高校生活最後の夏休みを迎え、俺たちはいつものファミレスで向かい合って座り、机いっぱいに宿題を広げていた。
俺は現代文と古文、怜央は英語。役割を決めて、分からないところを補い合いながら進めていく。
本来なら何日もかけて終わらせるはずの課題を、俺たちは一週間も経たないうちに片付けてしまった。
さっさと終わらせて、遊びに行く。
それが、いつの間にか当たり前の流れになっていた。
「なぁ、最後の夏休みだしさ。どっか遠出しねぇ?」
急にそう言い出した怜央に、俺は顔を上げる。
「どっかって……例えば?」
「海とか見たい」
相変わらず唐突だな、と思った。
でも、その一言だけで、俺たちは課題をまとめてバッグにしまい、今度は遊びの計画を立て始めていた。
最近、少しずつフォロワーが増え始めた怜央のアカウント。
「投稿用のネタにもなるじゃん」と言ってみたけれど、怜央は頬杖をついたまま、窓の外を眺めて、いつもの調子で答えた。
「いや、これは普通に。俺と悠楽の思い出づくり」
友達とか、親友とか。
そんな言葉を使うのは、正直、少しダサい気もする。
高校生にもなって、って思う自分もいる。
それでも――
こうして二人で会って、宿題をして、くだらない話をして、遊びに行って。
怜央につられたようにバカでかい声で笑って、日が暮れるまで一緒に居て。
「楽しい」とか、「満たされる」とか。
そういう感情を、俺は怜央から一方的にもらってばかりなのに。
それでも、このままの俺でいいんだって、ここにいていいんだって、
怜央は何も言わずに認めてくれている気がした。
*
夏休みの最終週、俺たちは電車を二つ乗り継ぎ、日本三景のひとつにも数えられる海岸の駅に降り立った。
駅を出ると、目の前に青く広がる湾が一望でき、点在する小さな島々と海が光を受けてきらきらと揺れている。港には島巡りができる遊覧船がいくつも停泊し、遠くには歴史的な寺や建造物の屋根が見える。潮風が頬を撫で、夏の匂いが鼻腔を満たす。
怜央は目を輝かせながら、テンション高く俺の隣を歩く。手元のスマホで、目に映る景色を次々と収めていた。
「うわー、あそこの橋長くね? 渡れんのかな?」
「行ってみる? 景色よさそうじゃん」
橋の向こうには小さな島があり、怜央は引き寄せられるように、足早に歩き出した。名物の焼き牡蠣やカレーパンの屋台を素通りして、彼の視線はひたすら島の先に向けられている。
通行料を払って橋の上に立つと、その中央で立ち止まった怜央は俺を手招きして呼んだ。
「一緒に撮ろうぜ」
「え、いいよ。俺、写真苦手だし」
そう言ってフレームアウトしようとすると、怜央は俺の肩をがしっと掴み、強引に画面の中に収めた。ぎこちないピースをして笑う俺を、からかいながらスマホを構える。
「ポーズ死ぬほどダサい。指ハートとか出来ねぇの?」
「何それ。指どーなってんの?」
やり方を教えて貰い、意味はよく分からないまま顔の横に添える。
撮り終えると、怜央は島の展望台まで行こうと看板を指差して言い出した。
「せっかくだし、上まで登りたい!」
潮風に髪をなびかせ、無邪気に笑う怜央の姿を見て、俺も思わず笑みを浮かべた。
二人で舗装された道をひたすら歩き、矢印の方向に従って進んでいく。木漏れ日が地面に揺れる間、木々の間から橋の向こうの大通りを歩く観光客や、寺を参拝する人々の姿がちらりと見える。風に運ばれてくる海の匂いや、かすかな潮騒が、夏の空気をさらに心地よくしていた。
やがて、枝の隙間から小さな看板が現れた。「見晴らし展望台」と書かれている。俺たちは足を止め、無意識に顔を見合わせる。
「「見晴らし展望台……?」」
ほぼ同時に口にして、思わず吹き出した。
眼前に広がっていたのは、予想していたような開けた景色ではなく、ただただ木が鬱蒼と生い茂っているだけだった。展望台と呼ぶにはあまりにも簡素で、頼りなげな木製の東屋があるだけ。俺たちは腹を抱えて笑い転げた。
「マジか、四百円払ってこれは無いだろ!」
