんだろうって思うんだ」
言葉にしてしまえば、存外あっさりしていた。そんなものだったのか、俺の3年間、と。
静かに聞いていた男が小さく息を吐いた。
「バスケ、もう続けないの」
「……うん、バスケ部がないところに進学する。あえてそうしようとかじゃなくて、行きたい高校がバスケ部がなかったって、それだけ」
言い訳がましく言葉を並べた。逃げたんじゃない、と言い張りたかったのかもしれない。見ず知らずの人にそんなことを言っても鼻で笑われるだけだと思った。
しかし、男は「へえ」と静かに返事をするだけ。
「俺も、バスケ部がないところに進学する」
「え?」
隣をみれば、男は自分の足を眺めて小さく笑った。
この人もバスケ部だったのかな。
「大事な試合の前に怪我して、無理して続けてたらこのザマ」
「それって…」
「選手生命絶たれたってやつ」
俺なんかが『絶望』を感じている場合ではなかった。
走りたくても、走れない、やりたいことができなくなる恐怖。その気持ちを押し殺すように男は震えている手を押さえるように両手を握りしめた。
「俺にはバスケしかなかったから、これからどうしたらいいか全く分からない、真っ暗闇にいきなり放り出された感じ」
「……っ」
「引くくらい泣くのやめろよ」
男は小さく笑った。涙で視界がずっと歪んでいる。
男は服の袖で俺の目元を軽く拭った。
「なんか、そこまで泣いてるやついるといいわ、逆にこっちが冷静になれて」
「ひっ、く、それ、褒めてない」
「絶望は絶望で、上書きするってありだな」
「絶望を、絶望で…」
「慰め合いってこと」
そう言った男の横顔は風に揺れる黒い髪でよく見えなかったけれど、少しの光を感じているようにもみえた。
「俺は、君なんかより、全然…」
絶望の度合いが違う気がする。
「そんなのに大きい小さいがあってたまるか」
「バーカ」と緩やかな文句が耳に入る。少しずつ涙が引っ込んできた。
それから他愛もない話をした。
この男に会うのなんて最初で最後だろうと思った。相手もきっとそう思ったに違いない。
なんだか、寂しいなと思った。
「ねえ、ギプスにメッセージ書いてもいい?」
「は?」
「よくやるだろ、ドラマで見たことある」
「はあ?」と理解できないというような声を出した男に俺はニヒルと笑って「ペン借りてくる!」とベンチを立った。
嫌になってもうどこかに行ってしまうかもと思ったけれど、ペンを片手に戻ってきてみればちゃんと男はそこにいてくれた。
「…変なこと書くなよ」
「分かってるよ」
書きやすいように男の前でしゃがんだ。
見上げると、男と一瞬目があってふいっと顔を逸らされる。
絶望に、真っ暗闇に放り込まれた彼が、少しでも元気を出してくれるようにと願った。
そして、ペンをゆっくりと動かす。
ーーーー『早く治れパワー!』
いつか彼が楽しんで、バスケができますように。
「だっさ」
綴られた文字をみてそう言って笑った男は、ゆっくりと立ち上がった。その寡黙そうないでたちの足元に自分のダサい文字の羅列がどうにも似合わなくて、面白くて、クスクス笑う。男は「お前が書いたんだろ」と軽く俺の頭をはたいた。
そして、
「じゃあな」
と歩いていく。しばらくその背中を見えなくなるまで見送って隣に視線を向ける。
「あ」
ベンチの上にポツンと置かれていたのは、小さなバスケットボールがついているストラップだった。
慌ててそれを引っ掴み、男を探し歩いたがなかなか見つからなかった。
「いたいた!楓!どこほっつき歩いてるの!帰るわよ!」
俺を探しまわっていた両親により、ストラップの持ち主探しは早々に打ち切られる。
握りしめたストラップに瞳を落とした。
また、会えるかな。
せめて名前、聞いておけばよかった。
自分がもっておけば、きっといつか見つけてくれるかな。
絶望の刹那で芽生えた感情はひどく断片的で。そうだったのは、自分の中の嫌な記憶が一緒に思い出されないようにしていた防衛本能みたいなものだと思った。
それが彼を思い出さなかった理由。
「だっさ」
と笑った男の顔が夢の中で鮮明にうつりはじめる。
ーーー「…早く治れパワー」
才野くん。


