星座が示す、144通りの恋

第84話 リップクリームが転がした笑い
(天秤座君♂x魚座ちゃん♀)

 五月の雨上がりの朝、家の洗面所は静かで、空気が少しひんやりしていた。星海は指先をそっと押さえ、息を短く吐いた。
 陽介は椅子を引いて隣に座り、「それなら両方できる」と言いかけて、声の大きさを半分にする。
 机の上にはリップクリーム。先生の説明より先に、陽介は星海の表情を見て、無理をさせたくないと思った。
 作業の途中、陽介のスマホが鳴った。画面の通知を見た星海は、一瞬だけ黙る。昨日の返事が来ていないままだったことを思い出したのだ。
 陽介は慌てて説明しようとして、言葉が絡まる。そこでリップクリームを持ち上げ、「今はこれを一緒にやりたい」と言い直した。逃げずに言い切ったのが、自分でも意外だった。
 星海は深呼吸して、小さなものを大事に扱う。二人で手を動かし、リップクリームが役目を終えるころには、空気の角が丸くなっていた。最後に陽介が「送れてなかった」と画面を見せると、星海は「じゃあ、今日の分は目の前で言う」と笑い、短く「好き」と言った。
 終わったあと、二人は自販機の前で立ち止まった。星海が「今日は助かった」と言うと、陽介は照れたように頬をかき、「次はもっと上手くやれる」と返した。缶の温度が手のひらに移って、言葉も少し柔らかくなる。
 片づけの最中、リップクリームが机から転がりそうになり、陽介が反射で押さえた。その手の速さに星海が笑い、「そういうとこ、好き」とさらりと言う。陽介は耳まで赤くしながら「今のは反則」と小声で返した。
 帰り道、陽介は「次は星海のやりたいことを先に聞く」と言った。星海は少し考えてから、リップクリームを軽く振って合図する。「じゃあ、また一緒に使おう」。その一言で、二人の言いかけた言葉が、ちゃんと形になった。
【終】