俺が入寮したその日、水城先輩は本当に境界線を越えてこなかった。
俺の方は、うっかり境界線を踏みそうになってしまったことが数回あったけれど、その度に露骨に嫌な顔をされてしまう。それの繰り返しだった。
そうこうしているうちに、時間はあっという間に夜になる。七時が夕食の時間らしく、水城先輩は俺のことなど目もくれず、部屋を出て行ってしまう。きっと食堂に行ったのだろうと、とりあえず俺も一階にある食堂へ向かった。
しかし、初めての寮の食堂だ。どうしたらいいのかがわからず、俺は食堂の入り口で立ち尽くしてしまう。
すると、ある先輩が声をかけてきてくれた。
「どうしたの? 夕食のシステムがわからない?」
困惑しきっていた俺は、安堵のあまり泣きそうな顔でただ頷くことしかできなかった。
「じゃあ、一緒に行こう。教えてあげるから」
「あ、はい」
その先輩の隣には、同室の一年生だろうか? 人懐こい笑みを浮かべた男子生徒が俺の方を見ている。
俺は、正直その光景が羨ましかった。だって水城先輩は、さっさと俺を置いて食堂に行ってしまったから。
こうやって、わからないことを親切に教えてくれる――そんな当たり前のことを、俺はしてもらえなかったのだから。
先輩はどの食器を使ったらいいのかとか、どう食事を取っていったらいいのかを実際に実演しながら丁寧に教えてくれる。俺はその優しさが、涙が出そうなくらい嬉しかった。
俺は親切な先輩のおかげで、なんとか夕食にありつけそうだ。
(今日は俺の大好きなハンバーグだ)
俺は「いただきます」と手を合わせてから、ハンバーグにかぶりついた。
「もしかして、君、三〇五号室の新入生?」
「あ、はい。そうです」
「じゃあ俺たちと隣の部屋だね。俺は三年の糸瀬。糸瀬祐樹だ。よろしくな」
「はい。俺は星野千尋です」
「オッケー! 星野な」
糸瀬先輩の優しそうな笑顔を見ていると、肩の力がすっと抜けていくのを感じる。
背が高くて、体つきのいい糸瀬先輩。きっと何かスポーツをしているのだろう。爽やかなスポーツマンといったタイプだ。
「俺は星野君と同じ一年生の有馬唯人です。糸瀬先輩と同室なんだ。よろしくお願いします」
糸瀬先輩の隣で、ペコリと頭を下げる有馬。有馬は糸瀬先輩と違って、穏やかな性格なのかもしれない。話し方もおっとりとしていて、よく笑う。
この二人となら仲良くなれるかもしれない……。俺の心はパアッと明るくなっていった。
それに比べて――。
俺の同室の水城先輩は、他の生徒から離れた場所で、一人黙々と食事をとっている。
糸瀬先輩のように、同室の後輩の面倒を見てあげよう、という使命感はないのだろうか?と悲しくなってしまう。
糸瀬先輩と有馬とは、出身地などの話題で盛り上がり、部活の話にもなった。
「星野はなんか部活やるの?」
「はい。バスケ部に入ろうと思ってます」
「なら、俺と有馬と同じだな」
「え? お二人ともバスケ部なんですか?」
仲良くなれた二人と同じ部活だなんて、俺は嬉しくなってしまう。有馬もニコニコ笑っていてくれているから、きっとそう感じてくれているのだろう。
「星野君と同じ部活なんて嬉しいな」
そんな有馬を見ていると、楽しい高校生活への、希望がわずかながら見えてきた気がする。
しかし、そんな楽しい時間もほんの束の間で、糸瀬先輩が少しだけ引きつった笑みを浮かべた。
「で、あっちで一人飯を食っている水城が、バスケ部の部長でエースだ」
「え? 水城先輩もバスケ部なんですか?」
「うん、そうだよ。しかもあいつ、部長で超バスケ上手いぜ? 多分あいつのプレーを見たら、二人ともマジでびっくりすると思う」
「へぇ……」
そんな凄い人がバスケ部にいるのは嬉しいことだ。
でも、同室というだけではなく、部活でも一緒……。そう思えば、今度は一気に憂鬱になってしまう。
これでは逃げ場がなくて、息が詰まってしまいそうだ。
「星野は、水城と同室なんだろう?」
「あ、はい」
「あいつ、ちょっと癖はあるけど根はいい奴だからさ」
「はぁ……そうなんですね……」
「何かあったら俺に相談してな」
「はい。糸瀬先輩、ありがとうございます」
「それから、あいつはいろんな奴を部屋に連れ込んでるみたいだから、そこは気をつけろよ」
