いらっしゃいませ、お姫様 ―Kitty Catへようこそ―


 私が送りに選んだのは、晴さんだった。
 晴さんは本当に王子様のように素敵で、私は彼の虜になってしまった。
 でも、そんな彼とももうすぐお別れ……。出会いがあるっていうことは、別れがある。それって本当だったんだなぁ。そんな当たり前のことを、今になって噛み締める。
 空を見上げると、ひらひらと白い喋々が舞い降り始める。履き出した息が、白い煙となって空へと上がっていった。
「雪が降ってきましたね」
「はい」
「寒くないですか?」
「大丈夫です」
「風邪を引かないように、温かくしてくださいね」
「そんな、もう子どもじゃないんですから」
「そうですよね、すみません」
 そんな他愛のない会話をしながら、顔を見合わせて二人で笑った。


 晴さんは、最初から最後まで優しかった。
 傷ついてボロボロになった私を、Kitty Catへと導いてくれたのも彼だ。
 私は晴さんのおかげで、今こうやって笑っていることができる。
 もし晴さんに見つけてもらっていなかったら、今頃、担当を刺していた……なんてこともあったかもしれない。
 そう考えると、怖くなってくる。
 だから、晴さんには感謝してもしきれないんだ。
 二人で薔薇の花に音もなく積もる雪を、しばらく眺めていた。


 その時――。
 晴さんが私の頭に積もった雪を払いながら、ふわりと笑う。私はその笑顔に、胸が締め付けられるように痛んだ。
「『帰らないで』って言ったらどうしますか?」
「え?」 
 ハッとした私は、晴さんを見上げる。
「帰らないでほしい」。
 いつも冷静だった彼の顔が、子どものように一瞬歪む。
 その言葉に、私の胸の奥が先ほどよりもギュッと締め付けられるのを感じた。
 でもすぐに、晴さんは自嘲気味に笑う。
「ごめんなさい。我儘を言って」
 その刹那的な本音を取り繕う彼の優しさが、私は堪らなく愛おしかった。


 降り続く雪の音が聞こえるほど静かな夜。 
 辺りは静まり返り、この世界には私と晴さんしかいないように思えた。 
 庭園に咲いている甘い薔薇の香りを、私はそっと吸い込む。


「では、そろそろこの辺で……」
「あ、そうですよね。このままずっと一緒にいられるような気がしてました」
「残念ですが、僕が姫を送っていけるのはここまでです」
「そうですか……」
 ずっと一緒にいられるかも――。そう期待していた自分に幻滅してしまう。
 『ここまで』という晴さんの言葉に、私たちの間に、今境界線が引かれた気がした。
 晴さんの耳と尻尾は、悲しみの雨に打たれたかのように、寂しそうに垂れ下がっている。でも、それを言葉にしないのは、代表というプライドからか、私に心配をかけたくなかったのか……。
 一体どっちだったんだろう。


「では、姫。お気をつけて」
 晴さんの声が聞こえてくる。少しだけ寂しそうに聞こえたのは、私の気のせいだろうか? ううん。気のせいであって欲しくない。
 だって、私はこんなにも寂しいのだから。
「はい。晴さん、色々とありがとうございました」
「こちらこそ、楽しかったです。姫から頂いたおやつ、大切に食べますね」
「はい。じゃあ、また」
「本日は、ご来店ありがとうございました」
 晴さんは、私に向かって深々と頭を下げた。
 彼に背中を向けた時「お腹は冷やさないでくださいね」という声が聞こえてくる。その言葉が嬉しくて、私の目頭が熱くなる。


 外は雪が降り続いている。ひらひらと舞い落ちる雪が、まるで時間を止めたかのように美しい。でも、その美しさには切なさが混じっている。
(本当は、晴さんとずっと一緒にいたかったよぉ)
 もう一度だけ、彼のことを振り返ろうとしたけれど、私はそれをグッと堪える。
 だって今振り返ったら、きっと永遠に「さよなら」ができなくなるから。
 本当は、もう少し彼の傍にいたかった。
 本当は、もう少し話をしたかった。


 最後にもう一度だけ……。私は後ろを振り返る。そこには、いつものように、優しく微笑む晴さんがいた。
「晴さん、本当にありがとうございました」
 寒さからなのか、寂しさからなのか、私の声がか細く震えている。
 そんな私に、「風邪、引かないようにしてくださいね」と最後まで気遣ってくれる。その優しさが私の胸を打った。


(もう、絶対に振り返らない)
 さよなら、晴さん。
 さよなら、Kitty Cat――。
 私は扉を開けて、外の世界へと、その一歩を踏み出した。


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