Colored by Your Voice ─きみの声で、色づいていく─


 高校生活最後の夏休みを迎え、俺たちはいつものファミレスで向かい合って座り、机いっぱいに宿題を広げていた。
 俺は現代文と古文、怜央は英語。役割を決めて、分からないところを補い合いながら進めていく。
 本来なら何日もかけて終わらせるはずの課題を、俺たちは一週間も経たないうちに片付けてしまった。

 さっさと終わらせて、遊びに行く。
 それが、いつの間にか当たり前の流れになっていた。

「なぁ、最後の夏休みだしさ。どっか遠出しねぇ?」

 急にそう言い出した怜央に、俺は顔を上げる。

「どっかって……例えば?」

「海とか見たい」

 相変わらず唐突だな、と思った。
 でも、その一言だけで、俺たちは課題をまとめてバッグにしまい、今度は遊びの計画を立て始めていた。

 最近、少しずつフォロワーが増え始めた怜央のアカウント。
「投稿用のネタにもなるじゃん」と言ってみたけれど、怜央は頬杖をついたまま、窓の外を眺めて、いつもの調子で答えた。

「いや、これは普通に。俺と悠楽の思い出づくり」

 友達とか、親友とか。
 そんな言葉を使うのは、正直、少しダサい気もする。
 高校生にもなって、って思う自分もいる。

 それでも――
 こうして二人で会って、宿題をして、くだらない話をして、遊びに行って。
 怜央につられたようにバカでかい声で笑って、日が暮れるまで一緒に居て。

 「楽しい」とか、「満たされる」とか。
 そういう感情を、俺は怜央から一方的にもらってばかりなのに。
 それでも、このままの俺でいいんだって、ここにいていいんだって、
 怜央は何も言わずに認めてくれている気がした。



 夏休みの最終週、俺たちは電車を二つ乗り継ぎ、日本三景のひとつにも数えられる海岸の駅に降り立った。
 駅を出ると、目の前に青く広がる湾が一望でき、点在する小さな島々と海が光を受けてきらきらと揺れている。港には島巡りができる遊覧船がいくつも停泊し、遠くには歴史的な寺や建造物の屋根が見える。潮風が頬を撫で、夏の匂いが鼻腔を満たす。

 怜央は目を輝かせながら、テンション高く俺の隣を歩く。手元のスマホで、目に映る景色を次々と収めていた。

「うわー、あそこの橋長くね? 渡れんのかな?」

「行ってみる? 景色よさそうじゃん」

 橋の向こうには小さな島があり、怜央は引き寄せられるように、足早に歩き出した。名物の焼き牡蠣やカレーパンの屋台を素通りして、彼の視線はひたすら島の先に向けられている。

 通行料を払って橋の上に立つと、その中央で立ち止まった怜央は俺を手招きして呼んだ。

「一緒に撮ろうぜ」

「え、いいよ。俺、写真苦手だし」

 そう言ってフレームアウトしようとすると、怜央は俺の肩をがしっと掴み、強引に画面の中に収めた。ぎこちないピースをして笑う俺を、からかいながらスマホを構える。

「ポーズ死ぬほどダサい。指ハートとか出来ねぇの?」

「何それ。指どーなってんの?」

 やり方を教えて貰い、意味はよく分からないまま顔の横に添える。
 撮り終えると、怜央は島の展望台まで行こうと看板を指差して言い出した。

「せっかくだし、上まで登りたい!」

 潮風に髪をなびかせ、無邪気に笑う怜央の姿を見て、俺も思わず笑みを浮かべた。
 二人で舗装された道をひたすら歩き、矢印の方向に従って進んでいく。木漏れ日が地面に揺れる間、木々の間から橋の向こうの大通りを歩く観光客や、寺を参拝する人々の姿がちらりと見える。風に運ばれてくる海の匂いや、かすかな潮騒が、夏の空気をさらに心地よくしていた。

 やがて、枝の隙間から小さな看板が現れた。「見晴らし展望台」と書かれている。俺たちは足を止め、無意識に顔を見合わせる。

「「見晴らし展望台……?」」

 ほぼ同時に口にして、思わず吹き出した。

 眼前に広がっていたのは、予想していたような開けた景色ではなく、ただただ木が鬱蒼と生い茂っているだけだった。展望台と呼ぶにはあまりにも簡素で、頼りなげな木製の東屋があるだけ。俺たちは腹を抱えて笑い転げた。