「待って待って、ツボった。俺らバカすぎん? 何しにきたの、やべーウケる」
ひとしきり笑い終え、肩の力を抜いて「はぁー」と息を吐く。顔を見合わせただけで、また笑いが込み上げてきた。
先を歩くカップルも、「マジ意味わかんない」「がっかりなんだけど」と口々に呟きながら歩いていて、俺たちは声を押し殺して笑いながら、島を後にした。
昼は、橋のたもとの近くにあったプレハブ小屋の食堂で、二人並んで肉巻きおにぎりを頬張った。
炎天下ほどではないけれど、それなりに汗をかいた体には、塩っけのあるものがどうしても必要だった。
「やべー、足りねぇかも」
「俺も。動いてる以上に食ってるからデブりそう」
結局、追加でラーメンまで頼むことにして、湯気の立つ丼を平らげると、腹ごなしにベンチ代わりのカウンター席に寄りかかりながら、怜央のスマホの画面を覗き込んでいた。
「この間載せたやつ、いい感じでバズってて。フォロワーも一気に百人増えてさ。
再生回数も、朝起きてみたら一万六千回とかなってた」
「それはすげぇわ、どんどん有名になってくじゃん」
「この調子で動画はアップしていこうかなーって思ってる。
……そんでさ、悠楽。俺……」
怜央が話している途中、ドン!と大皿が俺たちの前に置かれた。頼んでいない、湯気の立つ熱々の野菜炒めだった。
店主のおばあちゃんはにこりと笑い、「作り過ぎたから、良かったら食べて」と一言添えた。俺たちは顔を見合わせて「ラッキー」と片手でグータッチする。
「「あざーっす」」
二人で声を揃えてお礼を言い、まだ熱い野菜炒めを口に運ぶ。シャキシャキとした食感と香ばしい香りが口いっぱいに広がり、さっきまでの食欲はこれでもかというほど、満たされた。
ふと、俺が目の前の景色を眺めていると、怜央もそれに気づいたのか、同じように前を向き、ゆっくりと横切る船を見て言った。
「……なぁ、帰り、途中まであの船で帰って、そこから電車で帰るとかどう?」
「え、ガチで言ってる?」
「おん。あの、外のデッキんとこ乗ってみたくない?」
怜央が言うなら、と俺はその提案を素直に受け入れた。
昼食の会計を済ませ、大通りを歩いて船の発券所へ向かい、停泊中の船に乗り込む。子どもの頃から何度も来ている観光地だけれど、船に乗るのは初めてだった。
怜央は一段と嬉しそうな顔で二階へ上がって行く。期待に満ちた瞳が輝き、まるで小学生みたいだ。
船が動き出すと、次第に速度を上げて風を切る。潮の香りと波の音が混ざり合い、太陽の光が海面にきらめく。島々の間を抜けるたびに、景色が次々と変わり、息を飲むような美しさが広がった。
時折、エサを求めてカモメの群れが船に近づく。怜央はふざけて人差し指を伸ばすと、カモメは本当に嘴を開けてその先に飛びかかろうとした。
「やばいって!」
笑いながら怜央の手を両手で下させる。怜央はデッキの先端で両手を広げて風に吹かれ、笑顔をもっと大きくした。
「悠楽!」
不意に名前を呼ばれて振り返ると、さっきまでの無邪気な笑顔ではなく、どこか無理に作ったような笑いを浮かべた怜央が、じっと俺を見ていた。
「ん?」
潮風に髪を靡かせながら耳にかけ、俺は問い返す。怜央は隣に来て、船の柵に両腕を凭れ、少し肩を寄せるようにして言った。
「俺、高校卒業したら――東京に行こうと思う」
船のエンジン音にかき消されそうなはずの声は、なぜか鮮明に耳に届いた。
そしてなにより、その真剣な眼差しがまっすぐに俺を射抜く。冗談ではないこと、胸にあたため続けてきた決意であることが、ひと目で分かった。
「…………」
嘘ではないと頭では分かっている。夢のためだと理解もしている。なのに言葉は、何も出てこない。
今まで隣にいた怜央が、急に遠くへ行ってしまうことを告げられたようで、胸の奥が一気に重く沈んだ。
「あの後、色んな所にデモテープを送ったんだけど……大手の会社からは反応が無くて。
その代わり、小さい芸能事務所なんだけど、返信が一社だけあってさ」
その声には期待と喜びが満ちていて、目の奥は光に満ちている。
