鬱陶しいと感じていた梅雨も明け、夏がやってきた。
肌をジリジリと焦がすような日差しに、一斉に鳴きはじめる蝉たち。ヒマワリが空に向かい元気に咲いている。
そんな中、常盤学園高校は強豪校の名に恥じることなく、インターハイへの出場を決める。
三軍の俺は観覧席から水城先輩たちを応援することしかできないけれど、俺は声の続く限り声援を送り続けた。
コートの中にいる水城先輩は、鳥のように軽やかに飛び、そして獅子のような勢いで敵の陣地へと攻め入っていく。
水城先輩に勝てる選手なんていない。俺には、彼がキラキラと輝いて見えた。
(本当にかっこいい)
普段一緒にいるときと、バスケをプレーしているときの先輩は、まるで別人みたいだ。それがまた、水城先輩の魅力を引き立てていた。
だって、部屋にいる時には寝ぐせのついた髪でボーッとしていることもあるし、パンツ一枚で室内をウロウロしていることもある。
(俺って、意外とギャップ萌えするタイプなのかな……)
そんなことを考えてしまう自分に、少しだけ戸惑いを感じてしまう。
だって、これじゃあ、俺がまるで水城先輩に恋をしているみたいじゃないか。
あんな神様みたいな人に恋をしたところで、軽くあしらわれるだけだとわかっている。
だって、俺たちには越えてはならない境界線があるのだから――。
だから、水城先輩を好きになってはいけない。
俺はもう何度も自分に言い聞かせてきた。
そしてこれから先、水城先輩が卒業するまで、自分に言い聞かせ続けなければならない。
今思えば、あの境界線が、俺の心のストッパーになってくれている気がする。
「ヤッター! インターハイ出場決定だ!」
俺は有馬と抱き合って喜びを共有する。
(水城先輩に会ったらなんて言おう。「おめでとう」かな?)
俺の胸が否応なしに高鳴る。
早く学校に戻って水城先輩と話がしたい。
あの境界線のある部屋に戻って、独り占めしたい。
会いたい、水城先輩に……!
「おめでとうございます!」
俺はもうガラガラになってしまった声で、最後の力を振り絞ってそう叫んだのだった。
三軍の俺たちは、一軍の選手よりも早く解散することとなる。
一軍の選手は、これから監督とミーティングがあるらしい。
俺は、軽い足取りで三階までの階段を駆け上がる。
(表彰式の水城先輩、かっこよかったなぁ)
今でも瞼の裏に焼き付いている。
優勝旗を掲げ、誇らしげに笑う水城先輩の姿を。それはまるで、戦に勝利した国王のようだった。
ただの同室の後輩――という関係にも関わらず、俺まで誇らしくなってしまう。
(早く帰ってこないかな……)
「おめでとうございます!」と早く伝えたくて、俺は廊下で水城先輩の帰りを今か今かと待ち侘びる。
俺はよく水城先輩に「犬みたいだな」と言われるけれど、本当にその通りかもしれない。
きっと今の俺は、主人の帰りを今か今かと尻尾を振りながら玄関で待つ犬のようだ。
その時、扉の外から足音が聞こえてくる。
(あ、水城先輩だ)
俺は嬉しくなってしまい、胸がときめく。
水城先輩は踵を引きずるように歩くから、今では足音だけで帰ってくることがわかるようになってしまった。
こんなのストーカーみたいじゃん……って自分のことが怖くもなる。でも少し前までは、この部屋に水城先輩が帰ってくることが怖かった。
だから、足音だけで帰ってきたことがわかるようになってしまったのだ。
でも今は違う。
(早く、早く水城先輩に会いたい!)
足音が少しずつこちらに近づいてきている。
(早く「おめでとう」って言いたい!)