「マジか、四百円払ってこれは無いだろ!」

「待って待って、ツボった。俺らバカすぎん? 何しにきたの、やべーウケる」

 ひとしきり笑い終え、肩の力を抜いて「はぁー」と息を吐く。顔を見合わせただけで、また笑いが込み上げてきた。
 先を歩くカップルも、「マジ意味わかんない」「がっかりなんだけど」と口々に呟きながら歩いていて、俺たちは声を押し殺して笑いながら、島を後にした。

 昼は、橋のたもとの近くにあったプレハブ小屋の食堂で、二人並んで肉巻きおにぎりを頬張った。
 炎天下ほどではないけれど、それなりに汗をかいた体には、塩っけのあるものがどうしても必要だった。

「やべー、足りねぇかも」

「俺も。動いてる以上に食ってるからデブりそう」

 結局、追加でラーメンまで頼むことにして、湯気の立つ丼を平らげると、腹ごなしにベンチ代わりのカウンター席に寄りかかりながら、怜央のスマホの画面を覗き込んでいた。

「この間載せたやつ、いい感じでバズってて。フォロワーも一気に百人増えてさ。
 再生回数も、朝起きてみたら一万六千回とかなってた」

「それはすげぇわ、どんどん有名になってくじゃん」

「この調子で動画はアップしていこうかなーって思ってる。
 ……そんでさ、悠楽。俺……」

 怜央が話している途中、ドン!と大皿が俺たちの前に置かれた。頼んでいない、湯気の立つ熱々の野菜炒めだった。

 店主のおばあちゃんはにこりと笑い、「作り過ぎたから、良かったら食べて」と一言添えた。俺たちは顔を見合わせて「ラッキー」と片手でグータッチする。

「「あざーっす」」

 二人で声を揃えてお礼を言い、まだ熱い野菜炒めを口に運ぶ。シャキシャキとした食感と香ばしい香りが口いっぱいに広がり、さっきまでの食欲はこれでもかというほど、満たされた。

 ふと、俺が目の前の景色を眺めていると、怜央もそれに気づいたのか、同じように前を向き、ゆっくりと横切る船を見て言った。

「……なぁ、帰り、途中まであの船で帰って、そこから電車で帰るとかどう?」

「え、ガチで言ってる?」

「おん。あの、外のデッキんとこ乗ってみたくない?」

 怜央が言うなら、と俺はその提案を素直に受け入れた。
 昼食の会計を済ませ、大通りを歩いて船の発券所へ向かい、停泊中の船に乗り込む。子どもの頃から何度も来ている観光地だけれど、船に乗るのは初めてだった。

 怜央は一段と嬉しそうな顔で二階へ上がって行く。期待に満ちた瞳が輝き、まるで小学生みたいだ。

 船が動き出すと、次第に速度を上げて風を切る。潮の香りと波の音が混ざり合い、太陽の光が海面にきらめく。島々の間を抜けるたびに、景色が次々と変わり、息を飲むような美しさが広がった。

 時折、エサを求めてカモメの群れが船に近づく。怜央はふざけて人差し指を伸ばすと、カモメは本当に(くちばし)を開けてその先に飛びかかろうとした。

「やばいって!」

 笑いながら怜央の手を両手で下させる。怜央はデッキの先端で両手を広げて風に吹かれ、笑顔をもっと大きくした。

「悠楽!」

 不意に名前を呼ばれて振り返ると、さっきまでの無邪気な笑顔ではなく、どこか無理に作ったような笑いを浮かべた怜央が、じっと俺を見ていた。

「ん?」

 潮風に髪を靡かせながら耳にかけ、俺は問い返す。怜央は隣に来て、船の柵に両腕を凭れ、少し肩を寄せるようにして言った。

「俺、高校卒業したら――東京に行こうと思う」

 船のエンジン音にかき消されそうなはずの声は、なぜか鮮明に耳に届いた。
 そしてなにより、その真剣な眼差しがまっすぐに俺を射抜く。冗談ではないこと、胸にあたため続けてきた決意であることが、ひと目で分かった。

「…………」

 嘘ではないと頭では分かっている。夢のためだと理解もしている。なのに言葉は、何も出てこない。
 今まで隣にいた怜央が、急に遠くへ行ってしまうことを告げられたようで、胸の奥が一気に重く沈んだ。

