朝の十分〜友達よりも大切な彼〜

 それから二週間が経つが、俺と香山は毎朝のように同じ席で隣同士電車に揺られた。
 あの日以来、会話という会話はしていない。
「おはよ」
「おはよう」
 この挨拶のみ。
 話しかければ、きっと返事はくる。
 けれど、返ってくるのは生意気で嫌味たっぷりな応えばかりだろう。だから、敢えて俺からは話しかけない。
 それに、香山はいつもあの分厚い本を読んでいるのだ。邪魔するのは野暮ってもんだ。
 ——ただ、今日は違う。
 俺は教科書を片手に香山に話しかけてみる。
「なぁ、香山。ここ教えてくれへん?」
 来週には学期末テストがあるのだ。普通科の赤点ラインは六十。これを越えなければ、夏休みは半分ほど補習で潰れてしまう。何としても回避したいのだ。
 例え、この生意気な香山にバカにされても。
「ん、どれ?」
「これやねんけど、この数式に当てはめても、全然答え出ぇへんねんて」
「あー、これは」
 香山がチラリと俺の顔を見た。
「なんや?」
「いや、意外に真面目なんだなって思って」
「なんやねん、それ」
 香山の目から、俺はどう映っているのだろうか。
 そんなことを気にしつつ、俺は先生よりも分かりやすく教えてくれる香山の解説を聞いた——。
「なるほどな。ありがとうな」
「どういたしまして」
 再び本に目を向ける香山。
 俺は思わず聞いた。
「それ、何の本読んでるん?」
「これは……」
 香山は本を半分閉じて言い淀んだ。
「言いたくなかったらええねんけどな」
「別に言いたくないわけじゃない。ただ、君には理解出来ないかなって思って」
「また、バカにしよってからに。やっぱ、話しかけるんやなかったわ」
 フンッと教科書をしまえば、香山はポツリと呟いた。
「漁師の話」
「は?」
「大海原で、ただただ魚を釣ってる漁師の日記」
「あー、悪い。香山の言う通りやったかも」
「だから言ったのに」
 香山は本に目を向けた。
 その横顔を見ながら、俺は考える。
 こんな優等生が何故漁師の日記を読んでいるのだろうか。将来は漁師になりたいのだろうか。魚が好きなのだろうか。それは、面白いのだろうか。
 いや、その本がというより、ここにいる香山が面白い奴な気がしてきた。俺の中の何かが、くすぶっていた何かが燃え上がったような気がした。
「なぁ、香山。今日、放課後用事あるん?」
「え、なんで?」
「試験勉強教えてや」
「嫌だよ。自分の試験勉強もあるのに」
「そこを何とか」
 両手を前で合わせれば、香山は指を三本立てた。
「三つ」
「みっつ?」
「今、三つ試作を作ってるから、それ試食してくれるなら考える」
「なんや、変なもんやないやろな」
「嫌なら結構」
 ちょうど電車が目的の駅につき、香山が立ち上がる。俺も続いて立ち上がり、鞄に本をしまいながら電車をおりる香山の後ろを付いておりた。
「なぁなぁ、誰も嫌とは言ってへんやん。何が入っとんのか気になっただけやん」
「小麦粉と卵と砂糖、バニラビーンズに」
「ちょ、待て待て。そんな原材料言われたかて分からんって」
 改札を出ながら、香山の後ろ姿を眺める。
 更に香山に興味が湧いた。特進クラスで副会長だから、勉強ばかりしているのかと思えば、漁師の本を読んでいたり、しまいには料理の試作。意味が分からない。
 もっと知りたいと思った。香山のことを。
「三つ試食すれば教えてくれるんやろ?」
「あくまでも『考える』って言っただけだよ。感想によっては断る」
「それって、俺だけ損してへん? しかも、感想によってはって、うまい言うしかないやん」
「僕は褒められて伸びるタイプだから」
「それ、完全に褒めろ言うてるやん」
 やはり面白い奴なのかもしれない。若干……いや、かなり鼻につくやつではあるが。
「じゃ、今日のお昼、生徒会室に来て」
「は? 生徒会室!?」
「あそこなら昼は誰も来ないから」
「そうなんや。まぁ、誰もおらへんなら行けんことはないな」
 こうして、俺たちは昼も会えることになった。