(あぁ、そういうことなんだ……)
その時俺は、ベッドの上で男子生徒と抱き合う水城先輩の姿を思い出す。
本音を言えば、もっと早くその情報が欲しかった。
優しく笑う糸瀬先輩の笑顔を見た俺は、胸が締め付けられる思いがする。
水城先輩とうまく上手くやっていけるか、不安で仕方がなかった。
食事が終わった後、仲良く部屋に戻っていく二人を見て俺は大きく息を吐く。
(いいなぁ。有馬君は部屋ガチャ大当たりじゃん)
彼のことをまた余計に羨ましくなってしまう。
夕食のハンバーグは美味しかったけれど、母親が作ってくれたハンバーグの方が美味しかった。
家族みんなでワイワイと賑やかにテーブルを囲んでいた食事風景が、懐かしくて仕方がない。
俺は、入寮して早々、ホームシックになってしまったらしい。
薄暗い光を放つ自動販売機でジュースを買って、重たい足取りで自室へと向かう。食堂は一階にあるから、三階までの道のりが異常に長く感じられる。
三〇五号室の部屋の前で俺は思わず立ち止まってしまった。この扉を開けることが怖くて仕方がない。
二人で仲良く会話をしていた糸瀬先輩と有馬を、ふと思い出してしまう。
「よし」
俺は気合を入れてからドアノブをガチャリと回す。
水城先輩は食事が終わるとすぐ食堂を出ていったので、もう部屋に戻っているはずだ。
扉を少し開けると眩しい照明が目に飛び込んでくる。短い廊下を抜けるとそこにはリビングがあって……。
(あぁ、やっぱり)
そこには、赤いガムテープで仕切られた部屋が俺を待ち構えていた。
「ただいま戻りました」
そっと背後から声をかけてみるけれど、全く反応がない。不愛想でもいいから「おかえり」くらいは言ってほしかった。
でも俺のそんな声は水城先輩に届くはずなんてない。彼は両耳にイヤホンをつけて勉強をしていたのだから。その背中からは「声をかけるな」という無言の圧力を感じてしまう。
(これじゃあまるで、俺がここに存在していないみたいじゃないか……)
目頭が熱くなってくる。唇を噛み締めて溢れ出しそうになる涙を必死に堪えた。さっき自動販売機で買ってきたペットボトルを、潰してしまいそうなくらい強く握りしめた。
それから俺は、特にすることもなくベッドでスマホを眺めて過ごす。
母親から『大丈夫そう? みんな優しくしてくれてる?』という自分を心配する内容のメールが届く。
まさか「部屋にガムテープで境界線が引かれた」なんて、正直に言えるわけがない。
母親に嘘をつくことは後ろめたかったけれど、『大丈夫。みんな優しい人ばかりだよ』と返信した。
その直後に、母親の安堵したようなメールが届いたが、それを見た俺の胸がズキンと痛む。
一体この部屋の中にある見えない壁に触れるとどうなるのだろう?
熱い炎に身を焼かれるのか? 焦げるほどの電流が流れているのだろうか? もしかしたら触った瞬間凍りついてしまうかもしれない。
(なんだか怖くなってきた……)
いつしか、この境界線に恐怖心を抱いてしまっていた。
俺は水城先輩に背を向け、バスケットボールを抱き締める。
このボールは、両親が五歳の誕生日に買ってくれた物だ。小学校、中学校とバスケを続けてきたけれど、このボールは俺のお守り代わりでもある。
寮に入ると決めた時にも、このボールだけは絶対に持っていこうと決めていた。
このボールには、たくさんの思い出が詰め込まれている。俺の宝物なのだ。
時計を見ると二十三時。もうすぐ消灯の時間だ。糸瀬先輩と有馬は部屋に戻ったら、一緒にゲームをすると言っていた。
糸瀬先輩は三年生。本来なら、有馬と同室になんてならなくてもよかったのに、同室の生徒がいても文句ひとつ言わずに、むしろ歓迎してくれていた。
それに比べ、水城先輩は先ほどから一言も話すことなく勉強に集中している。
(すごく真剣だよな……もしかして、難関大学でも受けるのかな……)
チラッと水城先輩を盗み見る。
黙々とノートにペンを走らせる姿は、悔しいけれど様になっている。
何かを考えこむときに前髪を上げることが癖なのだろうか? そんな姿はまるでモデルのようだ。