「あの後、色んな所にデモテープを送ったんだけど……大手の会社からは反応が無くて。
 その代わり、小さい芸能事務所なんだけど、返信が一社だけあってさ」

 その声には期待と喜びが満ちていて、目の奥は光に満ちている。

「俺の歌を『まだ粗削りだけど、才能ある』って言ってくれて。高校を卒業したら、その事務所に所属して、ボイストレーニングも本格的に受けてみないかって誘われてて。
 ……レッスン代はかかるけど、フリーターで働きながらでも、やってみようかなって思ってる」

「……それって大丈夫なん?」

 思わず心配で口にした言葉に、怜央は予想外だったのか、驚きの色を浮かべた。
 深く疑っていないのが見え見えで、俺は思わず警告の口調になる。

「その芸能事務所……お金だけ騙し取るとか、そういう可能性だって――」

 言いかけた瞬間、怜央の表情がこわばる。不愉快そうで、怒りを含んだ顔。そんな表情を見るのは初めてだった。

「なんで応援してくれねぇの」

 静かに、でも胸に刺さるように一言告げられ、俺は押し黙る。
 誰よりも応援したい。
 だけど、傷ついてほしくないという気持ちも同じくらい強くある。

「いや、一度はうまい話は疑うべきだろ。東京に行くのだって、そんなすんなり決めていいことじゃ……」

「すんなりなんて、決めてねぇよ。
 父さんにも、母さんにもめちゃくちゃ反対されて。
 説得すんのだって、すげー大変だったんだよ!」

 強い口調で返され、俺は押し黙った。

「高校の担任にもさ。ちゃんと大学は出ておけとか、甘くねぇとか言われた」

 顔を逸らしたまま、呟くように打ち明けられたその言葉に、俺は自然と、学校での怜央の姿を思い浮かべた。
 怜央の通う高校は進学校だ。
 芸能界に進むなんて話が、簡単に受け入れられるはずがないことくらい、想像しなくても分かる。

「お前は……悠楽だけは、もっと明るく……背中押してくれると思ってた」

 突き放すように投げられたその言葉に、俺は何も返せなかった。
 胸の奥を、鈍い音を立てて殴られたみたいだった。

 船は低く汽笛を鳴らし、俺たちの降りる予定の停泊所に着いたことを知らせている。
 甲板の向こうに岸が見えているのに、足が前に進む気がしない。
 心だけが、碇を括りつけられたみたいに、重く沈んだままだった。

 言葉にはならないけれど、胸の内では、渦を巻くように想いが次々と浮かび上がってくる。

 俺だって、怜央の夢を一番に応援したいって思ってる。
 だから今まで、その活動を手伝ったりしてきたんじゃないか。

 でも――
 聞いたこともない名前の事務所で、本当に大丈夫なのか。
 お前には、もっと大きな場所に行ける才能があるはずなのに。

 そのどれもが喉元までせり上がってきて、結局、声にはならなかった。
 
 俺たちは最後まで言葉を交わすことなく、無言のまま船を降りた。



 喧嘩、と呼んでいいものなのかは分からない。

 だけど、あの船での一件以来、俺と怜央は連絡を取り合わなくなった。
 ただメッセージを送ればいいだけなのに、その勇気も出ず、どうやって仲直りすればいいのかも分からなかった。

 週に何度か更新される怜央の歌うショート動画を、黙って眺めるだけの日々。生存確認のように再生し、いいねを押す。それだけを繰り返していた。画面の中の怜央は、相変わらず輝いていて、真剣そのものだ。
 その一方で、俺はただ動画を眺める側に回ってしまった現実に、胸の奥がチクチクと痛むのを感じていた。

 夏休みが終わると、一気に指定校推薦の準備が慌ただしくなった。

 志望校への書類をまとめ、志望動機や大学でやりたいことを何度も書き直した。文章を現代文の先生に添削してもらい、小論文の指導も受け、面接の練習も重ねた。
 俺が出願する国際教養学科は倍率がそこまで高くない。指定校推薦なら、ほぼ合格が約束されていると言われていた。けど、不安症でネガティブな俺には、手を抜くという選択肢は最初から存在しなかった。

 怜央にも、指定校の枠を取れたことを報告できていない。
 きっと伝えたら、あの笑顔で自分のことのように喜んでくれただろうな、と頭では分かっているのに、出来なかった。

 秋の乾いた空気を切るように自転車を走らせ、風の匂いに混じる寒さを感じながら、俺は久しぶりに「独り」になった。
 あの夏の日の船上で交わした言葉と、怜央のまっすぐな眼差しは、胸の奥に小さな影を落としたまま。
 
