「鈍感だろ、影井」
影井が手を洗いに席を立った。
店員に持ってきてもらったおしぼりで机を拭いていると、正面に座っている柴田という男がそう言った。
影井のことを1番知っているというような表情が正直気に食わなかったので無視をする。
「影井が中学の時の話、してやろうか」
「…」
顔をあげる。すると柴田は「ふふん」と笑った。
「影井から直接聞く」
「無理だね、あいつ自身もあの時の状況がよく分かってない。何せ鈍感だから」
そう言って柴田は俺の手からおしぼりを抜き取ると丁寧に畳んで端に置いた。
影井は、中学の時バスケ部で、ほとんど試合には出ずせっかくでた最後の試合で怪我をして、そのまま引退した。そのことは分かっている。
高校生になってからじゃない、もっと前から、知っていた。
「影井さ、中学1年の頃ミニバスあがりってのもあってそこそこ強かったんだよ。あの性格だろ?周りにも結構好かれてて。でもそれが悪く働くこともあった」
パフェの生クリームを頬張って「うめえ」と笑った柴田。隙間の糖分で当時の嫌な過去を払拭しているようにも思えた。なぜ、そこまでして自分に話してくれるのだろうか。
「2年の先輩、女のマネージャーが影井のこと好きになったんだけど、影井はあんな感じだろ?
普通に振られて、そんで腹いせに先輩たちに影井の悪い噂を流したり、いじめるように仕向けていったわけ」
「…ひどいな」
「だろ?俺がいる時は止めてたんだけど、やり方も陰湿でさ、影井は1人で耐え抜いたんだけど学校、ましてや部活なんて小さい世界だし、結局影井の悪い噂とかはなかなか消えなくて、試合も出してもらえないみたいな」
「最後の試合の怪我は」
悪い予感がした。柴田はパフェのスプーンをゆっくりと置く。思い出して湧き上がる怒りを抑えるように言葉を紡いだ。
「地区予選の決勝で、ボロ負け確定。そんで最後だから3年生だそうってなって影井も出たんだけど、あいつちゃんと上手かったから」
「…まさか」
「今まで出してなかったことを責められないように、クソみたいな同級生が、部長が、影井に怪我をさせた」
ーーーー『俺の必死に頑張ってきた3年間ってなんだったんだろうって思うんだ』
あの時、泣いていた影井を思い出す。どうしてこうなったか理解できないような悲痛な声だった。
絶望が、絶望で覆われた時人間はひどく安心する。
ああ、つらいのは自分だけじゃないんだ、と。
「あいつ、本当は強くて、何からも逃げない、良いやつなんだよ。だから才野」
柴田の拳が自分の前にきた。
「ガンガンいけ」
「結論雑だな」
心の中に蔓延る誰にぶつけたら良いか分からない黒いモヤモヤ。
でも、影井にもいろんな逃げ出したい過去があって、自分のことを思い出してしまったら、影井は一緒に嫌なことと向き合わないといけないのだろうか。
『好き』を確かめ合うだけでは、俺たちは前に進めないのかな。
「っん」
頑なに硬直していた唇が、やっと慣れたように緩まった。吐息の隙間で甘い声が耳に届く。
拍車をかけるように深く求めると、影井からの限界の合図。
ゆっくりと唇を離せば、影井が潤んだ瞳で俺を見上げていた。
「ここ、外…もうだめ」
力が抜けたように自分の肩に影井の額があたる。かわいい。
確かめ合うなどと理由をつけて、これでもかというほど気持ちをぶつけた。
何がどうなれば、この関係に終止符がうたれるのか。
絶対終わらせてたまるかと思った。
影井が「もう帰る」と地面に落ちた鞄を拾い上げると、ついていたストラップが揺れた。
気持ちの確かめ合い。
俺たちの、隠しごとの確かめ合い。
俺たちは、何から始めたら正解なのだろう。
「行こう、才野くん」
置いていかれないように俺は影井を追いかけた。
隣に並んでいる横顔がひどく愛おしくて、その頬に軽く手の甲を添えた。
「っ、なんだよ」
「顔、まだ赤い」
「だ、誰のせいだと」
添えた手を振り払って顔を背けたまま歩く影井。
顔を冷ますように手で仰いで自分の顔に風を送っていた。かわいい。
「才野くんはさ」
「なに」
「…えっと、中学時代、バスケ部だったんだよね」
「ああ」
「さっき怪我で辞めたって言ってたじゃん」
すぐに返事をしなかったのは、影井が自身のストラップを握りしめたから。
これで認めてしまったら、このストラップは俺の元に返されて、それで、終わってしまうのではないかと思った。
「これ、才野く」
「影井」
遮るように名を呼んで、影井の手を掴む。
「電車、あと3分だ」
「え?」
「急ごう」
走り出した。影井は「分かった」と繋がれた手を離そうとせずそのまま走り出す。
影井に散々『嘘つき』と言ってきた。
確かめ合おうなんて都合のいいことを言って、真実を知るのはこわい。
いつまでも自分の気持ちに矛盾が蔓延って、ストラップを返されるのが嫌で、でも、気づいてほしい。
本当の嘘つきで、バカは紛れもなく自分だ。


