湯気の向こうで、祖母は今日も手を動かす

干す、という作業は、
思っていたよりも、やることが少なかった。

包丁で皮を剥く。
紐を結ぶ。
軒下に吊るす。

それだけ。

火も使わない。
鍋も出さない。
味付けもしない。

「……これで終わり?」

思わず聞くと、
おばあちゃんは、うなずいた。

「終わり」

あまりにも簡単で、
逆に、不安になる。

「ほんまに甘くなるん?」

「なる」

即答だった。

おばあちゃんは、
干した柿を見上げながら言う。

「風の通り道に、置いたからな」

軒下は、日当たりはそこそこだが、
よく風が抜ける。

強くもなく、
弱すぎもしない。

洗濯物を干すと、
いつのまにか乾いている場所。

「日ぃ当てたほうが、ええんちゃう?」

そう言うと、
おばあちゃんは、首を振った。

「日より、風や」

「日ぃは、焦がす」

「風は、抜く」

私は、
吊るされた柿を、じっと見る。

まだ、
つるんとして、
丸くて、
固い。

これが、本当に甘くなるのか。

「触ったら、あかんで」

そう言われて、
手を引っ込める。

触りたい。
動かしたい。
向きを揃えたい。

でも、
やることが、ない。

それが、
落ち着かなかった。

次の日も、
その次の日も、
柿は、そこにある。

毎朝、
軒下を通るたび、
目で確認する。

少し、
表面が、
しぼんだ気がする。

色が、
濃くなった気もする。

でも、
大きな変化はない。

「揉まへんの?」

三日目、
我慢できずに聞いた。

「まだ」

おばあちゃんは、
短く答える。

「早いと、
 中、傷む」

理由は、
それだけ。

私は、
干し柿を作るという行為が、
こんなにも「待つ」ものだとは、
思っていなかった。

料理は、
手を動かすものだと思っていた。

でも、
干す、という工程は違う。

やったあと、
何もしない。

それが、
仕事。

夕方、
風が強く吹いた日。

柿が、
ゆらゆらと揺れる。

ぶつかりそうで、
思わず、手を伸ばしかける。

「そのまま」

おばあちゃんの声で、
手を止める。

「当たらん」

「ちゃんと、
 自分で、
 避ける」

柿が、
風に揺れながら、
少しずつ、
間隔を作っていく。

私は、
その様子を見て、
なぜか、胸が詰まった。

助けようとして、
余計なことをして、
相手の動きを奪ったこと。

心配して、
声をかけすぎて、
風を止めたこと。

思い当たることが、
いくつも、浮かぶ。

「世話するいうのはな」

おばあちゃんが言う。

「手ぇ出すことやない」

「場所、整えることや」

風が通る場所。
雨が当たらない場所。
人が、頻繁に触らない場所。

それだけ。

数日後。

柿の表面が、
明らかに変わっていた。

張りがなくなり、
少し、
しわが寄っている。

触りたい衝動が、
強くなる。

「まだや」

また、
止められる。

「触ったら、
 人の手の匂い、
 つく」

「甘さ、
 邪魔する」

私は、
自分の手を見た。

この手で、
いろんなことをしてきた。

助けて、
直して、
整えて。

でも、
全部が、
良い結果になったわけじゃない。

「何もしないの、
 怖いな」

ぽつりと、
言うと、

おばあちゃんは、
少し笑った。

「せやな」

「せやけどな」

「信じるいうのは、
 怖いもんや」

一週間ほど経ったころ、
干し柿から、
ほんのり、
甘い匂いがした。

近づかないと、
分からない程度。

でも、
確かに、
変わっている。

私は、
その匂いを、
深く吸い込んだ。

何もしていない時間が、
こんなふうに、
形になるなんて。

「もうすぐや」

おばあちゃんが言う。

でも、
その「すぐ」は、
まだ先だ。

焦らない。

干すという工程は、
結果を急がない練習だった。

ある朝、
軒下で、
白い粉が、
うっすら見えた。

「砂糖?」

思わず聞くと、

「柿の糖や」

「ちゃんと、
 出てきよった」

おばあちゃんは、
満足そうに言う。

私は、
その白い粉を見て、
胸がいっぱいになった。

人が、
無理に甘くしたんじゃない。

時間と、
風と、
柿自身が、
そうなった。

「これな」

おばあちゃんが、
柿を一つ、
そっと外す。

「もう、ええ」

手に取ると、
柔らかい。

でも、
崩れない。

一口、
かじる。

甘い。
驚くほど、
甘い。

「……何も、
 してないのに」

思わず言うと、

「したやろ」

おばあちゃんが、
言った。

「風、通した」

私は、
その言葉を、
胸の中で、
何度も繰り返した。

手放すことは、
無責任じゃない。

信じて、
環境を整えて、
待つこと。

干す、という行為は、
それを、
静かに教えてくれた。

軒下には、
まだ、
いくつもの柿が、
揺れている。

今日も、
風が、
通り抜けていく。

私は、
何もせず、
ただ、
それを見送った。