俺と水城先輩の境界線


「じゃあ、行ってくる」
「はい。勉強頑張ってくださいね」
「千尋も部活頑張れよ。三年がいなくなったんだから、一軍、二軍も狙えるぞ?」
「そんな……。俺には無理です」
「そんなことないよ。頑張ってな」
「はい」

 水城先輩は朝早くから、夜遅くまで塾の夏期講習に参加している。俺はいつも出掛ける先輩を見送ることが、習慣となっていた。
 こんなにも長時間勉強をするくらいなのだから、もしかしたらいい大学を目指しているのかもしれない……と薄々俺は感じていた。
 聞いてみようかとも思ったけれど、「はぁ? なんでお前にそんなことを言わなきゃいけないんだよ?」と睨まれてしまう気がして、なかなか切り出すことができない。
 そんな水城先輩は夏期講習から帰ってきてからも、夜遅くまで勉強している。一体いつ寝ているのだろうか?とどうしても不安になる。
 でもそんな水城先輩と一緒に勉強をすることで、俺は夏休みの宿題を着実に終わらせることができている。

「水城先輩、この問題がわかりません」
「はぁ? どれ?」
「これです」
「あぁ、これね。お前こんな問題もわからないの? これはさ……」

 水城先輩にわからないところを聞くと、文句を言いながらも丁寧に教えてくれた。
 水城先輩は教え方も上手だし、根気強く付き合ってくれる。
 問題を解くことができるようになった俺は、なんだか頭がよくなった気持ちになってしまう。もしかしたら、二学期の成績はかなりいいかもしれない。なんて、調子に乗ってしまうのが、自分の悪い癖だ。
 それでも、水城先輩と机を並べて勉強することが、俺には楽しく感じられた。


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 お盆休みも終わり、新しいメンバーで、バスケ部が再びスタートすることとなる。
 午後から始まった部活は、一日の中でも特に暑い時間帯でもあり、立っているだけで汗が滝のように流れ出してくる。

「今日からバスケ部の部長を務めることになりました、田之上(たのうえ)です。よろしくお願いします!」
「同じく副部長になりました、高野(たかの)です。よろしくお願いします!」

 新しく部長と副部長になった二人が深々と頭を下げる。

「よろしくお願いします!」

 それにならい、俺たちも頭を下げる。
 マネージャーは三年生の国分先輩が引退しただけで、メンバーは変わらないようだ。
 三年生が引退したことで、部員がかなり減ってしまった気がする。それでも三十人以上はいる大所帯だ。
 田之上先輩と高野先輩は、一年生で二軍入りしている実力の持ち主だ。
 これから先、水城先輩が言う通り、俺たちも一軍、二軍目指して切磋琢磨していくこととなるだろう。
 でも俺は、部長は水城先輩が良かったし、副部長は糸瀬先輩が良かった。
 あの二人は、俺と有馬と違ってよく話をしているわけではない。それでも、強い信頼関係で結ばれていることが伝わってきた。

「もうバスケットコート(ここ)に、水城先輩はいないんだ……」

 そんなことを考え始めると、胸が締めつけられて目頭が熱くなる。

「よし、練習を始めるぞ!」
「はい!」

 田之上先輩の号令と共に、新しくなったバスケ部が動き始めた。

 その後も俺は、部活に集中できずにいた。

「集合!」

 と、田之上先輩や高野先輩が指示を出してきても、頭が働かず、咄嗟に動くことができない。
 だって、俺はいつも水城先輩の指示に従ってきたのだから。
 二人が慣れない役職を頑張ってこなしていることは十分承知しているけど……。
 俺は一日たっても、新しい部長と副部長に慣れることはできなかった。
 俺は、水城先輩に「集合!」と号令をかけてもらうことを、期待してしまっている。

(もう、水城先輩はここにはいないんだ)

 何度も自分にそう言い聞かせて、その日の部活を乗り切った。

 部活が終わったのは、空が真っ赤に染まった頃。烏が群れを作って空を飛んでいる。
 コートの掃除が終わった後、有馬から「帰ろう」と声をかけてもらったけれど、俺はそれを断った。もう少しだけ、水城先輩がいたこの場所にいたかったから。

