◆
「……ダメ!」
深淵の地に響いた、高くも懐かしい声。
俺の腕には人間がしがみついている。その人間は、可哀想なものを見る目を俺に向けている。それが妙に気に入らなかった。
ゆえに、俺は咄嗟に女を離すように手を払った。
――貴方、愛を知らないのね。
吹き飛んだ女を見ていると、やけに頭が痛む。
――人は貴方が思っているよりも弱くて、儚い生き物なの。だから、優しくしてくれたら嬉しいな。
そう言ったのは、誰だっただろうか。
思い出さなければならない気がするのに、苦しいばかりで思い出したくないとも思う。
「ダメだよ、詩稀……これ以上、貴方の大切な人を減らしちゃダメ」
咳き込みながら発せられた言葉は、さらに俺を苛立たせた。
おそらく、女は近くの木に背中を打ち付けている。それでも諦め悪く立ち上がろうとしていた。
「大切な人? 俺にはそんなものいない」
すると、女はまた泣き出しそうな顔をした。
なぜお前がそんな顔をする。お前は、俺のことをなにも知らないだろう。
「……いるよ。詩稀には、まだ大切な人が、大切にしてくれる人がいる」
女が断言すればするほど、落ち着かなかった。
「いないと言っているだろ! 俺が大切にしていたものは、お前らが全部奪った! 文乃の命も! 御守りも!」
感情のまま叫んだことで、俺は忘れていたはずの記憶を思い出した。
文乃と過ごした日々。文乃の柔らかい笑顔。そして、文乃の最期。
思い出したのはそれだけではない。
人間もあやかしも、俺から奪うばかり。だから、また奪われる前に全部奪ってやると決心した。
そして、すべて奪い去ることができたら、そのときは、文乃に逢いにいくのだと。
どうして、こんなにも愛おしくて哀しいことを忘れていたのだろう。
後悔とともに涙が込み上げてきたが、泣いたのは俺ではなく、目の前の女だった。
「たしかに私たち人間は、貴方から大切な人を奪った。でも、月寧はなにも奪ってないんだよ」
「……なに?」
女の言葉で月寧のほうを見ると、月寧は興味なさそうにしている。
だから、俺には女が嘘をついているとしか思えなかった。
「月寧は俺の目の前で御守りを壊した! それでどうして奪っていないと言える!」
苛立ちが募り、俺は女に右手のひらを向けた。
文乃が人間に優しくしてほしいと願っていたことは知っている。
だが、それでも、この女は排除しなければならないと思ってしまった。
すると、女は怯えた様子を一切見せず、一歩、また一歩と俺に近付いてきた。逆に俺のほうが戸惑ってしまうくらいだ。
とうとう俺の目の前に立った女は、両手で俺の手を包んだ。
懐かしい温もりに、俺は女に攻撃することができなかった。
――詩稀。
今、俺の名を呼んだのは、彼女なのだろうか。それとも、文乃なのか。
それがわからないほどに柔らかな声に、気付けば涙が頬を伝っていた。
「……ダメ!」
深淵の地に響いた、高くも懐かしい声。
俺の腕には人間がしがみついている。その人間は、可哀想なものを見る目を俺に向けている。それが妙に気に入らなかった。
ゆえに、俺は咄嗟に女を離すように手を払った。
――貴方、愛を知らないのね。
吹き飛んだ女を見ていると、やけに頭が痛む。
――人は貴方が思っているよりも弱くて、儚い生き物なの。だから、優しくしてくれたら嬉しいな。
そう言ったのは、誰だっただろうか。
思い出さなければならない気がするのに、苦しいばかりで思い出したくないとも思う。
「ダメだよ、詩稀……これ以上、貴方の大切な人を減らしちゃダメ」
咳き込みながら発せられた言葉は、さらに俺を苛立たせた。
おそらく、女は近くの木に背中を打ち付けている。それでも諦め悪く立ち上がろうとしていた。
「大切な人? 俺にはそんなものいない」
すると、女はまた泣き出しそうな顔をした。
なぜお前がそんな顔をする。お前は、俺のことをなにも知らないだろう。
「……いるよ。詩稀には、まだ大切な人が、大切にしてくれる人がいる」
女が断言すればするほど、落ち着かなかった。
「いないと言っているだろ! 俺が大切にしていたものは、お前らが全部奪った! 文乃の命も! 御守りも!」
感情のまま叫んだことで、俺は忘れていたはずの記憶を思い出した。
文乃と過ごした日々。文乃の柔らかい笑顔。そして、文乃の最期。
思い出したのはそれだけではない。
人間もあやかしも、俺から奪うばかり。だから、また奪われる前に全部奪ってやると決心した。
そして、すべて奪い去ることができたら、そのときは、文乃に逢いにいくのだと。
どうして、こんなにも愛おしくて哀しいことを忘れていたのだろう。
後悔とともに涙が込み上げてきたが、泣いたのは俺ではなく、目の前の女だった。
「たしかに私たち人間は、貴方から大切な人を奪った。でも、月寧はなにも奪ってないんだよ」
「……なに?」
女の言葉で月寧のほうを見ると、月寧は興味なさそうにしている。
だから、俺には女が嘘をついているとしか思えなかった。
「月寧は俺の目の前で御守りを壊した! それでどうして奪っていないと言える!」
苛立ちが募り、俺は女に右手のひらを向けた。
文乃が人間に優しくしてほしいと願っていたことは知っている。
だが、それでも、この女は排除しなければならないと思ってしまった。
すると、女は怯えた様子を一切見せず、一歩、また一歩と俺に近付いてきた。逆に俺のほうが戸惑ってしまうくらいだ。
とうとう俺の目の前に立った女は、両手で俺の手を包んだ。
懐かしい温もりに、俺は女に攻撃することができなかった。
――詩稀。
今、俺の名を呼んだのは、彼女なのだろうか。それとも、文乃なのか。
それがわからないほどに柔らかな声に、気付けば涙が頬を伝っていた。