「俺の歌を『まだ粗削りだけど、才能ある』って言ってくれて。高校を卒業したら、その事務所に所属して、ボイストレーニングも本格的に受けてみないかって誘われてて。
……レッスン代はかかるけど、フリーターで働きながらでも、やってみようかなって思ってる」
「……それって大丈夫なん?」
思わず心配で口にした言葉に、怜央は予想外だったのか、驚きの色を浮かべた。
深く疑っていないのが見え見えで、俺は思わず警告の口調になる。
「その芸能事務所……お金だけ騙し取るとか、そういう可能性だって――」
言いかけた瞬間、怜央の表情がこわばる。不愉快そうで、怒りを含んだ顔。そんな表情を見るのは初めてだった。
「なんで応援してくれねぇの」
静かに、でも胸に刺さるように一言告げられ、俺は押し黙る。
誰よりも応援したい。
だけど、傷ついてほしくないという気持ちも同じくらい強くある。
「いや、一度はうまい話は疑うべきだろ。東京に行くのだって、そんなすんなり決めていいことじゃ……」
「すんなりなんて、決めてねぇよ。
父さんにも、母さんにもめちゃくちゃ反対されて。
説得すんのだって、すげー大変だったんだよ!」
強い口調で返され、俺は押し黙った。
「高校の担任にもさ。ちゃんと大学は出ておけとか、甘くねぇとか言われた」
顔を逸らしたまま、呟くように打ち明けられたその言葉に、俺は自然と、学校での怜央の姿を思い浮かべた。
怜央の通う高校は進学校だ。
芸能界に進むなんて話が、簡単に受け入れられるはずがないことくらい、想像しなくても分かる。
「お前は……悠楽だけは、もっと明るく……背中押してくれると思ってた」
突き放すように投げられたその言葉に、俺は何も返せなかった。
胸の奥を、鈍い音を立てて殴られたみたいだった。
船は低く汽笛を鳴らし、俺たちの降りる予定の停泊所に着いたことを知らせている。
甲板の向こうに岸が見えているのに、足が前に進む気がしない。
心だけが、碇を括りつけられたみたいに、重く沈んだままだった。
言葉にはならないけれど、胸の内では、渦を巻くように想いが次々と浮かび上がってくる。
俺だって、怜央の夢を一番に応援したいって思ってる。
だから今まで、その活動を手伝ったりしてきたんじゃないか。
でも――
聞いたこともない名前の事務所で、本当に大丈夫なのか。
お前には、もっと大きな場所に行ける才能があるはずなのに。
そのどれもが喉元までせり上がってきて、結局、声にはならなかった。
俺たちは最後まで言葉を交わすことなく、無言のまま船を降りた。
*
喧嘩、と呼んでいいものなのかは分からない。
だけど、あの船での一件以来、俺と怜央は連絡を取り合わなくなった。
ただメッセージを送ればいいだけなのに、その勇気も出ず、どうやって仲直りすればいいのかも分からなかった。
週に何度か更新される怜央の歌うショート動画を、黙って眺めるだけの日々。生存確認のように再生し、いいねを押す。それだけを繰り返していた。画面の中の怜央は、相変わらず輝いていて、真剣そのものだ。
その一方で、俺はただ動画を眺める側に回ってしまった現実に、胸の奥がチクチクと痛むのを感じていた。
夏休みが終わると、一気に指定校推薦の準備が慌ただしくなった。
志望校への書類をまとめ、志望動機や大学でやりたいことを何度も書き直した。文章を現代文の先生に添削してもらい、小論文の指導も受け、面接の練習も重ねた。
俺が出願する国際教養学科は倍率がそこまで高くない。指定校推薦なら、ほぼ合格が約束されていると言われていた。けど、不安症でネガティブな俺には、手を抜くという選択肢は最初から存在しなかった。
怜央にも、指定校の枠を取れたことを報告できていない。
きっと伝えたら、あの笑顔で自分のことのように喜んでくれただろうな、と頭では分かっているのに、出来なかった。
秋の乾いた空気を切るように自転車を走らせ、風の匂いに混じる寒さを感じながら、俺は久しぶりに「独り」になった。