「じゃあ、夕飯の時間までには寮に帰ってきてね」
「うん。わかった。ありがとう、有馬」

 有馬はとても優しい。有馬がいたからこそ、俺は今までバスケ部を続けることができたのだ。
 今日一日、俺は体育館(ここ)で水城先輩の面影ばかりを追いかけていた気がする。
 彼はもう、いるはずなんてないのに――。
 水城先輩がプレーをしている姿を忘れたくなくて、俺は自棄になっていたのかもしれない。

「よし」

 俺はゴールに向かいシュートの態勢をとる。
 入部したての時はプレッシャーからか、得意だったセットシュートすら入らなくなってしまった。
 退部しようか悩む俺に、シュートのやり方を教えてくれたのが水城先輩。
 そのおかげで、今では、以前のようにシュートを外すこともなくなった。

「でも、水城先輩がいない……」

 一人残された体育館でぽつり呟く。
 つい最近まで、体育館に響き渡っていた水城先輩のドリブルの音。
 力強くて、迷いがなくて、俺たちを勝利に導いてくれる。そんな、頼もしいリズムだった。
 なのに、今日一日その音が聞こえてこない。
 体育館はいつものままだというのに、空気が重くて、広すぎる。

「バスケのコートって、こんなにも広かったんだな」

 改めてそれを思い知る。
 水城先輩がかけてくれた「もう少し頑張ってみろよ」って言葉の残響だけが耳に残っていて、ただひたすらに寂しい。
 なんだか、俺の心の中にあった大きなゴールが一つ、失くなってしまったみたいだ。

「水城先輩……。俺、寂しい。だって、水城先輩がいない……」

 小さな声で呟いても、広い体育館に俺の声なんて搔き消されてしまう。
 体育館の隅で、俺は力なく床に座り込んだ。膝を抱えて頭を下げると、涙が一滴、二滴と床に落ちていく。
 あの人の姿が目に浮かぶたびに、心に締めつけられるような痛みが走ってきて、どうしても声が出てきた。

「水城先輩、帰ってきて!」

 俺は人目も気にせず叫ぶ。何かを叫ばないと、心がバラバラになってしまいそうだ。
 でも水城先輩は戻ってきてくれるわけはない。その事実に、本当に耐えられそうになかった。
 体が震えて泣き声が体育館の壁に響き渡っていく。

(こんな俺を、誰にも見られたくない)

 でも俺の涙は止まってはくれない。俺は肩を震わせながら、子供のように泣いたのだった。


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 俺が気付いた時には辺りは真っ暗になっていた。かろうじて体育館の脇にある街灯が心許なく俺の周囲を照らしている。

(今、何時だ?)

 どうやら俺は、いつの間にか眠っていたらしい。
 時計を見ようと目を凝らしたけれど、暗闇の中では文字盤を見ることはできなくて。咄嗟に寮に帰らなくちゃ、と思う。きっと、今頃有馬が心配していることだだう。
 でも、泣き疲れた体が鉛のように重い。
 膝を抱えたまま、体育館の冷たい床にへばりついて立ち上がろうとしても、足に力が入らない。

「水城先輩、会いたいです」

 もう一度静かに彼の名を呼ぶ。
 心の穴が大きすぎて、体全体を飲み込んでいくみたいだ。水城先輩のいない空間が、俺を許してくれない。

(立ち上がれない……)

 この重さはきっと、別れの重みそのものなんだ。

「水城先輩……」

 何度呼んだって、俺の声が彼に届くはずなんてない。それでも、幾筋もの涙が頬を伝い、床に水溜まりを作っていった。
 泣き腫らした目に涙が染みる。目元は熱を持っていて、自分のジャージの袖で涙を拭くと、たまらず痛みを感じる。

「水城先輩」

 でも本当にいい加減、寮に戻らないとみんなが心配するし、体育館の鍵を閉める当番の先生も来るだろう。

「……帰ろう」

 小さく呟いた時だった。

「こんなところで何してんだよ?」

 頭の上から声が聞こえてきて、俺は驚き、顔をぱっとあげた。
 そこには……会いたかった顔がいた。

「もうとっくに部活は終わったんだろう? 有馬が、千尋が寮に戻って来ないって、心配してたぞ」
「水城先輩……」
「ほら、帰ろう」

 水城先輩が俺の顔を覗き込んでくる。
 泣き顔を見られたくない――。咄嗟にそう思ったけれど、もうそんなことはどうでもいいと感じていた。
 だって、あんなにも会いたかった水城先輩が目の前にいる。
 俺は恐る恐る水城先輩の手に、そっと自分の手を重ねる。相変わらず氷のように冷たい手だ。
 水城先輩は一瞬驚いたような顔をしたけれど、そのまま俺の手を握り締めてくれた。

