才野くんは周りの声が自分に向けられていることなんて絶対に分かっているはずなのに真っ直ぐと俺の方に歩いてくる。立たないと、早く、早く。
そう思うのに、足は熱を帯びてじんじんと痛むのに加え、先ほどの一瞬の光景が頭から離れない。
正常に働かない脳を冷めさせる前に、先ほどの熱量が一瞬で元に戻っている才野くんが俺の前に立った。
「…さ、才野くっ、うわ!」
腕を引き上げられてそのまま体ごと宙に浮く。
気づけば視界が反転して才野くんの背中でいっぱいになる。
米俵のように担がれ、才野くんは歩きはじめた。
「ちょ、才野くん!自分で歩ける!」
無視だ。体育館で響く歓声が段々と遠くなっていくのを感じる。抵抗をしても意味をなさないことを理解したため、恥ずかしさを紛らわすためにぎゅっと目を瞑った。誰か夢だと言ってください。
しばらくして、才野くんが戸を開けた。独特の匂いが鼻をかすめて、そこが保健室だと気づく。
「先生いないし」
不機嫌そうにそう言って中に入った才野くんがやっと俺を椅子に降ろした。
「なんだよ、拗ねてんの」
その理由なんてあの場にいた人物なら知ってるはずだ。椅子に座ったまま、睨みつけるように才野くんを見つめる。
「あの状況で普通、俺に構わないよ」
「どういう意味」
「体育館にいる人全員が君に注目して、ダンクをかました君が次に何をするのかって、もっとこう、他にあるだろ…」
「その割に、あんまり抵抗しなかった」
「途中恥ずかしいから死んだふりしてた」
「ははっ」
笑った。と、文句を垂れようとしていた言葉が詰まる。恥ずかしさと怒りのボルテージが容易くポンポンと落ちていくのを感じた。どこまでバカで簡単なやつだ俺は。
才野くんが俺の前にしゃがんで右足を掴んだ。
「シューズ、脱がすぞ」
「い、いい、自分で」
足を引っ込めようとしたが、持ち上げられた右足を強く掴まれて抵抗の力が弱まる。
才野くんは慣れたようにシューズを脱がせたあと、靴下に手をかけた。
触れた指先が少し冷たい。
「才野くん、本当に、自分でやるから」
「軽い捻挫っぽいな」
「っ」
目の前にいるのに声が届いていない。ずらした靴下をそのままに素肌に才野くんの手が直で触れる。確認するように少し俺の足を動かした。
諦めた。そしてやっぱり、
「痛い?」
「少し」
「湿布貼って固定する」
「自分でやるって」
「影井はできない」
「できるわ、中学校の時だって…」
そういえば、こんなことあったな、と。あの時も自分ではできなかった。しようもない、取るに足らない、人に話しても次の日には忘れていきそうな、そんな思い出。
「中学の時、何」
「最後の試合で、最後だったから、試合に出せてもらえたんだけど、今日みたいに怪我して」
「バカだろ」とへらりと笑う。才野くんはすぐ側の棚にある湿布を取り出しながら静かに聞いていた。
「で、泣きながら家帰ったら親が泣くくらい痛いのかって心配して、そこそこデカい病院に連れて行かれるっていう、恥ずかしい思い出だよ。
たかが軽い捻挫なのに大袈裟に包帯巻かれてさ恥ずかしいやら悔しいやらで」
「…へえ」
「俺は、ただ単にあの時、自分の無様さに泣けてきてただけだったんだ、こんな捻挫、たいして痛くもなかった」
ぺらりと湿布の粘着部分を覆う透明のシートが剥がれていく。独特の匂いが鼻を掠めた。
いや、こんな話よりももっと大事なことがある。俺なんかより。
「というか、才野くん、やっぱり経験者じゃないか」
「……」
「あんな目の前でダンクなんて初めて見た!すごかった、それにドリブルも早くて、技も華麗でさ、なんで黙ってたんだよ」
才野くんは俺と目を合わせないまま、ふっと小さく笑った。足に冷たさが走って、痛みなのか、予測してないほどの冷たい感覚だったからか、体が強張った。
「つ、めて…」
「我慢」
きゅっと唇を結ぶ。数秒で慣れた冷たさの上から才野くんが薄い包帯を巻いていく。
才野くん、まだ、質問に答えてもらっていないんだが。これも「我慢」なのだろうか。
「…もしかして、あんまりバスケのこと、触れられたくない?」
才野くんの手が止まった。そしてその瞳がやっと俺の方に向く。
「俺も影井と同じようなもん、嫌とかじゃない、成り行きで辞めたってだけ」
「実力的に、成り行きってのはあんまり説得力ないけど」
「影井より少しだけ、いや、遥かに上手かったってだけ、それ以外は一緒」
「うわあ、なんかムカつく」
じとっと才野くんをみれば、才野くんはまた笑って綺麗に包帯を巻いた。
才野くんはゆっくりと俺の靴下をまたあげて、まるでガラス細工を置くみたいに右足を靴の上に重ねた。
そして、
「…早く治れパワー」
才野くんが俺の包帯が巻かれている右足の前で片手をかざしてそう言った。キャラじゃないその言動に吹き出すように笑う。
「才野くんも冗談とか言うんだな」
「……」
あ、不機嫌。なんなんだよ、この人。
才野くんが立ち上がって俺に手を差し出した。
「立てる?」
「うん、たぶん」
才野くんの手には甘えず、椅子に両手を預けて勢いで立ち上がった。
体重の掛け方も足がどのくらい痛みがくるのかも把握していない状態だった。やっぱり自分はどうしようもないバカだ。
左足と右足に同じくらいの自分の体重が乗った瞬間、鋭くはしった痛みによって身が前に落ちていく。
「わっ、ぶっ…」
顔面が才野くんの胸あたりにぶつかった。
地面に転がりたくはないと反射的に、才野くんの背中に腕をまわしてしまった。
「…影井」
鼻が少し痛む中、すぐ側で才野くんの声が聞こえた。罪悪感で苛まれるがバランス感覚が上手く保てないので才野くんの背中の服をきゅっと掴んで身を起こす。
顔をあげれば、才野くんが静かに見下ろしていた。
手を引っ張られて受け止められた、あの日のことを思い出す。また、近い。
「ご、ごめん、あの、不可抗力といいますか、すぐ離れます」
「別にいいけど」
「え…」
腰にまわった腕、そして距離を縮めるように体ごと寄せられる。
才野くんの肩のあたりに顔が埋まってしまい、息も上手くできない、それが、物理的なものなのか、帯びた熱のせいか。何なのだ、この状況は。
そして、今、また、あの心理テストのことを思い出してしまう。やめろやめろ、バカ、早く忘れるんだ自分。