あの夏の日の船上で交わした言葉と、怜央のまっすぐな眼差しは、胸の奥に小さな影を落としたまま。
気になって、気になり続けて。どうしても、消えてはくれなかった。
*
郵送で受験の結果が届いた十一月、俺は無事に志望校に合格し、両親も祖母も喜んで祝ってくれた。
ただ、一番祝ってほしいはずの人に、そのことを伝えられないまま。嬉しいはずなのに、心ここにあらずで、浮かれた気持ちはどこか影を潜めていた。
教室でも、指定校組が続々と合格を喜ぶ声を上げ、一般受験のクラスメイトたちはピリついた雰囲気を漂わせていた。
わずかな高校の友達も地元の私大を受験するらしく、休み時間も惜しんで参考書とにらめっこしている。
気づけば、自分の誕生日を迎えていた。
特に誰かに気付いてもらうこともなく、放課後が過ぎ、家に帰る。高校生ともなればケーキも出てこず、俺は自分の部屋でいつもどおりの時間を過ごしていた。スマホで適当に動画を漁っていると――
――ピンポーン。
玄関の呼び鈴が鳴った。
祖母の親戚か、新聞屋か、あるいは宅配牛乳の集金だろう。そんなふうに思いながら、俺は制服姿のままベッドに横になり、天井を眺め続けていた。
すると、階下から祖母のよく通る声が聞こえてくる。
「ゆーくん、村上さんがお誕生日のお祝いに来たって!」
その一言に、身体が勝手に反応した。
心臓が跳ね、俺は勢いよくベッドから飛び起きる。
――怜央が? うちに?
何で?
信じられない気持ちのまま、スマホをポケットに突っ込み、階段を駆け下りた。祖母が「わざわざ来てくれてありがとうね」と嬉しそうに居間へ戻っていくのを横目に、俺はサンダルを突っかけ、玄関のドアノブを握る。
ドアを開けた先には、すでに真っ暗になった夜空を背に、怜央が立っていた。
白い息を吐きながら、いつものように無邪気に笑っている。
「ハッピーバースデー!」
目を細め、歯を見せて笑うその顔を前にして、俺は思わず声を震わせた。
「……何してんの、マジで」
怜央は少し照れたように頬をかき、肩をすくめる。
「誕生日だから、祝いに来た。歩いて来たんだけどさ、本気出してダッシュしたら三分で着けるくない?」
そう言って差し出された小さな紙袋を受け取る。
夜風の冷たさに肩をすくめる怜央を見て、俺は慌てて中へ招き入れた。
特別なものは何もない自室なのに、怜央は興味深そうに室内を見回し、テーブルの前に腰を下ろす。
「どーせ、クソつまんねえ誕生日過ごしてそうだなって思って」
「……正解。誰にも、おめでとうの一つも言われてないし」
冗談めかして答えながら紙袋の中を見ると、四角い箱と一通の封筒が入っていた。
箱を手に取った、その瞬間。
「待って」
怜央の手が、そっと俺の手に重なる。
「箱の方は見てもいいけど、手紙は俺が帰ってから見て。流石にハズい」
「……分かった。ていうか、何でわざわざ手紙? メッセでもいいのに」
怜央は照れ笑いを浮かべ、「え、重い?」と聞いてくる。
その気持ちを無下にしたくなくて、俺は首を横に振った。
「いや、そんな気持ち込められるとさ。何書いてあんのかなって、身構えるじゃん」
「悪い。あんまそこまで考えてなかった。
俺の家族も親戚も、誕生日とか節目とか……大切な人には手紙を書くのが普通だからさ」
海外でカードを贈り合う文化の延長みたいなものだろうか。
そう思いながらも、「大切な人」という言葉が耳に残り、じわりと顔が熱くなる。
「……プレゼント、開けてもいい?」
そう断ってから、俺は静かに箱を開けた。
中に入っていたのは、水色のボトルだった。
「香水。悠楽、持ってなさそうだなーって思って。
あ、ちゃんと匂いも俺が嗅いできたから。イメージにばっちしだと思う」
予想の斜め上をいく洒落た贈り物に、俺は言葉を失った。
これを身につけて外を歩く自分なんて、まるで想像がつかない。
けれど怜央は、俺の手から香水を受け取り、そっと手首にひと吹きする。
「……どう?俺的にはすげー自信あんだけど」
距離が近づく。
