星座が示す、144通りの恋

第138話 菜箸を渡す瞬間
(魚座君♂x乙女座ちゃん♀)

 夏休みの初日、家庭科室で、日差しがまぶしかった。千鶴はエプロンのひもを結び直し、遥人は袖をまくった。
 一緒に帰る日が増えた頃、二人は「まずは一回、成功させよう」と小さく笑い合う。今日やるのはお弁当の準備をする。
 鍵になるのが菜箸で、手順がずれると味も形も崩れる。千鶴は「できるかな」と首をかしげた。
 途中で千鶴が鞄をごそごそ探して、困ったように肩をすくめた。「あ、持ってくるの忘れた」——その一言で、遥人は立ち止まる。
 実は遥人は昨日、同じ菜箸をもう一つ用意していた。理由は、千鶴が前に「これがあると助かるんだ」と言ったのを覚えていたから。遥人は「気持ち、わかる」と言いながら、そっと手渡した。
 千鶴は受け取り、しばらく黙ったあと、「チェックしていい?」と笑った。声は小さいのに、胸の中がじんわり温かくなる。遥人は「じゃ、今使おう」と前を向き、千鶴はその背中に小さく「うん」と重ねた。
 最後の確認をしていると、千鶴が「ありがとう」とはっきり言った。遥人は返事の代わりにうなずき、少しだけ指先で千鶴の袖をつまむ。誰にも見えない小さな合図が、二人には十分だった。
 終わったあと、二人は自販機の前で立ち止まった。千鶴が「今日は助かった」と言うと、遥人は照れたように頬をかき、「次はもっと上手くやれる」と返した。缶の温度が手のひらに移って、言葉も少し柔らかくなる。
 帰り道、遥人は「次は千鶴のやりたいことを先に聞く」と言った。千鶴は少し考えてから、菜箸を軽く振って合図する。「じゃあ、また一緒に使おう」。その一言で、二人の笑い声が、しばらく耳に残った。 千鶴は笑ってうなずき、遥人の袖を軽く引いた。
【終】