 気になって、気になり続けて。どうしても、消えてはくれなかった。



 郵送で受験の結果が届いた十一月、俺は無事に志望校に合格し、両親も祖母も喜んで祝ってくれた。
 ただ、一番祝ってほしいはずの人に、そのことを伝えられないまま。嬉しいはずなのに、心ここにあらずで、浮かれた気持ちはどこか影を潜めていた。

 教室でも、指定校組が続々と合格を喜ぶ声を上げ、一般受験のクラスメイトたちはピリついた雰囲気を漂わせていた。
 わずかな高校の友達も地元の私大を受験するらしく、休み時間も惜しんで参考書とにらめっこしている。

 気づけば、自分の誕生日を迎えていた。
 特に誰かに気付いてもらうこともなく、放課後が過ぎ、家に帰る。高校生ともなればケーキも出てこず、俺は自分の部屋でいつもどおりの時間を過ごしていた。スマホで適当に動画を漁っていると――

 ――ピンポーン。

 玄関の呼び鈴が鳴った。
 祖母の親戚か、新聞屋か、あるいは宅配牛乳の集金だろう。そんなふうに思いながら、俺は制服姿のままベッドに横になり、天井を眺め続けていた。

 すると、階下から祖母のよく通る声が聞こえてくる。

「ゆーくん、村上さんがお誕生日のお祝いに来たって!」

 その一言に、身体が勝手に反応した。
 心臓が跳ね、俺は勢いよくベッドから飛び起きる。

 ――怜央が? うちに?
 何で?

 信じられない気持ちのまま、スマホをポケットに突っ込み、階段を駆け下りた。祖母が「わざわざ来てくれてありがとうね」と嬉しそうに居間へ戻っていくのを横目に、俺はサンダルを突っかけ、玄関のドアノブを握る。

