朝の十分〜友達よりも大切な彼〜

 それから二週間後、期末試験は無事終わり、俺は三つほど赤点を取った。
 それでも、それは香山に教わらなかった教科たち。香山の教え方が上手かったのもあり、その他の教科は今までに見たことのない点数を叩きだした。友人にカンニングを疑われるほどに。
「せやから、カンニングなんてしてへんって言ってるやろ」
「ほんなら、なんであの奏多が九十五点なんて取れんねん。おかしいやろ。俺なんて五十四点やぞ」
「けど、俺やって三つは赤点やで」
 答案用紙を友人に見せれば、彼はその場に項垂れた。
「経ったの三つやろ。俺なんて六つやで。六つ。夏休みないやん……」
 項垂れていた顔が上がり、怪訝な顔を向けられる。
「てか、なんで赤点取ってそんな嬉しそうやねん。なんかあるんか?」
「別に」
 そう言いながらも、俺の顔はにやけてしまう。
 補習なんてしたくない。夏休みが潰れてしまうのも嫌だ。しかし、これで毎日香山に会える。そう思うと、何故か心が躍るのだ。胸が弾むのだ。
「まぁ、ええやん。クーラーの効いたところにおれるんやで」
「せやけど……勉強は嫌やぁ」


◇◇◇◇

 ――ということで、夏休みが始まって一週間が経った今日も今日とて、何事も無かったように香山と一緒の電車に乗った。
 いつものように隣り合わせで座り、いつものように香山が本を読む姿を横目で見やる。少し違うのは、香山がメガネをかけていないことと、最近やけに嬉しそうだということだ。
「香山は、親父さんに怒られへんかったん?」
「激怒されたよ。家庭教師増やすとか言ってた」
「マジで? 遊ぶ時間減るやん」
「元々そんな時間ないよ」
「え、香山って、もしかしてゲームとかそういうのもしーひんの?」
「小さい頃に、ブロックゲームはしたことあるよ。あと、英会話のやつとか」
「それは……」
 ゲームはゲームでも、知育ゲーム。
 楽しいのは楽しいが、対戦ゲームやRPGなど、男子高校生がするようなゲームでないのは確かだ。
「ほんなら、明日ゲーム持って来たるわ」
「え、良いよ」
「絶対おもろいから。なんなら、今日の帰りに俺んち来てもええし」
「行きたいのは山々だけど、帰ったら塾があるから」
「大変やな」
「いつものことだよ」
 苦笑を浮かべる香山は、本に視線を移した――かと思えば、「そういえば」と顔を上げた。
「冴島って、将来の夢ってあるの?」
「え……」
 香山から話しかけられることは初めてだった。いや、話しかけられはしても、こういうのではなく、制服のボタンが外れてるだの寝癖がひどいだの、そういった小言ばかりだった。俺に興味を示す質問は初めてで、戸惑った。
「言いたくないなら良いよ」
 香山は、物憂げな表情で本に視線を落とす。
「あ、いや、言いたないわけやないで。俺の夢やろ? 俺はな……」
「俺は……?」
 俺の顔を覗き込むように、香山が見てきた。その顔を見て、ふと思った。
「お前とずっと一緒におりたい」
「え?」
 二人して固まった。そして、香山にほんの少し距離を開けられた。
「あ、いや、ちゃうで。ちゃうねんて。香山が好きとかそういうのやなくてやな。けど、嫌いとかちゃうからな」
 俺は焦って訂正するが、何が言いたいのか自分でも分からない。
「とにかく、俺はと……」
「と……?」
 言葉に詰まる。
 『友達』……この言葉を言ってしまったが最後、俺は香山の父に、この関係を引き裂かれそうな予感がする。今は、たまたま電車が同じになっただけの高校の同級生。
 その設定を壊してはならない。
「か、香山は? なんか夢ないん?」
 聞き返せば、香山は眉を下げて笑った。
「うーん、僕は医者になることかな」
「それはさ、親父さんの夢やろ?」
「え」
「あ、悪い。そうやなくて……夢やなくても、香山がしたいことってないん?」
「したいこと……」
 そう香山が呟いた時、電車が目的の駅に到着した。
 駅のアナウンスが鳴り、俺は下車しようと立ち上がる。
 しかし、それは香山の手によって阻まれた。
「香山?」
 少し汗ばんだ香山の手が、俺の右手を握っている。
「海に行きたい」
「海?」
「うん。僕のしたいこと」
 扉が閉まるアナウンスが鳴り、警笛が鳴った。
 俺は、もう一度香山の隣にストンと腰をおろした。
「海……行こか」