「帰ろう、千尋。立てるか?」
「あ、はい」
「ほら、よいしょ」

 水城先輩は俺の手を引くと、まるで子どもを扱うように軽々と俺のことを立たせてくれる。俺はその勢いで、逞しい水城先輩の胸に倒れこんでしまった。
 トクントクンと聞こえる、規則正しい鼓動が心地いい。
 俺は遠慮がちに、水城先輩に体を寄せた。

「で、なんでこんな所で泣いてたんだ?」
「あぁ、えっと……。寮までの帰り道がわからなくなっちゃって……」
「はぁ? さすがのお前でもそれはないだろう?」
「で、でも、ほ、本当なんです!」
「いいから言えよ。怒らないから」
「でも……」
「でもじゃない!」

 水城先輩が体育館(ここ)にいなかったことが寂しかったんです――。
 なんて恥ずかしくて口が裂けても言えない。
 でもこれ以上、頭の切れるこの人をかわし続けることは無理だろう。
 覚悟を決めて先輩を見つめると、俺と水城先輩の視線が絡み合う。
 水城先輩は俺よりも二十センチ近く大きいから、俺は自然と水城先輩を見上げる格好になる。

(これじゃあ、本当に大人と子どもだ……)

 そう思うと、鼻の奥がツンとなった。

「いいから話してよ。俺、ちゃんと聞くからさ」
「水城先輩……」
「大丈夫。怒ったり、笑ったりなんてしない。だって、俺は千尋が泣いている姿なんて見たくないから」

 水城先輩が寂しそうに目を伏せると、長い睫毛が顔に影を作る。
 それが、彼の整った顔立ちを、より引き立てて見せた。

(あ、俺のせいで水城先輩が悲しんでる……)

 俺は自分のせいでこの人が悲しむ顔を見たくない。辛そうな表情が俺の名前を呼んでいる気がして、心が千切れそうだ。
 本当の想いを打ち明けよう。俺は思った。

「今日、新しい部長と副部長が決まって、新しいバスケ部になりました」
「うん。それで?」

 水城先輩は俺の話を静かに頷きながら聞いてくれる。繋がれたままの手に、ほんの少しだけ力が込められた気がする。

「普通に練習が始まって、いつものメニューをこなしているのに、体育館(ここ)に水城先輩がいないんです。水城先輩の声だって聞こえないし、ドリブルの音も聞こえてこない」
「え?」
「なんで引退なんてしちゃったんですか? 俺、寂しくて仕方がないです。水城先輩がいないバスケ部なんて……嫌です……」
「千尋……」

 また涙が溢れ出してしまい、熱を帯びた目に染みる。慌てて涙を拭おうとすると、水城先輩にそっとその手を制止されて。代わりに水城先輩が涙を拭ってくれた。
 熱を持った肌に、水城先輩の冷たい手が冷たくて気持ちがいい。
 俺がふと水城先輩の方を見上げると、優しい笑みを浮かべた彼と視線が絡み合った。

「千尋は、バスケ部に俺がいなかったから寂しかったんだ?」
「……はい……」
「そっか」

 水城先輩はそのまま沈黙してしまう。俺にはその沈黙の意味がわからず、強い恐怖を感じてしまう。
 やっぱり「本当にお前は子どもだな」と笑われてしまうだろうか?
 それとも、「受験があるんだから仕方がないだろう?」と叱られてしまうだろうか?
 でもそれは仕方がないことだって、自分でもわかっている。
 だって「部活に先輩がいない」なんて泣いているなんて、幼稚園に登園した子供が「ママがいない」って泣いているのと同じだから。

(もう、呆れられちゃったかな……)

