星座が示す、144通りの恋

第64話 雑巾から始まる相談
(乙女座君♂x蟹座ちゃん♀)

 土曜の昼下がり、部室で、日差しがまぶしかった。清掃当番の札が揺れ、誰かの足音が遠くへ消えた。
 『恋人』と口にするのに慣れない頃、章吾は説明しながら手順を示す。穂乃香はそれを追いかけながら、ほうきの柄を握り直す。
 今日の担当は玄関のにおいを消す。手元には雑巾があり、使い方を間違えるとベタついたり匂いが残ったりする。
 作業の途中、章吾のスマホが鳴った。画面の通知を見た穂乃香は、一瞬だけ黙る。昨日の返事が来ていないままだったことを思い出したのだ。
 章吾は慌てて説明しようとして、言葉が絡まる。そこで雑巾を持ち上げ、「今はこれを一緒にやりたい」と言い直した。逃げずに言い切ったのが、自分でも意外だった。
 穂乃香は深呼吸して、忘れ物をそっと差し出す。二人で手を動かし、雑巾が役目を終えるころには、空気の角が丸くなっていた。最後に章吾が「送れてなかった」と画面を見せると、穂乃香は「じゃあ、今日の分は目の前で言う」と笑い、短く「好き」と言った。
 帰り道の途中、章吾は急に立ち止まり、ポケットから小さな紙を出した。そこには『今日のよかったところ』が三つ書いてある。穂乃香は吹き出し、「宿題みたい」と笑う。章吾は「忘れたくないだけ」と言い、紙を二人の間に挟んだ。
 穂乃香は歩きながら、ふと雑巾を見つめた。「これって、ただの道具なのにさ」と言いかけて止まる。章吾が「うん」と待つと、穂乃香は小さく笑い、「一緒に使うと、思い出になるね」と続けた。
 帰り道、章吾は「次は穂乃香のやりたいことを先に聞く」と言った。穂乃香は少し考えてから、雑巾を軽く振って合図する。「じゃあ、また一緒に使おう」。その一言で、二人の帰り道が、いつもより明るく見えた。
【終】