確かめるように顔を寄せ、鼻先がかすかに触れそうになる。
甘すぎず、柑橘でもない。
すっとした清涼感のある香りが、静かに広がった。
「うん、ありが……」
そう言った瞬間、胸の奥に別の感情がせり上がってきた。
あの船の上での言葉。二ヶ月近く、連絡を取れなかった時間。
謝らなきゃいけないことが、まだ残っている。
「待って。あのさ……怜央。俺、この間のこと……」
「もういいって」
怜央は明るい調子で微笑む。
「悠楽も受験に集中したいだろうなーって思ってたし」
その笑顔に、俺はかえって胸が痛くなった。
自分の意地や、結局は怜央に会いに来させてしまったみたいな後ろめたさが、罪悪感と一緒に広がっていく。
沈黙のあと、怜央は人差し指で軽く鼻を掻き、小さな声で続けた。
「……ごめん。今のは嘘。正直、ひよってた。悠楽に嫌われたかと思って」
「き、嫌いになるわけねーじゃん。てか俺の方こそ――」
「もう、これで仲直りにしよ」
俺の言葉が暗い方向へ沈みそうになるのを、分かっていたみたいに。
怜央はそう言って、ふっと笑った。
俺は唇を噛みしめ、そのまま黙るしかなかった。
「てか、父さんと母さんが『また悠楽君を家に連れて来い』ってうるさくてさー。
……今度、クリスマスパーティーやるから、ウチに来ねぇ? 泊まりで」
思いがけない誘いに、俺は耳を疑いながら聞き返した。
「クリスマスパーティー?」
家でそんなことをしたのは、小学生の頃が最後だ。
それでも目の前の怜央は当然のような顔をしている。つくづく、家族仲のいい家だなと思った。
「マジで手ぶらでいいよ。部屋着も貸すし。……親にだけ許可貰っといて」
そう言い残すと、怜央は立ち上がり、部屋のドアを開けた。
俺も慌ててそれを追いかけ、階段を下りる。
「……わざわざ来てくれて、サンキュ。ふつうに嬉しかった」
「どういたしまして。……じゃ、またメッセするから」
玄関を出て、家の前の電柱の下で俺たちは別れた。
部屋に戻ると、紙袋に残された手紙に真っ先に手を伸ばす。
そこには、二枚にわたって怜央からの言葉が綴られていた。
誕生日を祝うメッセージと、再会できたことへの喜び。
初めての路上ライブに付き合ってくれたことへの感謝。
夢に向かう気持ちがより大きくなったこと、
そして、俺と船の上で交わした言葉で怜央自身も不安で揺らいだこと。
それでも、その夢を諦めきれないこと。
――やっぱり、そうだよな。
その文字を目で追いながら、俺は二枚目の手紙を手前に重ねた。
そこには、全く予想していなかった言葉が並んでいた。
『来年には、今みたいに放課後に会う時間もなくなって。
なんかあった時も “今から会えねぇ?”って、
約束することも出来ねーよ。
悠楽が傷ついた時 電話できれば一番いいけど、
それだって簡単じゃねぇなって思う。
喋ればワードセンス抜群で、面白い奴なのに
それを隠して、人と距離を置いているの、
マジでもったいないって思ってる。自覚ねーだろ?
だから、十八歳の首藤悠楽は
ネガティブ卒業して、もっと自分に自信を持て!
お前のいちばんの親友が言うんだから 間違いねーよ』
手紙を読み終え、俺はしばらくそのまま動けずにいた。
文末の『怜央』の文字を親指でなぞってから、ようやく静かに二枚を封筒へ戻す。
胸が痛い。
それは、書かれていることがあまりにも図星だったからだ。
俺の弱さも、誤魔化しも、臆病さも、怜央は全部、ちゃんと見ていた。
それだけじゃない。
この痛みがなかなか引かないのは、怜央の方が俺よりずっと先を見て、
何倍も、何十倍も考えて、悩んで、思いやって――
この先、離れていく時間まで含めたうえで、
俺のために、この手紙を書いてくれたからだ。
来年の春。怜央は、もう地元にはいない。
別れじゃない。ラインだってできるし、声を聞くことだってできる。
こんなふうに、自分のことを分かってくれる怜央の存在が、ただただ、ありがたくて。
そして同時に、物理的に離れてしまうのが、すごく――怖かった。