 俺は唇を噛み締めて俯く。
 自分は、こんなにも寂しがりで、独占欲が強いことを知らなかった。
 水城先輩に恋をして、俺は変わってしまった気がする。

「すみませんでした。もう寮に戻りましょう」

 そう言おうと口を開きかけた俺に向かい、水城先輩がフワリと微笑む。
 その笑顔が水彩絵の具のように透き通っていて、俺は言葉を失ってしまった。

「なにそれ、めっちゃ可愛いじゃん」
「え?」
「千尋は、バスケ部に俺がいなくて寂しかったんだろう?」
「は、はい……」
「すげぇ可愛いし、死ぬほど嬉しい」

 今にも泣き出しそうな顔で笑う水城先輩の笑顔に、痛いほど愛おしくて胸が締めつけられる。
 水城先輩は静かに近づき、そっと腕を回して俺を抱きしめた。

(え、え……。ちょ、ちょっと待って……)
「千尋、可愛い。ありがとう」

 俺が恐々と温かな胸に顔を埋めると、俺の涙が水城先輩のシャツを濡らす。
 でもその瞬間、寂しさの重さが少しずつ溶けていく。
 水城先輩の鼓動が、俺に「寂しいと思ってくれてありがとう」と囁いてくれるようだった。

「なぁ、千尋。少し俺の話をしてもいいか?」
「水城先輩の話ですか? はい、もちろんです!」

 今まで水城先輩のプライベートの話を聞いたことのなかった俺は、勢いよく顔を上げる。
 まるで水城先輩が、俺のことを信頼してくれているみたいで嬉しかった。

「俺の父親とじいさんは医者なんだ。だから、俺と兄貴も自然と医者になることを期待されて育った」
「へぇ……」

 俺は思わず感心してしまう。俺が住んでいる世界とは、全く違う世界のような話に感じられた。
 それに、水城先輩って、お兄さんがいるんだ。絶対にイケメンなんだろうな――と頭の片隅で思う。

「兄貴は医者を目指して、有名な私立中学校に入学して、今は医大に通ってる」
「医大ですか? 凄すぎる……」

 水城先輩のお兄さんは、「全国から秀才が集まる、有名な私立中学」に入学し、医者になるための道を突き進んでいる。
 なんて立派なのだろう……と、俺は思わず息を吐いた。

「でも俺は違った。兄貴と違って、出来損ないだったんだ」
「出来損ない? 水城先輩がですが?」
「あぁ、そうだ」
「そんなわけないですよ! だって水城先輩は文武両道、おまけに、めちゃくちゃカッコいいじゃないですか? 出来損ないのわけがないです!」

 水城先輩が自分のことを「出来損ない」と言ったことがなんだか悔しくて、俺はついムキになって否定してしまう。
 俺があまりにも必死なものだから。水城先輩が「プッ」と噴き出している。
 だって、こんなにも完璧な水城先輩が、「出来損ない」なわけがないではないか?

「いや、俺は出来損ないなんだよ。兄貴と同じ中学に落ちて、最後のチャンスだった高校受験にも失敗。俺は両親から失望されて、逃げるように寮のある常盤学園高校に来たんだ。バスケは元々好きだったし、ここまでは両親の目が届かないから」
「そうだったんですね……」
「そう。俺は兄貴のように医者にもなれず、両親から見放された駄目人間なんだ。だから、虚しさから自暴自棄になって、男女構わず、来る者拒まずで関係をもった。部屋にいろんな奴を連れ込んでさ……。本当に馬鹿みたいだよな」
「そっか、だから……」

 俺が初めて寮に来た日、あの部屋に男子生徒がいたことを思い出す。

(やっぱり、国分先輩とそういうことしてたんだ。それに香水のかおりも……)

 そう思うと、心がズキッと痛んだ。
 でもあれ以来、国分先輩以外の誰かが、あの部屋にいることはなかったけれど――。

「でもさ、いくら好きでもない相手と遊んだって、心にぽっかり空いた穴なんて埋まらなかった。そんな時に、千尋と出会ったんだ」

 水城先輩が微笑む。その笑みに、俺の胸が締めつけられた。
 あの完璧な水城先輩に、こんなにも悲しい過去があったことを俺は知らなかった。
 今思えば、俺が水城先輩に向かって「水城先輩は完璧ですよね」と軽々しく言ってしまったことを強く後悔する。
 悪意こそなかったけれど、きっと水城先輩は「俺は完璧なんかじゃない」と傷つき、葛藤をしていたことだろう。