鼓動がどんどん速くなって、苦しいくらいだ。
試合中は手の届かなかった水城先輩。でもようやく、俺だけのものになるんだ。
そう思うと、気分がどんどん高揚していく。
「ただいま。……っと、わぁ!」
「水城先輩! おめでとうございます!」
俺は扉が開かれた瞬間、勢いよく水城先輩に抱き着いた。
そのあまりの衝撃に、さすがの水城先輩も態勢を崩してしまったらしい。よろめきながらも、俺の体を受け止めてくれた。
「インターハイ出場なんて、本当に凄いです!」
「あぁ、どうもありがとう」
「本当にかっこよかったです! 俺、水城先輩のプレーを見て感動しちゃいました! 凄く、凄くかっこよかったです!」
「ふふっ。そりゃあ、どうも」
水城先輩が笑ってくれたことが嬉しくて、俺は涙が溢れ出しそうになってしまう。
何度「おめでとうございます」と伝えても、俺の心は満足なんてできない。
強豪校である常盤学園高校がインターハイに出場するということは、当たり前でなければいけないのかもしれない。
それでも、今まで誰よりも一生懸命バスケに向き合っていた水城先輩。その彼の努力を思えば胸が熱くなる。
だって、水城先輩は本当に凄いんだ。俺の水城先輩は、本当に本当に凄いんだから。
「でも、ちょっと歓迎が熱烈過ぎるかな? まだドアも閉めてないから、俺たちが抱き合っているのが外から丸見えなんだけど?」
「は? え? あー!?」
「ちょっとだけ離れてもらってもいいか?」
「あ、はい。すみません」
一瞬で全身から血の気が引いた俺は、慌てて水城先輩から体を離す。
俺は、俺は……なんてことをしてしまったのだろうか?
いきなり水城先輩に抱き着くなんて、正気の沙汰ではない。
(怒られる……)
一気に現実に引き戻された俺は、しゅんと肩を落とす。きっと俺が犬だったら、耳と尻尾をダランと下げてしまったことだろう。
調子に乗ってしまったことが、今になって恥ずかしくなった。
そんな俺にはお構いなしに、玄関の扉はしめられていく。
怒られる覚悟を決めた俺は、項垂れて水城先輩の言葉を待った。
「よし、これでゆっくり星野を抱きしめられる」
「え?」
次の瞬間、俺は温かなものに抱きしめられる。その予想もしていなかった行動に、俺は目を見開いた。
「どうせ今日も、デッカイ声で俺のことを応援してくれてたんだろう?」
「……はい。めちゃくちゃ大きな声で応援してました!」
「あははは。やっぱりなぁ。なんか、聞こえた気がするんだ」
「え? 本当ですか?」
「うん。あの大声援の中から、星野の声が聞こえた気がした。不思議だよな」
そう言って、声を上げて笑っている。
背の高い水城先輩に抱きしめられると、俺の体はすっぽりと水城先輩の腕の中に納まってしまう。
恐る恐るその広い胸に寄り添うと、まるで世界が制止したような気がした。
嬉しさと緊張で、息が詰まるほどだ。
俺は遠慮がちに水城先輩の腰に腕を回し、もう少しだけ……とそっと距離を縮める。
「星野ありがとな。俺のことを応援してくれて」
「そんなことないです。だって俺、水城先輩のことを応援することしかできないから」
「でも嬉しかった。ありがとう、千尋」
「ち、ひろ……?」
「ありがとう」
水城先輩が俺に向かって微笑む。その優しい笑顔に、心がポンッと弾んで、ドキドキする波が押し寄せてくる。
(水城先輩が名前を呼んでくれた……)
俺の頬がどんどん赤くなっていくのを感じた。
「じゃあ、お祝いに、今日の夕飯の唐揚げ一つちょうだい?」
「えぇ……唐揚げですか? それはデカいなぁ」
「あははは! 冗談だよ、冗談」
最近の水城先輩は、俺の前でよく声を出して笑う。
その笑顔はまるで真夏の太陽のように、俺の心を照らしてくれる。
(好き、なのかな……)
水城先輩の笑顔を見ているとすごく嬉しいのに、苦しくもなる。
いつもと同じ風景なのに、水城先輩が笑っただけで、世界がキラキラと輝きだす。
気が付けば視線はいつも彼を探している。他の誰かじゃ駄目なんだ。
(俺は水城先輩のことが……)
この気持ちの名前を、もう俺は知っている気がした。
あぁ、俺は水城先輩が好きなんだ。
心臓がうるさいくらいに鳴り響いて、これは恋だって、逃げ場のない確信が押し寄せた。