もしかしたら水城先輩は、勉強ができて、バスケも上手くて、容姿端麗で――。本当に非の打ち所がない人なのかもしれない。
ただし、性格を除いては……。
水城先輩は消灯時間を過ぎても寝る気配はない。俺は頭から布団を被って、バスケットボールをギュッと抱き締める。
(家に帰りたい)
そんな弱気になってしまう自分が、心底嫌になってしまった。
◇◆◇◆◇◆
ブーッ、ブーッ。枕元で何かが揺れている。
(なんだよ、うるさいな)
まだ眠たい俺は、その音のする物体に背を向けた。
その音の鳴る物体の正体は、スマホのアラームだ。
家にいた頃、毎朝母親に起こしてもらっていた俺は、アラームをセットして自力で起きたことなんてない。そんな俺の頭からは「アラームをセットした」という概念が抜け落ちてしまっていた。
ブーッ、ブーッとしつこく鳴り続けるスマホに向かい「うるさいなぁ」と文句を言ってみるけれど、そんなことでスマホが大人しくなってくれるはずがない。
俺が音のする物体に手を伸ばした時――。
「うわッ!」
お腹のあたりに何か固い物がぶつかってきた衝撃に、思わずベッドから飛び起きた。
床にコロコロと転がっている物を目で追うと、それはバスケットボールだった。
(まさか、これがお腹に当たったんじゃ……)
幸い、厚めの布団をかかっていたから別に痛みは感じなかった。それにかなり加減して、軽く投げてくれたらしい。
びっくりしたくらいで、痛くも痒くもなかった。
それでも無防備に寝ているときに、こんな物が飛んで来たらひとたまりもない。
俺が呆然と床に転がるボールを眺めていると、頭上から不愛想な声が聞こえてくる。
「さっきからスマホのアラームが鳴ってるんだけど?」
「あ、す、すみません!」
音の正体に気付いた俺は慌ててスマホのアラームを止める。
「それから、もうすぐ朝飯の時間。行くぞ」
「……は、はい」
そう言い残すと、水城先輩はさっさと部屋から出て行ってしまう。俺はその背中を呆然と見送る。
「起こすなら、もっと普通に起こしてよ……」
そんな俺の声は、水城先輩に届くはずなんてないだろう。
俺はベッドを整えて、食堂に向かう準備をしたのだった。
朝食のために食堂に向かうと、そこには糸瀬先輩と有馬の姿が。
何を話しているかはわからないが、とても楽しそうだ。そこから少し離れた所で、水城先輩は黙々と食事を食べている。
自分も同室の先輩と食事をしたほうがいいのかお盆を持ったまま考えていると、「星野! こっちこいよ!」と糸瀬先輩が気を利かせて手招きをしてくれる。ホッした俺の肩から力が抜けていく。
「おはようございます」
俺は挨拶をしてから、糸瀬先輩そして有馬と朝食をとった。
◇◆◇◆◇◆
部屋に戻りベッドに寝転んだ俺は大きく息を吐く。
糸瀬先輩と有馬は馬が合うようで、昨夜は遅くまでゲームをしていた、と楽しそうに話してくれた。
「星野は大丈夫? 水城とうまくいってる?」
「はぁ……。それなりに」
そう顔を引き攣らせながら答えるのが精一杯だった。
「部屋の真ん中に境界線を張られちゃいました」なんて、恥ずかしくて言い出すことができない。俺と水城先輩は仲がいい、とは程遠い……いや、真逆の状態だ。
水城先輩がイヤホンをつけて勉強しているときに「先にお風呂に入らせていただきます」と声をかけて、手早くシャワーを浴びる。
挙句の果てには、朝起こしてもらうときにバスケットボールが飛んでくる始末だ。
水城先輩が境界線を越えてくることはない。それはまるで、俺がこの部屋にいないような存在に感じられて、胸が張り裂けそうに痛む。
(いいな、有馬君は糸瀬先輩と仲がよくて……)
そして、どうしても有馬のことが羨ましくなってしまうのだ。
そんな俺のことなんて気にする様子もなく、水城先輩はイヤホンをつけて雑誌を読んでいた。
その日の午後、実家から送った段ボールが届いた。
寮生活に最低限必要な物を送っておいたのだ。この段ボールに洋服や大好きな漫画本を詰めている時の俺は、希望に満ち溢れていた。
「あ、このお菓子……」
俺が小さい頃から大好きだったお菓子が段ボールから顔を出す。同室の先輩と一緒に食べようと思って、段ボールに入れたんだっけ。
そのお菓子は、駄菓子屋で売っている十円くらいで買えるチョコレートだ。
