星座が示す、144通りの恋

第141話 鍋を渡す瞬間
(魚座君♂x射手座ちゃん♀)

 新学期の一週間目、商店街の惣菜コーナー前で、薄い雲が流れていた。海里はエプロンのひもを結び直し、光は袖をまくった。
 二人だけの合図ができたばかりの頃、二人は「まずは一回、成功させよう」と小さく笑い合う。今日やるのは夕飯の手伝いをする。
 鍵になるのが鍋で、手順がずれると味も形も崩れる。海里は「できるかな」と首をかしげた。
 途中で海里が鞄をごそごそ探して、困ったように肩をすくめた。「あ、持ってくるの忘れた」——その一言で、光は立ち止まる。
 実は光は昨日、同じ鍋をもう一つ用意していた。理由は、海里が前に「これがあると助かるんだ」と言ったのを覚えていたから。光は「気持ち、わかる」と言いながら、そっと手渡した。
 海里は受け取り、しばらく黙ったあと、「外の空気、吸おう」と笑った。声は小さいのに、胸の中がじんわり温かくなる。光は「じゃ、今使おう」と前を向き、海里はその背中に小さく「うん」と重ねた。
 最後の確認をしていると、海里が「ありがとう」とはっきり言った。光は返事の代わりにうなずき、少しだけ指先で海里の袖をつまむ。誰にも見えない小さな合図が、二人には十分だった。
 終わったあと、二人は自販機の前で立ち止まった。海里が「今日は助かった」と言うと、光は照れたように頬をかき、「次はもっと上手くやれる」と返した。缶の温度が手のひらに移って、言葉も少し柔らかくなる。
 帰り道、光は「次は海里のやりたいことを先に聞く」と言った。海里は少し考えてから、鍋を軽く振って合図する。「じゃあ、また一緒に使おう」。その一言で、二人の小さな合図が、ちゃんと届いた。 海里は笑ってうなずき、光の袖を軽く引いた。
【終】