■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪
他の生徒が楽しい夏休みを送っている頃、インターハイが始まる。
今年のインターハイは、俺たちの高校から大分離れた県で開催される予定らしい。
だから、俺たち三軍はお留守番だ。その間、実家に帰ってもいいのだけれど、俺は高校に残ることを決めていた。
だって、この常盤学園高校で、水城先輩たちを応援していたかったから。
これから一週間、俺は水城先輩と会うことができなくなる。
初めて水城先輩と会った時には、「寮ガチャ失敗だ」と落ち込んだりもした。
でも、それから毎日水城先輩と過ごしているうちに、俺たちの関係は少しずつ変わっていく。
今となったら、この部屋に水城先輩が一週間もいないなんて……。想像しただけでも寂しくなった。
そして、三年生は、この試合が終われば引退だ。
もう、水城先輩が試合に出る姿を見ることができなくなってしまう――。
そう思うと、胸がギュッと締めつけられた。
その日は、一軍だけの練習日で、俺は部屋でお留守番だ。
午後になり少し日差しは弱くなったけれど、外に出ると汗が一気に噴き出てしまうほど暑い。
そんな中、水城先輩は今頃一生懸命に練習をしていることだろう。
一週間、寮にいないということは、どこかのホテルに泊まることとなる。
そうなると、必然的に国分先輩と同じホテルに泊まることとなるだろう。
正直、俺はそれが面白くなかった。
試合の合間に、こっそり国分先輩と会うことができるかもしれない。
そう考えれば不安にもなってくる。
つい最近、勇気を振り縛り水城先輩に問いかけてみた。「くだらねぇ」と一蹴されてしまうかも、という恐怖はあった。
でも、不安や心配のほうが大きかったのだ。
「あの、水城先輩。水城先輩と国分先輩は同じホテルに泊まるんですよね?」
「はぁ?」
俺の想像した通り、「突然何を言い出すんだ?」と怪訝そうな顔をされてしまう。
でも、その日の俺は負けなかった。
「だって、同じホテルならいつでも会ったり、同じ部屋に泊まったりできるじゃないですか?」
「同じ部屋に泊まる……? ぷっ。あはははは! 何、お前そんな心配してんの?」
「わ、笑わないでください」
「悪ぃ悪ぃ。そんなこと考えてたんだって思ったら、可笑しくなっちゃってさ」
余程可笑しかったのか、水城先輩は涙を流しながら笑っている。
俺はなんだか恥ずかしくなってしまい、唇を尖らせた。
「心配しなくても、国分とはそんな関係じゃないし、インターハイ中に逢引なんてしている暇なんかねぇよ。部屋は四人部屋だけど、国分とは部屋は別々だし」
「そうなんですか……。ならよかった……」
「ふーん」
「な、なんですか?」
突然悪戯っ子のように笑った水城先輩が、俺の顔を覗き込んでくる。
いつまでも慣れないイケメンのドアップに、俺の心臓はバスケットボールみたいに跳ね上がった。
「なに、また国分にヤキモチ妬いてんの? かぁいいじゃん」
「べ、別にヤキモチなんか!?」
「いいから、いいから。そんな心配しないで、お前はいい子にしてろよ」
「また俺を子ども扱いして!」
「だって千尋、可愛いんだもん」
水城先輩の笑顔を見た瞬間、胸の奥で小さな花が咲いた気がした。
高鳴る鼓動がうるさくて、頬が熱くなっていく。
「可愛い」なんて、男が言われても嬉しくなんてないはずなのに、ドキドキする波が押し寄せてくる。
俺はそれ以上何も言い返せずに、唇を噛んで俯いた。
まだ水城先輩は部活から戻ってこない。
水城先輩のベッドの上に、無造作にユニフォームが置いてあることに気が付いた。
その背中には「4」の数字が。きっとこの背番号4という数字は、水城先輩にとってものすごい重圧だったことだろう。
俺も中学生だった頃、この背番号4という数字の重圧に何度も押し潰されそうになった。
「水城先輩、頑張ったなぁ」
このユニフォームは、きっと水城先輩の汗と涙の結晶だ。俺はふと、それに触れてみたい衝動に駆られる。
(この境界線を越えたい)
心に湧き上がる思い。それは、ずっと心の奥底に抱いていた願望だった。
(ごめんなさい。少しだけだから……)
俺はキョロキョロと辺りを見渡し、水城先輩がいないことを確認する。