 ドアを開けた先には、すでに真っ暗になった夜空を背に、怜央が立っていた。
 白い息を吐きながら、いつものように無邪気に笑っている。

「ハッピーバースデー!」

 目を細め、歯を見せて笑うその顔を前にして、俺は思わず声を震わせた。

「……何してんの、マジで」

 怜央は少し照れたように頬をかき、肩をすくめる。

「誕生日だから、祝いに来た。歩いて来たんだけどさ、本気出してダッシュしたら三分で着けるくない?」

 そう言って差し出された小さな紙袋を受け取る。
 夜風の冷たさに肩をすくめる怜央を見て、俺は慌てて中へ招き入れた。

 特別なものは何もない自室なのに、怜央は興味深そうに室内を見回し、テーブルの前に腰を下ろす。

「どーせ、クソつまんねえ誕生日過ごしてそうだなって思って」

「……正解。誰にも、おめでとうの一つも言われてないし」

 冗談めかして答えながら紙袋の中を見ると、四角い箱と一通の封筒が入っていた。
 箱を手に取った、その瞬間。

「待って」

 怜央の手が、そっと俺の手に重なる。

「箱の方は見てもいいけど、手紙は俺が帰ってから見て。流石にハズい」

「……分かった。ていうか、何でわざわざ手紙? メッセでもいいのに」

 怜央は照れ笑いを浮かべ、「え、重い?」と聞いてくる。
 その気持ちを無下にしたくなくて、俺は首を横に振った。

「いや、そんな気持ち込められるとさ。何書いてあんのかなって、身構えるじゃん」

「悪い。あんまそこまで考えてなかった。
 俺の家族も親戚も、誕生日とか節目とか……大切な人には手紙を書くのが普通だからさ」

 海外でカードを贈り合う文化の延長みたいなものだろうか。
 そう思いながらも、「大切な人」という言葉が耳に残り、じわりと顔が熱くなる。

「……プレゼント、開けてもいい?」

 そう断ってから、俺は静かに箱を開けた。
 中に入っていたのは、水色のボトルだった。

「香水。悠楽、持ってなさそうだなーって思って。
 あ、ちゃんと匂いも俺が嗅いできたから。イメージにばっちしだと思う」

 予想の斜め上をいく洒落た贈り物に、俺は言葉を失った。
 これを身につけて外を歩く自分なんて、まるで想像がつかない。

 けれど怜央は、俺の手から香水を受け取り、そっと手首にひと吹きする。

「……どう?俺的にはすげー自信あんだけど」

 距離が近づく。
 確かめるように顔を寄せ、鼻先がかすかに触れそうになる。

 甘すぎず、柑橘でもない。
 すっとした清涼感のある香りが、静かに広がった。

「うん、ありが……」

 そう言った瞬間、胸の奥に別の感情がせり上がってきた。
 あの船の上での言葉。二ヶ月近く、連絡を取れなかった時間。
 謝らなきゃいけないことが、まだ残っている。

「待って。あのさ……怜央。俺、この間のこと……」

「もういいって」

 怜央は明るい調子で微笑む。

「悠楽も受験に集中したいだろうなーって思ってたし」

 その笑顔に、俺はかえって胸が痛くなった。
 自分の意地や、結局は怜央に会いに来させてしまったみたいな後ろめたさが、罪悪感と一緒に広がっていく。

 沈黙のあと、怜央は人差し指で軽く鼻を掻き、小さな声で続けた。

「……ごめん。今のは嘘。正直、ひよってた。悠楽に嫌われたかと思って」

「き、嫌いになるわけねーじゃん。てか俺の方こそ――」

「もう、これで仲直りにしよ」

 俺の言葉が暗い方向へ沈みそうになるのを、分かっていたみたいに。
 怜央はそう言って、ふっと笑った。

 俺は唇を噛みしめ、そのまま黙るしかなかった。

 「てか、父さんと母さんが『また悠楽君を家に連れて来い』ってうるさくてさー。
 ……今度、クリスマスパーティーやるから、ウチに来ねぇ? 泊まりで」

 思いがけない誘いに、俺は耳を疑いながら聞き返した。

 「クリスマスパーティー?」

 家でそんなことをしたのは、小学生の頃が最後だ。
 それでも目の前の怜央は当然のような顔をしている。つくづく、家族仲のいい家だなと思った。

 「マジで手ぶらでいいよ。部屋着も貸すし。……親にだけ許可貰っといて」

 そう言い残すと、怜央は立ち上がり、部屋のドアを開けた。
 俺も慌ててそれを追いかけ、階段を下りる。

 「……わざわざ来てくれて、サンキュ。ふつうに嬉しかった」

 「どういたしまして。……じゃ、またメッセするから」

 玄関を出て、家の前の電柱の下で俺たちは別れた。
 部屋に戻ると、紙袋に残された手紙に真っ先に手を伸ばす。
 そこには、二枚にわたって怜央からの言葉が綴られていた。

 誕生日を祝うメッセージと、再会できたことへの喜び。
 初めての路上ライブに付き合ってくれたことへの感謝。
 夢に向かう気持ちがより大きくなったこと、
 そして、俺と船の上で交わした言葉で怜央自身も不安で揺らいだこと。
 それでも、その夢を諦めきれないこと。

 ――やっぱり、そうだよな。

 その文字を目で追いながら、俺は二枚目の手紙を手前に重ねた。
 そこには、全く予想していなかった言葉が並んでいた。

『来年には、今みたいに放課後に会う時間もなくなって。

 なんかあった時も “今から会えねぇ?”って、
 約束することも出来ねーよ。

 悠楽が傷ついた時 電話できれば一番いいけど、
 それだって簡単じゃねぇなって思う。

 喋ればワードセンス抜群で、面白い奴なのに
 それを隠して、人と距離を置いているの、
 マジでもったいないって思ってる。自覚ねーだろ?

 だから、十八歳の首藤悠楽は
 ネガティブ卒業して、もっと自分に自信を持て!

 お前のいちばんの親友が言うんだから 間違いねーよ』


 手紙を読み終え、俺はしばらくそのまま動けずにいた。
 文末の『怜央』の文字を親指でなぞってから、ようやく静かに二枚を封筒へ戻す。

 胸が痛い。
 それは、書かれていることがあまりにも図星だったからだ。

 俺の弱さも、誤魔化しも、臆病さも、怜央は全部、ちゃんと見ていた。

 それだけじゃない。
 この痛みがなかなか引かないのは、怜央の方が俺よりずっと先を見て、
 何倍も、何十倍も考えて、悩んで、思いやって――
 この先、離れていく時間まで含めたうえで、
 俺のために、この手紙を書いてくれたからだ。

 来年の春。怜央は、もう地元(ここ)にはいない。
 別れじゃない。ラインだってできるし、声を聞くことだってできる。
 
 こんなふうに、自分のことを分かってくれる怜央の存在が、ただただ、ありがたくて。
 そして同時に、物理的に離れてしまうのが、すごく――怖かった。