でも実際は、仲良くお菓子を食べようなんて雰囲気ではない。俺と水城先輩の間には、越えてはならない境界線があるのだから――。
(もっと楽しい高校生活になると思ってたのに……)
段ボールから物を取り出すごとに悲しくなってしまい、目の前が涙で揺れる。
俺が思い描いていた夢と現実はあまりにもギャップがあり過ぎた。
もう何度も母親に「帰りたい」と電話しようかと悩んだ。しかし、心配させてしまう……。そう思えば、電話をすることもできなかった。
(家に帰りたい)
我慢しきれなかった涙が、頬を伝い絨毯にシミを作る。
水城先輩に気付かれたくなくて慌てて涙を拭ったけれど、次から次へと涙が溢れ出してしまう。
(帰りたい……)
俺はまるで子どものように肩を揺らして泣いた。
たった一日の間だったけれど、俺の心はすでに悲鳴をあげている。
(俺は、水城先輩とは仲良くなれないんだ)
手の甲で涙を拭う。心が張り裂けんばかりに痛かった。
(家に帰ろう)
俺がそう思い立ち上がろうとした瞬間。コツンと頭に何かが当たる。俺の頭に当たったものはコロコロと床の上に静かに落ちた。
「……え?」
「それやるよ」
床に落ちていたものは、俺が持ってきたお菓子と同じチョコレートだ。
どうやら水城先輩が泣いている俺に向かって、今度はお菓子を投げてくれたらしい。
「あの、これ……」
「美味いからそれ食ってみろよ?」
「このお菓子……。いいんですか?」
「あぁ。そのお菓子、俺、超好きなんだよね」
「あ、ありがとうございます……」
突然お菓子をもらったことに驚いてしまった俺は、呆然と水城先輩を見つめる。
俺と好きなお菓子が同じだなんて。その偶然に驚きを隠せない。
「お菓子食ったらもう泣き止め」
「え、あ、す、すみません」
もしかしたら水城先輩が俺のことを心配してくれた――。
鼓動が速くなるのを感じた。嬉しいと、心の底から感じる。
しかしそれは俺の勘違いで、水城先輩は俺に向かい露骨に迷惑そうな顔をする。
「近くでメソメソされてると迷惑なんだよ」
「へ?」
「メソメソされんのは目障りだから、そのお菓子食ったらいい子にしてろ」
「……は、はい……」
それだけ言うと、水城先輩は再びイヤホンをつけて、俺に背を向けてしまう。
(なんだよ、俺は子どもかよ……)
悔しくなった俺は、お菓子の封を切って勢いよくかぶりついたのだった。
◇◆◇◆◇◆
入学式を二日後に控えた日。
俺と水城先輩の部屋には変わらず境界線が引かれている。
正直なところ、実は意外と仲良くなれて境界線もすぐに剥がしてもらえるだろう、と思っていたのだけれど……。
境界線は剥がされることなんてなかった。
水城先輩はいつもイヤホンをつけているし、俺に関心をもつこともない。
きっと水城先輩からしてみたら、俺は空気と同じ存在なのだろう。
その代わり、隣の部屋の糸瀬先輩と有馬とは仲良くなることができた。
本当なら、生徒たちは寮のルールで部屋を行き来することは禁止されている。それでも、優しい糸瀬先輩は俺を気遣い自分たちの部屋に誘ってくれた。
糸瀬先輩と有馬は、俺の心の支えだった。
あんなにも「帰りたい」と思っていたけれど、今はなんとか頑張ってみようと思えるようになってきている。
それに、俺と水城先輩もほんの少しだけ仲良くなれた気がする。俺がホームシックになっていると、水城先輩がお菓子をくれるようになった。相変わらず、境界線の向こうから投げられるのは変わりないけれども。
そのとき、俺が水城先輩の方を向くと「マジでメソメソすんな。ウザいから」と厳しい言葉が降ってくる。
やっぱり仲良くなれたと感じたのは、俺の気のせいなのか。
それに、部屋の真ん中に貼られた境界線があることに、今もって変わりはない。最近は逆に、目に入るとイライラしてしまう始末だ。
――俺も、少しずつ強くなってきているのかもしれないな。
俺は自然と糸瀬先輩と有馬の部屋で過ごす時間が増えていった。
二人と過ごす時間はとても居心地がよくて、俺が思い描いていた高校生活そのもののように感じられる。俺は朝食を食べてから、消灯時間ギリギリまで、糸瀬先輩と有馬の部屋で過ごすようになった。