そして、静かにその境界線を越えた。
同じ部屋なのだから、絨毯だって同じものだ。それなのに、どこか神聖な場所に足を踏み入れてしまったような気がする。
それから、そっと水城先輩のユニフォームに触れる。怖くて、少しだけ指先が震えた。
「頑張ってください」
俺はそっと呟きながら、「4」という数字を指でなぞった。
■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪
インターハイ前日。水城先輩がベランダにいた。
珍しいなと思いつつ俺は、真似をしてベランダに出る。そして、空を見上げた。
「わぁ、綺麗な星空」
「本当に綺麗だな」
俺が隣に来たことに気付いた水城先輩が、小さな声で呟く。
入寮したての頃は、実家で見上げる星の方が数倍も綺麗に見えた。そんな俺は、ここから見る星が綺麗だなんて思えなかったのだ。
でも今は違う。水城先輩と見上げる星は、宝石みたいにキラキラと輝いている。素直に、綺麗だ……と、思うことができた。
無言で空を見上げる先輩の横顔を盗み見る。相変わらず整った顔立ちに、鼓動が少しずつ速くなる。
それと同時に、中学生の頃に会った人物のことを思い出した。
あの時逆光で顔を見ることはできなかったけれど、あの人と水城先輩はどこか面影が似ている。
何度かそのことを水城先輩に問いかけてみたけれど、「違う」と、その都度否定されてしまう。
本当にあの人は、水城先輩ではないのだろうか? 俺は答えの出ないこの謎を、ずっと抱えていることが苦しかった。
「水城先輩。インターハイ、頑張ってくださいね」
「おう」
水城先輩でも緊張するのだろうか? いつもに比べて表情は硬いし、口数も少ない。
俺は、水城先輩と、ただ茫然と星空を見上げた。
「千尋はさ、いつも俺のことを凄いって言ってくれるじゃん?」
「あ、はい。水城先輩は神様みたいに完璧な人だと思ってます。勉強もできるし、バスケも上手いし、イケメンだし……。俺から見たら、本当に凄い人です」
「凄い、人か……」
「え?」
その声がいつもの自信に満ち溢れた水城先輩の声と違っていて、俺は突然不安になってしまう。
俺は何かまずいことを言ったのだろうか……と、不安になってしまった。
「俺はさ、千尋が思っているような凄い人間なんかじゃない」
「そ、そんなことないですよ」
「あるんだよ」
寂しそうに笑う水城先輩の黒髪が、夜風にサラサラと揺れる。
そんな水城先輩が、今にも泣き出しそうに見えた。
「俺は神様なんかじゃない。出来損ないの人間だ」
「そんな……」
「今だって、インターハイが怖くて仕方がない。笑っちまうだろう? 本当に情けないよな」
「だから、そんなことないですから……」
水城先輩が拳を握り締めて見せるけれど、その手が小さく震えていたから、俺は咄嗟に水城先輩の手を握る。
その手は、相変わらず冷たかった。
「俺、水城先輩を尊敬してます」
「サンキュー。千尋が応援してくれるなら、頑張れそうだ」
「帰ってくるの待ってますね」
「うん。わかった」
その後、少しだけ言葉を交わす。会話は弾まなかったけれど、その沈黙は重苦しいどころか、むしろ温かかった。
水城先輩が隣にいてくれるという事実だけで、俺の心は満たされていく。
その日、俺は水城先輩の心の中に、少しだけ触れることができたのかもしれない。
(もっと水城先輩のことが知りたい)
そんな感情が、俺の心の中に小さな芽を出していたことに、俺は気付いてしまっている。
部屋に今も貼られた境界線が、そんな俺の心を憂鬱にさせた。
■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪
「じゃあ、行ってくる」
「はい、頑張ってきてください」
「ふふっ。お前は何回『頑張れ』って言ってくれんだよ」
「だって……」
俺は玄関へと向かう水城先輩を、こうやって見送ることしかできない。
もし俺が二軍まで上がれていたら、水城先輩と一緒にインターハイまで行くことができたかもしれないのに……。
(これ、どうしよう)
俺は手に持っていたものを見つめて考える。
それは、水城先輩にお守りとして渡そうと思って買った、猫のぬいぐるみだった。