(水城先輩、本当にごめんなさい)

 俺は、自分の愚かさを心の底から呪った。
 水城先輩には、それ以上近づいてはいけない壁みたいなものをいつも感じていた。でも今日、その壁の正体を知ってしまった。
 彼の抱えていた過去の傷、苦しみの数々が、波のように押し寄せてくる。心が痛くて堪らない。その痛みは、俺自身のもののようで、俺は代わりに泣きたくなるほどだった。

「でもさ……。俺は千尋を見ているうちに考えが変わったんだ」
「え? 俺? な、なんでですか?」

 予想もしていなかった言葉に、今の俺はきっと鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていることだろう。
 そんな俺を見た水城先輩が、喉の奥で笑っている。

「千尋は何にでも一生懸命で、努力を惜しまない。バスケだって他の一年に比べればそんなに上手なわけじゃないくせに……。誰より頑張って練習してた。知ってるか? お前今回の練習試合で二軍に上がれるらしいぞ?」
「え!? 本当ですか!?」
「本当だよ。よく頑張ったな」
「……はい! すごく嬉しいです!」
「うん」

 水城先輩が優しく頭を撫でてくれる。
 それが気持ちよくて、俺はそっと頬を寄せた。

「だから俺も、もう一度だけ頑張ろうと思えた。努力すれば夢は叶うんだって……。千尋が教えてくれたんだ」
「水城先輩……」
「ありがとうな、千尋……」
「……っ、そ、そんなこと……」

 俺は寝る間も惜しんで勉強をしていた水城先輩の姿を思い出す。水城先輩は、新しい夢に向かって突き進んでいたんだ。
 胸がいっぱいになって、熱くなって、心が震える。

(俺も、水城先輩の役にたててたんだ)

 いつもは「どうせ俺なんて」とイジけていた俺も、今は少しだけ自分のことを誇れるような気がする。

「今から死ぬ程努力して、医大を受験しようと思っている」

 そう話す水城先輩の笑顔はキラキラと輝いて見えて、まるで太陽の下で咲き誇るヒマワリのように見えた。

「俺、頑張って医大に合格してみせる!」
「はい! 水城先輩頑張ってください!」
「おう!」

 俺の涙は、もうすっかり止まっていた。
 だって、たった今、俺たちには新しい目標ができたのだから。
 水城先輩が床に転がっていたバスケットボールを無造作に拾い上げ、それをボールラックに向かって投げ入れた。
 ガシャンという金属音が響き、ボールが他の球体とぶつかり合う音が、体育館の静寂を切り裂いた。

「千尋、帰ろう。もう夕飯だ」
「はい」
「今日はお前の好きな鶏の唐揚げだぞ」
「え? 本当ですか?」
「頑張って二軍入りしたから、ご褒美に一つ分けてやるよ」
「やったー!」
「本当に、子どもみたいで可愛いな」

 水城先輩が、蕩けそうな笑みを浮かべる。その笑顔に俺の胸が締めつけられた。

(駄目だ。やっぱり水城先輩のことが……)

 ジャージの胸の辺りをギュッと掴む。
 水城先輩といると、苦しいのに、こんなにも幸せだ――。

「ほら、行こう」

 水城先輩は少し照れくさそうに、遠慮がちに手を差し出した。俺はその手を見つめ、一瞬躊躇ってしまう。
 水城先輩と手を繋ぐことが嬉しいけれど、恥ずかしい。俺の中で、天秤がカチャカチャと音を立てて揺れているのを感じる。

「千尋」

 優しい声色で名前を呼ばれた俺は、笑顔で水城先輩の手を握る。すると、するりと指が絡められた。

(これって、恋人繋ぎってやつじゃ……)

 いつもは冷たい水城先輩の手が、繋いだ瞬間少しずつ温かくなっていく。
 心臓がドキドキと鳴り響く。
 恥ずかしさに頬を赤く染めながらも、この小さな繫がりが抑えきれない喜びを胸に広げていった。

「唐揚げ、楽しみだなぁ」
「一つだけだからな」
「わかってますって」

 俺と水城先輩は顔を見合わせて、微笑み合う。

「じゃあ、行くか?」
「はい!」

それから、俺たちは食堂に向かって歩き始めた。