楽しい時間を過ごした後自室に戻ると、胸が締め付けられる。
境界線の存在が,俺の心に重くのしかかった。
「どうした? 星野。なんだか元気なくね?」
「え?」
「食欲もないのか? 最近全然ご飯食べてないじゃん」
夕食をいつも通り、糸瀬先輩と有馬の三人で食べているとき、心配そうに糸瀬先輩が俺の顔を覗き込んでくる。
「本当だ。星野君、体調悪いの?」
有馬まで心配してくれる。
確かに俺は入寮してから今日まで、あまりよく眠れていない日が続いていた。常に境界線を越えないように気を使い、水城先輩の邪魔をしないよう細心の注意を払いながらの生活は、正直ストレスが溜まる。
時々飛んでくるお菓子くらいでは、このストレスを解消することはできなかった。
(境界線のことを、二人に打ち明けようか)
ずっと心の中で葛藤している。
打ち明けて楽になりたい思いと、そんな扱いを受けていることを知られたくない思い。二つの相反する思いで俺は苦しかった。
「部屋に境界線があるんだ」と素直に話したら、きっと可哀そうな奴だと思われるだろう。
俺のちっぽけなプライドがそれを許さない。
チラッと食堂を見渡すと、他の生徒と離れた席で水城先輩は夕食を食べている。
糸瀬先輩や有馬と過ごす時間はとても楽しい。
他の生徒とは仲良くできているのに、どうして俺と水城先輩だけ仲良くできないのだろうか――。考えれば考えるほど悲しくなってくる。
「あの……」
俺が口を開きかけたとき、突然肩を掴まれる。そのあまりの力に、俺は咄嗟に肩を掴んだ人物を見上げた。
「水城先輩……」
「もう飯食い終わった?」
「あ、はい」
「じゃあ部屋に帰るぞ」
「えぇ?」
突然のことに身動きが取れずにいると、腕を掴まれる。気がつくと、俺は椅子から立たされていた。水城先輩はあっという間に、食器も自分の分と一緒に片づけてしまっている。
「糸瀬、いつも星野の面倒見てくれてサンキュー」
「別にいいけど……」
「じゃあな」
そう糸瀬先輩に言い残すと、水城先輩は俺の腕を引きどんどん歩き出す。
水城先輩は俺よりかなり身長が高いから、足の長さも違う。水城先輩は歩いているつもりなのだろうけど、俺は走りっぱなしだ。
食堂から三階の部屋に戻る頃には、息も絶え絶えになってしまった。
でも、どうして水城先輩は突然俺を食堂から連れ戻したんだ? 普段なら、食事が終わればさっさと部屋に戻ってしまうのに――。
今起きていることが理解できずに、俺は呆然と水城先輩を見つめた。
「あのさ、お前……」
水城先輩が大きく息を吐いてから、俺を睨みつけてくる。その鋭い眼光に、俺の全身に緊張が走った。
こうやって視線が合っても、俺たちは境界線を跨いで会話をしている。
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、俺たちの心の距離は果てしなく遠いことを思い知る。
「お前は誰にでも尻尾を振るんだな? 犬みてぇ」
「はい?」
「一人じゃ何もできないわけ?」
水城先輩の言葉に俺は何も言い返すことができなかった。俺は唇を噛んで俯く。水城先輩の目を見ることが怖かったから。
「いつも下ばかり見て、泣いているお前を見ているとイライラする」
「…………」
「あの時の勢いはどうしたんだよ?」
「あの、時……」
「もういい。勝手にしろ」
イライラした様子の水城先輩は俺に背を向ける。
俺は、この部屋に来てから水城先輩の背中ばかり見てきたように感じた。
(イライラするなら放っておいてくれたらいいのに……)
また目頭が熱くなってくる。最近俺は泣いてばかりで、本当に子どもみたいだ。
俺がベッドに戻ろうとすると、コツンと頭に何かが当たる。床に落ちる前に、俺はそれを何とかキャッチすることができた。
「それやるから元気出せ」
「……ありがとうございます」
嬉しい気持ちと、悲しい思い。そして思い通りにいかないことへの怒り。俺の心の中はグチャグチャだった。
ただ水城先輩の「あの時の勢いはどうした?」という言葉が、俺の胸に引っかかっている。
(あの時って、いつだろう)
いくら考えても答えの出なかった俺は、勢いよくベッドの上に倒れこんだ。