つい先日にあった休みの日に、有馬と出掛けた先で見かけて思わず買ったのだけれど、水城先輩に渡そうか、ずっと悩んでいた。
真っ白な毛をした猫のぬいぐるみ。手の平に納まるくらいのそれと、対をなすように、もう一つ買ったのは黒い毛の猫。
白い猫のぬいぐるみは、俺に似ていて真ん丸な目をしている。そして黒猫は釣り目をしているのだ。
この子たちをお店で見つけたとき、「水城先輩と俺に似てる!」と有馬とお腹を抱えて笑ったことを思い出す。
水城先輩に白猫を渡したかった。
俺はついて行くことができなかったから、白猫だけでも一緒にいられたら……と思ったのだ。
でもいざ水城先輩を目の前にすると、白猫を渡すことを躊躇ってしまう。「こんなぬいぐるみ邪魔だ」と思われるかもしれない。
そして何よりも怖かったのは、俺の下心がバレてしまうということだ。
そんなことを俺が考えているなんて、水城先輩は思いもしないだろう。
でも下心丸出しの俺からしたら、自分と似ている白猫を渡すことに戸惑いを感じてしまう。
だから俺は、水城先輩に似ている黒猫を渡そうと声をかけた。
「あの、先輩。黒猫を一緒に連れて行ってくれませんか? お守り代わりに……」
「へぇ、ありがとう。でも、なんで黒猫?」
「その……あの……」
「なんだよ、言えよ」
靴を履いた水城先輩が俺と向かい合う。
俺は咄嗟に白猫を後ろに隠して、黒猫を手渡した。
「目つきが悪いところが、水城先輩にそっくりだなって……」
「はぁ? なんだよそれ」
「す、すみません」
「別にいいけど……。あははは! そう言われて見れば確かに似てるな」
最初は露骨に嫌そうな顔をされてしまったけれど、最後は「サンキュー」と笑ってくれる。その笑顔を見て、俺は心の底から安堵した。
(よかった。水城先輩喜んでくれたみたいで……)
本当は白猫を連れて行ってほしかったけれど、もうこれだけで十分だ。
心がポカポカと温かくなっていく。
「てか、お前背中に何を隠してるんだ?」
「え? べ、別に何も隠してません!」
「嘘つけ。いいから見せてみろよ」
「駄目です!」
「見せろ!」
子どものような取っ組み合いのあと、水城先輩に隠していた白猫を取り上げられてしまう。
恥ずかしくなってしまった俺は、思わず俯いた。
「白猫じゃん。へぇ……」
水城先輩は白猫をまじまじと見つめたあと、クスッと笑う。その笑みに、俺の心臓がもう一度大きく飛び跳ねた。
頭の切れるこの人のことだから、きっと全てを見抜かれてしまったことだろう。
「目が真ん丸で、トロそうで、白猫、千尋にそっくりじゃん!」
「…………」
「どうせなら、白猫が欲しかったな」
「え?」
「だって、そうしたらお前と離れてても、ずっと一緒にいられるような気がするじゃん」
「水城先輩……」
水城先輩は二匹の猫を見比べてから、そっと俺に向かって微笑んだ。
「俺、白猫を連れてくわ」
「え?」
「千尋、俺がいなくて寂しがるだろうから、黒猫に慰めてもらってろ」
「そんな……」
俺の心が歓喜で震える。嬉しくて、泣いてしまいそうになった。
こんなことじゃ、また「泣き虫だな」って水城先輩に笑われちゃう……。
俺は唇を噛み締めて、涙が溢れそうになるのを耐える。
「俺がいない間、千尋のことをよろしく頼むな」
そう言うと、水城先輩は黒猫の口元にそっとキスをする。それから俺に黒猫を手渡した。
その仕草が色っぽくて、俺はドキドキしてしまう。
受け取った黒猫を、ギュッと抱きしめた。
「じゃあ、行ってくる」
「……はい、行ってらっしゃい……」
「黒猫がいるから大丈夫だろ?」
「はい……大丈夫、です……」
「よし、いい子だ。じゃあな」
そう言うと、扉が閉まり、水城先輩は行ってしまった。
俺はその場にグズグズと座り込む。
(一体何が起きたんだ……)
嬉しさが爆発しそうになるのを、黒猫をギュッと抱きしめることで何とか堪える。
顔が熱くて仕方がない。
この感情を誰にも知られたくはないのに、体中が喜びで震えた。
「頑張ってきてください」
俺は水城先輩が口づけた黒猫に、そっと唇を寄せた。
それから数日後――。
常盤学園高校がインターハイでベスト8という輝かしい成績を収めたということを、俺は知ることとなった。



